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 遥かなるアルキペラゴ  作者: 三山蝗羽
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標本商墓堀りニサッタイ行状記

 それが堂々と私の方に飛んで来るのを見て私は興奮に震えた。蝶を網から取り出し、感激して我れを忘れて見つめるまでは、私が現実に捕虫網の一振りでそれを捕えることに成功したということがほとんど信じられなかった。その蝶はビロード状の黒と輝かしい緑の翅を持ち、翅を広げると七インチ、胴は黄金色で胸部は深紅だった。……眩い宝石が暗い絡み合った森林の静かな薄暗い真中で輝いているのであった。ドッボの村にはその夜、少なくとも一人の満ち足りた男がいたのだ。

          アルフレッド・R・ウォレス 『マレー諸島』    

 



 シャトル


 眼下を緑の絵文字が流れ、不思議な物語を紡いで行く。シン機長はそれを楽しく読んでいたはずなのだが、さてどんな物語だったか、後頭部への一撃ですべては永遠に忘れ去られてしまった。振り返ると、ハンドバッグを振り上げて第二撃にかかろうとしている女がいた。ようやく彼は、眼をあけたまま眠って夢を見ていたことに気がついた。(人件費削減でワンマン運転なんかにするからだ) 

 女が人食い虎の形相で何か叫んでいる。

「カカボラジ!」

「?」

 この女は確か旅行会社の添乗員だ。卒業旅行とやらの馬鹿学生どもを引っ張ってきて、いいかげんキレまくっていた、あのうるさいウィグル女だ。

「お嬢さん、私はウィグル語はわからない。それに飛行中は操縦室へは立ち入り…… 」

「カカボラジだ! ウスラバカ! 前を見ろ!」

 見ると、前方、視野いっぱいに、全世界のように幅広く、大きく、高く、日をうけて信じられないくらい白く、キリマンジャロの……いや、ビルマの最高峰カカボラジ、標高五八八一メートルの山容が迫っていた。

「あ、なるほど」 

シン機長はシートに座り直し、ゆっくりと操縦桿を引く。

……すると、彼はそこが自分の行こうとしているところなのだと知った……。

ヘミングウェイの小説の不吉なラストを思い浮かべながらも、落ち着いて、決して笑みを絶やすことはない。というより、全身カチカチにこわばって水中でもがくようにしか動けない。

 ほとんど奇跡としか思えない絶妙のタイミングで固形燃料ブースターを切り離し、メイン・エンジンに点火、シャトルはわずかに浮き上がった。船体に衝撃が走り、客席から悲鳴が上がる。「ハレー・クリシュナ」思わず口に出してしまったが、女も同時に「アッラー・アクバル」と呟いたようだから、聞かれはしなかっただろう。どうにか姿勢が安定すると、シン機長は足の震えを覚られないようにすっくと立ち上がった。後ろでへたりこんでいる女に上から目線で手を差し伸べる。ちょっと早いけれど、今回は宇宙へ出た時のセリフを用意してあるのだ。

「ようこそ、うじゅべげ……」

 女の強烈な右回し蹴りが顎にヒットした。彼が何を言おうとしていたのかはわからないが、今この船の中にそれを気にする者は誰もいなかった。

 女は客室に戻り、禁煙の表示を無視してタバコに火をつける。恐怖と怒りで指先が震えていた。思い切り煙を吸い込んで吐き出し、船内の空気を汚してやると少し気が晴れた。誰かが何か言っているようだが、知ったことか。

(クソ学生が。しのごのぬかすならぶっとばしてやる)

 いや、後部モニターだ。そこに映し出された緑の大地が何か囁いている。女はついさっき自分を殺そうとした大地を睨みつけた。   

 サルウィン河が陽光に輝きながら蛇行し、やがて不思議なアラビア文字になった。

(戻ッテコイ、モウ一度ヤリ直ソウ)   

(うるさい。お前なんか、もううんざりだ)

 昔別れたろくでなしの男が、悲しい顔をして空を見上げているのが見えたような気がした。女は首を振り、遠ざかる地球に向かってウィグル語で小さく「さよなら(ホーシュ)」と呟いた。           



 標本商

 

ニューデリー発インディラ衛星行き老朽スペースシャトルがタンポポの綿毛のように空に舞い上がり、一瞬光って消える。少しおいてカカボラジ山頂で爆発が起こり、衝撃波が密林を震わせて、双葉柿(フタバガキ)の実を雨のように降らせた。猿の群れが天に向かって一斉に怒りの声をあげる。午前五時二十分、いつもより少し早い起床時間になった。

〝墓掘り〟ニサッタイの、目やにで縫い付けられたまぶたの隙間に、ちらちらと鮮やかな新緑の光が差し込んでいた。

 (はて、俺はテントの外で寝ているのかな?)

 そうっと首を回す。じっとり湿った寝袋の中にツタンカーメンのように行儀よく収まっているのがわかって、少し安心した。テントにも穴はあいていない。眼をこすり、ようやく焦点がそいつに合ってくる。緑色の正体は、洗濯紐にぶらさがった登山用のウールのソックスだとわかった。ニサッタイはこの分厚いソックスを熱帯ジャングルでも常に着用している。ウールのケバケバがヤマビル除けになるからだ。その本来グレーのはずのソックスが、なぜか春山のように萌えている。(とうとうカビがきやがったか)雨期に入って以来、洗濯物を外に干せなくなっていた。狭いテントの中は生乾きの衣類であふれかえり、異様な匂いが漂う。ニサッタイはもう何日も、乾いた服を着ていない。寝袋のジッパーを引き下げ、ゆっくりと起き上がる。マラリアと二日酔いが重なって、まるでゴムのロープで縛られているように体が重かった。カビの胞子を吸い込まないように、息を止めてソックスに顔を近付ける。カビではなかった。ソックスに着いていた無数の草の種が発芽していたのだった。(カイワレダイコンみたいだ)大きくひとつため息を吐くと、軽い貧血が起こって横倒しに倒れそうになった。恐ろしく腹が減っていた。昔、同業者が自慢げに言ってたっけ。熱帯熱マラリアは、発作が起きればそのまま意識が混濁して逝っちまう。三日熱や四日熱なんかの普通のマラリアなら、発作の後、腹が減るだけ。どうってこたねえよ。信用なんて毛ほどもできない連中だけど、この際は信用したかった。それに体が思うように動かないのが、どうやら着膨れのせいもあるとわかって少し気が楽になる。昨夜は残り少ない解熱剤をけちって、マラリアの発作を酒でごまかしたのだ。熱帯雨林の真ん中で、我慢大会のように着込めるだけ着込んで寝袋に潜り込んだのだ。

 体が小刻みに震えたが、これは血糖値が下がっているせいだ、きっとそうだ。メシを食えば治る。汗臭い衣類をすべて脱ぎ捨てて、寝袋の横に新たな洗濯物の山を造った。

 日本を離れ、ビルマの山中に籠って三ヶ月になる。ホームシックなどというものには無縁の男だったが、それでも日本で待っている何人かの客の顔が浮かんでくる。──あんたの身に何かあったらと心配なんだよ、とりあえず現地からブツだけ先に送ってくれないか──

 ハゲタカどもめ、どいつもこいつも悪党ヅラだ。ニサッタイは自分の面相を棚に上げてそう思った。叔父のひとりがいつも真顔で言っていたものだ。──何があるかわからんからな、買い物はできるだけ月賦でするんだぞ、わしは戦争中、月賦で背広を買ったが、みんな死んだので払わずに済んだぞ── 

 (それって、まんま江戸小咄じゃないか。まったく、俺の客にはそのテの罰当たりが多いのだ。金はもう少し待ってくれ、確かなアテが三つある、だものなあ)ちなみにオチは、三番目のアテは一番期待できる、そのうちあんたが死ぬかもしれない、である。(冗談じゃねえよ。トンネルの向こうのお花畑を覗いたからには、ニサッタイ商店は、今後はもう、絶対に掛け売りはしねえ。しかし……靴下が脱げないのはなぜなんだろう)

 右の靴下が何かにひっかかって、つま先から外れない。よく見ると灰色の大きなダニが、靴下を貫いて親指の付け根に口吻を突き刺し、吸血していた。(お前は押しピンか? )ニサッタイはあきれ、ピンセットでそいつの口吻を挟んで引っこ抜いた。小豆ほどの大きさだ。ピンセットの先で、八本の貧弱な足をもぞもぞと動かしている。子供の頃飼っていたゼニガメを思い出した。お前も悪気があってのことじゃないんだ、生きるためなんだものな、俺もそうだよ、お前の気持ちはよくわかるよ。生きるって、つらいよな。〽ミンナ、ミンナ、トモダチナーンーダー、いつの間にか調子っぱずれに口ずさんでいるのに気付き、(ジャングルの真ん中で、何を歌ってんだ、俺)アホらしくなって毒瓶の中に放り込んだ。頭の中のレジスターがチーンという音をたて、珍種ゾウマダニ、特価二千円という値段をはじき出した。


〝墓掘り〟ニサッタイことニサッタイ・コジュウロウ、三十七歳。職業・標本商。

 時は二十世紀末、所はビルマ北部。潜り込んだのはパトカイ山脈のどこかの中腹で、有史以来一度も地名の存在したことのない場所だ。

安物のGPSは三ヶ月続く雨で錆び付き、役に立たなくなっていた。ニサッタイは大量の博物標本、つまり商品を担いで、雨のジャングルの中、穴だらけのビニールのポンチョをかぶって麓を目指して歩いて行く。方向感覚には多少とも自信があり、地図が無くても道に迷う心配はしていない。ただ、標本に正確なデータを付けられないかもしれないのが気がかりだった。扱う品はあくまで学術標本でなければならない。データの無い標本は欠陥商品であり、応接間に飾って喜ぶだけの無知なコレクターに売りつけるしかなくなってしまう。口八丁手八丁、また評判が悪くなるというわけだ。悪徳商人と呼ばれるのはまあ、勲章だと思えばいいが、でたらめのデータを付けるようなペテン師にだけは、成り下がりたくない。         

 今年は高値の付くイナズマチョウ(ユータリア)の当たり年だった。それに、一九三九年の『ファウナ オブ ブリティッシュインディア』に記載されて以来、幻となっていた何種類かの甲虫も手に入れた。マラリアにやられたのは想定外だったが、今回の仕入れは上出来な方だ。(ユータリアは確実に()ける。小出しにして、コレクターからふんだくってやる)

 ニサッタイは雲を敷き詰めた空にシャトルの航跡を探す。ニューデリー・インディラ線の真下のはずだった。早朝、カカボラジの方から聞こえた爆音がどうにも気になっていた。あれがそうなら、俺は方角を間違えていることになる。もっとも、時間もコースもパンフレットの能書きだけ、相当いいかげんな航空会社ではあるのだが。  

 雨が目に入る。雨期に入って以来、やむこともなく、かといって土砂降りになることもなく、捲まず撓まずといった調子で降り続けている。平地であれば、雨期といっても日に何度かスコールが来るといった程度だが、彼のいる標高はちょうど雨雲の中なのだ。その雨雲はこの三ヶ月、山腹にべったり張り付いて微動だにしなかった。  

 暗い空を見上げていると、地球に残っているのは自分一人のような気がしてくる。みんな宇宙へ出て行ったのに、俺だけ井戸の底のようなジャングルに這いつくばって、残り物を漁っているのか。

 樫の梢が風に揺れ、その樹冠で蔓に絡まったまま何年もまとっていた枯れ枝を振り落とした。それは樹高五十メートル分の加速を付け、赤土の地面に弾着の衝撃音を響かせて突き刺さった。少し離れた所にいたニサッタイの表情が凍り付く。まるで殺意を持ったように降ってきた枯れ枝を、じっと見つめる。口の端の筋肉がピクピクと震えた。すっかり忘れていた。ジャングルにはこれがあるのだ。銃弾を食らったように穴のあいた葉を、さんざん見て来たではないか。ニサッタイは頭をぶるっと振って、青臭い感傷を払いのけた。感覚器官を常に総動員していないと、本当にこの森から生きては帰れない。

 現地人はこのあたりには虎はいないと保証してくれたが、ここビルマ北部がその生息地であることは間違いないのだ。だいたいジャングルなんて、映画のように動物がウヨウヨしているものじゃない。人前に姿をさらすような間抜けな野生動物はいないのだ。せいぜい見かけるのはネズミか猿くらいで、現地の狩人だってそうそう肉にはありつけない。最初の頃はびくびくものだったが、あまりに何にも出くわさないので、いつの間にか感覚が麻痺していた。今一度、野性を取り戻さねばならない。

 杖がわりについている捕虫網の柄を、何匹ものヤマビルが尺取り虫のように登ってくる。指で掴むと粘っこい鼻くそのようにあっちにひっつき、こっちにひっつきする煩わしい奴らだ。そこで秘密兵器登場、ウェストポーチから鼻毛用の小さな鋏を取り出して、ぶちぶちとちょん切っていく。(こいつらにプラナリアみたいな再生能力があったりしたら、俺はヤマビルを大量生産していることになるわけだが…)それでもあまり見かけない毛色の変わった種類は、アルコール瓶に放り込んで標本にする。ついでに網を一振りして、まつわりついていたブユ百匹ほどを採る。こういった物でも、衛生害虫の研究者は喜ぶのだ。頭の中のレジはちゃんと鳴り続けていた。         

 なんとなく寒気がしてくる。ずぶ濡れだし、熱帯とは言え標高千八百、実際気温も低いのだが、ニサッタイはかなり神経質になっている。十数度の東南アジア旅行で初めてマラリアに罹ったのだ。発作の前兆かもしれない。少し開けた場所に出ると、背中の五十キロ近い荷物を下ろし、その上に腰掛ける。再びウェストポーチをまさぐって薬を取り出す。念のために麓の村の雑貨屋で買っておいた、二百円のベトナム製アーテスネイト。こいつは今やその効力が怪しまれているキニーネなんかより、ずっと頼りになる強力な解熱剤だった。雇ったポーターの中に、突然、〝持病のマラリア〟の発作を起こす奴が何人かいたため、大方分けてしまって残りは少ない。

 昔は薬の用意なんかしなかった。マラリアに罹ったなんて根性無しの同業者を、思い切り笑ってやったもんだった。  

 あれは所沢の防衛医大だ。見舞いに行ったついでに、医者に血液サンプルを売ってもらおうとして、えらく怒られたっけ。その話に尾ひれがついて、「墓掘り」なんてありがたくもない二つ名を付けられちまった。──俺が死んでも、ニサッタイだけは葬式に呼ぶな。墓には見張りを立てろ、あいつが俺の死体を掘り出して、大英博物館(B.M)に売り飛ばさないように。    

──馬鹿者どもめ。そうなりゃそうなったで、標本商としては最高の名誉じゃないか。大英博物館に飾られる、剥製になった己の姿を想像してみろ。標本屋風情が、生きている間は絶対に浴びることの無かったスポットライトを浴びるんだ、俺なら喜んで…いやいやいや、そうじゃない、連中の死体なんかどうでもいい。俺は純粋に科学的好奇心から、マラリア原虫の標本が欲しかっただけなんだ。全四種類セット五万円で売りに出せば、医学の発展に貢献できると思ったんだ──。

 遠くで、筒鳥(ツツドリ)の仲間が鳴いている。その奇妙な歌うような鳴き声が灰色の空に(こだま)し、いっそう寂寥感を引き立てる。ヤマビルが徘徊して落ち葉が小刻みに揺れ、足下で微かな音を立てている。小雨は休み無く降り続け、象の足跡にできた水たまりに、無限の円を描く。そこから溢れ出た水は、引っ掻いたように地面を走る何本もの溝を流れて下って行く。この溝は、(ラタン)採りが籐を引きずってできた跡だ。この道は象と人間が共同で造ったものなのだ。

(スイハンガンはどうしただろう)

 三ヶ月前、ニサッタイは山に登るのに五人のポーターを雇い、結局スイハンガン一人を残して、後は帰してしまった。経費節減もあったけれど、何よりあの山岳民の狩人は五人分の働きができたのだ。銃と罠で、三日に一度は肉を手に入れてくれた。

「ゼロ戦を見に行かねえか、ニサッタイ」

 あの時、奴は若い頃のチャールズ・ブロンソンそっくりの顔に、いたずらっぽい笑みを浮かべてそう言った。そう、それで俺は商売をほったらかして、雨の中、のこのこついて行ったのだ。

 

 スイハンガンは錯綜する獣道をどんどんと先に進んだ。ニサッタイは最初の幾つかの交差路を曲がったところで、道を覚えるのを諦めざるを得なくなった。登ったり下ったり、さんざんブッシュの中を引っぱり回されて、これはもう一人ではキャンプに戻れないな、という思いと同時に、ある疑惑が浮かんできた。この野郎、わざと回り道をしているんじゃないのか? 俺に道を覚えさせないために。

 彼ら山岳民は、役人との関わりを嫌う。役人は賄賂を要求する。スイハンガンの持っている銃は違法であって、警官は小遣いが欲しくなると彼を訪ねてくるのだ。ゼロ戦の墜落現場ともなれば、村には大勢の役人が押し掛けてくるだろう。そして、なぜ今まで隠していた、とかなんだかんだとイチャモンをつけ、村人全員から金を巻き上げようとするのは目に見えている。

「さあ、着いた」

 一時間あまりのクロスカントリーを終え、涼しい顔でスイハンガンが言った。対するニサッタイは疲労困憊、実のところ、体調も思わしくなかったのだが。

 銀白色の金属が半ば土に埋もれ、蔓草に覆われている。ニサッタイはぜいぜいと息を吐き、目に流れ込む冷たい汗をふきながら、その元・飛行機を観察した。スイハンガンは慣れた手つきで金属の細片をむしり取る。ここは山岳民の秘密の鉱山というわけだ。汗が冷えて、ニサッタイの体がぶるっと震えた。

「こいつはゼロ戦じゃないと思うな。ジュラルミン? チタン合金かな。イギリス機じゃないのか? いや、チタン合金なんて、大戦中にあったっけ。それにしても妙だな、全然錆びてない。スイハンガン、君らの山刀はこれで作ってたのか?」

「山刀にはならんわ。切れねえからな。フライパンを作るんだ。最高だ」

 ニサッタイの体が小刻みに震えはじめる。何かがおかしいと思うのだが、頭がうまく働かない。

「おい、……おい、おっさん、これは飛行機なんかじゃないだろう、何か、もっと別の……」

 スイハンガンがにやにや笑いながら、そばの立ち木にナイフで何か刻み始めた。

「この山には名前がないから、わしが付けてやった。ニサッタイ(タウン)だ」

それは何だか奇妙な墓標みたいだった。近付こうとすると、木はすばしっこい班猫(ハンミョウ)のように遠くへ逃げた。ニサッタイはバランスを失ってそのまま倒れた。痙攣のような震えが始まり、歯がカチカチと鳴った。

 その辺りから記憶が曖昧になる。スイハンガンに背負われてキャンプまで戻ったはずだが、その距離はせいぜい十分程だったような気がする。やっぱり回り道していたのかもしれない。スイハンガンはニサッタイを寝袋に突っ込むと、愛用の先込銃に大きな金柑みたいな鉛玉を詰めながら言った。

「寝てろ。わしは野牛を撃ちに行ってくる。ついでに、マラリアに効く羊歯(シダ)の根を採ってきてやる」

 ニサッタイは寝袋の中で震えながら、スイハンガンの帰りを待った。だが彼は遂に戻ってこなかった。いや、そんなはずはない。スイハンガンにはあの後、ちゃんと日当を払った。羊歯の根だって?そんなもの飲まなくたって、俺はちゃんと薬を持っているじゃないか。何が現実なのかわからなくなってきた。もしかすると俺はもうとっくに死んでいて、あのニサッタイ(タウン)の墓標の下に、埋められているんじゃないだろうか。

 

 ニサッタイはようやく重い腰を上げ、地獄のような荷物を担ぎ上げる。ベルトが肩に食い込み、ぎしぎしと音を立てる。少しだけ、生きているという実感が湧いてきた。結局、発作は起こらなかった。

