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あなたの声色は



* * * ◆ ◆ ◆ * *



 私は何のために歌うのだろう。



 私の家は多分、比較的裕福な家庭だった。少なくとも、金銭的な不自由はしてこなかったと思う。

 もちろん両親がそういうのを隠すのが上手かっただけ、という可能性は十二分にあるけれど。


 だからだろうか。

 いくつもの習い事をさせられた。少なくとも、私は望んでいなかった。

 スイミング、書道。学習塾、ピアノ。学年が上がれば英語教室にも通わされた。

 毎日のように勉強をして、楽しかったのだろうか。分からない。

 でも唯一覚えているのはその中でもピアノは、少なくとも始まりだけは、自分から望んだものだったということだ。


 多分幼稚園のお歌の時間が好きだったとか、そんな理由。当時友達の玲奈と美沙がピアノ教室に通っていたこともあって、私は通うことを決めた。

 けれど子どもの興味は移りやすい。すぐに飽きて、でもやめられず、何年も続けた。

 だから多分、見落としていた。

 本当は何が好きで、何がしたかったのか。



 抑圧されて育った子どもは大きくなると色々と拗らせる、なんて話がある。

 私がそれに当てはまっていたのかどうかは分からないけれど、中学受験に受かって色んな友達に揉まれた結果。

 幼馴染みの玲奈と美沙共々、かなり派手になった。


 俗な言い方をすればグレた(、、、)というやつだ。

 まあ、彼女らはともかく私は成績が良いままだし、変わったことといえば容姿の成長も相まって色んな人に目を向けられるようになった、ということくらいか。


 それから——誰かに強制されることが、たまらなく嫌になった。

 反抗期、というやつなのか。はたまた習い事の反動か。

 私にとっては水泳も書道も、ピアノも英会話も。必要な能力として修めてはいるけれど、好きではなかった。


 そう、嫌いだったのだ。

 弾くことも、歌うことも。

 本当の気持ちも錆び付くほどに。



 だからこそ、分からなくなった。

 先輩に出会ってから。



 歌うって、私にとって何だろう。




* ◆ ◆ * ◆ ◆ * *



 どうやら私は、歌うことが好きらしい。



「この鍵。渡しとくよ」

「はぁ」


 軽い調子で話す先輩に、私は思わず間抜けな声を出した。

 遅れて持っていたモップが手を離れ、地面に軽やかな音を立てて倒れる。


「いや、はぁっ!? ダメでしょ、先輩こんなの渡しちゃ!」

「いいんだよ、渡して。前からスペアは渡してたろ?」

「いや、まあそうですけど……」


 彼女の話は本当だ。

 というか初めてあったその日に渡された。もっとこう危機意識というか。仮にも自分の家みたいなものだと言うくらいなのだから、もう少し色々気にするべきだと思う。14回言ったあたりでいい加減口に出して注意するのは諦めたが。


「先輩はどうするんですか、これ。私に鍵を渡しちゃったら入れないじゃないですか」

「まあ別のスペアもどっかにあった気がするし、いいんじゃない」

「いいんですか、そんなので」

「いいんじゃない」


 相変わらず適当な人だ、と思う。

 ただ何となく、その声色にはいつも以上に濃い温もりがあり。


「……先輩がいなくなったら、私くらいしか使いませんよ」

「…………ん、なに。あ、ごめん。寂しがってる?」

「まあそうじゃないと言えば嘘になりますけど。実際寂しいですしね、ここで歌う時に音楽がないと」

「いや、あたしは?」


 あえてその質問は無視しながら、掃除を再開する。

 先輩は相変わらずで、この倉庫も相変わらず色々転がっている。掃除をしてもやっても誰かが何かを持ち込むせいで全然微塵も片付かない——そう思いながらも、開けた窓からは時々何かの花びらが入り込んできて、否が応にも実感をさせられる。


