私があなたを殺した日
* * * * * * * *
私は自由に歌う私が好きだ。
◆ * * * * * ◆ ◆
————どうやら私は記憶を失ったらしい。
白い部屋の中。突然の宣告だった。
瞬き。続けて理解が来るとともに、眉を寄せ、首を傾げた。
「……」
目にかかる赤みがかった黒髪をいじりながら、目の前の状況を確認する。
私は顔馴染み——というほどではないが、知っている顔の医者と相対し、隣では母親が私のブレザーを腕で抱え、不安な面持ちでこちらを見つめている。
当然の反応、予測できた当然。当然だと考えることへの、違和感。
「……あー、えっと。私が記憶を失った、ですか?」
そんな実感は記憶にない。
なんて冗談を言えるような雰囲気じゃないのはこちらに向けられる顔を見れば分かる。
が、どうにも違和感を覚えずにはいられない。
そして違和感といえば、もう一つ。
私は再び眉を寄せる。
「……ん?」
私自身の声色に、いつもと違う何かを感じた。
◆ * * * * * ◆ ◆
私は自室に帰ってくると、何をするでもなく、ただ何となく視線を水色のカーテンへ。一歩一歩確かめるように歩き、朝から開けっぱなしのそこから覗く外の景色に目をやった。
そろそろ日が長くなってきたとはいえ、既に外は暗く、夕闇が空に溶け込んでいる。何もおかしくなどはない、はずだ。
「……」
さっきのは一体なんだったのだろう、とぼんやり考える。だが現状の問題として思考を掠め取っていくのはやはり記憶喪失のこと。
色の戻り切らない長い黒髪を指先で弄びながら、私は病院での会話を思い出す。
――――。
「そういう……なんていうか記憶喪失って、大体今までのことを忘れてたりするんじゃないですか。私かなり覚えてるんですけど」
そう——さっきは冗談で口にしようとしたが、やはり私には記憶喪失だという実感がなさ過ぎる。そりゃ失っているんだから実感も何も……とか、そういうことじゃない。むしろ思い出せることが多すぎるのだ。
家族のことは言うまでもない。
友達の玲奈に美沙。先輩、後輩。
魚の匂いが染み付いた駄菓子屋。飴を喉に詰まらせた子どもを助けた小さい公園。無理やり通わされてた学習塾、スイミングスクール。ピアノ教室。
あとは……先輩から預かった、今は『私たち』の溜まり場。
それぞれを言える範囲で、指で数えながら羅列していく。欠け落ちているものなどないはずだ。
だがどうやら医者や母親の話によると、私には、私は、私を構成する記憶は、それだけでは足りないらしい。
「……は? 一つの事柄に関する記憶を一時的に失っている?」
私は医者に言われたことをそのまま、やはり実感を伴わないままに、繰り返し唱えた。
——私は意識を現在へと戻す。
「一つのこと、ね」
制服をハンガーにかけつつ、私は考える。
いわく多大なストレス等が原因で、私の中で一時的に記憶喪失が起こっている、という話だそうだが。一体過去の私は何をしでかしてくれたのかが分からない。
「てか、そもそも取っ掛かりがないし……」
チラッと視線を扉の方へ。
鍵を閉めていることを確認し、どっかりとベッドに倒れ込む。
「あー、息苦し……」
リボンを乱雑に外し、シャツのボタンを二つ、三つと開ける。
元々同年代の女子に比べればそれなりに背丈が高く、スタイルもそれなりにいい方だ。当然私にとっては誇らしく、決して悪びれたり自虐するようなことではない、が。
「……鬱陶しいっての、本当」
目立つのは面倒だ。何をしたって視線が付きまとう。好きとか嫌いとか本音とか建前とか。責任とか何とか。
髪を染めたからなんだ。態度が変わったからなんだ。変わったからって、そんなのあんたたちには関係ない。
私は可愛くいたい。好きでいたい。
私はただ自由にいたい。
そう、私は自由に生きたいだけなのだ。
誰にも縛られないで、好きなことをしたい。
どうしてそれが分からないのか。
「……だる」
どうしてこう、世の中は私にとって生きづらくできているのか。
何でもかんでも縛って、禁止して、そんなの楽しくない。望むがままに望めるようにすべきなんだ。人生っていうのは、そういうことのために使うべきなんだ。
……胸に溜まってくる怒りとか不安とかもやもやしたもの全部弾け飛ばすように、私は勢いよく立ち上がる。
まだ門限までは時間があるし、いつもの場所で気分転換——と鍵のかかった引き出しの、缶ケースに入った汚れた鍵を取り出す。
「——ん?」
何となく、今の動きに違和感を覚えた。
知っている。いや知っているけど、何だかいつもと違う動きだ。
そう、私にしては厳重過ぎる管理の仕方だ。いつもなら鞄にでもしまって、学校から下校ついでに直行コースが定番。
