12 アメリカという異世界
柿崎が答える。
「いえ、みんなではないです。」
英理華のほうを手で示した。
「この中でエリートなのは、彼女だけですよ」
「そうなんだ。みなさん、エリートなのだと思った。そんな雰囲気だったから」
「私たち、このあとシャワーしたら、クラブハウスの喫茶ルームでお茶を飲むのですけど、もしよかったら、ご一緒にいかがですか?」
英理華が声をかける。
誘うのかあ。
透也は思う。
声をかけてきた少年の顔が輝いた。
「え、いいんですか」
「ええ、どうぞ」
声をかけてきた浅野光雄と名乗ったその少年は、英理華の向かいの正面に座った。
「リアルでエリートの方と話せるなんて嬉しいです。初めてです。わあ、やっぱり美人さんだな」
「あら、ありがとうございます」
もうひとりの、篠塚真道と名乗った少年が浅野の横に座った。
それからあと、浅野はよく喋った。その話の内容は、要は自分の自慢話だった。テニスがいかに上手いかとか、自分は女の子にとても持てるのだ、というような話。
70.0未満なんだろうな。透也は思った。70.0未満の人にはそのポイントは開示されない。
だがハーフだという浅野は、ビジュアル的には、間違いなく95.0ポイント以上であろう容姿だった。
藍と三田が時々、会話に加わる。よくよく聞けばこれも自慢話。藍も三田も、自分も結構持てるのだということを言っている。お互いに対するアピールであろう。だが、浅野と違ってオブラートに包まれている。よくよく聞けば、そのことが言いたいのだな、と気づく程度。
英理華と柿崎は、言葉は少ないが適切な相槌をうつ。浅野の話に興味を示している。浅野は、増々調子に乗っている。
透也は話に加わる気がしない。透也の隣に座っている那央も黙っている。
那央さんも、このタイプの人は苦手なのだろうな、と透也は思った。
浅野の話がようやく一段落した。
あらためて、英理華の顔を見つめる。
「いやあ、今日はエリートに対するイメージが変わりました。英理華さん綺麗ですけど、美人過ぎて手が出ないという印象ではないし、親しみやすくていいなあ、これからも会ってもらえませんか。時々はふたりでも」
これは、旧世界にあったナンパというやつだろうか。それにしてもこんな大勢の中で臆面もなくやっちゃうんだ。
と、透也は傍観。
英理華は、にっこり笑って、黙って浅野の顔を見た。
三秒ほど、そのまま、見つめ合った。
浅野がふっと息を吐いた。
「ごめん、撤回。僕が今付き合っている女の子たちとは、同じ笑顔でもまるで違いますね。そうかあ、これがエリートの気品かあ。こりゃ手が出ないや」
英理華が、もう一度にっこり笑って篠塚のほうを見た。
「篠塚さんも、何かお話聞かせてください」
「皆さんに興味を持っていただけそうな話もないんですけど。そうですね。僕は、もう少し大人になったらアメリカに行こうと思っています」
「おいおい篠塚、またあの話か。やめとけよ」
アメリカ。
旧世界では、世界の覇権を担った時代もあったアメリカ合衆国。
ライフレコーダーの埋め込みを拒否した人たちの住む土地。
コンピューターの存在しない土地。
コンピューターが、この世に登場する以前の生活様式を守る土地。
政治も経済も含めて生活の全てが人間だけで行われている土地。
人が生まれ、人が死んでいく土地。
ひとたびアメリカに行った者は、もう二度とロイヤルブルーの世界には戻れない。
「アメリカですか。それはどうして」
柿崎が訊く
「それは、僕が神を信じているからです」
おお、いきなりそう来たか。ストレートだなあ。この人の相手は僕がするのが良さそうだ。
透也はそう思った。
篠塚真道が語る。
「ロイヤルブルーが教えてくれるのは、この世のことだけ。あの世のことや、神のことについては何も教えてくれない。でもイエスは、そして聖書は、それをはっきりと教えてくれます」
透也が応じた
「僕は神の存在を否定はしません。でも、人間に認識できるのは、時間と空間によって構成されたこの宇宙の中のことだけ。それが人間の思考の限界です。
神が宇宙を創造し、時間と空間を超えた存在であるなら、人間には不可知の存在です。
神が存在するかしないのかは人間には証明できません。
僕は宗教も否定はしません。
人間には分りようもないこと。宇宙を超えた存在を、人間が理解することのできる言葉で、精一杯示唆して説明するのが宗教なのだと思うからです。
宗教とは、世界がこうであってほしいという、人々の願望が集約された究極の物語なのではないかと思います」
透也は、ちらっと、心に思う。英理華にはこんな話はできない。なんで英理華がエリートで、僕がノーマルなんだろう。
これまで何度も繰り返してきたその問いを、透也はあらためて思った。
「宇野くんは、矢内原忠雄という方を知っていますか?
19世紀の終わり頃から20世紀にかけて生きておられた方です。」
「いえ、知りません」
「矢内原先生は、キリスト教入門という著作で、宗教に対する宇野くんのような態度を批判しています。
宗教は理屈ではありません。もちろん科学でもありません。ただ信じるものです。論述するものでもありません。人は神に対して、大いなるものに対しては謙虚な姿勢でただへりくだるだけです。
神や宗教を論じる人に、信仰するということの本質、信仰するということの本当の喜びは分かりません。真に信仰する者だけが、神を感じるのです」
……
「僕はアメリカに行きます。人びとが活気に溢れ、人びとの信仰がまだ息づいている土地へ。イエスを信じる人たちが存在する土地に行きます。その土地で神を讃えながら生きていきます。
私に細胞活性化処置は必要ありません。人は死してのちは、天国に行き、永遠の命を授かるのですから」