 急な下りがどこまでも続き、膝が笑い始める。大きな蝶が、ニサッタイの頭上を追い越していった。地面にステンドグラスの影が躍った。ルリモンカラスアゲハの鮮やかな青が、閃光のように走る。カザリシロチョウの燃え上がる赤と黄色。いつの間にか、久しく目にしていなかったカラフルな世界が広がっていることに、ニサッタイは気付いた。雨雲を抜けたのだ。今や陽の光が溢れていた。透明な光のカーテンが、オーロラのように雲の間から降りている。寺に生まれたくせに、およそ信仰心といったものを持たないニサッタイさえ、(あれを伝って観音様でも降りてきそうだ)などと思ってしまう。地面からはもうもうと水蒸気が立ち上り、首筋に強烈な熱を感じた。振り返ると、黒い雲に覆われた巨大な山塊がのしかかってきた。   

 ……俺はあの雲の中にいたんだ。観音様などいやしなかった。あの雲は、ヤマビルとマラリア原虫でできているんだ。

 墓掘りニサッタイはポンチョを丸めてザックにくくり付け、唾を吐き、熱帯の太陽の下を再びのろのろと歩き始める。犀鳥(サイチョウ)が二匹、大きないびきのような羽音を轟かせながら、ゆっくりと青空を泳いでいく。ダリが描きそうなシュールな天井画だ。

 ……俺はとうとう殺生を商売にしちまった。でも親父だって、唯一の趣味の釣りだけはやめないじゃないか。何年前だったかな、お盆の日に仕事さぼって釣りに行こうとして、お袋と喧嘩になったことがあったっけ。

「何でよりによって、お盆の日に殺生に行くのよ!」

「いや、お盆の日は、いい場所があいてるから……」

 まったく、坊主の言うことかよ。

 陽がだいぶ傾いてきた。何十本も籐を担いだ男がニサッタイを追い越して行った。長く伸びた束の先が、地面を引き摺られて例の溝を刻んでいく。集積場がもう近い。来る時に知り合った華僑のリンおばさんが、今日あたり買い付けに来ているかもしれない。プタオまで彼女のトラックに乗せてもらえるかと思うと、少し元気が出てきた。

 沈む太陽と競争のように山を駆け下り、増水した川を強引に渡って、なんとか日没前に集積場に着くことができた。一日の労働を終えたカレン族の若者達がたむろし、お互いのヒルを取りっこしている。ニサッタイは久々の同窓会に顔を出したような、みんなに挨拶したいような、ちょっぴりうれしい気持ちになった。荷物を下ろして籐の山に凭れ掛かり、くたびれた登山靴と、もう雑巾になった服を脱ぎ捨て、パンツ一丁になる。案の定、あちこちに鍋の取っ手のようにヤマビルが付いている。趣味の悪いピアスだ。ニサッタイは乱暴にむしり取って消毒薬を塗り、その後を瞬間接着剤・シアノアクリレートで血止めしていく。一通り済むと、足下に転がる血を分けた兄弟を眺めてちょっと思案する。満腹のあまり動くこともままならず、夕日に焼かれて苦しそうだ。つまみ上げてアルコール瓶に入れると、勢いよく血を吐き出して、液は真っ赤になった。


 (ラタン)の甘い香りの中でニサッタイは目を覚ました。満天の星が揺れている。トラックの荷台、籐の束の上で仰向けになって眠っていたのだ。リンおばさんが助手席から顔を出して声をかけた。

「眠ってないよね、眠ったら落ちるよ、落ちたらだめよ」

「はあい」

 ニサッタイは仰向けのまま、リンおばさんに見えるように大きく手を振った。

 トラックはゴトゴトガタガタ、ゆっくりと進む。インディラが天の川を渡り、白鳥座にさしかかる。その翼の端、微かに青く光る小さな星団、あれがアルキペラゴだ。七百光年の彼方、七百年前の光。俺に青春の全てを貢がせた美しき魔境。山師やはぐれ者、油断のならない同業者、それに、器量は悪いが働き者の娘達の星々。      

 小さな蛍が(ラタン)の茎を伝ってニサッタイの方に近付いて来る。ひとしきり明滅すると、翅を広げ、ゆるやかな風に乗って星の群れの中へ消えていった。



 サマルカンド号

 

 NGO・モンスーン連合経営の宇宙船に乗るとなると、まず旅行者障害保険には入れない。今までに墜ちた数は他の航空会社とそう変わらないのだが、船内で怪我をする割合が、かつてはダントツに高かったのだ。本来はアルキペラゴへ移住する開拓農民のための無料船だったが、空席分を格安チケットとして市場に流したところ、客筋が相当悪くなってしまった。恒星間旅行を庶民の手の届くものにしたのはいいが、それは同時に、一攫千金を目論む山師達に、アルキペラゴという新世界を解放することにもなったのだ。そんな初期の頃の乗客達は、筋肉もりもりのスチュワーデスが携帯する小火器を、ただの飾りだと思い込んでいた。ところがある日、酔っていたのか、それともイカレていたのか、火のついたライターと、TNTと書かれた茶色い筒を振りかざした山師が、「そんなにタバコが吸いたきゃ、こいつをくれてやる!」と叫んで操縦室に突進したのだ。女達は躊躇無く引き金を引き、トイレットペーパーの芯もろとも男を蜂の巣にしてしまった。それ以来、客筋は相変わらずだが、船内は一部を除いて禁煙になったし、もうトラブルを起こす奴は滅多にいない。乗員と乗客の間で盛大な銃撃戦が行われ、多数の死傷者を出した、などというのは昔話にすぎない。とは言っても、今でもやはり保険には入れない。

 サマルカンド号。モンスーン連合の旗艦。酔っぱらって羽目を外した乗客の口に、スチュワーデスが自動小銃の銃口を突っ込む楽しい宇宙船。ようやく手に入れた格安チケットを握り、ニサッタイ・コジュウロウは十一度目のアルキペラゴ詣でに向かっていた。今回のスポンサーであるグソクムシのコレクターは気前がよかった。墓掘りニサッタイの腕を見込んで前金をかなりはずんでくれたので、ニサッタイは思い切って個室をとった。シャワーもトイレも共同の、せいぜい三畳程のキャビンだが、とんでもない贅沢をしているような後ろめたさを感じる。たぶん、さっき出会った貧乏学生達のせいだろう。四人で一部屋、ほとんど食堂にも行かず、あと一週間はカップ麺で乗り切ると、悲壮な決意で語っていた。ああ、俺も昔はそうだった。堕落した? いいじゃねえか、俺様は社会人でリッチなんだから。実際のところ、罪悪感を感じなければならないような立派な部屋ではなかったのだ。壁はベニヤ板だし、花柄の壁紙でごまかしているが、湿気で波打ち、カビで黒ずんでいる。あちこちあいた穴には、誰かがティッシュを丸めて詰め込んでいる。ニサッタイは、この船には絶対に似合っていない、壁紙の可憐なスミレの花模様を指でなぞった。(まさかスチュワーデスのどいつかの趣味じゃねえだろうな)あの髭の生えた女子砲丸投げ選手団みたいなのが、この壁紙を貼りながら、本当は私だって女の子なのよと呟く、その後、まっすぐ貼れなかったのにむかついて銃の的にしたのに違いない。鉄のベッドは刑務所にでもありそうな代物で、かつては白く塗られていたことがかろうじて判別できる。スプリングがあちこち飛び出しているので、寝る時はそれをよけるように、S字形にならなければならない。(けっこういい部屋ではないか。四畳半に二段ベッドを三つも詰め込んだ大部屋(ドミトリー)しか知らない連中は、ガレー船だなんて呼んでいるが)ちょっぴり優越感に浸っているのは、やはり貧乏人の証拠であった。

 天井に小さな羅針盤のような物が嵌め込まれていて、中で矢印が揺れている。イスラム教徒が多いので、メッカの方角がわかるようになっているのだとか。メッカ、早い話地球だから、慣れてくれば時計と矢印で船の現在位置を計算できる。あれが三時になれば冥王星軌道駅だ。ここで少数の鉱山技師達が降りる。上等のスーツを着た客は彼らだけだ。地質学にも多少のウンチクのあるニサッタイは、食堂で彼らと話をしようとしたが、体よく逃げられてしまった。残りの客の大半は開拓農民とバックパッカー、それに怪しげなセールスマンやらポンビキやら逃亡者だ。カタギの振りをした標本屋も、きっと何人か紛れ込んでいるだろう。まったく、空飛ぶ吹きだまりだぜい、などと、今回ちょっと懐の暖かいニサッタイは反っくり返っている。

 どこかの大国が、モンスーン連合が犯罪者の外宇宙への拡散に手を貸している、と非難しているが、それは筋違いだ。金を払えば誰でも客というのは大手航空会社も同じであり、むしろ大物の悪党は、豪華客船のファースト・クラスで堂々と拡散していく。           

 人口増と食糧難に悩む多くの国が、開拓移民を奨励している。しかしその実情は棄民政策と言うに等しい。辺境惑星の過酷な環境の中で、大勢の農民が悲惨な末路を迎えていた。結局、モンスーン連合が、船の手配に加えて農地の選定、技術指導、農産物の販売戦略まで面倒を見ることになったわけだ。もっとも、きれい事ばかりでもない。連合の権益と資産が、今や莫大なものになっているのも、また確かな話だった。

 ニサッタイは持って来た本の中で、一番分厚いのを抱えてラウンジに行く。そこには映像ではない、本物の窓があった。この窓を怖がる人間は案外多く、いつもすいている。


『アルキペラゴ生物系統分類学 式部仁三郎』                   

 タネガシマ空港で、見送りに来てくれた著者本人から直接手渡されたものだ。おかげで重量オーバーになりかけた大冊だ。新進気鋭の博物学者・式部仁三郎は学生時代の同級生だった。

 白のソフトにトレンチコート、小太り寸詰まりの、ハンフリー・ボガートになりきった式部は、修学旅行の女子高生に囲まれて、汗だくになりながらも悦に入っていた。まるで溶けかけの雪だるまだった。そりゃあ梅雨時(つゆどき)のタネガシマ、ほとんど亜熱帯の地であのイカれた格好なら、目立つことは請け合いだ。何か勘違いしてサインをねだる女の子もいる始末。

 ニサッタイの商品にはコレクター用と研究者用の二種類がある。式部や何人かの気に入った研究者には、売れ残ったからとか、売れそうにないから、とか理屈を付けてただで標本を渡してしまう。(代わりに彼らから知識を得ているじゃないか。損なんかしているもんか。新しい知識こそ、この世で最も、そして唯一、価値の有る物であり、金とは知識を得るためのものなんだ)悪党を気取ってはいても、学者になるのを早々にあきらめた男の、未だ断ちがたい学問への情熱、夢の残滓だった。

 式部が本を差し出して、子供のような、かん高い声で言う。

「ニサッタイ、ニサッタイ、やっとできたよ、持ってってよ」

「この重たいのを持ってけと言うのか。今時なんでCDにしないんだよ」

「ちっちっちっ、本というのはね、魂が宿ってるんだよ。CDみたいなデジタルはただの情報。僕はこの本に魂を込めた、だからすごーく重たいんだよ」

「お前、魂だけで何キロあるんだよ。ここに著者サインしろ」

 ニサッタイが表紙を開いて渡すと、式部はマジックででかでかと〝君の瞳に乾杯〟と書き込んだ。

「バ、バカヤロー!」 

 

 大航海時代以来の、博物学の黄金時代。子供達の十人に一人が、将来成りたいものに博物学者を挙げる。さほど偏差値の高くなかったコジュウロウ少年も、成長してその夢を捨てない一握りの中に残っていた。しかし、一浪してようやく南方(ナンポー)大学生物資源学部・博物学科に滑り込んだまではいいが、そこには年下の同級生、天才・式部がいた。ニサッタイの偏差値は、ここで遂に底をついた。

 式部仁三郎──才能に溢れ、その上に努力を惜しまず、しかも育ちのいい大金持ちのお坊ちゃま。祖父、式部岩栄は鉄鋼王。父、鉄五郎は通称ビッグ・シキブ、世界的大哲学者だった。夏休みの一日、ニサッタイは式部と共に彼の実家を訪ねたことがある。生で見る鉄五郎は、それはそれは迫力があった。巨大な森鴎外といったところだ。              

 博物学科の一年生が真っ先に覚えるラテン語がある。茸の一種スッポンタケの学名、ファルス・イムプディクス。──厚顔無恥のチンポコ。当時さっそくイムプディクスをあだ名にされたニサッタイが、唾を飲み込むことさえできなかった。そんなおっかないビッグ・シキブがきちんと正座すると、イムプディクス男に向かって、深々と頭を下げて言ったのだ。

「仁三郎を、どうか、よろしくお願いいたします」

(ああ、あの頃は俺も純だった。思わず、ご子息のことならこの私におまかせ下さい、と言っちまったものなあ)

 本当は「あわわ、あわわ、あわわ」と答えただけだった。

 その日以降ニサッタイは、この無類のお人好しのジュニアを導くべく、あらゆる悪所へ連れて行った。これが俺の義務なのだ、とか言いながら。もちろん会計は全てジュニア持ちだ。

 窓の側に座ってパラパラとページを繰る。挿し絵が多いのがうれしい。大方は式部自身が描いたものだ。おかしいのは、あの幼児的な男からは想像もつかない、偉そうな序文だった。


 ......外宇宙への進出が可能になって以来、人類は多岐に渡る分野において膨大な量の資源と情報を獲得してきたが、しかしそれは不幸にも生物学を除いて、という意味であった。初期の十数年に及ぶ探査がもたらした成果はと言えば、わずかに二十数種類の原核生物の発見にとどまったのである。宇宙は生物学的不毛の地であった。地球型惑星であれば、生命の誕生は一般的現象であるという仮説こそ証明されたものの、進化という現象は地球以外では見られなかったのだ。

 我々は今一度、地球における最初の生命誕生から多細胞生物の出現に至るまでに、三十億年を要したという事実を再認識しなければならない。これは現実の世界で我々の知る最も永い時間、すなわち宇宙の年齢と比べても、決して短いとは言えない時間量である。進化は極めて稀な現象であり、おそらく何らかの偶発的事件を必要としている。もしそれがなければ、我々の地球も他の多くの惑星と同じく、未だに単細胞生物だけの世界であったかもしれないのだ。では地球を、これ程豊かな生物世界に変えた事件とは何だったのだろうか。我々は今、漸くその手がかりを手に入れようとしている。

 一九六二年、イギリスの探検家トーマス・S・ラッフルズ卿は、ヒポカムパス鎖状星団、今日一般に「多島海(アルキペラゴ)」と呼ばれている星域から大量の生物標本を持ち帰った。残念ながら卿は生物学の専門家ではなく、標本の多くは最悪の保存状態であったが、それでもなお科学者を瞠目させるに充分であった。アルキペラゴは地球型惑星の密集地帯であり、そのいずれにも高度に分化した多種多様な生物群を産したのである。我々は遂に比較対照可能な進化モデルを見出したのであるが、それは同時に、進化学と系統分類学の混乱の時代の幕開けでもあった。

 アルキペラゴからは既に百二十万を超える種が報告され、なおかつ一年に十万のペースで新たな種が記載されようとしている。専門家の多くはただひたすら記載論文を書くことに忙殺され、生態学的知見はおろか、肝腎の系統図の作成すらままならない有り様である。このような状況の中、フランスの進化学者R・ジャネルはその大著FAUNE De L'ARCHIPEL (1975)で大胆な進化論を展開した。彼はラフレシア、ネペンテス、ラムペティエ3および4の真核生物のDNAを比較して、そこに「撹拌」が見られる、と結論したのであった。ラフレシアの生物には明らかに二系統が見られ、その一つはネペンテスに起源を持つ(二つの惑星の距離は十二光年!)、そしてR3とR4は共通の祖先を持つ単系統であると。

 DNAが恒星間距離を飛び越えたという、ジャネルの「空飛ぶ進化論」を現在そのまま受け入れる者はいない。彼の扱った標本には明らかなデータ・ミスがあったし、DNAの解析にも初歩的なミスが多く見られたからである。しかし著者はジャネルの説を全て否定すべきであるとは思わない。それは捨て去るにはあまりにも魅力的であり、何よりも単純明快だからである。ジャネル以降、さらなる情報が蓄積された今、一つの惑星の生命の起源を一つだけと見る「一惑星一系統説」は、大きな壁に突き当たっている。

 アルキペラゴは六十一の恒星と、生態系が知られているものに限っても、九十以上の惑星を含む、広大な星域である。その探検は、現代の技術力をもってしてもなお、困難を極めるものである。それでも我々はアルキペラゴ生物の進化の謎を解くとともに、地球をもそこに含めた、言わば進化の大統一理論を構築しなければならない。もし拙著がその嚆矢となって、多くの若い研究者がこの謎に挑戦するところとなるならば、著者にとってはこの上無い喜びである。

 

 若い研究者って誰のこったよ。おめえは一体、年いくつだよ。ジャネルがひっくり返ったのも当たり前だ。

 最後のジャネリストを自負する式部は、中学生の頃からジャネルと文通していた。当時、御大は既に九十を超えていたはずだ。日本から見事なフランス語の手紙と、ラテン語のアブストラクトを付けた完璧な論文を送って寄越すリトル・シキブに興味を覚えたジャネルは、顔写真を送ってくれ、と言って来た。その頃はもうフランス人でも、まともにフランス語のスペルをつづれる者は少なかったのだ。写真が届いた時、初めてジャネルは文通相手がまだ十四歳であることを知った。その顔が写真の枠からはみ出しそうな、肥満体のブタマン少年。そのショックで、かどうかはわからないけれど、R・ジャネルは二ヶ月後に息を引き取った。


……そして数多くの貴重な標本を研究のために提供してくれた爾薩待小十郎氏に。氏の、文字どおり身命を賭した外宇宙へのリサーチ無くして、この本は生まれなかった。


 謝辞の所で、顔中の汗腺から汗が放物線を描いて飛び出した。(お、お、俺は悪徳商人なんだぞ!)錚々たる大学者の名前が並ぶその後に、自分の名を見つけたニサッタイ、エロ本を読んでいる所を母親に見つかった時のように、まっ赤になって本を閉じてしまった。

 ラウンジに人が集まり始めた。ニサッタイは天井を見る。ヘリコプターのプロペラほどもありそうな、大時計の立派な矢印が三時を指そうとしていた。シャトルが近付いて来る。下船する鉱山技師達の背中を、戦闘服にプロテクター、自動小銃で武装したスチュワーデス二人が睨みつけている。二人とも大女だ。一人はスラブ系で結構整った顔だが、体重は百キロを超えているのは間違い無い。もう一人はモンゴル相撲のヨコヅナといった感じ。サマルカンド号のスチュワーデスはどれも皆似たり寄ったりで、器量よりも腕力と度胸で採用されるのだ。だったら最初から男を雇えよ、と思うのだが、通に言わせれば「そこはそれ、船内に漂うフェロモンが違うのだ」そうだ。美人がいないわけじゃない。ファッションモデルと見まがうようなのが一人いるのだが、カラテの達人で、噂では不埒な乗客何人かの首をへし折ったとか。そんな話を知ってか知らずか、若い技師の一人がやけにグズグズして、中々出口に向かおうとしない。挙げ句の果てに回れ右して引き返し始めた。そしてスチュワーデスに向かってこう言った。

「ねえ彼女達ィ、仕事が終わったらどっか飲みにいかない? ケータイの番号教えてよ」

 ハッチの前で、仲間の技師達が青くなっている。ニサッタイは久々に活劇が見られそうなのでワクワクしている。果たしてヨコヅナの張り手が唸った。男はハッチまで三メートル程吹っ飛んで頭をぶつけ、気を失った。仲間が男を抱えて、逃げるようにエア・ロックをくぐった。

 サマルカンド号は忙しい船だ。降りる客がいなければ冥王星くんだりに停まる必要は無い。だが実際は常に、ここで降りる少数の鉱山技師ー─本物かどうかはわからないー─が乗っている。大手航空会社に雇われ、サマルカンド号の船足を遅らせるのだという噂だ。だけどあの若いのはやり過ぎだった。一分につきいくらとかボーナスが付いたのかもしれないけれど、命を賭けることもないだろうに。

