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妖精界の王都──西の都。その郊外に、広大な樹海ですら敷地の一部として呑み込んだ巨大な総合精霊修行場──王立学園がある。そこでは大勢の若者たちが、未来の目標に向かって日々厳しい修行をしている。
この物語は、そんな若者たちの日常から切り取った、ほんのひとコマの記録である。
『こんなことぉ、赦せないわぁ〜っ!』
樹海の都寄りの場所に、切り拓かれた一角がある。そこは気象精霊を目指す若者たちの集う修行場──校舎や寄宿舎の並ぶ区画だ。
その建物の一つから、怒気の混じった声が聞こえてきた。庭でおしゃべりしていた女の子たちが、何事かと声のあった方向に顔を向けている。
「なぁんでミリィの選べる教科が、あたしよりも多いのよぉ?」
声の出処は、修行場の師範が使う事務所からだ。
事務所に置かれた大きな机。そこに一二歳ぐらいに見える少女──イツミ・ハマリヤド・アマテルが座っている。
幼く見えるが、イツミはこの修行場で教鞭を執る師範。見た目の年齢とは違い、御歳三五〇〇有余歳の大精霊である。
とはいえ見た目はあどけない顔立ちの少女だ。大きなイスに座っている……というより、乗っていると表現した方が適切なように思える。そのためイツミは大精霊としての威厳よりも、可愛いという形容の方が似合う精霊であった。
そのイツミが軽く肩をすくめて、相手の女の子──ユメミ・スヒチミに、
「あのね、ユメミ。この前、みんなに基礎学力試験を受けてもらったでしょ。選べる教科は、その結果から割り出したものよ」
と事情を伝える。
そのユメミは、だいたい七歳ぐらいの年恰好をした女の子だ。今日は春の空のような明るい色のドレスを着ている。だが、ユメミの放つ雰囲気が、ドレスの色をくすませていた。
「要するにミリィの方が、成績が良かったぁ〜ってことなのぉ?」
そのユメミが机に両手を突いて、すさまじい形相でイツミを睨む。グッと身を乗り出し、徹底的に喰ってかかる気だ。
「簡単に言えば、そうなるわね」
対するイツミは、あくまでも平静だった。
「学習の進み具合には個人差が出るわ。定期的な基礎学力試験は、その差を確かめるものよ。それを赦すとか赦さないとか……」
「だぁってぇ〜……」
イツミの言葉にユメミが唇を尖らせた。
「何よりも無闇に受ける教科を増やしたら、一番困るのは本人よ。十分に理解しないまま上の課程に進んだら、なおさら消化不良を起こすわ。そうならないように、試験の結果から次に学べる教科を絞るのよ。重要なのは試験の成績じゃなくて、今後の内容でしょ」
「ゔゔゔぅ〜……」
ユメミがうなりながら、悔しそうな顔でイツミを睨んだ。頭ではイツミの言葉を理解できる。でも、気持ちが納得できないのだ。
「必須科目、選択科目とも、基本は教材を使った自習式よ。でも、受講式を選ぶ場合は、早めに受ける科目を申し出てね。事前に手続きや時間割の調整が必要だから……」
「ゔゔゔゔゔぅ〜……」
イツミが説明する間も、ユメミはずっとうなっていた。
全員を同じ進度で教育する。教える側にとっては楽だが、これほど愚かな教え方はない。学習の理解度は一人一人違う。それを無視すると、学習能力の高い者は学習意欲を殺がれて学習放棄し、逆に低い者は理解が追いつかずに落ち零れる。中でも優秀な者からやる気を奪うのは最悪の教育方法だ。しかも、その方法で一番成績が伸びるのは、実は平均よりもちょっと下の能力を持った者たちである。
そこでイツミは各自の自主性に任せて、必要な教材を与える方法を採っている。もちろん、希望者には講義を手配するし、ゼミや研究会に参加させることもある。
ただし、これは優秀な者の能力を、徹底的に伸ばすことに特化にした方法だ。その他大勢の者たちにとっては、過酷とも言える方法である。