「先輩、もう卒業なんですね」

「それ昨日お母さんにも言われた」

「まあ、両親にとったらそういうものでしょうし」


 そういうものと分かりつつも実際自分が言われる立場になれば、多分適当に流すか、つんけんするんだろうな、と思う。

 そう考えられる程度には、この一年で自分のことを理解しているつもりだった。


「ああ、そうだ。忘れてた」


「なんです? ……なんです?」


 雑誌類をまとめていた先輩は立ち上がると、私のもとへやってくる。

 無言のまま。私はつい身構える。


「な、に——」


 瞬きののちに、彼女の手が私の背中に回されたのが分かった。

 少しだけ、私は自分の鼓動が高鳴ったのが分かった。


「いや、何してるんですか。気持ち悪いですよ」

「たまには先輩らしいことやらせてよ。あたしも昔はこうされたもんだ」


「……はぁ」


 回された手に、背中が撫でられている。

 背丈が近い彼女にハグをされている形なので、当然顔も近く、声もいつも以上に大きく聞こえる。

 このシチュエーションに、一瞬頭の中にチラついたある疑いがあったけれど——多分彼女にその気はないのだろうと思う。顔は見えないけれど、声色はいつも通りで安心する。


「あの、先輩……」


「……そのまま、答えな。あたしの顔見なくていいから」

「はい?」


一体どういうことだろう。とりあえず置き場の困る手を握り、私は声が震えないように努める。


「やりたいことは見つかった?」

「なんですか、いきなり」

「前から聞いてなかった? まあいいや。で、どうなの」


 どうなの、と言われてましても。

 そんなこと改めて意識することなどなかったのだから、すらすらと答えられるはずもない。


「私は……」


紡ぐ音に、私は迷う。

思うことはあった。

決めていることはあった。

今はまだおぼろげで淡い色でも、それは私の意志に違いないのだから。


見つめる。

その先には特別何かがあるわけではない。先輩の顔色は伺えず、伺う必要はなく、私はただ見つめる。


迷う。

しかし私は震えながらも、口を開いた。


「多分、——見つけました。私がやりたいこと」

「そっか、そいつは良かった」

「聞かないんですか?」

「何を? 聞くものなんてあった?」

「いや、何がやりたいとか」


「前に言ってなかった? そういうのやってる子って、案外分かるもんだよ」

「……はぁ」


 何が分かるものか。

 本当に、分かっているのだろうか。

 多分、分かっているのだろう。


「好きなことやりな。やりたいことやってる時が人間一番輝いてるもんだよ」

「先輩みたいにですか」

「お前もな」


 くすくす、あははと笑い合う。

 気がつけば先輩の体は離れ、少しだけ肌寒く感じた気がしたけれど。


「先輩、ご卒業おめでとうございます」

「ん、ありがと。頑張りなよ、お前も」

「ええ、頑張りますよ」


 離れて見てみれば、改めてすごい見た目の人だと思う。

 紫髪に派手なメイク。両耳ピアスに着崩した制服——学校から注意は受けているだろうに、よく今までやってこれたものだ。

 そういえば、初めてこの人を見た時の私は内心ビクついていたっけ。


「……ふふ」

「ん、どした?」

「いえ、何も。——あ」


 ふと、今まで聞いたことがなかったことを思い出す。

 普通、出会った最初に聞くべきだっただろうに。気にしていてもおかしくなかったのに。


「そういえば先輩、私と初めて会った時に言ってたじゃないですか。私が音楽やってたって分かるって」

「ああ、言ってたっけ。それが?」

「多分音の取り方とか楽譜の読み方……みたいな話ですよね。先輩の野生の勘でなければ」

「あたしは狼か」

「いやその例えは謎ですけど。なんで分かったんです?」


 今までそれを気にしていなかったのは、もしかしたらこんなやり取りが楽しくて、目の前のことに必死で、考えられなかったからなのかもしれない。

 らしくもない感傷に私は苦笑いを浮かべる。だが先輩も先輩で、どうやら思うことがあったらしく。


「あー……」

「なんです?」


 珍しく言葉に詰まっていた。

 ただ間は短く、彼女はあっけらかんとして言った。


「偶然さ、お前の歌声を聞いたんだよ。ワンフレーズだけ、ほんの短い時間だけどな」


 いつのことだろう。私が友達の上級生付き合いについて行った時だろうか。普段は意識して歌わないようにしているものの、CMか何かの歌をワンフレーズだけ歌ったような気がする。