 光量子エンジンが冷えきる前に、サマルカンド号は発進する。これから行うワープについて、機長から早口の説明がある。子供達には特に、必ず冷却ヘルメットを着用させるように。この件だけは十二カ国語で、しつこくアナウンスされる。乗務員が忙しく走り回って、事情をよく飲み込めていない農民達をこづき回す。

 太陽系の外側の、定められたポイントで船が停止した。この〝停止〟というのが難物だ。速度とは相対的なものであり、宇宙空間でそんなものあり得ないと誰もが思うのだが。コンピューターが何やら計測して「あなたの船は完全停止の状態にあります」と言ってくれるまで待たねばならない。これをしないと次の空間に出た時、速度も方角もしっちゃかめっちゃか、下手をすると逆方向へ向かって飛び出したりするのだ。チョウという古参の標本商のオヤジは、自分自身の乗った船と確かにすれ違ったことがある、という。その話を、酔う度に若い者相手にしているが、年々話に磨きがかかってきているので、どこまで本当かはわからない。

 そしてワープ。時間と空間を飛び越える、それは近道のために急斜面を駆け上がるのと同じだ。それなりの代償を支払わなければならない。ニサッタイには難しい理屈はよくわからないが、なんでも、真空にはわずかながらエネルギーがあり、船は飛び越えた距離に比例して、そのエネルギーを熱として蓄積してしまうらしい。だからもし、一気に百光年も飛べばこれはもう立派な自殺行為、乗員はきっちり蒸し焼きになり、船内はおいしそうな匂いでいっぱいになってしまう。何年かに一度はそういう船が現れるが、保険会社の口の悪い事故調査員達は、それを〝点心〟と呼んでいる。

 サマルカンド号の場合は一回のワープは十光年、これで船の温度も乗員の体温も三度近く上がる。その後二時間かけて冷却。これを一日三度、三十光年進むと、その日のワープは終了。これは国際旅客安全基準法に抵触ぎりぎりのピッチ、カミカゼ運転である。皮肉なことに、格安チケットのこのぼろ船こそが銀河一の超特急なのだ。

 ニサッタイは東南アジアの安宿のようなキャビンに戻った。いやな匂いのする頭部冷却ヘルメットをかぶり、仰向けになって、乗船時に配られた解熱剤を握りしめる。備え付けの液晶時計の画面が消え、赤い光の点滅に変わる。色々な国の文字とヘルメットの絵が交互に現れる。じきに悪寒が襲って来た。船という空間の中で、空気も機械も人もウィルスも、あらゆる物質の温度が上がっていく。電子レンジの中にいるように、内側から熱せられていく。 

 

 ……ポクポクポクポク、親父が木魚を叩いている。ポクポクポク。こら、コジュウロウ、宿題はやったのか?また虫採りか、網なんか置いてそこに座れ、ポクポクポク。親父が木魚のバチで、俺の頭をぶっ叩く、この馬鹿者、ポクポク.......。

 

 船内アナウンスが素っ気無く、第一回のワープ終了を告げた。汗だくで起き上がったニサッタイ、サンダルをつっかけ、タオルと石鹸とトークンを持つと、ふらつく足取りでシャワー室へ急ぐ。何か赤いものが飛んできたので、思わず首をすくめる。瞼の裏に焼き付いた液晶時計の赤い残像だった。まつわりつく薮蚊を追い払うように、顔の前で手を振りながら進む。バックパッカーが何人か、やはり阿波踊りのようにニサッタイの後を追う。ベテランの貧乏旅行者は、今なら熱い湯が出ることを知っているのだ。

         

 

 ラフレシア


 気温三十八度、ほんのり緑色がかった太陽が中天にかかっている。アルキペラゴへのスター・ゲート、惑星ラフレシア。ビンタンペラク国際空港の周りには、手入れの悪い芝地が広がっていた。景観造りのために植えられたパームツリーやハイビスカスは、ニサッタイが初めて来た頃と同じ貧相な姿のままだが、雑草はたくましく育っている。これらは皆、乗客の靴やポケットの底のほこりに混じって密航して来た者達の子孫だ。あのワープ時の熱上昇に、種子はよく耐えたのだ。今や雑草達にとっても、二度目の大航海時代の到来というわけだ。

 十八世紀、スウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネは世界中の全ての生物に名前を与えようとした。この突拍子もない事業を支えていたのは、彼の信仰だった。神が全生物を創りたもうたのであるからには、その種類数も無制限などということはあり得ない。リンネは弟子達を世界中に送り出す一方、船乗り達にも植物の採集を頼んだ。船乗り達は律儀だった。彼らは外国の港に入る度、その周辺の植物を採集して持ち帰ってくれた。その殆どが、リンネにとってお馴染みのものだった。彼はますます信仰を強めた。たとえ地の果てといえども、そこに見られる生物は同じようなものなのだと。リンネは知らなかった。大航海時代の終わる頃にはもう、人や積み荷に付いて運ばれた種子のため、港周辺の植物はほぼ万国共通になっていたのだ。

 まったく、作物はろくに育たないというのに。ニサッタイは足下の、頑強に根を張るギョウギシバを靴の先で蹴り上げた。

 まずは腹ごしらえと通りを見渡す。やけに建物が増えている。ツーリストの看板があちこちにある。この星の一体どこを観光しようというのだろう。ニサッタイの知る限り、風光明媚な所などどこにも無いはずだった。山にはゲリラが出没するし、まだ発見されてない危険な肉食獣だって、いるかもしれないのだ。

 ようやく見覚えのある小汚い店を見つけ、干物のような婆さんに焼飯(ナシゴレン)ミルク・コーヒー(コピスス)を注文する。

「ばあちゃん、俺覚えてる?」

「ニサッタイ、忘れるもんかね」

 婆さんは店の奥からビール瓶を持って来た。おっ、気がきくね、と思ったら中身は虫のごった煮だった。前に来た時に、虫を採っておいてくれ、今度来た時買い取るから、と言ってあったのをこっちの方が忘れていた。ざっと見たところ、大した物は入っていない。殺虫用の酢酸エチルも渡しておいたはずだが、紙の栓なんかしてるのでとっくに蒸発している。栓を取ると実にいやな匂いがした。

「二千五百円」ニサッタイが言う。

「五千円」婆さんが言う。

 予定よりちょっと高い三千二百円で落札。婆さんが急に愛想良くなって言った。

「他の業者もよく来るけど、あたしゃニサッタイにしか売らないからね」

 もちろん嘘だ。店の奥をちらっと見た時、まだ何本か虫ビールがあった。いろんな標本商に頼まれて、それぞれの瓶をちゃんと分けておくのは、案外マメな婆さんだ。高い買い物をしてしまったのは、相手は婆さんとたかをくくっていたのだろう、どういう虫をいくらで買い取るか、きちんと説明しておかなかったこちらのミスだった。この婆さんにもポケット図鑑を渡しておかねばなるまい。

「ニサッタイ、チェンジかい?」

 婆さんがにやっと笑って右手の親指と人さし指をこすり合わせる。闇両替だ。

「今、レートは?」

「288」

「300にしてよ」

 ニサッタイは財布から十万円出し、チェンピーに替える。婆さんが輪ゴムで束ねたレンガ程の大きさの、茶色い束を寄越す。ふやけて何か粉をふいている。チェンピー、こいつは奇妙な紙幣だった。本当はクーポン券なのだが、アルキペラゴ全域で紙幣として通用しているので両替も一度で済む。発行しているのはドラゴン・シップという食料品店、そんな店どこにあるのか、ニサッタイは知らない。よほど大きな店のはずだが、そこで誰かが買い物をしたという話も聞いたことが無い幻の商店だ。それでも不思議に一番インフレの気配が無く、使い勝手がいいのがチェンピーだった。一チェンピー=約〇・三円のレートは去年とそう変わっていない。もっとも、アルキペラゴ以外ではただの紙切れだし、持って帰っても地球の銀行は扱ってくれない。目端のきく現地人は地球で預金できる外貨を欲しがるので、ブラックマーケットが生まれるわけだ。国連は旅行者のチェンピーの使用を禁止し、国連ドルUDの使用を義務づけているが、現実離れのレートのため一向に浸透していない。だいたい田舎の店でUDなんか出しても、変な顔をされることの方が多い。それにどんな外貨で支払ったところで、釣り銭は常にチェンピーだ。

 トヨタ・レンタで軽トラックを借りる。バックパックを荷台に放り込んで、開拓一号道路を西へ向かう。磔の列のような貧弱なポプラ並木のあいだを軽快に走ると、建物はすぐに無くなり、両脇に灰青色のサバンナが広がる。ラフレシア原生地衣類カユービル。それはしだいに丈高くなり、防音壁のように道を挟み始める。やがて空を覆う巨大なアーケードとなり、トンネルとなっていく。日光はもはや地上には届かず、ニサッタイが走っているのは地下二百メートル。カユービルの樹冠こそが真の地表なのだ。ラフレシアは菌糸に覆われた惑星だ。そこに抗生物質を滴らせたような円形の裸地が、年ごとに広がって行く。いつの日か、この星の全てがカユービルに包まれていたことなど伝説になってしまうのだろう。わずか二百年前、アメリカ大陸が森林に覆われていたことを、もう誰も想像できないように。

 長い長いトンネルが終わり、再びサバンナが現れる。太陽は既に西に傾き、大気中のカユービルの胞子のために青く輝いていた。あちこちに焼き畑の煙が上がっている。ニサッタイは窓を開けて、懐かしい煙の匂いを思いきり吸い込んだ。

 高床式住居と痩せた畑、痩せた水牛、そのスフレのような糞。道を行く子供達が、ニサッタイに白い歯を見せて笑いかける。ニサッタイの顔も自然とほころんでくる。小川に架かる小さな木の橋をそっと渡ると、いよいよカンポン・スンガイの入り口だ。検問小屋には相変わらず、ICPOのロゴ入り帽子をかぶった小柄でチョビ髭のオヤジがいた。にこにこしながらニサッタイに手を差し出す、その手に二千チェンピー握らせて無事通過。その辺を駆け回る鶏や子豚をはねないように慎重に走る。向こうで誰かが手を振っていた。ひと昔前の悪役サダム・フセインにそっくりな、腹の出たハムジャとその家族一同のお出迎えだ。

「おーい、悪党ハムジャ、その腹には何を溜め込んでんだ、大量破壊兵器か?」

「おお、墓掘りニサッタイ、よく帰って来た」  

 タバコ屋のハムジャは土地の顔役で、村の広場に面した大きな屋敷に住んでいる。ニサッタイは当然のような顔で、そこに転がり込んだ。

 

 午後七時、開け放たれた居間に、ようやく涼しい風が入り始める。

 目の前の広場は、庭園のように良く手入れされていた。中央の大きなカユービルは昼間は快適な日陰を造る。小川が蛇行し、小さな滝が連続して心地よい音楽を響かせる。それらは黄昏の中、異星にいることを束の間忘れさせてくれる。全てはハムジャの趣味だった。この悪党は、暇さえあれば植木バサミを握って、公共の庭造りにいそしむのだ。

 ニサッタイはビニールのカーペットの上にあぐらをかき、滝のような汗を流しながらチキン・カレーを食べている。ハムジャの奥方が造ってくれた絶品の一皿。チキンと玉葱をバターで炒め、それをカレーとココナツ・ミルクで煮込む。ニサッタイはレシピを聞いて、日本で自分でも作ってみたのだが、全く似ても似つかぬ代物になってしまった。おそらくブロイラーではとても、この味は出せないのだ。ハムジャの息子ナスル、十八歳、がおかしそうにニサッタイを見ている。こんなに汗をかく人間は、このあたりにはいない。現地人なら日中四十度を超す気温の中でも、汗ひとつかかずに熱いラーメンを食べることができるのだから。

「ニサッタイ、まだお嫁さんはもらわないの?」

 奥方が団扇で煽いでくれながら、言った。次に何を言い出すかはわかっている。

「イサクの娘さん、シンタちゃん、美人だし働き者だし、あなたに丁度いいと思うんだけど」

 ニサッタイは汗を拭きながら答える。

「年が違い過ぎるよ。シンタはまだ……」

「十七よ。この辺では嫁に行く年ですよ」

 シンタなら六歳の頃から知っている。山刀(パラン)玩具(おもちゃ)がわりに育った娘。山刀のシンタ、シンタ・パラン。苦笑するニサッタイにハムジャが助け舟を出す。  

「あれはやめとけ。一人娘なもんでイサクが甘やかすから、気が強すぎる」

 ニサッタイは横でニヤニヤしているナスルに水を向ける。

「君がもらえよ。年だってちょうどいいじゃないか」

 ナスルが笑って答える。

「僕はまだ死にたくない。今はシンタは、僕より背が高い。羊を捌く時の手並みはすごいよ」

 夕涼みの村人が広場をぶらぶら歩きながらハムジャに会釈を送る。ああ、ビールがうまい。

「わしはナスルを大学に行かせたいんだ」ハムジャが言った。

「そりゃ行かせてやるべきだよ。高校へは行ってるの?」

 ナスルが恥ずかしそうに答えた。

「ハムジャ高校の三年です。でもこんな学校の卒業証書、地球じゃ使えない」

 ハムジャが胸を張って言った。

「わしが創った高校だ。ハムジャ中学もあるんだぞ。わしは村の子供達は全員、無試験、無料で入学させとる。モンスーンの奴等の創った学校は、農業以外教えようとせん。奴らはわしらを、この星に閉じ込めて、地球のための食料を造らせたいだけなんだ」  

「父さんはモンスーンの人達の建てた学校に、夜間クラスを開いたんです。僕はそこの高等部、つまりインチキ高校だ」

「教師はどうしてるの。 誰が教えてるんだ?」 

 ハムジャが答える。

「わしが教える、というのはもちろんウソだ。あちこちの村からインテリを集めた。探せば結構、元教師なんてのがいるんだ。それに、駐在がサラワク大学を出とるしな」

 ニサッタイはちょっと驚いた。

「あのチョビ髭が? 信じられないな」

「いや、本当だ。あいつ、前はインドネシア軍にいたと言っとるが、わしの調べた所じゃ軍情報部だ」

 ハムジャは別に声を潜めるでもなく言い切った。

「まあ、顔を会わせてもこれまで通り、調子を合わせておけばいい。時々小銭を握らせてな」

 チョビ髭は一応、国連職員だが、その裏には色々な顔がありそうだ。善良な駐在さん、ワイロの好きな小悪党、ワイロ分しっかり働いてくれる律儀者。そしてスパイ。要するに人が良くてお金が好きな仕事人間、なんだ、ミニ・ハムジャじゃないか。

 ニサッタイはナスルに聞いた。

「君は何をやりたいの? どんな勉強がしたいの?」

「僕はエンジニアになりたい。ラフレシアも、いつまでも農業惑星というわけにはいかない。僕らは高い農業機械を買わされるが、その整備もろくに自分達でできないんだ。僕らは食料だけでなく、機械も自給できるようになるべきだ」

 父親に似ぬ、素直でまじめな青年ではないか。酔いが回り始めたニサッタイが、無責任に請け合った。

「大丈夫、卒業証書は地球でも通用するよ。君のお父さんは文部大臣であり、教育委員長でもあるのだ。ハムジャのサインがあれば、どこでもOKだ」

 ハムジャが図に乗って言う。

「大学も創ってやるか。ニサッタイ大学はどうだ? お前、ここに残って学長になれ」

 そうなりゃ標本商としては最高の出世だな。そんな人生も有りかもな。

 外はもう、真っ暗だ。ビールを飲みながらバカ話で盛り上がる男どもを、奥方は微笑みを浮かべて、団扇であおぎ続ける。異星の熱帯の夜、平和なひととき。

 気が付くと、居間の前に人が集まっていた。夜目の利く彼等は灯も持たず近付いて来るので、ニサッタイはしょっちゅう驚かされる。皆、手に手に大小の瓶を抱えている。駐在もいる。この一年溜め込んだ標本だ。墓掘りニサッタイの商売の時間が始まった。

 居間に新聞紙を敷き、最初の村人、床屋のバスキの瓶の中身をあける。酢酸エチルと腐敗臭の混じった、異様な匂いが部屋に立ちこめた。ありとあらゆる異形の虫達。奥方はそそくさと部屋を逃げ出す。ナスルは好奇心一杯の目で覗き込む。ハムジャは前にニサッタイからもらった「アルキペラゴ生物図鑑・ラフレシア編」を開き、精一杯難しそうな顔をして、虫と図とを見比べる。この図鑑にはニサッタイが、図の下にそれぞれ値段を書き込んである。バスキが、小さなクモヒトデのような奴を指でつまみあげて言った。

「これはニサッタイが一匹千チェンピーと言った奴だ。五匹採った」

 ニサッタイが困っていると、ハムジャが代わりに言ってくれた。

「ばか。お前、この本のカラーコピーを渡してやっただろが。あれはどうした」

「誰かに盗られた」

「それはマンジュメの子供だ。ニサッタイはもうマンジュメはいらないと言ったはずだ」

 マンジュメというのは、手のひら程の大きさの、黒っぽくて平たい亀のような虫だ。五角形の甲羅から五本の太短い足が出、アヒルのくちばしみたいな可愛らしいオチョボ口が腹面に付いている。このあたりの女の子達は、これに口紅を塗って遊んでいる。ただこいつは幼虫時代、何度も姿を変える、いわゆる過変態をやるので注意が必要なのだ。その点を除けばラフレシアで最もありふれた生き物だ。「マンジュメ」はインドネシア・スラウェシ島中部のパモナ族の言葉で、ブタが鼻で土をほじくる様子をいう。マンジュメは実際そんなふうに何でも食べる。ずっと以前、ニサッタイがやはりハムジャの家でチキン・カレーを御馳走になっていた時、外で「マンジュメだあ!」と大きな声がした。シンタがニサッタイを指差して笑い転げていた。どうもニサッタイの食べ方がブタのそれに似ていたらしい。あのクソガキめ。墓掘りにイムプディクス、もうこれ以上変なあだ名を付けられてはたまらないので、その後はかなり意識して上品な食べ方を心掛けている。

 結局、バスキの持って来た虫は、マンジュメを除いた残り二百匹余りを二万二千五百チェンピー、日本円にして約六千七百円で買い取る。傷物でなければ全て買い取るのが約束だ。村人に珍種だけを狙わせるわけにはいかない。それではギャンブルを勧めることになってしまう。畑仕事の合間に拾ったものだけでいい。そうして集まった大量の普通種は、ほとんどがデッド・ストックになって、一坪ン万円の店の敷地を何年も占拠するのだ。古書店と全く同じだ。一年以内に売れそうなのは、ひと瓶の中に数匹といったところ、だからそいつらを地球で高値で売る。現地で五十円で買ったものを地球で五万円で売るという、標本商の評判の悪さはここから来ている。そりゃあ仕入れた品が全て右から左へ飛ぶように売れるのなら、商人(あきんど)は誰も苦労はしない。そんな単純なこともわからないアホがいかに多いことか。

 ハムジャは賢い。全て理解している。時に、コレクター自身が村にやって来ることがある。ニサッタイの商品が出回れば、その産地のカンポン・スンガイの名も知られるからだ。ハムジャは彼らに宿と食事を提供し(結構高い)、時には採り子(これも高い)を紹介して自由に採集させるが、村人の瓶の虫を買うのは許さない。瓶の中に珍品を見つけたコレクターが、ニサッタイの何倍もの値段を示しても、だ。ハムジャは、村人が働かなくなるのを一番恐れているのだ。虫採りはあくまで、小遣い稼ぎでなければならない。いい大人が畑をほったらかして虫を追い回し始めたら、村は滅びる。標本商やコレクターが、いつまでも村に来続けるという保証はどこにも無いのだから。後生大事に虫瓶を抱えて、永遠に星空を眺めて待ち続けるなんて、絶対に御免だ。