もっとも学園に入学できた時点で、それなりに優秀だと保証されているのだが……。
「……で、他にご用件は?」
うなるユメミに、イツミがそう尋ねて微笑んだ。その表情に、ユメミの頬が引き攣る。
「あああ〜っ。もぉいいわぁ〜っ!」
ついにユメミが癇癪を起こした。イツミに背中を向けて、怒りに身を任せたまま部屋から出ていく。その様子を目で追いながら、
「そんなにミリィのことが、気になるのかしらね?」
イツミは優しそうな表情を浮かべた。
「はぉ〜……。立ち入り禁止らお……」
廊下にプカプカと浮かんだ赤ちゃんが、茫然とドアを見詰めていた。
赤ちゃんが見ているのは、修行場にある図書資料室のドアだ。
そこには『絶対に立入禁止! 特にミリィ! ユメミより警告』と書かれた紙が貼られている。
「ゆえみお姉ちゃん。何してゆのかな?」
困った表情で、赤ちゃんが首を傾げた。
「あれ、ランティ? そこで何をしてるの?」
その赤ちゃん──ランティ・アマテルに、誰かが声をかけてきた。ランティは、この修行場の師範──イツミの娘だ。
「ああ、ミリィしゃん!」
振り返ったランティが、にこっと微笑んだ。
声をかけてきたのは、神道の巫女風の恰好をした女の子──ミリィ・ヤクモだ。見た目は七〜八歳ぐらい。二冊の本を小脇に抱えて、不思議そうな目でランティを見ている。
「中に入えないお!」
そう答えて、ランティがドアを指差した。
「ん? 貼り紙?」
顔をドアに向けたミリィが、そこにある貼り紙を見つけた。そこに書かれた文面に、しばしミリィの目が釘づけになる。
「な、なによ? これぇ〜!」
思わずミリィの口から、そんな声が衝いて出た。それに部屋の中から、
『うるさぁ〜いっ。ここは図書室だよぉ!』
と、女の子の怒鳴り声が返ってくる。その声の主がドアを手荒く開け、廊下にいるミリィを険しい表情で睨んできた。
「ゆえみお姉ちゃんの方が、うゆさいお!」
ランティが両耳をふさいで、怒鳴った女の子──ユメミに文句を言う。
それにユメミが、
「あゔぅ……。そぉだねぇ〜……」
と素直に言って、手で口を押さえた。
「ちょっと、これはどういう意味なの?」
ミリィが貼り紙を指差して、詰問口調で問いただす。そのミリィに侮蔑するような目を向けたユメミが、
「書いた通ぉりよぉ」
と、声音を落として答えた。
「あたしは、何のつもりかって聞いてるの」
「あんたに勉強させないために決まってるじゃないのぉ」
理由を問うミリィに、ユメミが臆面もなく理不尽なことを言ってのける。
「何のために?」
「あんたの成績がぁ、あたしよりも『上』なのが癪に障るからよぉ」
不愉快そうに問い詰めるミリィに、ユメミが破廉恥極まりない答えを返した。
「バカバカしい。借りたい本を見つけたら、すぐに退散してあげるわ」
高慢ちきな態度のユメミに、ミリィが吐き捨てるように言った。
「どいて。風使いの指南書が欲しいのよ」
「入るなって言ったでしょぉ!」
部屋に入ろうとするミリィを、ユメミが両手を広げて通せんぼする。
「どうしてよ? 自分に適った操作手引きを探すだけなのに……」
「そんなことぉ、あたしの知ったことじゃないわぁ」
強い口調で聞くミリィに、ユメミが鼻息を荒くして突っかかった。
「あっそ。それじゃあ代わりに、これを元の棚に返しといて」
そう言って、ミリィが持っていた二冊の本をユメミに押しつけた。ユメミはその本に手を伸ばして、黙って受け取ってしまう。
「仕方ないから、指南書は外の図書館で探すわ」
これ見よがしにユメミに手を振って、ミリィがまわれ右をした。その言葉に、
「……あぁ……」
ユメミが口を半分開いた状態で固まる。
「図書館って、外にもあゆの?」
ランティが興味深そうに瞳を輝かせた。
