10.主従の花
朝、リゼが食堂に今日こそ遅刻せずにやって来ると、普段は食堂の片隅の机で食事を取っている筈のマドカの席に、2人の見知らぬ女性達が座っていた。
一人はメイド服を着た黒髪の女性、もう一方は赤いカチューシャに赤と黒のミニドレスを着た金髪の女性。
当然、リゼはその2人のことは見た事すらない。
しかし2人のその清潔感のある姿からして、彼女達が確実に高貴な身分の人間であり、尚且つ主従の関係であるということも容易に想像が付いた。……その割には主人と従者が同じ席に着いていたり、マドカも含めてまあ楽しそうに食事を取っていたりもしていて、なんとなくリゼの想像している貴族とはイメージが異なっていたりもしているが。
(ん?そもそもこの街の人間は政治を持ち込む貴族を嫌うのではなかったのか?……いや、政治さえ持ち込まなければ問題はないのか?)
とにかく、いつまでもこうして食堂の壁から3人を覗き込んでいる訳にもいくまい。せっかく寝坊せずに来たのに、これで遅れてはそれも意味が無くなってしまう。
「マドカ、おはよう」
「あ、リゼさん。おはようございます、こちらの席にどうぞ」
「ああ、ありがとう」
意を決して声をかけてみれば、流れる様にマドカの隣の席に誘導されるリゼ。彼女と対面して食事を取っていた事はあるが、彼女の直ぐ隣に座った事はなかったため、妙に緊張してしまいつつも目の前の2人に視線を向ける。
(……美人しか居ないのか、この街には)
最初に思ったのはそんな事だった。
恐らく主人であると思われる金髪の女性は真っ赤な瞳が特徴的で、悪戯な笑みと共に何処か儚さを感じるような美しさを持っている。
対して従者と思われる黒髪の女性は純粋に美形といった容姿をしていて、主人とは対照的に健康的な印象だ。リゼほどには無いにしろ、女性としては背が高めな部類だろう。
その共通点に少しの親近感は湧いたものの、主従揃って抜群の美人。美人に弱いリゼにとって、美人3人に囲まれているこの状況はなかなかに心臓に悪い。
「ええと、取り敢えずお二人の紹介をしておきますね。彼女達は私がリゼさんの前に教官役をしていた【主従の花】というクランの探索者さんです。……と言っても、"主従の花"はお2人だけのクランなのですが」
「え、探索者だったのか。……ああ、いやすまない。突然来て失礼な事を言ってしまった。私はリゼ・フォルテシアという、よろしく頼む」
「別に構わないわ、探索者らしい見た目をしていないことは自覚しているもの。エルザ・ユリシアよ。よろしくね、後輩さん」
「私はユイ・リゼルタです。エルザ様の主人をしております、よろしくお願い致します」
「……ん?」
「私がこの子の従者よ」
「私がエルザ様の主人です」
「え……え?そっちが主人なのかい!?メイド服を着ているのに!?」
「ふふ、まあね。……あ、ユイ?お茶を取って来て貰えるかしら、無くなってしまったわ」
「かしこまりました、リゼさんの分もお持ちいたします」
「いや、本当にどちらが主人なんだ!?」
「ふふ、この子よ?」
「私です」
「ど、どうなっているんだ……?」
エルザという如何にも主人然としているにも関わらず自らを従者と自称する彼女と、ユイという完全に従者の立場に居ながらも主人を自称する彼女。
そんな2人に困惑していると、マドカはリゼのその様子を見てクスクスと笑い始める。どうやら彼女達にも何かしらの事情があるらしい。流石にそこまで出会ったばかり掘り出そうとは思わないが、マドカの様子からして、恐らく彼女達2人の姿を見てリゼと同じ様に困惑する者も多いのかもしれない。定番ネタという奴だ。
「エルザさんとユイさんは、昨日お話しした中間報告の為に街に戻って来た探索者さんなんです。エリーナさんへの報告は昨日既に終えていますので、今日は久しぶりのお休みという訳でして」
「お休みといっても、別に疲れる様な事はしていないのだけどね。向こうでも机に向かって報告書を作っていただけだもの、肩が凝るって意味では疲労はあるけれど」
「エルザ様、リゼさん、どうぞ。砂糖は少なめでよろしかったですか?」
「あ、ありがとう。うん、とても美味しそうだ。……ええと、マドカ、書類仕事とは?」
「百人単位の探索者が出動していますので、物資や探索者の管理が大変なんですよ。状況整理や打合せ記録簿の作成も含めて。そこを疎かにしてクラン間の問題になっても困りますし、ギルドにも報告書は定期的に送らないといけませんからね。そして『主従の花』のお二人は信用がある上に、書類関係の処理が非常にお綺麗なんです。そこで今回試しにと前半戦の現地での物資管理にギルドからの指名が入りまして」