 村人達はそれぞれ臨時収入を手にほくほくしている。最後にハムジャが自分の瓶を出す。さすがにいい物を採っている。ハムジャは村人達をぐるっと見回して、どうだ、という顔をした。ただ妙なものが一匹入っていた。ミツバチだ。ニサッタイは怪訝な顔で聞いた。

「ハムジャ、これは何だい?」

「ラジャの子分が持って来おった。上等のイタリア種だそうだが、本当か?」

 ニサッタイはルーペで調べるが、よくわからない。少なくとも、凶暴なアフリカミツバチではなさそうだ。

「よくわからないな。ラジャって誰だい?」

「〝(ラジャ)〟なんぞと偉そうだが、ケチなヤクの売人だ。その子分が二人、村にやって来てケシの栽培をさかんに勧めおる、ハチをサービスにつけると言ってな。ケシは断ったが女王蜂はいただいておいた。生きた女王蜂を輸入するのは大変な金がかかるからな。花があまり無いので砂糖水をやっとるが」

「ミツバチはケシの受粉用か。イタリア種なら高温にも強いし……」

 そう言いかけてニサッタイは気が付いた。ギャングがハチだけくれるわけが無い。

「その子分どもはどうしたの?」

 まだ残っている村人達の目が光り、凄みのある笑みが浮かんだ。ハムジャがひとつ咳きばらいをして言った。

「また来ると言っておったが、どうだ、来たか?」

 皆、一斉に首を振る。ニサッタイはもうそれ以上聞かない。ただ自分が、どんな連中を相手に商売しているのかを、改めて肝に銘じておく。

 アルキペラゴは全て国連統治領である。しかしそこに住む人々は国籍を失ったわけではないから、何百光年も彼方の国家が抱えている様々な問題が、そのまま、或いは形を変えて、この辺境の惑星にも持ち込まれている。民族、宗教、犯罪。ICPOの肩書きを持つ警察官が常駐しているが、その前身もお国の事情により、現職の警官から軍人、憲兵と色々だ。そして大方は治安維持より、ワイロを集めたり敵国の警官と睨み合ったりに忙しい。各村は必然的に自警団を組織しなければならなかった。その自警団も、時に独裁者の私兵になり、飢饉ともなれば山賊やゲリラに、他村に金で雇われる傭兵にと、目まぐるしく変わって行く。まるで古代中国の戦国時代のような状況の中、ハムジャは村の若者達をよく組織して戦い、カンポン・スンガイを守り抜いた。このスラウェシ島出身のタバコ屋の親父は、国連を手玉に取り、NGOをペテンにかけ、二桁の山賊を土に埋めてきたのだった。

 村人は皆引き揚げた。ナスル君は自分の部屋でお勉強。酔いの回ってきたハムジャは床に大の字になっている。奥方が変わらずそれを煽いでいる。

「ニサッタイ、ロンポバッタンに登るなら、気を付けた方がいい」

「ラジャの一味かい?」

「いや、あそこはラフレシア独立戦線(R I A)の縄張りだ。奴等のボスにはタバコとウィスキーで話をつけておいた。その奴等から聞いたんだが、あの山には何か危ないもの、ドラゴンがおるらしい。ゲリラが何人か消えたそうだ」

「あんたが埋めたんだろ」

ハムジャは腹を揺すって笑ったが、すぐ真顔に戻って言った。

「軍曹を連れて行け。一日六千チェンピーでいい」

 

 翌朝午前八時、もう少し寝ていたかったニサッタイは、若い娘達のかん高い笑い声で目を覚ましてしまった。大勢、広場に集まって何やら騒いでいる。その群れの中、頭ひとつ飛び出ている大柄な娘がシンタだった。なるほど、一年会わない間に美人になっている。大きな黒い瞳が、光を放っているように見えた。そのシンタがニサッタイに気付いて、うれしそうに「アバン!」と叫んだ。お兄ちゃん、という意味だ。マンジュメよりずっといい。ニサッタイは座ったまま手を振る。立ち上がれば、身長一六五センチのニサッタイは、間違いなく見下ろされるのがわかっていた。


 「アバン、賭けをしないか」

「賭け? 何の賭け?」

「この丸太を、あたしが一発で割れるかどうか」

 カユービルの丸太が石の上に置いてある。直径四十センチといったところか。ニサッタイはシンタのパランと丸太を見比べ、丸太に細工がされていないか調べる。間違い無い、生のカユービルだ。枯れ木ならともかく、生木は粘りがあって、そう簡単に切れるものではない。

「ようし、一発で割ったら千チェンピー出してやる」ついでにサマルカンド号のスチュワーデスに推薦してやるよ。

 シンタは腰に手をあて、鷹のような目で丸太を睨む。やがてパランを空に向かってまっすぐに上げると、一気に振り下ろした。カーンと乾いた音が響き渡って、丸太はまっ二つになっていた。娘達がキャッキャ、キャッキャと歓声をあげる中、ニサッタイは何だか詐欺にあったような気分だった。

      


 ロンポバッタン


 ハムジャの幼馴染み、通称「軍曹」は、白髪混じりの小柄で固太りの親父で、本業は大工の棟梁である。本当に軍隊にいたのかどうか、ニサッタイは知らない。子供時代はハムジャと一緒に、スラウェシ島南部、ウジュンパンダンの山の中を駆け回って遊んだそうで、そういう人間特有の自然感覚を身に付けている。生物の採集には本当に役に立つ男で、ニサッタイは何度か雇ったことがあった。そんな時、軍曹は実に楽しそうで、それはバイト代の魅力だけではなく、狩りが根っから好きだからだ。

 車はなだらかな坂道を標高千二百メートルまで登って、尾根に出た。さしものカユービルも、この高さになるとハイマツのように低く横に流れるようになる。おかげで眺望がすばらしい。

「あそこを見ろ、ニサッタイ」

 軍曹が助手席から、遠くの山を指差す。山腹の一部が長方形に、緑のペンキを塗られたように輝いていた。

「何だろう、大麻かな」

「いや、色が違う。あれはコカだ」

「例のラジャの仕業かな」

「わからんね。RIAかもしれん。奴等も資金源欲しさに、多少はチェンとつるんでるからな」

「チェン?」

「チェン・マードック、ラジャの本名だよ。シンガポールの焼き鳥屋の伜」

 道は次第に狭まり、左右は深い谷になる。ニサッタイは運転に集中しなければならない。もともと車のために造られた道ではない。これは、逃亡者達のけもの道なのだ。

「あんたらは、なんでもよく知ってるなあ。ICPOだって、そこまで掴んでないだろうに」

「駐在から聞き出したんだ。その代わり、ハムジャは大事にしていたニセのロレックスを取られた」

 尾根を少し下った所で車を止める。真正面に標高二千メートルのロンポバッタンが聳える。

「車、ここに置いといて大丈夫かな。レンタカーなんだけど」

 軍曹はちょっと考えてから言った。

「紙にハムジャと書いて、ワイパーに挟んでおこう」

 ここから山頂までの登り十キロは歩荷(ボッカ)になる。自転周期二十八時間なので、日没まではたっぷり時間がある。ニサッタイはあらかじめ四日分の荷物を、背負子(しょいこ)二つにそれぞれ四十キロずつ、くくりつけておいた。ニサッタイにはほぼ限界近い重さだが、軍曹はどうだろう。力持ちなのはわかっているが、なにぶん年が年だ。それに、今気付いたが、軍曹は腰に中国製トカレフを差し、パランも持っている。だがそんなニサッタイの心配をよそに、軍曹はヒョイと背負子をかつぐと、右手にパラン、左手に缶ビールの一ダース・ケースを持ち、「さあ、行こう!」と元気な声をあげた。

 ニサッタイが息も絶え絶えに山頂に辿り着いた時、軍曹は整地して二張りのテントを設営し、カユービルの枝でテーブルとベンチを造り、焚き火を起こしてビール二本をあけていた。

 夜はさすがに冷えてきた。ニサッタイは毛糸のセーターを着込んだが、軍曹の寒がりようときたらなかった。寝袋に入ったまま火のそばで震えている。いつも汗をだらだら流しては笑われているニサッタイ、この時ばかりは、ザマぁ見ろ、という気になる。

 山頂は浅い皿状になっている。ここは森林限界に近く、横這いする貧弱なカユービルと、黒い艶のある小石が敷き詰められている。小さな湖が満天の星を映していた。黒い石が溶岩なら、あれはカルデラ湖かもしれない。石も少し持って帰ろう。ニサッタイには地質学者の顧客も何人かいる。 

「ニサッタイ、あのちっこい池にドラゴンがいると思うか? 」軍曹が言った。

「それは明日、調べよう」ニサッタイはあくびをかみ殺しながら言った。朝早く起きた上に、長時間の運転と歩荷で疲れていた。

「ゲリラども、最近は本当に怖がってやがる」軍曹は愉快そうだ。ニサッタイは瞼がひっつきそうになりながら答える。

「ドラゴンの伝説はネス湖に限ったこっちゃないもの。それなりの大きさの池や湖なら、どこだって怪物の伝説がある。ラオスじゃ、米軍の爆撃跡にできた池なのに、ドラゴンが住んでたって言ってるよ」

 だが、ここアルキペラゴは、今まさに伝説の時代のまっただ中なにあるのではないのか。

 ラフレシアでこれまでに見つかった最大の生物は、犬ほどの大きさのバビティクスという草食獣だ。彼らの警戒心の強さ、繁殖率の低さから、何か大型の肉食獣がいるはずだとは、前々から言われている話だ。そいつを捕まえたらどうするか。まず、仮はく製にして天日で乾燥させる。内臓もできるだけ持って帰る。一部はDNA解析用にアルコール漬けにする。外部、内部の寄生虫も欲しい。標本作製の全過程をカメラにおさめる。よし、手際良くやろう。

 翌朝、何年振りかで夜明けと共に起きたニサッタイは、ミルク・コーヒー(コピスス)を啜りながら湖まで行ってみた。岸辺は軟らかな泥で、バビティクスの足跡が無数に残っている。湖面は静かで、何の気配も感じられない。寒さにひとつ、ぶるっと身震いすると、ニサッタイは軍曹の用意した朝食を食べに戻った。

 午前中をトラップ作戦にあてる。湖に、朝食の残りの鶏の骨を、カゴに入れて沈める。地球ならエビや小魚、ゲンゴロウなんかが採れるところだ。山頂一帯にプラスチックのコップを埋め、中に発酵させたカユービルの実やビール、マンジュメの切り身を餌にして入れた。地面を歩いて餌をあさる虫の多くは、特有のコースを通る。地面の僅かな凸凹や、小石の並びが彼等を導く。ニサッタイは造園業者よろしく溝や小枝を配置して、その先にコップの落とし穴を仕掛ける。二百ばかり仕掛けた後、夜に備えてライトトラップの準備にかかる。組み立て式のスクリーンをしっかり固定し、紫外線から赤外線まで、あらゆる波長の光を出せるマルチフィルター付きHID(高輝度放電)ライトを、その前に置く。ラフレシアには空を飛ぶ生物はあまりいない。地球の蛾のような走光性を持っているかどうかもわからない。少なくとも、村の灯に何かが飛んで来たのは見たことがない。それでもこの星で本格的なライトトラップをやった者はいないのだから、とんでもない珍種が採れる可能性も有るわけだ。昨夜は疲れて寝てしまったが、せっかく重たいライトトラップ・セットをここまで担ぎ上げたのだ。使わない手はない。

 昼食をカップラーメンで済ませると、ルッキング、文字どおり目で見ての採集が始まる。そこら中の石を起こして、その下を走り回る奇妙な小さな虫達を吸虫管で吸い込んでいく。ラフレシア・アリダマシ、ラフレシア・ニセエビモドキ、ラフレシア・イヌモドキにラフレシア・ネコダマシ、分類学者に手抜きの名前を付けられた哀れな虫達を、片っ端から毒瓶に放り込んでいく。

 ソックスに草の種が付いている。ニサッタイは無意識にそれをむしり取って、指ではじき飛ばす。立ち上がって伸びをし、軍曹の姿を探した。どこかで小さなピンクの花が揺れていた。強い既視感に襲われた。 

 ニサッタイは、十歩ばかり歩いてから何かが変なのに気が付いた。その何か変な()()は、急な動きを見せるときっと逃げてしまう。だから、いやいやながら、といった様子でゆっくりと歩く。それは昔からの知恵だ。雨に降られたくなければ、遠足の前の日に空に向かって、明日は中止! と叫んで空を騙す。狩りの成果が上がらない時は、さあ帰ろう! と叫んで獲物を騙す。だから、これっぽっちも期待なんかしていない、と思わせておく。何に? いや何だかわからないけど、意地悪な何かにだ。ニサッタイはしゃがみこんでその花を見た。黒い小石の間から緑の葉と、露に光る白毛の絡まった茎がのぞく。その先端で、淡いピンクの花が揺れている。ニサッタイは小さく呟いた。「ヌスビトハギ……」

 高さはせいぜい五センチほど、だが茎はまるでワサビの根のように太くいびつで、オキナグサのように白毛で覆われている。葉は分厚く、ある種のサボテンのようだ。とてもマメ科植物とは思えない。しかし絶対に間違えようの無いしるしがあった。あのWの形の莢、登山用ソックスにヒルのように貼り付く厄介な奴。恐ろしく変型しているが、こいつはヌスビトハギ、もしくはその近縁種だ。さて、落ち着いて考えろ。丁稚の女郎買い、あわてる何とかはもらいが何とか、何を言ってるんだ俺は? つまり、こいつの種子は誰かにひっついてここまで運ばれた。下から?  農民が服に付けて地球から持ち込み、それが畑の縁あたりで繁殖し、ゲリラか誰かがこの山に運んで来た。一番有りそうな話だが、空港の回りやカンポン・スンガイのどこかで、俺はピンクの花を見ただろうか? ニサッタイには自信が無かった。だいたい、ヌスビトハギがここまで変型するのにどのくらいの年月を要するのか。百年? 千年? 低地の植物を高山に移し替えるとどうなるか、昔、ロシアのルイセンコがそんな実験をしたが、確か一代で変型したんじゃなかったっけ。ああ、もうちょっと授業を真面目に聞いておくんだった。あれは育種学の授業、あのセクハラ教授は女子学生にふられた腹いせに、俺に単位を……、いやいやいやいや、だめだ、こりゃ。考えるのは式部にまかせりゃいい。俺は商人(あきんど)だ、仕事しろ。 

 というわけでニサッタイは採集に専念した。目の照準をピンクと緑に合わせる。そうすると、案外簡単に他にも見つけることができた。ヌスビトハギだけではなかつた。イネ科の植物もあった。空港周辺のギョウギシバとは違って、やはり矮小化している。ハサミで葉の一部を切り取り、アルコール瓶に入れる。DNAを調べればわかることだ。もっとも、ニサッタイには既にある確信が生まれていた。この植物達がロンポバッタンにやって来たのは、昨日今日の話じゃない。絶対にそうじゃない。

 ツクバ学園都市で開かれた日本アルキペラゴ生物学会、一人の男が壇上に立って、やんやの喝采を浴びた。講演内容より、どちらかと言うとそのピカピカの軍服と四角い顔で。航空自衛隊ナリタ基地勤務、教習隊三等空佐(いわゆるトップ・ガンだ! )。ニサッタイはその講演内容は全く覚えていない。しかしその後の懇親会、つまり飲み会での話だけはしっかり心に留めている。「自分は、勤務の合間に、滑走路脇の草むらで、昆虫採集をしているのであります」そんな言い方するわけがない。その男のイメージが膨らんで、ニサッタイの記憶の中で勝手に翻訳されているだけだ。「実に、珍妙な虫が、いるので、あります。植物も、また、同様なので、あります。自分が、思うにはあ」あーしつこい。要するに、かつて民間空港だったナリタには、おそらく乗客や飛行機のタイヤに付いて来たのだろう、外国の昆虫や植物が見られるという話だった。ニサッタイはその時はただ単に、うらやましい公私混同野郎め、と思ったのだが。

 ジャネルの空飛ぶ進化論、リンネの信仰を強めた港の植物、爆音をあげるF–14の横で生きる、異国の草や虫。式部が言うように、真理は単純明快な方がいい。ニサッタイは空を見つめた。子供の頃、青空に消えたアサギマダラを追って、いつまでもそうしたように。 

 不思議な感動を覚えた。そう、アルキペラゴには、人類以外の何者かが造った港があったのだ。

 背後から忍び寄って来た人の気配に、ニサッタイはぎょっとして振り向いた。トカレフを握り、目を異様に光らせた軍曹がいた。秘密を知った俺を殺すのか、一瞬、いつも親父が拝んでいた仏様が心に浮かんだ。

 軍曹が言った。

「ニサッタイ、ゲリラの死体を見つけた」


 二十メートル程下った薮の中にそれはあった。地球と違って昆虫に食われることは無い。ラフレシアにはまだハエもいない。それに、この星の肉食性の小動物は、地球の生物のタンパク質をあまり好まないようだ。ゲリラの死体にたかっているのは数匹のマンジュメだけ、すさまじい腐敗臭を放ちながらミイラ化が進んでいた。ニサッタイはそいつの顔を見ないようにして、そっと近付く。ほとんど条件反射で、ピンセットでマンジュメを掴み、アルコール瓶に入れてしまった。この標高でマンジュメを見たのは初めてだったし、平地のものよりずいぶん小さかったからだ。さすがにちょっと罪悪感にとらわれたが、その後がもっとひどい。一瞬とはいえ想像してしまったのだ、この死体を標本にできるかどうかと。いかん、いかん、これじゃ本物の〝墓掘り〟になっちまう。ニサッタイは慌てて首を振り、そっと手を合わせる。早口で般若心経をひとくさり(寺の息子だ、意味はわからなくてもそれぐらいはできる)、それから他にもっと珍しい虫が来ていないか探す。

 軍曹はニサッタイの後ろで、片膝をついて銃を構え、抜かり無く回りに注意を払っている。

「脇腹を見てみろ、穴があいてるだろう、両側に」

 軍曹が言ったが、服をめくって調べる気はしない。軍曹の言う通りなのだろう、ニサッタイはうん、うん、と適当に返事をする。

「ろっ骨が砕けとる。何かに挟まれたんだ、とんがったもので、強い力で」

 ニサッタイの背中に冷たいものが走り始めた。軍曹は構わず自分の推理を続ける。

「でっかいキャリパスみたいな、そんな牙で噛まれたんだ。でもまずかったから、食わなかった」

 人間はまずいってことを、もういいかげんそいつが覚えてくれていたらいいのだが。

「ニサッタイ、引き揚げよう。山頂の方が安全だ」

 ここはありがたく、仰せに従おう。なんせ自分は今、重要な情報を握っている、それを地球に届けるまでは、自分は、絶対に、死ねないので、あります。

 軍曹はニサッタイの手にパランを持たせると、先に立って登り始めた。横に伸びるカユービルの細い枝に決して触れず、枯れ枝を踏んで音をたてることもない。笹藪を抜ける蛇のように、ゆっくりと、慎重に進んで行く。ニサッタイはその後ろを、走り出したいのを懸命にこらえてついて行く。頭の中で中島みゆきが、えらく根性を入れて「地上の星」を歌っている。がんばろう、いつかきっと、この俺の活躍が「プロジェクトX」で放送される日がやってくる。 

 そいつに気付いたのはしかし、ニサッタイの方が早かった。来る時に、腰を屈めてくぐったカユービルのアーチ状の枝、その手前でニサッタイは、思わず鋭い声をあげた。「軍曹!」同時に軍曹は静止する。ニサッタイの方を振り向くこと無く、そっと後じさりして横に並んだ。枝に規則的な節がある。カユービルには節があって当然なのだが、どこかがおかしい。東南アジアで多くの擬態昆虫を見て来たニサッタイ、数学は苦手だけれどそれでも、動物と植物の間には、微妙な幾何学的な違いがあると思っている。数式には表せないが、訓練を積んだ目はそれを見分けることができる。標本商・墓掘りニサッタイは、曲がりなりにもその目を持っていた。