「いっぱいあるわよ。他の修行場にもあるし、街にだっていろんな図書館があるわ」
「行ってみたいお〜!」
話を聞いたランティが、連れていって欲しいとばかりにミリィの腕をつかむ。
「いっぱい本のあゆとこが、いいお〜」
「じゃあ、学園の中央図書館ね。行ったことはないけど、すっごい数の本があるそうよ」
廊下を歩きながら、ミリィがそんな話をランティに伝えた。それを聞いたランティが、
「うお〜。そえはしゅごいお〜!」
と、すっかり気持ちを逸らせている。
「……ちょ、ちょっとぉ〜……」
取り残されたユメミが、図書資料室の前で茫然とたたずんでいた。そのユメミの視線が、誰もいなくなった廊下から渡された本に落ちる。
「なぁ〜んで、あたしが本を返さなくちゃぁいけないのよぉ!」
手を振り上げて、本をたたきつけようとした。だが、その動きを止めて、
「こぉしちゃぁいられないわぁ!」
と、ドアの貼り紙を剥がして部屋から駆け出していく。
それで誰もいなくなった図書資料室に静寂が戻った。
入り口の横にある司書カウンターに、二冊の本が置かれている。その本には『戻しといて』と書かれたメモが、しおりのように挿まれていた。
樹海を円く切り拓いて、大きな広場が作られている。その中央に岩肌のような壁を持った大きな建物が、山のようにそびえていた。
「ここって、岩山じゃなかったんだ……」
中央図書館に着いたミリィが、建物の大きさに圧倒されていた。
この建物はミリィのいる修行場だけでなく、王都からもよく見える。だが、その外観から、ミリィはずっと岩山だと思っていたのだ。
「あお〜。れっかいお〜……」
ミリィの横に浮いて、ランティも見上げていた。その建物の巨大さに、
「さすが精霊世界で、蔵書量一、二を争う図書館だね……」
ミリィはそんなことを納得する。
「ねえ、ミリィしゃん。早く中に入ゆお」
ランティが催促するように、ミリィの袖を引っ張った。その建物の正面玄関では、飛んできた精霊たちが引っ切りなしに出入りしている。
「中の方が……広い?」
建物に一歩入ったミリィが、そう言って立ち止まった。
遠くまで延々と続く書架。それが天に向かってもずっと続いている。その光景に、またもミリィは圧倒された。
「あら、可愛い来館者さんね。初めて?」
入り口で固まっているミリィたちに、誰かが声をかけてきた。先に瘤の付いた触角と透明な二枚翅が印象的な、スモークブルーの制服を着た図書館の司書だ。
「あ、はい。初めてです。えっと……」
司書にそう答えかけて、ミリィが言葉を詰まらせる。そこにランティが、
「あそこに雲が掛かってゆお」
と言って、上を指差した。
そこへ目を向けると、奥にある書架の上の方に雲が出ている。
それを見た司書が、ポケットから小さな通信機を取り出した。そして、
「司書本部? 魔界文学書架一二〇階付近に雨雲発生。大至急、気象班を出動させて。急がないと本が湿気ってダメになるわ!」
と、落ち着いた口調で本部に不具合を伝える。
「気象班?」
「空調を管理してる気象精霊たちよ」
意外そうな顔をするミリィに、司書がそう答えながら通信機を仕舞う。
「本を快適に保管するために、常時二〇〇人の気象精霊たちが、交替で管理しているの」
「へぇ〜。すごいですね……」
「あなた、気象精霊に興味があるの?」
ポツンとつぶやくミリィに、司書が微笑みながら聞いてきた。
「あたし、気象精霊の修行をしてるんです」
「なるほど。タマゴさんだったのね。今日は気象関係の本を探しにきたのかしら?」
「はい。風使いの霊術指南書を探しにきました。あたしの霊力属性に適った本が、どうも修行場には置いてないみたいで……」
「あら、修行場でも関連図書は豊富にそろえているハズだけどねぇ。それで見つからないってことは、あなたの能力は相当傑出してるのね」