「信用についてはマドカさんの教え子だからという理由も大きいのですが」
「はぁ、まさか探索者になってまで書類仕事をする事になるなんて思わなかったわ……あんな気色の悪い相手と戦うよりは随分とマシではあったのだけど」
実質的にリゼの先輩に当たるという彼女達。
そんな彼女達の話を聞いていると、なんだか後輩としても少しプレッシャーの様なものを感じてしまう。話を聞いている限りでは彼女達は既に探索者として十分に活躍出来る立場を掴んでいるのだから、そうなれる様にと少しの焦りを感じてしまうのも当然だ。
「ですが、レベル的にはリゼさんはお二人に近いですから。今後一緒にダンジョンに潜ってみたりしてもいいかもしれませんよ?」
「ん?そうなのかい?私はてっきり20レベルくらいはあるのかと思ったのだが……」
「それこそまさか、私達がこの街に来た時にはまだLv.3くらいだったもの。戦闘とは無縁だったから当然ではあるのでしょうけど」
「エルザ様はLv.11、私はLv.13です。とは言え、まだまだ戦闘には不慣れですから。無理矢理レベルだけを上げている事実もあります。いざ戦闘となれば如何にも経験豊富そうなリゼさんには敵わないかと」
「いやいや、そんなまさか……!」
「いえ、私の目から見てもリゼさんは戦闘力だけで言えばお二人に負けないくらいのものを持っていますよ。勿論、お二人が戦闘向きでは無い事と、そもそもダンジョン探索が目的では無いということもありますが」
マドカにまでそう言われてしまえば、リゼとて照れながらもその話を信じるしかあるまい。ダンジョン探索が目的では無いというのはよく分からないが、実力が違いというのは確かに今のリゼにとってはとても好ましい。
いつまでもマドカに頼っていられないとは言え、まだまだ探索者としては未熟な身。いずれは独立してパーティを組んだりクランに入ったりするかもしれないが、何にしろ集団戦の経験をするのは必要だ。それも相手が同じマドカの教えを受けた相手となれば、これ以上のことは無いだろう。
「あ、あの……!今度私とダンジョンに潜って貰うことは可能だろうか……?」
そんなリゼの言葉に目の前に座る2人も少し驚いた様な顔をしたものの、リゼのその言葉が少しばかり決心がこもり過ぎていたのか、クスクスと口元に手を当てて笑われてしまった。……なんとなく、そんな笑い方すらもマドカの笑い方に似ている気がしてしまって。
「もちろんです、むしろ私達からお願いしたいくらいには」
「そうね、歓迎よ。マドカと一緒に潜る事はあるけれど、偶には実力の近い相手と組みたいもの。かと言って他の探索者と組むのも抵抗があるし」
「最近は女性の探索者も珍しいですからねぇ、リゼさんは期待の注目株ですよ」
「え、そうなのかい?」
「ええ、そうなんです。浅い層までの日帰りならまだしも、深層に長期間潜るとなると女性には辛いですからね。それ用の薬もあるとは言え、基本的に男性の割合が高い世界ですから」
「ま、待ってくれ!そんな物もあるのか!?」
「欲しいなら後で売っている店を紹介しましょうか?……ユイが」
「……なぜそこで私なのですか、エルザ様。やめて下さい、こういう話を私だけに押し付けないで下さい」
「えぇ?別にいいじゃない、どうせいつも私のそういう物を揃えているのは貴方なのだし」
「それを人前で言うのはおやめ下さい……!」
「あ、もしよろしければ私も付いていきましょうか?お供しますよ?」
「ですから、それに一体何の意味があるのですか……!それなら私が自分で材料揃えて作りま……っ、普段からそうしていれば良かったのでは?」
「あら、今更気付いたの?偶に抜けてるわよね貴方、そういう所が好きなんだけれど」
「エルザ様……!」
やんややんやと、よく分からない会話をしながら2人にイジられるやはりどう見ても従者にしか見えないユイ・リゼルタを見てリゼも笑う。
マドカ以外の探索者を見たのは初めてであったが、そうして出会った相手が同じマドカの教え子であり、加えてこうして見た限りでは事情を抱えてはいても間違いなく善人であった事に胸を撫で下ろしたリゼであった。
そして午後、今日の午後の予定はマドカによる講義の時間である。
朝食時に出会ったエルザとユイの"主従の花"というクランの2人と別れた後、そう時間も無かった為に今日は5階層のワイアームをマドカが倒して依頼をこなしたりしたのだが……昨日リゼがあれだけ討伐に困難したにも関わらず、ワイアームはマドカによって一瞬で灰になったりもした。