「見えるかい、軍曹」

「見える。枝にからみついてる。こりゃあ、でっかいムカデだな」

 カユービルの枝とそっくりの、灰青色の巨大なムカデ。数珠のような二本の触角を、まっすぐ前に突き出している。実体がわかると、ニサッタイの強欲はあっさりと恐怖心を打ち負かした。あれが欲しい、何としても標本にしなければ。

 頭の下面で、湾曲した平たい牙がもそもそと、ガムでも噛んでいるように動いているのが見えた。軍曹の見立てどおりの恐るべきキャリパス。たぶん夜行性なのだろう、一対の小さな赤い単眼がある。背面には、ザトウクジラを思わせるボタン状の突起を規則的に並べ、それぞれテグスのような細長い透明の毛が生えている。あれは感覚毛だ。目がよく見えず、あれに触れたものにとりあえず噛み付くのだ。一つの体節に一対の足、一節、二節、三節…ケツはどこだ? あった。地面に横たわっている。何て奴だ、五メートル、いや、六メートルはある。そうでなくても、ムカデは最も扱いの厄介な節足動物だ。こいつらに較べたら、割り箸でつまめるサソリや毒グモなど可愛いものなのだ。

「ムカデだとしたら、銃はだめかな。頭を切り落とした方がいいな」

 軍曹はそう言って、ニサッタイのパランをちらっと見た。まさか、俺にやれと言うのじゃないだろうな。幸い、そうではなかった。  

 軍曹はニサッタイの手からパランを取ると、ムカデに近付いていく。間合いが決まると両足を広げ、頭上高く、天に突き刺すごとく構える。裂帛の気合いと共にパランが振り下ろされ、ムカデの頭は下の枝ごと切断されて宙を飛んだ。パニックはその後起こった。頭を失った胴体が、巨大なスプリングのように跳ね回ったのだ。カユービルの枝が弾け飛ぶ。「ひゃーっ」軍曹が慌てて逃げ出した。ニサッタイも逃げた。そいつは小一時間も、そこら中をS字になり8の字になりして 暴れ回った。

 遠巻きに見ているうちに、ようやく動きが静まった。軍曹がそうっと近付いて、靴の先でつっついた。まだ足がもぞもぞ動いているが、もう跳ね回ることはなさそうだ。ニサッタイは膝をがくがくさせながら、飛んでいった頭を探しに行く。見つけて戻ってきた時には、軍曹が太い棒にムカデを括りつけていた。

「後ろを担げ、ニサッタイ。わしらの大勝利だ」

 意気揚々とキャンプまで担ぎ上げ、二人でビールで乾杯する。ムカデの頭に棒を突き刺して胴体に繋ぐと、釣り師がやるように、獲物と一緒に写真を撮る。二人で交代しながら、何枚も何枚も写真を撮る。

 ニサッタイが言った。

「こいつは夜行性だね。平地では被害が出てないから、高山性だ。帰ったら皆に注意しとかないとね」

 どうも軍曹の表情は読みにくい。商売相手としては、はなはだ厄介だ。ニサッタイは続ける。

「さて、こいつを仕留めたのは、軍曹、あんただし……」

「採ったものは全部、ニサッタイに渡せと、ハムジャから言われてる。日当以外は請求するなと」

「なるほど、なるほど。で?」

「十万でどうだ?」 

「決まった!」


 ロンポバッタンを降りる日、軍曹はどこからか若いゲリラを二人連れて来た。

「荷物が増えたから、ポーターに雇った。一人三千払ってやれ。こいつらのボスには内緒だ」

 ニサッタイは喜んで、捨てざるを得なかった岩石標本をもう一度拾い集めた。

       


 ネペンテス


 長い雨期が明け、観光シーズンが始まった。だが今年は例年と違って中々宿が取れない。ほとんど唯一と言ってもいい高級ホテル、ヒルトンが傾いてしまったのだ。経営状態のことではなく、文字どおり建物が傾いてしまったのだ。

 ラッフルズ卿がネペンテス(ウツボカズラ)と名付けたこの惑星は、地表のほとんどが多孔質の石灰岩で覆われている。永い年月、大量の雨によって侵食された大地は、まるでエメンタール・チーズ ──トムとジェリーに出てくるあれだ──のように穴だらけ、そのため海も川も湖も、全て地表ではなく地下にある。溶食によってできたカルスト地形と鍾乳洞、そこに棲息する発光虫のグローワームが観光の目玉だが、それには多少の危険が伴う。ドリーネと呼ばれる縦穴が、そこら中に口を開けているのだ。年に何人かの観光客が道を外れて用足しに行き、そのまま行方不明になっている。では道にいれば安全かというとそうでもない。今立っている所だって、いつ何時、陥没するかわからないのだ。建造物のほとんどが、比較的安全と思われる空港近辺に集中しているが、あのヒルトンが傾いてしまった以上それも怪しくなってしまった。

 標本商キタマクラ兄弟商会の北枕善助・幸助、二十九歳と二十八歳、は二人合わせて体重二百四十五キロ。地面を踏み抜かないためにも、二人は離れてそっと歩く。今回は最悪の旅になるであろう、はっきりとした予感があった。まず、彼らの泊まる安宿、西江飯店が混乱の極みにあった。あまりにも毛色の違う客がなだれ込んできたのだ。ヒルトンのスイートに泊まる予定だった新婚カップルは、雨期の間中居座ってカビの生えたバックパッカーと相部屋にされた。多人房(ドミトリー)を割り当てられた民間航空の足のきれいなスチュワーデス達が、フロントの男と言い争っていた、男女同室なんて信じられない。アルマーニを着たギャングの幹部が、魔法瓶を持ってうろうろしている。自分で湯を汲まなくちゃいけないのか? なんて所だ。ロビーでケンカが始まった。芸能プロのスカウトを自称するいかがわしい男が、声をかけた女の連れのマッチョに殴られていた。マリファナと、すえた汗の匂いの中を、お金持ちの子供達が走り回る。子供など泊めたことのない宿の従業員は、それを自分の子供と同じように扱った。怒鳴りつけてゲンコツを食らわせたのだ。ガキはサイレンのように泣き喚く、親はねじ込む、もう大変な騒ぎ。 

 とてもじゃないが、部屋で標本の整理なんてできない。喧噪から逃れて、薄氷を踏むように外を歩く北枕兄弟、彼らにとってさらにまずいことがあった。標本商の天敵、環境保護NGO「あるがままに(L I A)」のメンバー、スウェーデン女エヴァに目を付けられていた。もし二人が一匹でも生き物を殺すのを目撃すれば、その場で彼らを射殺しかねない女だった。ネペンテスにはワシントン条約A1類に指定されている小動物ヤジマガーがいる。それはLIAの寄付金集めのシンボルにもなっている。ハムスター程の大きさで、短い六本足、白黒まだらの動物だ。ペット・ショップではネペンテス・パンダの名で売られているが、輸出許可証のほとんどが偽造だった。丸い頭の両側に黒い斑紋があって、これが中年オヤジのハゲ頭そっくりなで、女子中高生に異常な人気がある。ヤジマガーとはオヤジマガイが訛ったものだ。

 北枕兄弟はエヴァに、ヤジマガーなどに興味は無いこと、そして標本商とペット・ショップの違いを、客筋の違いを、何度も説明しようとしたが、彼らのつたない英語力では所詮無理だった。苦労して手に入れた国連の採集許可証さえ、偽造品扱いされる始末。

「宿、替えよや、兄貴」幸助がいった。

「幸助、あんまし近付くな。どの宿も似たようなもんや」

「生物は、一匹採れば、一匹減るのよ、それを自然破壊と言うのよ、やで兄貴。どう反論したらええねん」

「ゴキブリ一匹殺して、そんでゴキブリの数減ったて、本気で喜んでたら、アホや」

「そやな。あの女に俺らの家の台所、見せてやりたいな。俺、毎日十匹ぐらい殺してるけど減らんもんな。きっと数学的な、何か、トリックやな」

 善助がしゃがみ込んで靴紐を結び直そうとしている。腹が出ているので、かなり苦しい。やっと立ち上がった善助は、フーッと息を吐くとズボンのポケットに右手を突っ込んだ。

「何採った?」幸助が囁く。

「カツオギス」

 メザシにバッタの足を付けたような虫で、最普通種だ。 

「商売ならんな」

「幸助、お前、十号室の日本人、どない思う」

「アルマーニ着たキザな奴か? けったいなやっちゃで。てっきりヤーコや思てたら、地質用のめっちゃええハンマー持っとったな」

 そいつはヒルトンから移ってきたひとりで、頑として相部屋を受け入れようとしなかった。他人と一緒じゃ眠れないだの、パニック障害で医者に止められてるだの、ひとしきり騒いで遂に、三日間だけということで三倍の料金を払って個室を勝ち取ったのだ。

「あれセメント会社やで」善助が言った。

「セメント屋が何でわざわざアルキペラゴ来んねん。生物のおらん採掘し放題の星、他になんぼでもあるやろに」

「石灰岩ゆうのはな、生物起源なんや。幸助、あいつをあの女にチクったれ。あれ囮にして俺らは逃げよ」

「逃げてどこ行く、テント生活か?」

「それしか無いやろ。今日中に荷物まとめて、宿代を精算しとく。余分なもんは宿に預けといたらええ。そんで明日の朝(はよ)に、歩いて行けるとこまで行く」

「歩くんか」幸助はげんなりした。

「タクシーは使われへん。行先チクられるからな。そや、お前、ヒルトン行ってな、白のシーツ何枚かパクって来い。それテントにかぶせといたら、このカルスト地帯や、絶対見つからんで」

 翌未明。雨期の終わりを告げる雷鳴と稲光の中、頭からシーツをかぶったイスラム女性のような二つの影が、林立する石灰岩の白い柱の間を、汗だくで歩んでいく。二人はお互いをロープで繋いでいる。それが裏目に出た。まず善助が、すぽん、と穴に落ち、幸助もただちに、頭を先にして兄の後を追っていった。 

 

 のどかな昼下がり、西江飯店は静けさを取り戻している。客の大半が洞窟探検ツアーに出かけて行った。フロント係はマンガを読みながら、新しい戦略を練っていた。次の船の入港は三日後だ、その時はまた忙しくなる。多人房(ドミトリー)の二段ベッドを三段にしよう。上の客は起きる度に天井に頭をぶつけるだろうが、かまうもんか。廊下にも簡易ベッドを並べる。どうせもう雨は降らないだろうし、庭も使うか。一泊二千チェンピーにしてやれば、酔狂な客はかえって喜ぶかもしれない。

 日本人・黒岩某は陽当たりのいいロビーでコーヒーを飲み、ゆったりとタバコをくゆらせていた。やっとくつろぐことができた。本当にパニック障害を起こしそうだった。こんな安宿に泊まるハメになるとは、俺はサツに追われてるわけじゃないんだぞ、まだ今のところは。 

 あのスウェーデン娘、俺に気があるのかな。さっきからこっちを見てるぞ。従業員でもないのに昨日も来ていた。そのテの女とも思えないが、あのLIAのバッジは何だ? やっぱ、そのテの業者なのかな。あ、またこっちを見た。ラジャの組織との取り引きが済んだら、誘ってやろう。どこか、きれいな鍾乳石のある所を案内させよう。ボスが一かたまり欲しがっているので、理化学器具店で、そんな店入るのは初めてだったが、一番高いハンマーを買ったんだ。だがあれは気に入った。使い慣れた拳銃のように、手にしっくりくる。やっぱ高級品て奴はいい。ホテルだって一流は.……いけね、取り引きはヒルトンの予定だった。どうする? まさかこのクソ宿でか? しょうがねえ、とりあえず、空港へ行ってメッセージを残しておくか。あれ? あのネーチャンはどこへ行った? 

 黒岩氏が出て行くと、フロント係はただちにエヴァの携帯に電話する。駆けつけたエヴァはマスターキーを受け取って十号室へ向かう。

 《Don’t disturb》  

 ドアの前でさすがにためらったが、思いきって中に入る。一人部屋でよかった。デブどもは大部屋のため、じっくり調べることができなかったのだ。預けていった荷物は徹底的に調べたが、何も出てこなかった。自ら堂々と標本商を名乗る悪党どもの、尻尾を掴むことができなかったのは残念だが、今回は違う。昨晩、フロントに彼女宛の手紙が置かれていた。その内容は驚くべきものだった。 

 鹿(ディア)、エバさん。十の男の部屋は悪い。日本のメツブシ工業達がセメントを採ったところの男です。

(おい、会社て複数形か?)

(建物はぎょうさんあるし、社員もようけいてんねんから複数形やろ)

ネペンテスのふち石を

(おい、そこLやで、Rちゃうで)

(ああ、もう、うるさいなあ、そんなん言うんなら、兄ちゃん自分で書けや!)

エヴァは読むのにかなり苦労した。アルファベットが所々、左右逆になっているから、これはロシア人が急いで書いたものかもしれない。RIME STONE(ふち石)というのがLIME STONE(石灰岩)のことなのは間違い無い。エヴァはほとんど、暗号解読をしている気分だった。いくつかの会社と、政治家の名が出てきた。彼らが国連上層部の誰かに働きかけ、ネペンテス石灰岩の独占採掘権を得ようとしている、ということらしい。十号室の男はそのためのサンプルを採りに来たのだ。その証拠に彼は地質調査用のハンマーを隠し持っていると。インターネットで調べてみると会社も政治家も実在していた。しかも、つい最近、廃棄コンクリートのリサイクルを巡って疑獄事件を起こしている。

 部屋の中には一目で偽物とわかるルイ・ヴィトンのバッグ、それに、なるほど机の上にハンマーが置いてあった。見たところ新品で、まったくすり減っていない。まだサンプルを採っていないのだろうか。仮に採っていたとして、ただの石灰岩でどんな罪に問えるだろう。もし鍾乳石なら、これは場合によっては懲役刑の可能性もあるのだが。ここへ来て、エヴァは自信が無くなってきた。またしても悪党を逃がしてしまうのか。バッグだ、バッグを開けよう。財布を盗ろうというのじゃない、正義のためだ、堂々とやるのだ。一気にチャックを引き開ける。何かある。鍾乳石! いや、違う。拳銃?  拳銃だ! 悪名高いナノ・ファイバー製、地方空港の金属探知機くらいなら易々とすり抜ける禁制品。ついにやった! こうなりゃもう遠慮はいらない。エヴァはバッグを引っ掻き回す。枕のような物がある。枕だって? まあ、長旅に枕を持ち歩く人間は、いないこともないのだが。引っぱりだしてみると、それは枕ではなかった。緑色の、ラミネート加工された袋だ。

 [遺伝子強化型シリーズ 高原キャベツ彗星12号 高収穫保証!]

 キャベツの種だ。一体これはどういうことなのだ? ハンマーと拳銃とキャベツの種、そんな三点セットを持ち歩くのは、どんな職業の人間だろう。袋を開けるしかない。だが種はガス封入されているらしく、袋には張りがある。穴をあければ気付かれる。エヴァは急いでフロントへ行き、接着剤を借りてきた。ポテトチップスの袋を開けるように、そっと口を左右に引っ張る。シュッと音がして前髪が風で揺れた。ハンカチの上に砂粒のような種を取り出してみるが、よくわからない。彼女はキャベツの種など見たことは無かった。袋の開いた口に接着剤を塗り、息を吹き込んで指で強く押さえる。うまくいった。袋の張りは元に戻った。バッグに入れてチャックを閉める。部屋の中が全て元通りであるのを確認して、外へ出る。鍵をかける。ちょっと足が震えている。スリルがあった。気分が高揚していた。手紙の内容とは大分違っていたが、構うものか。あの男はあの銃の所持だけでも、逮捕されてしかるべきなのだ。

 タクシーをとばして空港へ向かう。知り合いのモンスーン連合の植物検疫官に、ハンカチに包んだ種を見せた。答はすぐに出た。ケシの種。パパベル1984、遺伝子操作型。花粉媒介昆虫を必要としない自家和合性。最危険種、最高度の警戒を要す。

 エヴァは大きな獲物を釣り上げたのだ。もう、あのデブどもなんかどうでもいい。顔がほころびる。笑顔が止められなかった。これこそが、狩猟の醍醐味ではないか。

 黒岩氏は空港のバーで飲んでいた。宿のスウェーデン娘がタクシーを拾おうとしているのに気付いた。こっちを見て笑った。彼も笑い返した。何だか、いい旅になりそうな予感がしてきた。


 闇の中をころころと転がって水に落ち、二人繋がったまま、かなり下流へ流された。それから滑り台のような滝を、四角いタイヤのジェット・コースターのように突っ走って空中に投げ出された。無重力状態がしばらく続いた。映画みたいに悲鳴をあげるべきやろか、と思ったが、やり方がわからない。あれは案外、練習せんとでけんもんなんやろな、幸助もさっきから何も言わんし。死んだんかな?

 高い水柱が二つあがった。最初は速く、それからゆっくりと沈み、やがて止まって浮き上がり始める。アザラシのように分厚い皮下脂肪のおかげで、二人とも、よく水に浮く。それに背中の防水性バッグが浮き代わりになった。流れは無かった。どうやら池に落ちたらしい。善助は必死に手足を動かした。何も見えないけれど、少しは進んだのだろう、手が岸に届いた。何とか這い上がった途端、ロープを引っ張られ、再び水中に落ちる。あかん、ロープを切らな、と一瞬思ったが、幸助が繋がっているのを思い出した。岸に左手をかけて右手でロープを引く。ゲボゲボという音が近付いてきた。

「幸助、無事か?」

「兄貴、何で引っ張んねん。俺、岸に登っとったんやぞ」

「そんならそう言わんかい。お前、俺が繋がってんの、忘れてたんとちゃうか」自分のことを棚に上げて善助が言う。

 とにかくバッグからヘッドランプを取り出す。灯がつくと、やっと生きた心地がしてきた。額と瞼の筋肉が疲れていた。暗闇の中で、目玉が飛び出しそうな程、目を見開いていたのだ。気温はさして低くないが、濡れた服から昇る水蒸気で靄がかかっている。乾いた服に着替えると、少し元気が出てきた。兄・善助には洞窟探検(ケイビング)の経験があった。もちろん、もっとずっと痩せていた頃だ。今回もどうせ、洞窟生物の採集は予定していたことだった。まあ、多少の手違いはあったけれど。

「よしゃ、ここをベースキャンプにしよ。採集道具だけ持って、上流の方、俺らが落ちた場所、探しに行こ」

 善助が、空元気を出して言った。天井からは絶えまなく水滴が落ちてくるので、テントとフライを張った。ヘルメットを被り、ヘッドランプを装着すると、二人は上流に向かって歩き出す。

「最新のリチウム・イオン・バッテリーや。一ヶ月は点灯可能や」

 善助が、自分自身に言い聞かせるように大声をあげた。

「けど、食い物は七日分しかないで。水の中に、何かおらんかな、目の無いサカナみたいなん、おらんかな」

「そんなんおったら、新種やな。アホ、商品に手ェ付けたらあかん」

 迷路だった。川は八方から合流し、また八方へ分かれて行く。善助が立ち止まって灯を消した。

「幸助、灯、消してみ」

 幸助は言われた通りにしてみる。暗闇に目をこらしていると、しだいに星空が見えてきた。無数のグローワームが発光しているのだ。

「きれいなもんやな……」

 神秘的な青い光に、幸助は感極まって呟いた。

「ニュージーランドにも、同じ名前の虫がおるやろ」

「あれは昆虫、キノコバエの一種の幼虫や。ここのと、ええ勝負するで」

「兄貴、ニュージーランド、行ったことあるん」

「行ったこと無いけど、写真で見たんや」

 小さいのは直径一ミリくらい、大きいものでも五ミリほどの、半球型のガラスのような生物が、壁のあちこちに張り付いていた。二人は日本の醤油会社にグローワームを頼まれていた。灯をつけると見えなくなるので、いったん灯を消し、場所をつかんでから採る。慣れてくると簡単に採れるようになった。二人ともすぐに小瓶を一杯にした。まるで放射性物質のように、瓶の中で青い蛍光を発している。