「そんなことは……ないと……。あの〜、本、ありますかね?」
頬を染めてうつむきながら、ミリィが本の有無を尋ねる。
「大丈夫。この図書館には管理できてるだけでも三〇兆冊の本があるわ。探せばきっと見つかるハズよ」
「さ、三〇兆ぉ冊ぅ〜?」
司書の口にした蔵書量を聞いて、ミリィが素っ頓狂な声を出した。
「何十億年も続く精霊世界の、古今東西から集めた本を蔵めてるんですもの。最低でも、そのくらいの数になるでしょう」
「それは、そうですけど……」
目を見開いて、ミリィがゴクンと唾を飲む。
「でも正直言うと、蔵書の数は誰にもわからないわ。蔵めた本が多すぎるからね。この開架書架から亜空間に向かって、いくつもの書庫が造られているの。三〇兆というのは、あくまで管理ができている分だけ。通路や入り口を置き場に困った本や崩れた本にふさがれて、存在を忘れられた部屋もあるのよ」
「ほ、本当にそんな部屋があるんですか?」
ミリィが司書の話を信じられないのか、上目遣いで聞き返した。
「ウソだと思ったら、自分の目で確かめてみる? 今、ずっと奥地に見つかった書庫で、大学の研究者たちが発掘をしてるわ」
「は、発掘って……」
図書館に似つかわしくない単語に、ミリィの思考が半分停止する。
「はっくちゅってなんら?」
「厚く積もった本の中から、必要な本を掘り出すことよ。今調査してるのは、たしか白亜紀後期のシャンパーニュ期の書庫だったかしら」
「……い、いつの時代……ですか?」
ランティの疑問に答える司書に、ミリィがツッコむように尋ねた。
ちなみに書庫の本が蔵められた時代は、約八千万年前である。
「おもしぉしょうらね。行ってみたいお」
「あたしも昔の本を見てみたいわ。ひょっとしたら探してるモノが、昔の本の中から出てくるかもしれないし……」
司書の話に、二人は興味を惹かれた。ミリィの心の中で、『忘れられた太古の秘術』という魅惑的な単語が膨らんでくる。
「行ってみたい?」
「もちろん、行きたいです!」
司書に元気な答えを返して、ミリィが胸の前で拳を握り締めた。
「では、わたし──ナヴィア・フィアマンテが、あなたたちを案内してあげるわ!」
そう言うと、いきなり司書が着ている服をバッと脱いだ。その服の下から、制服と同じ色の探検服が現れる。
「あの……。その恰好は……?」
「探検隊の服に、決まってるじゃないの」
あきれた顔で聞いてくるミリィに、司書──ナヴィアが手首を上下に動かしながら答えた。
「実はわたしも、現場まで行ってみたかったのよ〜。だけど、仕事があるから勝手には行けないでしょ。まあ、今回は利用者を案内するんだから、問題ないってことで……」
「つまり、あたしたちはダシですか……」
本音を漏らしたナヴィアに、ミリィが抑えた口調でツッコむ。その言葉は耳に届いてないのか、ナヴィアが手早く出発の準備を済ませた。
「あの〜、何を持ってるんですか?」
「行くからには、記録するのが筋でしょう」
ナヴィアが左手に小型カメラを構えて、ミリィの問いかけに答えた。頭にかぶった探検用のヘルメットには、ヘッドマイクと霊力で光るランタンが付いている。
「さあ、案内するわ。でも、古い本だからね。文字や言語も古いことは覚悟してよ!」
そう元気に言ったナヴィアが、ミリィにも霊力で光るランタンを渡してきた。それをミリィが受け取ると、さっさと図書館の奥へ歩いていく。
「なんか、釈然としないなあ〜」
「探検らお! 探検らお! 探検らお〜」
先に進むナヴィアのあとを、まったく対照的な反応をする二人がついていった。
そして、更にその後ろを、
「わざわざ司書に案内させるなんてぇ。きっと特別な本を探すのねぇ!」
と言いながら、空色のドレスを着た女の子がコソコソと追いかけていく。