戌亥寺
境内に人の気配は無かった。明人は庫裡の玄関で三人倒したと言っていたが、争った形跡は残っているものの信者の姿はない。念のため、神社の方にも行ってみたが誰もいなかった。アークが回収に来たのだろう。朱理たちの避難が遅ければ鉢合わせていたかも知れない。
改めて庫裡の中に入る。物色されていたが、雑に漁っただけのようだ。本堂は確認していないが、社は荒らされた形跡はなかった。斃された信者の回収を最優先したのだ、周りに民家が少ないとは言え皆無ではないし、檀家が訪れる可能性もある。マスコミに取り上げられれば、火消しに多少なりとも時間がかかるし、世間も半年前の事件を忘れてはいない。さすがに用心はしている。
その時スマホの着信音が鳴った。取り出して画面を見ると、バニーガールの格好をした天城の画像が表示されている。
なんだこれ……
呆れつつ電話に出る。
「お前、自分の画像、もっとまともな……」
〈そんなことより、今、どこだ?〉
「戌亥寺の庫裡にいる」
〈近くにテレビはあるか?〉
「ああ」
嫌な予感を覚えるまでもなく、確実に悪い事が起こっている。茶の間に急いで移動した。リモコンはテーブルの上にあったので、直ぐさま電源を入れる。
いきなり自分の顔が画面に映し出された、しかもかなり人相が悪い。こんな顔をしたのは数時間前、勢至堂渓谷聖堂に乗り込んだ時だ。
「鬼多見悠輝容疑者は、宗教法人アークソサエティの信者を三名を殺害、八名に重軽傷を負わせ……」
段取りが良すぎる、やはり警察やマスコミにも信者がいるのだ。
〈これで全国指名手配だ。どうだ、ボクの助けが要るだろ?〉
「こんなに早く朱理たちにバレたのは残念だが、想定内だ。明人と犬たちを頼む。お前だってマークされているかもしれない」
〈『かも』じゃない、とっくの昔にされている。
まったく、この期に及んで強情なヤツだな。ま、明人くんたちは任せてくれ〉
「ああ、頼んだ」
〈それと、なるべく派手な服に着替えろ〉
「え?」
〈ニュースでお前の服装が流れている、それとは全く違う格好にしろ。それに服が目立てば顔は印象に残りにくい〉
「注目されるだろ?」
〈MTBに乗るなら、メットとゴーグルを着けるだろ。コソコソすると却って怪しまれる、堂々と目立った方がいい〉
「なるほど……」
何だかんだ言っても、はさすがは探偵だ。
通話を終えると、すぐに青いシャツとグレーのデニムパンツから、白のシャツとコットンパンツに着替える。
白装束か……
鏡に映った姿を見てげんなりする。アークソサエティの信者みたいだ。
もしくは、死に装束か……
縁起でもない。頭を振って嫌なイメージを振り払い、服の下に鈷杵や数珠などの法具を仕込んでおく。今回は信者相手だが、借り物の霊能者が多いので必要になるだろう。
準備が一通り終わると、自分と朱理のMTBをそれぞれ左右の肩に担ぎ、山門の石段を降りた。自転車が無事だったのは幸運だ。
「鬼多見悠輝さんですね?」
いつの間にか背後に男の子が立っていた。
「何だお前は?」
「僕は氷室達也、御子神と呼ばれています。
ニュースは御覧になりましたよね?」
彼は能面の様な表情で淡々と言った。
「やってくれたな」
「自首をお勧めします」
「坂本に伝えろ、紫織を素直に返せば命だけは助けてやってもいいってな」
「話し合いは無駄ですか、残念です」
突然視界が歪むと、眼の前が真っ暗になった。
ここは……?
闇に眼が慣れてくると、そこが庫裡の廊下である事が判った。
真夜中の廊下を悠輝は進んで行く、そして台所へ入った。
誰かが立っている。
「おねぇちゃん……」
自分の意思とは関係なく言葉が出た、それもかなり幼い声だ。
ったく、どいつもこいつも人を子供に戻しやがって。
法眼にも幻術で子供に戻されて、非道い目に遭わされた事がある。
悠輝の呼びかけに、遙香は背を向けたまま反応しない。背格好からすると中学生くらいか、ならば自分は三、四歳だろう。
「ふ~ん、面白いな。心が未熟な子供の頃を見せた事は評価してやる、前鬼だか後鬼だかよりはマシか。
しかし、まだまだだ。おれを斃したいなら、そんな離れた所じゃなく眼の前に来い」
意識を現実に戻すと、場所も石段の前に戻る。
今まで無表情だった御子神が、口元に笑みを浮かべた。
「これは挨拶代わりです、近いうちに会いましょう」
言い終わると姿が掻き消えた。
氷室達也は、勢至堂渓谷聖堂からこの戌亥寺に幻影を飛ばしていたのだろうか、大した異能力だ。
あのガキ、まがい物じゃないな。だからと言って、天然物とも違う。何だアレは?
それにしてもあの幻覚、ただのまやかしか、それともおれの記憶……?
何か引っかかるが今はそれどころではない、急いで朱理を迎えに行かなければ。