「何で醤油会社が、こんなもん欲しがるんやろな」幸助が言う。

「今、発酵関係の会社は皆バイオや。酒も味噌も皆そやで」

 結局、一時間程歩いてベースキャンプに引き返した。少し腹ごしらえをして、別の道に向かう。さっきは枝分かれがあれば左へ左へと行ったので、今度は右へとる。

「岩手に安家洞(あっかどう)ゆうのがあるやろ。全長十キロの。あれがちょうど、こんな感じやね」

「兄貴、安家洞、入ったん」

「いや、友達が入った」

 それから約五時間、二人は歩いた。落ちた場所は見つからないが、ともかく確実にベースキャンプに戻ることはできている。疲れていても、黄色いテントが目に入ると、我が家に帰ってきたようにホッとする。

「もう何往復したやろか。二十キロは歩いたんとちゃうか」幸助が言った。

「そやけど時計見てみい。まだ昼の十一時やで」

「朝早かったからなあ。とりあえずメシ食おや」

 そんな調子なので、七日分の食料は三日できれいに無くなった。四日目は水ばかり飲んでいた。

「この水、あんまし飲むと、石が溜まるで。カルシウム分が、めっちゃ多いはずや」善助が言った。

「どうでもええわ。石で腹太るんなら、そんでもええわ」

「腹とちゃうわ、あほ、腎臓に溜まるんや」

 五日目。幸助が石灰岩のかけらを口に入れてしゃぶっている。

「何や、歯石が溜まりそやな」そう言いながら、善助も真似をする。

 六日目。善助は、岩にもたれかかって、採集品をじっと見つめる。オキアミに似た小さな生物を結構採っていた。ピンク色で、目は無く、長い体毛をもっている。罪の無い生き物を、ぎょうさん殺してきたな、と思った。学問のため、とか言いながら、結局、おのれの狩猟本能を満足させるためだけやったん違うか。俺もここで死んでも、文句は言えんで。ただ残念なのは地球とちごて、死体をリサイクルしてくれる生き物がおらん、ゆうことやな。俺の死体は、ただのゴミや。

 もう一度、採集品を見つめる。これ、食えんかな。

 七日目。幸助が川を下ってみると言い出した。善助は好きにさせた。しゃがみこんで、壁にもたれる。最後の景色を、目に焼きつけておこうと思う。今まで気にも留めなかったが、鍾乳石が美しかった。天井には、ストローと呼ばれる炭酸カルシウムの透明なパイプが、無数にぶらさがっている。グローワームが中に入って、まるでネオンのようだ。壁のあちこちに真っ白いウニのような結晶がある。あれはアラゴナイトや。あれ何やったっけ、曲がった霜柱みたいなん。ジプサム・フラワーか? 皆きれいやな。アメリカの、マンモス・ケイブみたいや。行ったこと無いけど。

 下流から幸助の声がする。

「兄貴、兄貴、ちょお来てくれや」

 何、興奮してんねん。腹に力が入ってないもんやから、風邪ひいた幽霊みたいな声や。興奮? 興奮するようなことて何や。

 善助は重い腰を、やっとの思いで持ち上げて川を下って行く。ふいに、上から声がした。幸助は庇のような棚の上にいた。

「お前、元気やな。ようそんなとこ、登ったな」

「何かおる、思て登ったんや。ウサギくらいの大きさや、食えるかもしれん、思て登ったんや」

 善助も、息を切らせて登ってみた。ほんの二メートルの高さに、残っていた体力を全て使い切ったような気がした。

「これ、何や思う? 抜け殻ちゃうか? 」

 棚の上に、茶褐色の、半透明の袋のような物があった。人間の子供程の大きさ、それに、どことなく子供に似ていた。気味が悪かった。幸助が言った。

「頭以外は、大方、シワクチャやったのを、俺が引き伸ばしてみたんや。背中がきれえに、縦に裂けとるやろ。この白いヒモみたいなんは、気管の跡やろ。セミの抜け殻そっくりやろ」

 善助は、そっと頭部を手に取ってみる。大きさは人間の頭と同じくらい、だが、顔は昆虫だった。善助は鳥肌を立てながらも、冷静な振りをして言った。

「複眼が、一対、単眼が、三っつ、鼻は…無い。口は…横に開く大顎(マンディブル)や。俺、あんまし、昆虫、詳しないけど、洞窟性のもんとはちゃうなあ。立派な目ェしてるもん」

「エイリアンやで」幸助は言った。

「そんなん、言わんといてくれや」

「頭の内側、ライト当ててみ、ちょっと角度つけて」

 善助は言われる通りにしてみた。Y字型に裂けた後頭部に光を当て、角度を色々変えてみる。ふいに、はっきりと大脳の皺の跡が浮かび上がった。 

「やれやれ……」善助はその場にへたりこんだ。

「まだ、他にもあるんやで。ここ見て」幸助が壁を指差す。有名人の下手くそなサインのような、奇妙な紋様が彫られている。巻きの多すぎるト音記号にも見える。それは幾つかあった。判で押したように、皆同じだった。

「やれやれ」善助が、また言った。

「エイリアンが書き残したんや」幸助が勢い込んで言った。

「書き残したて、お前、この中身、どこ行ったんや。これ、そんなに古ないで」

「それや。まだ、その辺におるんとちゃうかな」 

「気色悪いこと、言わんといてくれ」

 善助は、この能面のような顔が、暗闇のどこかから自分達を見ているかもしれないと思うと、悲鳴を上げて走り出しそうになった。練習なんかしてなくても、きっと、ええ悲鳴が上げれる、と思った。

「この落盤の隙間からな、ホールが見えるねん。ちょっと石のけたら通れるし、行ってみいへんか」

「も、も、もしエイリアンおったら、ど、ど、どないすんねん」

 幸助はきょとんとして、兄貴、頭おかしなったんちゃうか、といった顔で言う。

「もちろん食うんや。もう、商品やからとか、言うてられへん」

「あ、そうか、そらそやな」

 唐突に、以前に居酒屋で食べたイナゴの佃煮を思い出して涎が出て来た。善助は幸助を手伝って石をのけ始める。

 穴は簡単に開通した。二人とも腹這いでそこを抜ける。すっと通れた。腹がだいぶへこんでいたのだ。

 赤土の床の小さなホールに出た。エイリアンは見当たらない。そのかわり二人は、何か妙な気配を感じ取った。善助が言った。

「ここ、誰かおったんやで」

「ああ」

 壁の何ケ所かが削り取られて白くなっている。顔を近付けてよく見ると、泥に手袋の指の跡が残っていた。

「幸助、床や、床、見てみい!」善助が叫んだ。

「これ、靴の跡や。やっぱし誰かおったんや!」

 赤土の上には大勢の足跡があった。それにテーブルを置いたらしい四つの窪み、椅子の跡。コードの切れ端、ちぎれた黒いビニールテープ。

 希望が湧いてきた。善助はにんまりとして、マナーの悪い奴らや、ちゃんとゴミかたづけて、出てかんかい、と呟いた。

「兄貴、足跡が、ずっと、あっちゃの方へ、続いてる。俺、思うには…」

「わかっとるわい。キャンプに戻って、荷物まとめるんや」

 テントをたたみながら、善助は名探偵さながらに推理を展開させた。腹が減った分、頭は冴えているような気がした。

「まず、やね。このあたりのどっかの地上に、UFOが着陸した。船のハッチが開く。エイリアンが降り立つ。そして、すぽん、と穴に落ちた」

「俺らと変わらんマヌケやな」

「落ちたエイリアンは、びっくりして脱皮した」

「そこはちょっと、無理があるな」

「人間かて小便漏らすやろ。エイリアンは脱皮するんや」

「あんたの、その、いっつも見てきたように話せるの、ほんま尊敬しますわ」

「そんで、あちこちに遺書を残して、死んだ」

「あの紋様は、遺書やったんか」

 荷物を担ぐと、腹に何も入ってないので さすがに苦しい。何度も水を飲んで、ようやく赤土のホールまで辿り着く。そこから細い通路を腰を屈めて進む。

「それから?」幸助が聞く。

「何年かたって、誰かが、エイリアンの死体と遺書を見つけて、しかるべき機関に連絡した」

「なるほど。そいつらがやって来て、死体と壁の遺書を全部持ってった。けど、俺らが見つけた分は見落とした、と」

「洞窟の中は、意外と気が付かんもんや。昔から知られてる鍾乳洞でも、新しい支洞が見つかったりする」

「案外、当たっとるかもな。行方不明の観光客かて、遺族が今だに探してるけど、見つからんもんな」

「幸助、灯、消してみ」

「何や、グローワームか?」

 通路は乾燥していて、グローワームはいなかった。そのかわり、前方の岩肌が微かに白く浮かび上がった。光が当たっているのだ。二人は転がるように走った。暖かい空気が吹き込んでくる。もうヘッドランプの光は昼行灯でしかない。

「兄貴、鉄格子はめられてるで」

 幸助の言う通り、出口は鉄格子で塞がれていた。外に札がぶらさがっている。

「どうせ、危険やから入るな、とか書いとんのやろ」

「出る分にはええんやろな」

 痩せたりといえど、ふたり合わせてまだ二百キロ、体当たり一発で鉄格子は吹っ飛んだ。遂に外へ出た。この幸せをじっくりと味わおうと、その場に大の字に寝転がった。日の光を吸い込むように、大きく息をしながら幸助が言った。

「兄貴、あの抜け殻、どこへ持っていく?」

「そやな、どこへ持っていこかな。どっちゃにしても、俺ら、有名になるで」

「金持ちにもな」

 北枕兄弟は笑った。笑いが止まらなかった。夜の田圃のカエルのように、二人は天に向かってケケケ、ケケケと、いつまでも笑い続けた。

 北枕兄弟が七日分の食料を三日で食い尽くしたその日、空港周辺の安宿群はICPOの一斉手入れを受けた。高級ホテルと違って遠慮はいらない。警官隊はどかどか踏み込み、ぼこぼこ獲物を挙げていった。大漁だった。大物、小物のヤクの売人、詐欺師、泥棒、密猟者、逃亡中の殺人犯まで八十余名が逮捕された。警察署長が自慢の口髭をしごきながら、上機嫌でテレビのインタビューに答えた。

「これからも時々やるよ。一網打尽、まさにネペンテス(ウツボカズラ)だね」 


 客筋が幾分良くなった西江飯店の、のどかな昼下がり。ロビーでゆったりとお茶を飲んでいたエヴァは、驚きの声をあげた。満面に呆けたような笑みを浮かべた、髭もじゃで泥だらけの男達が立っていた。 

「どうしたの、あなた達。一体、どこで何をしていたの?」 

「ああ、鹿(ディア)、エバさん、あんたが美しいので、私、空腹。空腹している」

 エヴァはちょっぴりこいつらが可愛く思えたので、調理場を借りて何か作ってやることにした。


      

 珍味ドロナワ漬け


 惑星アタミは、格安フェリーに乗っていた日本人熱海某が、百円入れると一分間だけ覗くことのできる望遠鏡で発見したものだ。正式にはオントフィラス第七惑星という暗くて小さな星だ。この星は他のアルキペラゴの惑星と較べると、その生態系は単純で、これまでに発見された生物はわずかに百種類程である。その中の最普通種がドロナワムシで、これはどこにでもいる。いや、どこにでもいるなんてものじゃない。両極を除いた惑星全土を覆って蠢いている。成体の体長約八メートル、ミミズを少し平たくしたような虫で、サナダムシに似ている。腹面に生えた何対もの櫛のような脚をもぞもぞ動かして、ぬるぬると動く。いやな匂いを除けば、これといって害のある生き物ではないのだが、何せ数が多すぎる。繁殖期には、何万もの個体が一本に繋がって、その長さが千キロを超えることもある。そんなのが、地面が見えないくらいのたうっている。地面を掘っても出てくる。掘っても掘ってもまだ出てくる。つまり、惑星全体が糸コンニャクの玉のようなものなのだ。食用にでもなれば、世界の食料危機を一気に打開できるのだが、これがまた臭くてまずくて、煮ても焼いても食えない代物だった。それにいくら無害とわかっていても、上空から見た時のそのおぞましさは、想像を絶するものだった。

 このドロナワムシは、生物学と地質学に永い間謎を投げかけていた。それはアタミには、かつて海が存在した痕跡が見られなかったからだ。生命の源は海である、というのはアルキペラゴといえども変わりは無い。(くし)状板と呼ばれる、あのもぞもぞした脚は、(えら)の変化したものだ。彼らが水中で進化したのは明らかだった。池や沼での進化を考えた学者もいたが、陸水系は環境として不安定過ぎる。ドロナワの体液は塩化ナトリウムや塩化マグネシウムを豊富に含み、確かに海水を思わせるものだった。しかも奇妙なことに、その組成は、十光年離れたエリニュス恒星系の海水にきわめてよく似ていたのである。DNAが恒星間空間をとび超えたという、ジャネルの「空飛ぶ進化論」の、もしかしてこれはその証拠ではないのか、天敵らしい天敵がいないこともそれを裏付けている。そんなわけで、学会を二分する大論争、とまではいかなかったが、少数派のジャネリストはかなり熱っぽくなったものだ。

 学問上の意義はともかくとして、この惑星の利用価値はというと、ほとんどゼロだった。地殻表層は絡み合い、もつれ合うドロナワムシの塊で、極地以外は道路も建物も造れない。地面が見えないのだから農業もできない。観光など論外だ。それどころか、観光船はこの肥溜めを大きく迂回して通っている。発見者の熱海某までボロクソに言われる始末だった。


 「国土省の宮内と申します」

 お城を望む松山市内の閑静な住宅街。十年前に国立温泉大学を助教授のまま定年退官した博物学者、越知寅雄の元を役人が訪ねて来た。文科省の役人となら、現役時代何度も折衝の経験があったが、国土省とは珍しい。利権には縁の無い老学者は、珍しい生物を見るように役人を見た。

「今回、惑星アタミの調査を依頼するにあたり、いろいろ調べましたところ、専門家は、我が国では越知先生ただお一人。日本人が発見していながら、これは誠に遺憾なことでございます」

 越知先生は右手で膝の上に乗せた猫の頭を撫でながら、左手に持った名刺を試験管を見るように見る。それからその名刺を猫にも見せてやる。猫はニャッと鳴いて膝から飛び降り、他のもっとおもしろそうな物を探しに行った。

「誠に遺憾と言ったって、政府は全く研究費を出さなかったじゃない」力無い笑いを浮かべて、先生はゆっくりと部屋を見回す。3LDKのかなり老朽化した住宅だ。研究のために、私財の全てを投じた老学者の住まいだった。

「自腹での研究には限界があってね。この国は、もうからない基礎研究には金を出さないし。まあ、政治家さん達がみんな商人(あきんど)だからね、しょうがない。そのくせ口を開けば、偉そうに武士道がどうとか言ってるけどね。ヒ、ヒ。アタミの専門家なら、オランダのライデン博物館のハーグ君でしょう。彼がナンバーワンだ。紹介状を書いてあげましょう。あの国はたっぷり予算を出すからね、私はいつも一歩遅れた。……時間というものは貴重だ。時間は金で買える」

 何かチクチクしたものが額に弾けるような気がする。宮内はハンカチで額の汗を拭く。禿げてはいるがまだ二十九歳だった。性格温厚な老学者と聞いていたのに。

「現地調査なんて、私は二年に一度、滞在十日がやっとだったのに、向こうは半年間だものなあ……。知ってる? ハーグ君には秘書の他に、タイピストとイラストレイターが付いているんだ。だから論文仕上げるのが早いんだな、これが。同じ時に同じ事実を発見しても、彼の論文が先に出ちゃう。私なんか、ぜえええんぶ一人でやらなくちゃいけなかった。そうそう、ライデンではお茶の時間になるとね……」

「せ、先生、予算がつきます、たっぷりつきます」

「母さんや、お客様にお茶をお出しして」


 アルキペラゴの惑星の所有権については未だに揉めている。ラッフルズはその発見した全てを国連に委託したが、それ以降も新しい惑星は幾つも見つかっている。しかし、それらは全て自分の庭で見つかったものとして、国連が規定の料金(一千万円程だったが今はもう少し値上がりしているはずだ)で買い上げて管理している。アタミの発見者、熱海某は、最初のうちこそ文句たらたらで訴訟騒ぎまで起こした。だがドロナワムシのあまりの評判の悪さに、一転、訴訟を取り下げることになる。結局、惑星一個の値段としてはかなり安い金額で満足して、どこかに姿を消した。噂では、今では改名して標本商をやっているらしい。


 国連が、アタミを安価で日本に払い下げようとしているという。

「いくらで?」越知先生が大した関心も無さそうに聞く。

「こちらの見積もりではですね。五百までなら出してもいいと」

「億?」

「億です」

「ヒ、ヒ。あんなクソみたいな星にねえ。そうか、そうか、公共事業をやるんだな。……利権が動いているのか……」

 浮世離れした学者だとばかり思っていたので、ちょっと意外だった。たぶん越知先生の言う通りだ。下っ端の宮内にも、知らされてはいないが、それはわかっていた。アタミ開発公社ができ、大量の税金と天下り役人が流れ込むのだろう。

「上の方が何を考えているか、私は知りません。付け焼き刃ではありますが、私は惑星アタミについて先生の書かれた全ての本を読みました。そして惚れ込みました」

 ほう、といった顔で越知先生は宮内の顔を見る。アタミに惚れ込むなんて、アホじゃないだろか。

「上の思惑などどうでもいい。不毛の惑星を開拓する、これは人生を賭けるに値する仕事だと思いました。きっと利用法はあります。アタミを楽園に変える、その方法を見つけることのできるのは先生だけです。なにとぞ、調査をお願いいたします」

 越知先生は、利権には縁が無いとはいえ、官僚というのがどういう人種かはよく知っている。かつて大学付属自然史博物館建設の予算を手に入れるため、柄にもなく文科省と渡り合ったのだ。それは結局夢と消えたが、その際にかいま見た上級官僚の実体は恐るべきものだった。連中は実によく勉強するのだ! 博物学のプロと議論するのに備えて、温泉大のボンクラ学生が四年かかっても読めない程の大量の専門書を、ひと月で頭に入れてくるのである。しかも、それでいて博物学には、全く、これっぽっちも、興味を持つことがないのである! あの連中なら、出世に必要とあらば電話帳だって丸暗記するだろう。学問は目的ではなく手段であり、知的好奇心とは無関係に勉強することができる、そんなことが可能だとは、越知先生には大きなショックだった。

 越知先生は、しばらく黙って、宮内の光る額を見つめていた。こいつはどうも、出世するタイブじゃなさそうだ、と思った。そして、軽い調子で言った。

「いいでしょう。お引き受けしましょ。母さんや、わし、ちょっとでかけてくるから」


 一年後、松山のさらに老朽化が進んだ3LDK。書斎の机の上には、大きなジュラルミンの箱が置かれている。日に焼けて、どこか精悍さを増したような越知先生は、難しい顔をして腕を組んでいる。額がきっちり一センチ後退した宮内は、先生が口を開くまで礼儀正しく待っている。猫が膝の上で、大きなあくびをした。それが合図のように、先生の顔がほころび始めた。笑いをかみ殺していたのだ。

「やりましたよ。宮内君」

「先生! それでは……」

「私は遂に、ドロナワムシの謎を解明した」

「……へ?……」

「ジャネルの空飛ぶ進化論など、完璧に葬り去ってやったよ。ドロナワムシはね、やはり、惑星アタミに起源を持っていたんだよ」

「はあ、……そうですか……」宮内はいやな予感がしてきた。それでも、先生がようやく箱を開けると、わずかな希望を抱いて中を覗き込んだ。黒っぽい石ころが、幾つか入っていた。

「化石です。ヒ、ヒ、ヒ」

 先生の顔面は、もう、嬉しさでくしゃくしゃだ。事態を理解した宮内は、涙で目がかすんでくる。もちろん、うれし涙ではない。この学者馬鹿は一年もの間、国の予算を使って、愚にもつかない虫の研究をしていたのだ。