「あはは、すげー変な話だけどさ。その時にやけに耳に残ってさ、こいつと音楽をやりたい! もっと歌を聴きたい! ってなってさ」


 先輩はくしゃり、と笑顔を浮かべる。

 どうして彼女は最初から私に好感を持っていてくれたのか。そうか、だから、きっと。


「だからその時からファンなんだ」


「……へえ」


 軽い口調だった。

 けれどやはり、その声色には芯があり。私は唇を結んで続く言葉を聞く。


「頑張りなよ、後輩。お前はお前の好きなように、自由に歌いな。誰かに言われてやるんじゃなくて、お前がお前を好きになれる歌で」

「——あ」


 私は、分かった。

 分からないことが分かった。


 どうして歌うことを嫌うのか。

 どうして私は、歌を好きになったのか。


「私、は……」


 歌っている時が好きだ。

 誰かに縛られず、私が私でいられる時間。

 だから。



 私は、自由に歌う私が好きだ。



* ◆ ◆ * ◆ ◆ * *



春の声は、移ろいにあふれている。

様々な別れがあり、出会いがある。

初めてのこと、知らないこと。

覚えることも置いていくこともたくさんある。

その声音を聞くたびに見えてくるものもあって。


私はいつものように。放課後になると、すぐにこの場所へやってくる。

誰か待ち合わせをする人がいるわけでもない。隣でギターを鳴らす先輩がいるわけでもない。

ただ私は、歌うだけ。


「今日は、うん。やっぱりあの曲かな」


 弾ける想いを両手に抱えて。

 柔軟運動をする。

 緩やかに歌えるように。

 発声練習をする。

 伸びやかに歌えるように。


 好きな歌を一つ、歌う。




「……すっげえ」


 いつの間にか、新しい風が入ってきていた。



* ◆ ◆ * * * * *



「——センパイ、どうしたんですー?」


 突然ずいっと現れたそよ子に話しかけられ、私は思わず驚いた。しかしソファに座っていたので、軽く後ろに倒れるだけで済む。


「ああ、いやね。少しだけ思い出しててさ。二人と出会った時のこと」


「わたしたちとの出会い……そうですね、まさしくあれは私と先輩の運命的な出会いでした」

「最初にそよがセンパイのファンになって、その後藍がファンになったんですよね。連れてく時あんなに嫌がってたのに」

「それはそよ子が何も説明しないからでしょう! 先輩だと分かっていればわたしだって!」

「ええ〜? 本当に〜? 連れてくるまでセンパイのこと知らなかったくせに」

「それは!」


「ああ、うん……」


 そんな流れだった、と思う。

 早いことにもう一年。いつの間にかこうして仲良くなり、今では仲の良い先輩後輩をやれていると思う。


「先輩、かぁ……」


 私にとっての『先輩』はあの人だけだ。私の最初のファンで、あの人にはたくさんのことを教えてもらった。

 出会った時点で三年生、既に卒業を控えていた身なので、この二人に比べれば短い付き合いだったけれど。

 多分それでも、先輩は先輩。後輩は後輩。

 託して託されて、また次の季節になる。私もそろそろさよならを言う準備を始めるべきなのかもしれない——。


「……って、あれ?」


 ふと、疑問が湧いた。

 何かが引っかかった。

 顔を上げて周りを見渡す。

 確かめるように、適当に声を出す。


 違和感。

 私自身の声色への違和感。

 それと——。


「センパイ、どうかしたんです?」

「先輩。何かおかしなことでも?」


 彼女らは出会った時からそうだ。

 今更疑問を挟む余地はない。

 私も出会った時からそうだ。

 だから疑うのはそこじゃない。


 考えてみればおかしな話だ。

 混乱で忘れていたのだろうか。それとも、私には告げられなかったのか。

 いや、病院でも聞いていたはずだ——なのに思い出せない。


「私は——」


 息を呑む。

 緊張で喉が乾く。普段なら喉を痛めないようにと喉飴を舐めるところだけど、今はそんなことをしている場合じゃない。

 だって。


「ねえ、二人とも——」


 やはり声色には違和感があった。











「私の名前って、何だっけ?」














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