確かにこの鍵が両親に見つかれば面倒ごとに違いない、が……。
「知らないこと、か」
欠けている。私が。
記憶違いでないのなら。
寝ぼけていたのでないのなら。
どうやら私は、この鍵が向かう場所について、何かを忘れたらしい。
◆ * * * * * ◆ ◆
私は自由に歌う私が好きだ。
「あーっ、センパイ! 今日はおそかったですね!」
「ちょっとそよ子。先輩は今日病院へ行ってたんだから……」
よく通る大きな声と、それを抑えようとする細い声。私の姿を遠くで見つけた少女たちはそれぞれ手を上げ、あるいはお辞儀して出迎えてくれる。
住宅街から離れた場所にある小さく寂れた倉庫。
私たちはよくこうして集まっているのだ。華も華、思春期真っ盛りの高校生が、周りが粗大ゴミだの草木だのに囲まれていることもあってか、廃墟にも見えかねないこの倉庫の前で。
いつ見ても、似合わないというかちぐはぐな光景だ。
「や。1日ぶり」
私は軽く手を挙げながら、扉を開けようとドアノブを捻ったり鍵を回したり、ガチャガチャと動かす。
「……っていうか2人とも、前にスペアの鍵渡さなかった? 中入ってれば良かったのに」
「なくしました!」
「無くしてません。私が持ってますけど、やっぱりその……」
急に黙り始めたのが気になって、私は振り返る。
小柄の少女の横、長身の少女が頬を染めながらこちらを見つめていた。
「そのぉ……先輩が来ないとダメかなぁ、なんて」
「あ、そよも先にそれ思ってました! なんでそよの勝ちですね!」
「ちょっとそよ子! おかしなこと言わないでくれる!? わたしの方が先に決まってるでしょう!」
「……ああ、うん」
後ろでやんややんやと騒ぐ少女たちをよそに、私は鍵をガチャリと開ける。
ややくだけた話し方の元気な方がそよ子。小柄だが外はねの目立つ茶金の髪と、ブレザーの下に着込んだパーカーが印象的な少女だ。
一方、一見落ち着いているようで割と根は激情家かつ打算的で自分の価値を知っているから最大限それを利用して相手にすり寄ろうとする……一言で言って面倒な方が藍子。私よりさらに背丈が高く、切り揃えた黒髪に整った服装と振る舞いが上品さをかもし出す少女。
どちらも変わっている点として——いやもう十分に変わっているのだけど、その背に抱えているギターケースは誰の目から見ても明らかだろう。
彼女らは私の一個下。この春から二年生になった少女たちだ。
「——そうですよね先輩、わたしの方が先輩のこと分かってますよね、ね!」
「いーやセンパイ、そよの方が分かってるよね!」
私は呆れ、諦めたようにため息を吐く。
そよ子はともかく、こんな言い合いの最中でも頑張って体を丸め、上目遣いで迫ってくるあたり藍子はいい性格をしている。
「はいはい、分かってる分かってる。ありがたいよー」
とはいえこのままでは騒ぎが収まるまで時間がかかるので、私は藍子の背中に手を回して軽く撫でてやる。
「せ、先輩……と、とと突然何を……ぉ、ぉ」
「あーっ! センパイ、藍だけずるい!」
「はいはい、そよ子もすごいすごい」
「やったー!」
……おおよそ同じようなことを繰り返し。ようやく二人が落ち着いたところで私はドアノブに手をかける。
「そよ子、今何時?」
「18時30分くらいです!」
「ん。じゃあまだしばらく歌えるかな」
「門限ですか?」
「そ。面倒だけどね」
私はドアノブをひねり。元気よく開いて部屋の中央へ駆けると、
「さ、歌うぞー!」
渾身の気合いを込めて、お腹から声を出す。
「二人とも、準備っ!」
「りょーかいです! ほら行くよ藍!」
「ま、待って。もう少しだけ、ああ……」
荷物を置きに部屋の奥へと消える二人を視線で追い、笑みを浮かべながら思う。
ちぐはぐな光景だ。
こんな寂れた場所で、三人集まって。
他にやることならあるだろうに、やるべきこともあるだろうに。
私たちは好きで集まっている。お互いが、というより多分きっと、自分たちが好きで。好きに生きることが好きだから。
嫌なことも面倒なことも全部忘れる。
柔軟運動をする。
緩やかに歌えるように。
発声練習をする。
伸びやかに歌えるように。
好きな歌を一つ、歌う。
「センパイ。そよ、オッケーでーす!」
「先輩。藍子、準備完了です」
「了解。じゃ、今日も歌おう――」
明るく元気な音色が響く。
その色はまぶたを閉じると色んな景色を見せてくれる。
私はこの瞬間が好きだ。
お腹いっぱいに息を吸い込む。
胸が膨らみ、喉の奥を開いて、言葉を舌に乗せて私は音を紡ぐ。
私は、自由に歌う私が好きだ。
お読みいただきありがとうございます。
この作品は全4話に分けた短編となっています。
もし気に入っていただけた方は次の話をお読みいただければと思います。