「ドロナワムシの化石です。今、大学の方で年代測定をしてもらっていますが、おそらく二億年以上前のものです。ほら、関節の数が現生種より、ずっと多い。脚もまだ、(えら)というべきだ。私はこれをムカシドロナワと名付けました」

 宮内が呟くように、涙声で言った。

「……先生は、一体、何しに……」

 越知先生にその声が聞こえた様子は無い。先生は続ける。

「そして、これが、じゃじゃーん。海があった証拠、岩塩でーす!」

「じゃじゃーんって、あんた、一人で何はしゃいでんだよ!」遂に宮内が切れた。

「私は、アタミの利用法を調べてくれと言ったんだ。それなのに、あんたは、ファーストクラスで飛んで、極地の、国連幹部用の高級コテージに一年も泊まって……こんな、夏休みの自由研究みたいなことを……」

「何言うとんぞ! 小役人! クソバカが! 調査など建前に過ぎんことくらい、わかっとろが。アタミの真の利用法は、政治屋と業者への税金の還流じゃろが。これ、なに泣きよんぞな!」

 突然の伊予弁で叱責された宮内は、堰を切ったように泣き出した。

「ええ、ええ、確かに、調査なんて予算を付けるための、形だけのことですよ。誰でもよかったんですよ。でもねえ、先生、私が先生を選んだのはねえ、利権しか考えない上の連中の、目を、目を、覚まさせてやりたかったからなんですよお。先生と一緒なら、それができると……」

 まさか宮内がこれほど純だとは思いもしなかった。少し罪悪感を感じた先生は、しょうがないので、誰にも言わないつもりだった秘密を教えてやることにする。

「宮内君、君のような役人が、まだこの国にいたとはなあ。これは私だけの秘密にしようと思っておったんだが」

「どういうことでしょう」鼻水をすすり上げながら宮内が聞いた。

「実は、惑星アタミは、大いに活用できるんだよ」

 先生は、コンテナの底の方から、衝撃吸収パッドで厳重に包まれた広口瓶を取り出した。

「母さんや、小皿とお箸を出しとくれ」

 瓶を開けると、中身を小皿に取り分ける。

「まあ、ひとつ、やってみなさい」

「先生、まさか、これ……」

「ドロナワムシです」

 幸い、宮内は、生きたドロナワムシを見たことがない。

「食べなさい。アタミの唯一の、そして最大の活用は、これしかないのです」

 宮内は、ぬらっとした切り身を箸でつまんだまま、額に汗を浮かべ始めた。越知先生がおごそかに言った。

「政道を正すには、それしかないのだ、宮内君。君の夢を賭けるのだ!」

 宮内は目をつぶって、ドロナワムシを口に入れた。アンチョビのような味がした。ほどよい塩味に、微かな苦み、それにくさやの干物のような香り。

「せせせ、先生、こ、こ、こ、これは!」

「いけるだろう」

「いけます! 熱いご飯が欲しくなります!」

「辛口の、越乃寒梅によく合う」

「煮ても焼いても食えないので有名な虫を、一体どうやって」

「まずワタを抜いて、茹でる。次に天日で干す。八割方水分を失ったところで、ここからが肝心だ。塩漬けにするのだ。たっぷりの塩に三ヶ月から半年漬けるのだ。全部食べていいよ、まだたくさんあるから」

 手が止まらなくなった宮内は、いそいそと瓶からドロナワを出してぱくつく。

「この調理法を発見した時、私は確信したのだ。惑星アタミには、かつて海があったとね。そしてとうとう岩塩層を掘り当てたのだ」

「それは、どういう……」

「素材に最もふさわしい調味料は、その原産地にあるからだ」

 科学的なのか非科学的なのか、文科系の宮内にはよくわからないが、ドロナワがうまいのは確かだった。

「私はこれをドロナワ漬けと銘打って、パテントを取って商品化しようと思っとったんだ。しかし……この年になって、欲をかくこともないじゃろう。日本政府に権利は譲ろう。このドロナワ漬けを、世界に冠たる日本の名物にしよう。私も、君と同じ夢を見てみたくなったよ」

「せせせせせせ先生いいいいい!」宮内は感極まって号泣した。猫が先生の膝から机に上がると、ドロナワ漬けを跨いで出て行った。


 国連が惑星アタミを日本に払い下げる話は、結局立ち消えになった。越知先生は国連にマージンを払って、「珍味・オチトラのドロナワ漬け」を売り出し、そこそこ儲けている。宮内は国土省をクビになり、先生の元で営業をやっている。なお、ドロナワ漬けは店頭販売はいたしておりません。御希望の方はインターネットで、オチトラ商店へ御注文下さい。

      

 

 アタガワ・ナチュール


 頭の真上に石油ストーブがぶらさがっているような気がした。ここ南仏・セリニアンは、一月から一滴の雨も降っていない。七月のプロバンスは、フランスでもヨーロッパでもない。北アフリカ、サハラの延長なのだ。  

 標本商アタガワ・ナチュールの店長熱川(あたがわ)啓は、干上がったエーグ川の河原で、太陽に焼かれてふらふらになりながら、ぶんぶん飛び回るハチを追っている。日本の昆虫学者に頼まれたものだ。中米と中央アジア、それに地中海沿岸は、ハチの研究者にとって三大メッカなのだ。学者が相手ではたいした稼ぎにはならないが、普通種を確実に買ってもらえるのだから、こういう定収入は大事にしなければならない。それに今は贅沢を言っていられない。店は確実に傾きつつあったのだ。

「フクちゃんさあ、日陰に入ってなよ。採集は俺の仕事だから」

「はあ、でも、私、結構こういうの好きですから」

 フクちゃん、福俵萌子、二十六歳。パリ第七大学の留学生。熱川の店は大学と同じ通りにあり、アルバイトを募集したところ、唯一、やってきたのが彼女だった。色白でぽっちゃり、下膨れの顔に笑みを絶やさない平安美人。安いバイト料にも文句を言わず、器用ではないがこつこつと仕事をこなす、今時まれなアルバイトだ。よほど育ちがいいのだろう、店に集まる海千山千の同業者達が、一様に毒気を抜かれてしまう。熱川もガラにもなく、彼女が日焼けするのを心配した。

「私、このくらいの暑さ、慣れてますから」そう言ってけなげに捕虫網を振るう。

 実際、フクちゃんは去年まで、NGOでアフリカの戦災孤児の世話をしていたのだ。色白なのが不思議だった。

「標本商のバイトなんてさあ、熟達しても意味無いもんねえ。他の仕事で使えないもん。まあ、大学の研究室か、博物館あたりで、標本造りの仕事でもあればいいんだけど。フクちゃん、あれかい、卒業したらまたアフリカに戻るのかい?」

「はい、戻ります」

 フクちゃんの眼が熱川をじっとみつめる。

「あの、店長も一緒に行きませんか?」

「お、俺がかい? 俺にボランティアは無理だよ」

「孤児院の子供達に、虫採りを教えるんです。チョウチョとか、カブトムシとか。どこの国でも、子供ってそういうの得意でしょ。それがお金になるなら、みんなきっと楽しんで仕事すると思います。だから誰か、指導してくれる人が欲しいんです」

「そーねー、考えてみるかねー」

 もちろん、全く考えない。フクちゃんの、その象さんのようなやさしい眼から、ある情熱が熱線のようにそそがれているのに、熱川は気付かない。実は、この男の鈍感さというものは、業界でも定評があったのだ。


 パリ郊外の小さな町ジュブシー。そこの公会堂で、毎年夏に三日間に渡ってインセクト・フェアが開かれる。昆虫標本や採集器具の展示即売会で、町中にポスターが貼られ、ちょっとしたお祭りになる。プロ・アマ問わず、海外から買い付けに来る者も多い。

 熱川は長くフリーの採り子をやっていたが、珍しく大金の入ったのを機に、自ら標本商を開業したばかりだった。それまで不運な人生を歩んで来た熱川は、やっとまとまった現金を手にできた実感を、しみじみと噛み締めて思った。これは、遂に運が向いてきたということではないだろうか。それならここが勝負所だ。そう決意すると周りが止めるのも聞かず、花の都パリに店を構えるという暴挙に出たのだ。案の定、店は直ちに火の車になった。だが熱川は、風は確実にこちらに向かって吹いている、と勝負を降りない。彼にはまだ、アルキペラゴで手に入れた隠し球があったのだ。そいつを今回のインセクト・フェアに出品すれば、それまでのツキに見放された人生を、一気に大転回させることができる。出店料を払って机二つ分のブースを得、フクちゃんと並んで座る。机の上には電卓と標本箱、そして、これが目玉だ、長さ六十センチの巨大な繭。その値札も半端じゃなかった、何と一千万円!

 同業者で、熱川が不運だなどと思っている者はいない。むしろとてつもなくラッキーな男と、半ばやっかみ、半ば怒りを持って見ている。全ての原因は彼自身の不注意さにあるのだ。あれは三億円の当たりくじを何度も拾う男だ、そして調べもせずにくずかごに捨てる男だと。

 開店当日に悪名高い標本商、墓掘りニサッタイがやって来た。開店祝いだと言って、大量に買ってくれた。噂ほどひどい人じゃないと熱川は喜んだ。しかしそのほとんどが、熱川が普通種と思って安値を付けていた大珍品だったことを後で知った。墓掘りニサッタイはアタガワ・ナチュールの何十倍もの値段で売りさばいていた。

 ロンボク島で、拾ったカブトムシを近くで遊んでいた子供にくれてやった。それが新種だったとわかったのは一年後だった。

 ニカラグアの魚屋で、それと知らずシーラカンスの幼魚を買って、焼いて食って下痢をしたのもこの男だった。

 人も羨む幸運に出会いながらそれを掴めないのは、本人の無知と不勉強以外の何物でもなかったのだ。


 三ヶ月前、開業したばかりの店を抵当に入れて遠征した惑星コプリス。熱川はそこでUFOを見た。

 人っ子一人いない高原の真ん中で、しゃがんで用を足していると急に陰ってきた。上を見ると、手の届きそうな所に小さな飛行船のようなものが浮かんでいる。楕円形で、長径は七、八メートル程だろうか。コマーシャルでも書かれてないかと探してみたが、それらしいものはどこにもない。全体素っ気ない銀白色、カイコの繭のような質感で、熱川の頭の斜め上、約五メートルの空間にぴったり張り付いている。

 飛行船にしちゃあ、微動だにしないのが不思議だった。それに音もしない。熱川が知る限り、光量子エンジンはシロナガスクジラ並の大きさのはずだ。だから地上連絡用のシャトルは、未だに化学燃料ロケットを使っている。新開発の船だろうか。それともこれが、UFOという奴なのだろうか。そんなものに出会っちまうってのも、まあ、俺ならありうるよな。で、また幸運を逃すのかな。幸運って何だよ。あれを取っ捕まえろとでもいうのか?

 UFOらしきものの下面に黒い小さな点が現れ、少しずつ広がってゆく。

 (ハッチがあくぞ。あそこから光線が出て、人間をさらうんだな。エイリアンによる誘拐事件て、本当だったんだ。でも誰をさらうんだ? こんなとこ、誰もいねえって、お、お、お、俺かよ!)

 しゃがんで尻を出したまま空中に浮かび上がる、みっともない姿を想像して、熱川はあわててパンツを上げた。

 光線は出なかった。ハッチから何かが顔を出し、しばらくぶら下がっていたが、やがてポトリと地面に落ちた。高さの割には大した衝撃もなかったから、ずいぶん軽いのだろう。

 UFOはぶるっとひとつ身震いすると、ゆっくりと上昇し、やがて空の彼方に消えていった。

 (……UFOが俺と連れグソをした。何てラッキー……なのか?)

 カメラを持っているのに撮らなかったし、そのことに気付きもしない。熱川はズボンのベルトをカチャカチャいわせながら、UFOの落とし物に近付いた。

 半透明で琥珀色の、大きな冬瓜(とうがん)のようだった。熱川は足で周りの土をかき集めると、猫がするように上にかけてその場を後にした。

 とんでもないことをしたと気付いたのは三日後だ。まあ、気付いただけ少しは進歩していたのかもしれない。明日はコプリスを離れるというその夜、安宿のベッドでがばっと跳ね起きた熱川は、宿の主人を叩き起こし、原付バイクを強引に借りて現場に戻ったのだった。


 この繭は、少なくとも客寄せにはかなりの効果があった。皆、足を止めてあれこれ質問していく。ついでに色々買ってくれる。熱川は、UFOのウンチだなどとは口が裂けても言わない。惑星コプリスで採集した未知の生物、もしくはその生痕だ。まちがってはいないが、知的生命体という言葉を使えないのが悔しかった。もちろん熱川だって、本気でこれがウンチだなどと思っているわけではない。これはエイリアンの繭、あるいは卵か、いずれにせよ成長段階のどこかのステージだろう。病気か何かで死んだので、捨てられたのだ。スズメバチなんかと同じだ。ハチ学者との付き合いのお陰で、ハチの生態に多少の知識を持った熱川が、三ヶ月考えてたどりついた結論だった。三ヶ月の間に九十回、熱川はカッターで繭を切り開こうとして思いとどまる、というのを繰り返した。これがまだ生きている可能性もあるのだ。

 公的機関に持ち込む気は、はなからなかった。取り上げられて、極秘裏に処理されるのに決まっている。だいたい役人などというものは一切信用していない。(この俺の星を、二束三文で奪っていった連中)。この繭に重大な秘密があるということを、値段に反映させるしかなかったのだ。それに、あんなバカ話、信じてくれるのはフクちゃんだけだろう。

デーバッグを担いだアメリカ人の大柄な娘が、しきりに思わせぶりな視線を送ってよこす。つい鼻の下を伸ばしたら、くるっと背中を向けられた。バッグの背に『標本売ります。交換応じます』と書いてあった。出店料を払わないモグリの業者だ。熱川は思わず噴き出して、手を横に振った。娘はひとつウィンクすると、感涙もののモンロー・ウォークで別のカモを探しに行った。

 「これが正業なのかね?」

「はあ?」

 熱川にもそれとわかる、相当高そうなスーツを着た六十代の白髪の日本人が見下ろしていた。熱川は、妙に色白なおっさんだな、と思った。

「いや、他にちゃんとした仕事を持っていて、余技としてやっているのかね?」

 言葉の意味が、すぐには理解できなかったのでにこにこして答える。

「もちろんこれが正業ですよ、他にちゃんとした仕事なんて有りませんよ、いや、そうじゃなくて、これがちゃんとした仕事ですよ、どういう意味ですか、ちゃんとした仕事って!」

 言葉の意味が、じわじわと熱川の鈍い頭にしみ込むにつれて、さすがに怒りが湧いてきた。

 男はしつこかった。

「その辺で拾ってきたものを並べて、日銭を稼いでいるだけだろう。こんなものが仕事と言えるのかね。家族が養えるのかね。君は独り身だろう。将来の事を少しでも考えているのか」

「そんなこと、あ、あ、あなたに言われる筋合いはありませんよ!な、何ですか、あなたは。仕事の邪魔だ、営業妨害だ、よそへ行ってください!」

「君のような若者を見ていると、私は心配になるんだ。だから言ってるんだ。悪いことは言わん、今からでも正業につきなさい」

「だから、これが正業なんだよ!」

「馬鹿者! どこが正業なものか! こんなのは学生祭のバザーだ! 子供の遊びじゃないか! 男子一生の仕事ではない! 一人前の男とは、妻を持ち、子供を育て、なおかつ社会に貢献するものではないのか! お前のような奴に娘はやれん! あ、いやつまり、私に娘がいたらだが、そんなものはおらんぞ!」

「何を言っとるんだ、このおっさんは! 俺は標本商だぞ! 誇りを持ってやってるんだ。ダーウィンの時代からあった職業だ。そりゃあ金にはならないし、家建てた奴もいないけど、多少でも科学に貢献してるという誇りがあるんだ! わかるか、おっさん、俺はこれでも人類に利益をもたらしてるんだ。利益ってのはな、いいか、本当の利益ってのはな、金なんかじゃないんだ、新しい知識なんだよ!」

 熱川にしちゃあ、まっとうなことを言ったもんだが、人類にとっての利益云々は、「プロジェクトX」で見た浜松の町工場の社長の受け売りだ。隣のブースのフランス人が、日本語の会話がわかったのかどうか拍手した。

 熱川の意外な勢いに押されて、男はしばらく口をもごもごさせていたが、ややあって、憔悴したようにポツリと言った。

「…買おう」

「え…何を?」

「その、繭だか、冬瓜だかだ。一千万だな、小切手でいいかね」

「ああ、毎度、え? 何?」

 鈍い割に勢いがついていた熱川の頭は、急に逆回転はできないので、ギリギリギリと錆び付いた音を立てて、完全に停止してしまった。それまで眼を伏せて二人のやり取りを聞いていたフクちゃんが、毅然として言った。

「お断りします」

「え?」

「え?」

「この繭は、学術的に貴重なものです。当店といたしましては、御購入は、たとえアマチュアであっても研究者の方に限らせていただきます」

「店がつぶれかけているんじゃないのか。客を選んでいる場合じゃないはずだ」

「さきほど店長が申しましたとおり、お金ではないのです。人類の利益に貢献してくださる方であれば、ただでもお譲りしますが、マントルピースの上に置いておくだけの方にはお売りしません」

「お、お前、本当に、それでいいのか?」

 もう既に親娘の会話になっているのだが、熱川は気付かない。フクちゃんてこういう所があるんだー、と停止した頭で妙に感心していた。男とフクちゃんはしばらく無言で睨み合っていた。

「好きにしろ」

 男は小さくそう言うと、背を向けて去っていった。熱川はその背中を見ながら、(あれ? こんなに老人だったのか?)と思った。やはり高級なスーツを着た若い男が二人、あわててその後を追っていった。

 一千万円儲け損ねたことがはっきりわかったのは、三日間のインセクト・フェアが終わってからだったが、別に落胆はしなかった。(知らずに幸運を逃がしたのじゃない。今度ばかりは、俺の意志で捨てたのだ)

 フェアの会場は、この後チェコのプラハに移る。標本商の半数程が、サーカス団よろしく移動していく。熱川は誘われたが断った。あの男との会話で、彼の中の何かが変わっていた。

 その夜、フクちゃんが帰ったあと、熱川はカッターで繭を開けてみた。予想通り、かさかさに乾いた大きな節足動物の死骸が入っていた。熱川はなぜかハチのようなエイリアンを想像していたのだが、違っていた。大きな頭部は、むしろゴキブリに似ている。干涸びた脳が、中でカラカラと音を立てた。腹部の関節に穴があき、そこから白い干瓢のようなものが顔を出している。

(こいつが寄生していたのだ、それで捨てられたのだ)

引っ張り出してみると、それは惑星アタミのドロナワムシにそっくりだった。


 河原を飛び回るハチの数が減ってきた。わずかだが気温が下がり、活動する昆虫の種類も変わってきている。

「店長、この間は勝手なことして、申し訳ありませんでした」

「いいんだよ。俺もあのおっさんには売りたくなかったし。それにしても、変なおっさんだったねえ。フクちゃんと、まるで親子げんかしているみたいだった」

「はあ、すみません」

「あの繭は、大学に送ることにしたよ」

「そうですか。いくらかになればいいですね」

「金はいいんだ。新しい知識が手に入るんなら。金って、そのためのものなんだ」

 フクちゃんが尊敬のまなざしで熱川を見つめている。

「店長は、セレンディピティって言葉、御存知ですか?」

「アフリカの、どっかの自然公園だっけ」

「それはセレンゲッティですね」

 フクちゃんはうれしそうだ。

「『セレンディップの三人の王子』というおとぎ話に由来するんです。三人の王子がセレンディップ、アラビア語でスリランカのことなんですけど、そこで宝探しをするんです。宝物は見つからないんですが、代わりに偶然いろいろな幸運に出会うんですね。つまり、日本語にすると、ちょっと変なんですけど、偶然に何かに出会う能力、偶然に幸運を発見する能力、というのかしら」

「セレン……ディピティ……」

 熱川はその意味を考えた。俺にはそういう能力が有るのだろうか? 発見した物の価値を理解できないこの俺に?