単純なステータスの違いはあれど、あの硬い鱗を持った階層主を『炎斬』で一撃である。彼女はSPD(速度)とINT(魔力)に偏ったステータスを持っているというが、その技能さえも一級品。リゼの様にスキルを使った視力無しにカウンターを決めた様は最早美しくすらあった。
(……いや、それはさておき)
さておき。
ここはギルドの一室。
ギルド内には著名な人物からの講義や、ギルド本部から各クランの代表に通知や報告を行う為の講義室がいくつか存在している。
当然この時期には誰からも使用されていないこの部屋は、今日ばかりは単にマドカからリゼに対して個人講義のために借りられており、今マドカは教室の前面にある黒板に何かを書いている。
その手慣れた感じからして、きっと彼女はこういう事にも慣れているのだろう。果たして自分は彼女の何番目の弟子にあたるのか、当然リゼもそこは気になってしまう。
「……ところで」
「ん?」
「その、何故ギルド長がここに?」
「居たら都合が悪いのか?」
「あ、いや、私は構わないのだが……純粋に気になったというか」
「私もマドカの講義というものを一度聞いてみたかったんだよ。それに仕事も少し落ち着いて来たのでな、気分転換だ」
「……本当にそれだけなのですか?」
「もしマドカの講義の質が良ければ、新人探索者向けの講義というものを開こうと考えている。各クランで新人の育成は行なっているが、方針が滅茶苦茶なのでな。それが出来ればクランの負担も減るだろう?」
「ええと、それではマドカの負担が増えるだけなのでは……」
「"主従の花"の2人と、もう2人の教え子達のおかげでマドカの負担も大分減って来た。君にも期待しているからな」
「は、はぁ……」
何故かリゼの隣で同じ様に紙とペンを持ちながらニヤニヤと笑っているギルド長:エリーナ・アポストロフィ。しかし当のマドカはそんな事は少しも気にせず、黒板に書き終わったそれに一度頷いた後、知らないうちに座っていたエリーナに笑いかけると、当然のように講義を行い始めた。もしかすれば彼女はこういう状況にも慣れているのかもしれない。それはつまり、それだけエリーナがマドカにちょっかいを掛けているという意味でもあるのだろうが。
「さて、今日の講義のお題は【クラン】についてです。リゼさんも将来的には何処かのクランに所属する事になります。自分で作るか、既存のクランに入るのかは分かりませんが、この街で生きていく上で最も重要な知識ですので、これについてはしっかりと覚えていって下さいね」
「わ、わかった。よろしく頼むよ」
ニコリと笑う彼女。
何処からともなく取り出した伊達眼鏡をかけた彼女はむしろノリノリだった。眼鏡をかけた彼女もまた雰囲気が違っていい……というのは今は胸の奥にしまい、リゼも意識を切り替えてしっかりと勉強モードに入る。
「まずクランというのは、探索者が複数人集まって作る集団のうち、ギルドによって正式に認められたものを指します。ギルドに認められていない集まりはクランとは呼ばれません」
「なるほど……それこそつまり、申請に書類作成とかが必要になる訳だな」
「ちなみに私が言うのもなんだが、クラン申請の書類関係は非常に面倒臭いし、簡単に許可も降りない。故に初心者や頭の悪い奴等ではクラン申請なんて普通は考えられない話だ。……の筈なのだが、その辺りをこの街に来て直ぐに片手間でやったからこそ、"主従の花"は私達も一目置いているという訳だ」
「ふむふむ、そこに話が繋がるのか」
「一応、クランに入るメリットは多いですよ。例えば身元の保証や信頼をクランの名前で得られること。クランに入っていないと得られないギルドからの情報なんかもあります。次にスフィアやパーティの融通が行えること。これは主に大手のクランの話ですね。最後にクランが保有する施設を使用できる事。これはお抱えの商人や技術者、書物なんかの事を指します」
「書物……それは私も少し気になるものがあるかな。デメリットはどんな事があるんだい?」
「これと言ったものはありませんが、強いて言うのであれば、それこそ各クラン事の特色ですかね。クランにもよりますが、所属メンバーの成果物を一度全て集め、実力順に分けている所もあります。他にもルールや規則等を厳しく設けている所もありますし、街の警備などを受け持っている所もあります。勿論、内情が実はよろしくない場所である時も。ですので、入るクランの条件を事前に確認しておかなければ、それはデメリットになってしまうかもしれません」
「ふむふむ。当然だけれど、事前の情報収集は大切と言うことか。勉強になるよ」
