犯人は私だ~仮面探偵の悲劇~
彼は常に仮面を被っている。ゆえに『仮面探偵』と呼ばれている。
彼が仮面を被っているのは、強面という言葉では生ぬるすぎるほどの形相を隠すためである。鬼の形相、悪魔、魔王――彼の素顔を見た者は様々な表現をする。
そんな彼は、探偵として極めて優秀である。探偵社ギルド最優秀探偵賞にも選ばれたことがあることから、その優秀さがよくわかるだろう。
久しぶりに休暇が取れたので、彼は旅館へと出かけた。しかし、職業探偵の宿命というべきか、探偵に吸い寄せられるように事件が発生する――。
◇
「きゃああああっ!」
女将の悲鳴が旅館全体に響き渡った。
仮面探偵がその旅館を訪れてからまだ一日も経っていない、早朝のことだった。朝四時の悲鳴に、宿泊していた客全員が強制的に起こされた。しかし、そのことを責める者はいない。悲鳴が上がったということは、それほどの事態が起こったわけなのだから。
「どうしましたっ!?」
従業員たちが慌てて駆け寄ってくる。
女将は驚きのあまり廊下に尻もちをついている。声が出てこないのか口をぱくぱくさせながら、必死にそれを指差す。
「人が、倒れている……?」
すぐに脈をとった、が……。
「し、死んでる……」
宿泊客の男は恐怖に顔を引きつらせた状態で亡くなっていた。
すぐに警察に通報する。警察がわらわらとやってきた。遺体をじっくりと調べてみるが、外傷はなかった。男に持病の類はなかったが、心臓麻痺による突然死は誰にだってあり得ることだ。事件性は見られない――ように思えたが、死者の顔は突然死したにしてはおかしい。この心臓麻痺は何者かによって人為的に引き起こされたものなのかもしれない――。
そこで警察は気づいた。この旅館の宿泊客に、あの『仮面探偵』がいるではないか――。
「仮面探偵、私にはどうしてもこの男の死がただの突然死には思えないのです。不幸な事故死ならば、このような表情はしないでしょう。これは、恐怖に歪んだ顔です。きっと、何者かに脅迫されるなりして、その結果、心臓麻痺を起こして亡くなってしまったのです。だとしたら、これは事故ではない――事件です」
「……わかりました」
仮面探偵はくぐもった声で言った。
「彼の死の真相を解いてみせましょう」
◇
仮面探偵は部屋で胡坐をかいて、瞑想するように深く考える。
警部の言う通り、あれは人の手によって引き起こされた人工的な心臓麻痺だ。犯人はどのような手段でもって、対象に死をもたらすほどの恐怖を与えたのか……?
被害者の推定死亡時刻は深夜二時頃。倒れていた位置からして、彼はトイレに行ってその帰りに何者かと遭遇、亡くなったと考えられる。
彼は誰と遭遇したのか――。
そこで、仮面探偵ははたと気づいた。
そういえば、私も深夜二時ごろにトイレに起きたな……。かなり尿意を催していたので――それに深夜ということもあったので――普段は被っている仮面を外していた。尿意を催していた――漏れそうだったので、顔はいつもよりぐっと歪んでいた。鬼をも超える、この世のものとは思えぬ形相になっていたことは想像に難くない。
とすると――。
そこで、思い出した。
眠くて意識がぼんやりとしていたが、トイレを求めて廊下を走っていたときに、男の呻き声が聞こえたような……。それと、バタン、と何かが倒れる音……。
思考が加速する。
探偵として、事件の真相を推理、導き出すパーツが出揃ったのだ。
そして、導き出された真相は――。
「犯人は……私だ……」
◇
仮面探偵は人気のない場所に警部を呼び出した。
「どうしたんです、仮面探偵? まさか、事件の真相が――」
「ええ。わかったんです――わかってしまったんです」
「わかってしまった?」
仮面探偵の表現に、引っかかるものがあった。
「結論から言いますと、犯人は私です」
あまりにもあっさりと言ったので、警部は一瞬その重大な真実を聞き逃しそうになった。
「わ、私って……仮面探偵、あなたが……?」
「ええ。詳しく説明します。私は深夜二時ごろ、トイレに行くためにあの廊下を通りました。普段はつけているこの仮面を外していて、素顔をさらしていたのです。しかも、溢れ出んばかりの尿意を堪えていたので、形相がいつもの二倍――いや、三倍増しになっていたと推測されます」
「わからないな。どうして、ガイシャは心臓麻痺を起こしたんです?」
「私の顔を見たからです」
「……は? たったそれだけで?」
「深夜の薄暗闇というのは、恐怖を増幅させる効果があります。もしかしたら、被害者は怖がりで、幽霊の存在を信じていたのかもしれません。そこに、尿意を堪えて走ってきた鬼のごとき形相の大男。普段よりも怖い顔でなおかつ深夜であった。相乗効果で、恐怖はとんでもないことになったのでしょう。その結果、私の顔を見て心臓麻痺を起こして死んでしまった――」
「そ、そんな馬鹿なっ!? そんな馬鹿げた真相があってたまるものか――」
混乱のあまり仮面探偵に掴みかかった警部。やれやれ、とため息をつくと、仮面探偵は仮面を外して素顔をさらした。素顔を見た警部は――。
「ひゃあああっ……!」
じょろじょろ、と音を立てて盛大に失禁してしまった。
「ひっ、ひいいぃぃぃ……」
「信じていただけましたか? これが事件の真相なのです」
仮面探偵は寂しげに言った。
「ねえ、警部。私はどんな罪に問われるのでしょうか?」
「……あなたを逮捕するなどできない。だって、あなたは何も罪を犯していないのだから」警部は言った。「だから、この件は不幸な事故死として処理しましょう」
「よろしくお願いします」
頭を下げると、仮面探偵は部屋へと戻った。
ドアを閉めて一人きりになると、仮面を外して鏡を見た。そこには、涙を流している悲しげな鬼の顔がうつっていた――。