開成山公園
朱理は無事に悠輝と合流し、開成山公園に向かった。ここの野外音楽堂で御堂刹那が出演するイベントが行われる。メールの返信はまだないが、なるべく早く接触出来るようにここへ来た。叔父は言うまでもなく、朱理もヘルメットとゴーグルで顔を隠している。
「四時半か……」
MTBに取り付けたスマホの時計を見ながら悠輝が呟く、二人とも公園の中を自転車を引きながらブラブラしていた。曇天の夕方で大分蒸し暑い。朱理は平気だが、悠輝は水道で水分を補給しながら歩いている。
「スタートが夜七時で終わるのが九時予定。後片付もあるだろうし、会えるとしても十時以降になるね」
「そうだな」
六時間以上待たなければならないだろう。
「おじさん、寝ていないんでしょ、どこかで横になったら?」
「そうしたいけど、ジッとしているのは……」
「藤棚で、池の方を向いてわたしが膝枕をしていれば、顔も見えないし、熱も少しは吸収出来るよ」
開成山公園には池に面した藤棚が在り、その下にベンチがいくつか並んでいる。
「JCに膝枕なんかしてもらったら、それこそ警察が吹っ飛んで来るぞ」
呆れた声で言う。
「そ、そんな事ないよ! 後ろ姿なら、わたし、そんなに子供っぽくないし、おじさんは顔が見えないんだから、カップルに見えるはずだよ」
赤くなりながら抗議する。
「わかった、わかったよ、ありがとう。だから、そんなに興奮するな」
叔父がヘルメット越しに頭をなでようとしたので、素早く身をかわす。空振りした悠輝は悲しそうな顔をした。
都合良く誰もいなかったので、公園の北側にある藤棚の下で悠輝は横になった。宣言通り、朱理は叔父を膝枕して、周りの熱を吸収する。この程度の事なら集中しなくても出来るし、験力もほとんど消費しない。念のため悠輝はヘルメットを顔にかぶせ、朱理もゴーグルをしたままだ。先ほどクルマの中で政宗を膝枕していたが、人にするのは初めてだ。
眼の前に五十鈴湖と呼ばれる大きな池が広がっている。対岸側には野外音楽堂が有り、ステージは水で囲まれ池に浮いているように見える。御堂刹那はもうあそこにいるのだろうか? 警備員が居て近づけず確認出来なかった。
そよ風が吹き、ゆったりとした時間が流れる。わずか数時間前の出来事が夢のようだ。現実を見失わないために家族の事を考える。
テレビで叔父がアーク信者を殺したと報道されていた。合流してからその事について一切話していない。悠輝は何も言わないし、朱理も怖くて事実を問いただすことが出来なかった。万が一、事実であっても母が銃撃された状況を考えれば正当防衛のはずだ。それでも、叔父が人を殺めたとなるとショックだ。
ただし、ショックなのは叔父が人を殺したことではない。そこまで追い込まれた叔父が妹を助けようとしているのに、身を隠すことしか出来ない自分の無力さに対してだ。
その紫織は何をされているのだろう? 非道い事をされていなければ良いが、ここでも出来るのは祈ることぐらいだ。本当に自分が嫌になる。
梵天丸と政宗、そして明人は無事身を隠せただろうか? これは天城任せだ。
父はどうだろう? 叔父は安全な場所に避難するよう連絡したが、素直に従ってくれているのだろうか?
母は? 命に別状は無いと言われたが、手術は上手くいったのか?
大人しくしているのだろうか? アークに牧田診療所は見つかっていまいか?
祖父は? 一番頼りになる祖父はどうしたのだろう? アークの罠にはまったと叔父は考えているが本当に無事なのか?
不安が頭を駆け巡り、己の不甲斐なさに心が沈む。
不意に朱理は戌亥寺に来たばかりの頃、母から教えられた話し ─ 正確には母の能力で追体験した事 ─ を思い出した。
母は唯一の友人、大久保玲菜の度重なる頼みを断り切れず、氷室和彰の心を操り彼女の事が好きだと思い込ませた。ところが、氷室には荒木早紀という恋人がいたのだ。奇しくも、彼女は高校の後輩で、祖父の拳法道場の生徒でもあった。その事に気付いた遙香は氷室を元に戻すが、結局早紀との仲は修復されなかった。そして母は、唯一の親友も失う事になったのだ。
「朱理、起きろ」
叔父の緊張した声に眼を開く。
「ん……?」
膝枕をしていたら自分までうたた寝をしていたらしい。
「ごめんなさい」
「構わないよ。それより感じるか?」
言われて感覚を研ぎ澄ます。
「なにこれ?」
悪霊とも魔物とも違うが、同時にどちらにも似ている奇妙な気配が、対岸の音楽堂から漂ってくる。この距離でこれだけ感じるのだ、かなり強い。
でも、この気配どこかで……
「稲本にいた時に、御堂が送ってきた荷物の気配と似ているか?」
思い出した。去年、叔父の部屋で受け取った箱の発していた嫌な感じに何となく似ている。あの時は験力が目覚めかけだったのでよく解らなかったが、今ならこの気配がいかに危険か判断出来る。
「どうするの?」
叔父は眉間に皺を寄せ、音楽堂を睨んでいる。
「今は人目に付くわけにはいかない、御堂に任せるしかないな」
「でも、この妖気、異常だよ!」
そうだ、この気配は『妖気』と呼ぶに相応しい。
「ああ、恐らくあいつの手に余るだろう。こんな状況じゃなきゃ、さすがに見過ごせないけど……」
苦虫を噛み潰したような顔になる。
「じゃあ、わたしが行く」
「ダメだ!」
「放って置けないよッ」
「気持ちは解るけど、堪えてくれ」
悠輝は朱理の気持ちを抑え着けるように、彼女の両肩に手を置いた。
「おじさん……」
音楽堂を見る。あそこには御堂刹那を始め『鬼霊戦記』のキャストと監督、そして観客がいる。
鬼霊戦記……?
頭の片隅に何かが引っかかった。何だろうと思いながら視線をさまよわせると、叔父の姿が目に留まった。
白いシャツと白のデニム……白装束……あ!
「わたし、作戦を思いついたかも」