マドカの話す事をメモっていく。
基本的に入るクランさえ間違えなければメリットばかり、とは言えそれもクランに対して十分な貢献が出来る人間ならばという話なのだろう。その辺りを含めると普通に就職をするのと似た様なものの気もしてくる。
「ま、そんな事から、基本的にこの街のほぼ全ての探索者が皆どこかしらのクランに所属している。むしろクランに所属していなければ、何か理由があって入れないのではないかと疑われてしまうくらいだ。そもそも入らないという選択肢自体が無いと言っても過言ではないな」
「だとすると、今の私の後ろ盾がマドカだとすれば、それが今度はクランになると。……あれ?それならマドカは一体どこのクランに所属しているんだい?マドカのお母様のクランなのかな?」
「あ、いえ、私は何処にも所属していませんよ?」
「え」
「私は基本的にギルドに残った依頼を引き受けたり、浅層の見回りばかりをしていますので、そもそも所属する意味がありませんから。それに皆さんのおかげで顔も広い方ですので、パーティを組むのに困ることもありませんし」
「ああ、なるほど……ええと、つまりギルド長。そもそも周囲からの信頼があるから必要が無い、という解釈でいいのだろうか」
「そういうことだ」
それはマドカの人望もあるだろうが、彼女の様に浅層の割の悪い依頼をこなしながら毎日の食費を処理する為には、自分のクランにお金を収める余裕も無いという理由もあるのだろう。
そしてそんなリゼにエリーナが顔を近付けてこそこそともう一つの理由を教えてくれる。マドカはそんな2人の様子に一度は首を傾げるが、また黒板に向かい何かを描き始めて気にしないでいてくれた。
「マドカはな、実質的にギルドに所属してる様なもんなんだよ」
「それは、ギルドお抱えの探索者という事ですか?」
「ああ、正式にはギルドは専門の探索者は持てない決まりなんだけどな。けど余った依頼の処理や急な対応を求められる事態の対処、他にも外部には決して漏らせない極秘の依頼を頼める様な信頼出来る探索者が、ギルドにはどうしても必要になるんだ。うちのギルドは今そういった事の大半をマドカに頼っている」
「ふむ……」
「他にもクラン同士のトラブルが起きた時にはギルドが仲介するのは難しい、所詮は公的機関だからな。だが大手ギルドの幹部連中にも顔が効くマドカならばその繋ぎになってくれる。この街でここ数年クラン同士の大きな衝突が無いのは、大抵マドカが上手いこと処理してくれているからだ」
「……そこまで頼っているのなら、食事代くらい出してもいいのではないですか?」
「いや、それは本当にもっともなんだけどな。流石に1人の食事の為に月に何十万も出せないんだよ、報酬の増額もバレたらマドカの立場まで危うくなる。私が出来るのはせいぜい偶に夕食を奢ってやることと、お前の時の様に頼まれた事に便宜を図ってやることくらいだ」
「なるほど、そういう事情が……」
「だから初心者に対する講義を任せて、仮職員みたいな中途半端で扱い易い役職を与えてやりたいんだよ。一番この街に貢献してる人間が、その日の食事にも困るなんて間違ってるだろ?正直今もお前のおかげで一時的なギルド職員として食堂を使わせてやれている事に感謝している」
「そう言われると嬉しいですが……」
そんな事を聞かされてしまうと、ギルドとマドカの関係の見方も変わってくる。そんな立場に居るのであれば、それはあれだけギルド職員達からの評判も良いというものだろう。特に利益にもなっていないのに、ギルドの厄介事を処理してくれるのだから。 きっとリゼが初めてギルドにやって来たときにマドカが納品していたアレも、その緊急事態的な話だったのだと今なら分かる。
「あー、すまないマドカ。もう大丈夫だ。講義を続けてくれ」
「ふぇ?あ、はい。……ええと、それじゃあ次はこの街の代表的なクランについて紹介しちゃいましょうか。しっかりと覚えていってくださいね」
「ああ、分かった。よろしく頼む」
果たしてリゼがこれから先、どのような探索者になるのか。この授業はそれを決める最初の一歩である。
ギルドお抱えの探索者……現在の制度ではギルド直属の探索者を持つことは禁止されており、特定の探索者を優先的な扱いをすることは出来ない。しかし現実的にそれでは回らない部分があり、緊急時に即座に対応出来る、実力のある探索者が求められている。これはオルテミス以外の都市でも同様であり、他の探索者から反感を買うことを防ぐため、そういったお抱えの探索者は基本的にクランに所属していない個人としており、その人格についても含めて判断されている