「有るのかなあ……有っても宝の持ち腐れだなあ」

「有りますよ、店長はすごいです。信じるべきです。私も、自分のセレンディピティを信じてるんです」

 熱川は、あの日以来、まったく知らないフクちゃんがいるような気がして、色白、下膨れの顔を眺めていた。夕日のせいか、頬が赤く見えた。

「私、アフリカで、あの子供達に会えたし、たまたま戻ったパリで……店長に…会えたし……」

 熱川は、エイリアンより不思議なものを見るように、フクちゃんを見つめた。もうフクちゃんは色白ではなかった。真っ赤になっていた。

「そうねえ……、セレンディピティねえ……。さあ、帰ろうか。陽も傾いたし、店も傾いてるし」

 熱川は、早く帰ってビールが飲みたかった。こんな日は、ワインよりも、絶対にビールだ。

 フクちゃんの、南仏の太陽よりも熱いそのまなざしを背中に受け、熱川は冷えたビールで頭を一杯にしながら歩き始めた。



 食蓮人        


 「君は、振り返らないんだね」

「何をです?」 

「君の国をだよ。たいてい最後に目に焼き付けておこうとするものだけど」

「よくわからないが、私はそんなもの、一度も見たことはないと思います」

 生まれてこのかた、国などというものを意識したことは無い。だから何の感慨も湧いてこないのは当たり前だった。今、彼がゴミのように捨て去ろうとしている何か、それは文字通りゴミでしかなかったのだ。

 カラムバはひたすら前を見ている。遠ざかる地球に、ただの一瞥も与えることなく背を向けて。

 

 牛を連れていつもの水場に行くと、大勢の人間と機械が地面を掘り返していた。二人の兵士が現れ、今後お前達がここに入ることは許さん、よその土地へ行け、と言った。争いはいやだったので引き返そうとしたら、その牛は置いていけ、と言う。牛は命だ、渡せるわけがない。断ったら、威丈高に銃を突きつけ牛を奪おうとする。怒りがこみ上げてきた。気が付いたら、二人とも殴り殺していた。

 解放軍と称する男達が匿ってくれて、いろいろなことを教わったが、おおむねくだらない話だった。

 この国は病院も学校もろくになく、飢餓と伝染病と内戦で荒廃している、しかし実は世界有数の資源産出国であり、毎年一兆円もの金が流れ込んで、どこかへ、誰かの懐へ消えているのだ。カラムバ、立ち上がって何とかすべきだと思わないか?

 しばらくその男達と一緒にいたが、彼らがただ、その誰かの懐を自分達の懐にしたいだけだというのがわかると、ばかばかしくなって縁を切った。勝手に踊っているがいい。私が欲しいのは目に見える大地、手に握ることのできる黒い土、それだけだ。

 ラッフルズ以降に発見された惑星の一つ、NGC・0103。雪と氷の両極を冠して黄金色に輝くその星を見た時、カラムバには全てがわかった。これがそうだ、私の故郷だ。私はこの星で生きて、たくさんの子孫を残し、年を取り、そしてこの星の土になる。

「さっき、ホクロのような黒い点が見えました。あれは何ですか?」

 モンスーン連合の農業指導員が答えた。

「あれは森だ。と言っても、地球の植物のようなものじゃない。何と言うのかなあ、まっ黒で、木炭でできた薮、といった所かな。直径は三百キロ程、生きているのは確かだけど、何年経っても広がりもしなければ、縮みもしない。学者によれば、何百万年も変わらず、あの姿であそこにあるらしい」

 森、というのは気に入った。実体が何であるにせよ、人は森が無ければ生きていけない。

「私達を、あの森の近くに降ろして下さい」

「仲間に相談しなくていいのかね?」

「私がリーダーです。皆、私に従います」

 指導員は少しの間カラムバの目を見つめていたが、すぐに小さく首を振って言った。

「ま、どこでも同じだしね。がんばってくれ、原則として五年間は食料その他の面倒を見る。成果が上がらないようなら、別の惑星に移るか、地球へ戻ってもらうことになる」

「そんなことにはなりませんよ。絶対にね」

 西アフリカの戦士、十六歳の若きリーダー、カラムバは、そう挑戦的に答えた。


 土地は肥沃で、気候は温暖だった。雨も適度に降り、農業には最適の星に思えた。だが一年目の収穫は、一握りのひねこびたトウモロコシだけだった。土の中の空気の通りが悪い。いくら耕しても、雨の後はセメントのように固まってしまう。カラムバは村中の金を集めて、地球からミミズを取り寄せた。しかし届いたのは、ワープ時の熱上昇に耐えられなかった百キロのミミズの死骸だった。もう一度注文して、もう一度死骸を受け取った。村の金は無くなった。

 二年目。種苗会社のセールスマンがやって来た。彼は植物に詳しく親切で、クローバーを植えることを勧めた。クローバーの根に寄生する根粒菌が、土壌中に窒素を供給してくれる、羊も飼える、羊の糞が土を豊かにするだろう。もし、羊が欲しいなら、当社が責任を持って届けよう。

「ミミズが死んでいた? それは、あなた、詐欺にあったんですよ。わざと冷却装置を使わなかったり、ひどいのになると、最初から死骸を詰めたり、ね。ミミズが勝手に繁殖し始めたら、連中の商売、上がったりですからね」

 三年目。緑の絨毯が広がった。その中を二十頭の羊が歩いている。美しい光景だった。秋には豊作とは言えないまでも、そこそこの収穫を手にすることができた。その七割がセールスマンに支払われた。

「どうです、私の言った通りでしょう」セールスマンが言った。

「ええ、全く、あなたのおかげです。でも……」カラムバは口ごもった。

「クローバーが種を付けなかったのです。私が何か、ミスをしたのかもしれない」

「それは変だな。まあ、地球と同じようにはいきませんよ。慣れのようなものが必要なのかもしれない。ちゃんと育つんだから、そう心配することも無いでしょう」

「まだ羊の代金も残っているのに申し訳ないが、もう一度、種をお願いできますか。それと、羊をあと十頭」

 四年目。クローバーはやはり、種を付けなかった。セールスマンがやって来て、何も言わずに、収穫の大部分と、この春に生まれたのを含めた全ての羊を持って行った。彼は二度とやって来ることは無かった。

 入れ代わるように別のセールスマンがやって来た。警戒するカラムバにその男は笑って言った。

「花粉を媒介する昆虫がいないのに、クローバーが種を付けるわけが無いじゃないか」

 カラムバは頭を殴られたような気持ちがした。何でそんなことに気が付かなかったのだろう。セールスマンは翌年の収穫を担保に、クローバーの種とコーカサス種の蜜蜂の女王十頭を置いていった。

 五年目の冬。モンスーン連合の船が来て、村人の半分が去った。カラムバは、茶色く枯れたクローバーを握り締めて、涙をこらえていた。

 その日、カラムバは森に向かった。あの森が私を呼んだのだ、話を着けなくてはならない。萎びたトウモロコシの粒を握って、山火事の跡のような黒い森の中を進む。それまでに一度も入ったことのない奥へ、カラムバは天性の方向感覚で、まっすぐに森の中心に向かって行く。彼を見下ろす黒い木々に、はっきりとした生気が感じられた。私は見られている、森の神フンティンに。

 三日後、カラムバは円形の小さな広場に行き当たった。ここが森の中心だと、彼にはわかった。中央に平たい祭壇のような白い石がある。それを囲んで、黒い子供達が座っていて、一斉に闖入者の方を振り返った。風の音がした。

 カラムバはしばらく立ちすくんでいた。落ち着いてくると、それは珊瑚に似たただの若木で、動いたように見えたのは気のせいだとわかった。それにしても誰かが並べたのか、自分達でそうしたのか、何とも不自然な配置だった。

 祭壇はカラムバの胸の高さほどで、側面に何やら絵文字のようなものが刻まれていた。

 ここは神々の集いの場だ。つい今しがたまで大勢がいたのだ。彼らは去ったのではなく、隠れて私を見ている。

 カラムバは言った。

「フンティン、樹木の精霊、私はあなたを一度も傷付けたことは無い。村の者にも、決して森の木を切らせなかった。なのに、あなたは、私達を滅ぼそうとしている。もし、それがあなたの意志なら、私はもう、あなたを敬うことはしない。私はこの森を焼き払ってやる」

 そこまで言って、カラムバは耳を澄ませた。返事は無い。彼は続けた。

「これをあなたに捧げます。あなたが私達を助けてくれるなら、私はこれからも毎年、収穫の一部を捧げましょう」

 カラムバはトウモロコシの粒を白い石の上に並べると、二度と振り返ること無く、森を後にした。

 その夜、季節はずれの強い風が吹いた。朝になって、村人達はトウモロコシが根こそぎ何者かに持ち去られたのを知った。何人かがハイエナの声を聞いたと言う。不安がる村人達に、森から帰ってきてそれを知ったカラムバが、いつになく上機嫌で言った。心配することは無い、これはいい徴なのだと。

 しばらくして、村に妙な商人が現れた。その男は広場にゴザを敷いて、虫の干物を並べて何か喚いている。また新手のセールスマンかと思って、カラムバは用心深く人垣の後ろから眺めていた。人相のあまり良くない男が、虫を買い取ると言っていた。これはいくら、こっちはいくらだと、食えもしない代物に値段を付けていた。薬にでもするのだろうか。とにかく、何かを売り付けようというのではなさそうだった。カラムバの頭に、この男はもしかすると、フンティンが寄越したのかもしれない、という考えが閃いた。彼は急いで男の前に出て、言った。

「クローバーが種を付けません。なぜですか!」

 青銅の巨人のようなカラムバがいきなりこう吠えたので、商人はもう少しで一切合財を担いで逃げ出すところだった。

「まっ、待て、話せばわかる」

 ようやく質問の意味がわかると、商人は答えた。

「クローバーが種を付けない、それはだね、花粉を媒介する昆虫がいないからだね」

「ミツバチを入れた。でも、だめだった」

「ミツバチじゃだめなんだ。舌が短くて、クローバーの蜜は吸えない。マルハナバチじゃないと」

 その商人が信用できる商社の名前を教えてくれた。驚いたことに、ミミズも羊も三分の一の値段だった。金は絶対に着払いにすること、配達員の目の前で箱を開け、生き残っている分の代金だけ払うこと。マルハナバチはモンスーンの連中に無料で持ってこさせる、話を聞いた限りじゃ、あまりに無責任だ。俺が交渉してやる。男は携帯を取り出すとコレクト・コールで、告訴してやるだの、連合の上層部に手を回してお前なんかクビにしてやるだの、ひとしきりがなり立てて、カラムバに頷いた。カラムバは、こんな厚かましい人間は初めて見たと思った。

 男はその後しばらく村の空家に滞在して、虫を買い漁り、村にいくらかの金を落としていった。カラムバは、モンスーンから借りている農業機械を担保に金を作り(その男に教えられるまで、そんなひどいやり方考えもしなかった)、最後の勝負に出た。

 六年目の春。村に再び緑が広がる。菜の花が黄色く揺れ、ミツバチとマルハナバチが花から花へと飛び回る。その間で羊が草を食む。

 初夏、小麦が大地を金色に染めた。オレンジの苗が花を付け、イチゴが実った。

 秋、村で初めて祭りが行われたその夜、再びトウモロコシ畑が襲われた。カラムバはようやく、村人達に事情を話した。以後、トウモロコシはフンティンのためだけに、特別な場所で栽培されることになった。

 村は豊かになり、人も戻ってきた。カラムバは結婚し、三人の子供に恵まれた。惑星NGC・0103は緑の星になろうとしていた。

 十年目の春。村にはよく旅人が立ち寄るようになった。そのため、宿やレストランを経営する者もでてきた。どうやら、この村以外にも多くの村ができているらしい。旅人達は皆一様に、収穫は充分あるのだがトウモロコシだけができない、実る頃になると、姿の見えないハイエナに襲われる、とこぼした。カラムバと村人達は笑いながら、主力作物を他のものに変えるようにアドバイスしてやった。フンティンは村の秘密だった。

 招かれざる客もまた、頻繁に村を訪れるようになった。目つきの悪い、銃を持った男達。彼らは盛んにケシの栽培を勧めたが、カラムバは言下に断った。村人にも、決して手を染めさせなかった。村は武装しはじめた。あの連中と戦うことになるかもしれない。カラムバは、バシランジ族の戦士の血がたぎるのを覚えた。だが、フンティンの意志はどうなのだろうか。

 あの商人が久し振りに訪ねてきて、村の変わりように驚いた。カラムバは、村の恩人にしてフンティンの使いのこの男を、自分の家に泊めて歓待した。子供達が寝静まってから、男が言った。

「この星が、食蓮星(ロートパゴス)と呼ばれているのを知ってる?」

 カラムバは初めて聞いた。自分の住む惑星の名など気にしたこともなかった。ただ「大地」と呼んでいただけだ。

「きれいな名前ですね。誰か、蓮を植えたのですか?」

 カラムバは、一面、蓮の花が咲き誇る美しい星を思い浮かべた。だが、それは間違っていた。

「ホメロスのオデュッセイアという物語に、食蓮人(ロートパゴイ)というのが出てくる。日がな一日、麻薬をやってる連中だ」

 今度はカラムバにもわかった。誇りが傷つけられたような気がした。

「では、この星は、麻薬の星なのですね」

「今や、阿片の一大供給産地だな。全人口の半分近くが、何らかの形で麻薬産業に関わっている」

 翌日、カラムバは男のジープに同乗して、森へ行く以外の初めての遠出をした。この星に来て十年になるというのに、こんなに遠くまで来たことは無かった。彼の知らない、いくつもの村を通り過ぎた。やがてジープは小高い丘の上に止まった。

「見ろよ」男が指差した。カラムバは見た。赤や白の、美しくもおぞましい光景。春霞の中、地平線まで続くケシ畑。

 商人が去った後、カラムバはしばらく塞ぎ込む日が続き、家族を心配させた。そしてある日、誰にも言わずに村を出た。

 黒い森の中、ある決意を持ってカラムバは歩く。黄金の枝を持って冥界へ下るアイネイアスのように、その手にはケシの未熟果が握られていた。

 その日、惑星全土に嵐が吹き荒れた。夜の闇は無数のハイエナの叫びとともに訪れ、人々は震え上がった。

 夜が明けた時、ケシ畑は壊滅していた。

       

         

 ドラゴン・シップ


 惑星ウィルビウス上空に浮かぶ幻の食料品店ドラゴン・シップ、そのオーナーはシンガポールの焼き鳥屋の伜チェン・マードック、別名ラジャ、五十五歳。中古の星間貨物船を改造したこの船には、食品を並べた陳列棚もレジも無い。あるのは最高級の精密印刷機と、それで刷られた大量のクーポン券、ここはラジャの私設造幣局なのだ。

 ラジャは麻薬産業に革命をもたらす一大発明をやってのけた。それがチェンピー、麻薬のクーポン券、コカイン兌換券だった。いつ、いかなる時も一定量のヤクと引き換え可能な、言わばコカイン本位制度をアルキペラゴに確立したのである。ここまで来る道のりは長かった。元々は、まだ小物の売人だった頃、大量の現金を持ち歩くのが恐くて考え出したものだった。信用を得るには時間がかかったし、実際、何度も気の短い連中に袋だたきにあったりもした。おもちゃの紙幣なんか持ってきやがって、と殺されかけたこともある。だが、地道な努力が実を結んだ。どんなに不作で品薄の時でも、ラジャはクーポン券を持って来た者には、かならず額面通りのヤクを渡してやったのである。下っ端の売人どもにも、それは徹底させている。ラジャは下手な国の経済大臣よりも、よほどしっかりしていた。苦しい時にはつい、印刷機に目が行く。だがラジャは、必要以上にクーポン券を印刷することは無かった。自分が造幣局を握っているという、優越感だけで充分だった。

 今やチェンピーは、ラジャの思惑を超えて表の世界で勝手に一人歩きをしていた。人類が外宇宙から資源を手に入れるようになって以来、(きん)の価値は下落の一途をたどっている。もはや、紙幣の価値を裏付けているのはただの幻想であることに、人々は気付き始めている。  

 一般人が堂々とチェンピーで買い物をし、投資家がチェンピーを貯め込んでいる。偽チェンピー! を作って警察に逮捕された奴さえいた。ラジャは複雑な心境だった。表の世界の経済状況にまで、俺は責任を負っているのだろうか。もし俺が、印刷機をフル稼動させて大量のチェンピーを作り、それをドルなりユーロなりに替えて引退したら、世界はどうなるのだろう。いや、俺は絶対に、そんな愚かなまねはしない。

 真鍮メッキされて金色に輝く印刷機、これこそが新しい神だった。麻薬王ラジャは皮肉にもその秀でた経済能力のために、自らが作った神の僕に甘んじることとなった。

 ラジャは名目ばかりの玉座に座って、モニターが映し出す世界の株式市場と為替レートを見ていた。そこに悪いニュースが入ってきた。食蓮星のケシが壊滅したという。壊滅? どういう意味だ。俺の畑が他の組織に襲われたのか? 

 「違います、ボス。壊滅です。惑星全土のケシ畑がやられました」

 そんなことがどうして起こりうるのか、ラジャには理解できない。しようとも思わない。理由など、どうでもいい、ここはアルキペラゴ、何だって起こりうるのだ。わかっているのは、アヘンの値が高騰する、ということだ。アヘンとコカインの相場は連動させている。チェンピーを守らねばならない。ありったけの地球貨、UD、ドル、ユーロ、ポンド、フラン、円、を掻き集めてアヘンの買いに走るのだ。一時的に高騰に拍車をかけることになるがやむを得ない。とにかくブツを確保し、それを今まで通りの値のチェンピーで売る。とんでもない逆ざやになるが、帝国の経済的混乱を鎮めるための非常手段だ。ヤクの売人ラジャはそのパラドクスに気付いていない。彼はチェンピーに仕える神官であり、そして、金儲けよりはるかにおもしろい、巨大なモノポリーゲームにのめり込んでしまっていたのだ。

 「食蓮星へ向かえ。既に収穫の済んでいた分があるはずだ」

 ドラゴン・シップが方向転換を始めた。回転するウィルビウスの緑の大地を、ラジャは名残惜しそうに見つめる。いい星だ、いつかきっと、この星をケシの花で一杯にしよう。

 十光年のワープに入った瞬間、船の後部に衝撃が走った。ラジャは玉座から投げ出され、冷却ヘルメットが危うく御神体である印刷機にぶつかりそうになった。モニターを見る。映像は海の底から空を見ているように歪んでいる。既に亜空間に突入していた。それでも何か、きらきら光るたくさんの破片と共に、錐揉みしながら落下していく小さな船が見えた。どこかのバカが衝突したのだ。あの破片が俺の船のものでなければいいのだが。モニターが消え、警報が響き渡る。外の廊下を、子分どもがあわてふためいて走っている。あいつら、冷却ヘルメットも被らず何をやってるんだ。ラジャはインターコムに向かって怒鳴った。

「おい、どうなってる。被害を報告しろ!」

 何人かが同時に喚く声が聞こえてきた。

「修理してます。大丈夫です。すぐに通常空間に戻します」

 その声はちっとも大丈夫に聞こえなかった。警報音が耳に障る。赤い光の明滅が、印刷機とその背後の空間を神殿のように浮かび上がらせている。距離計だ。距離計が悲鳴を上げているのだ。ラジャはそこに信じられない数字を見た。一桁違っている。百光年、百二十光年、まだまだ伸びている。百五十、百八十、二百。あいつら、すぐに通常空間に戻すと言ってなかったか。大変だ、今そんなことをしたら蒸し焼きになる。〝点心〟という言葉が頭をよぎった。

「機関室、船を止めるな!」

 ラジャは叫んだ。でもどうすればいい。元の場所へ戻る? 亜空間の中でそんなこと、可能なのか。やった奴はいるのか。部屋の温度が上がっている。全身から汗が噴き出る。バカどもめ、通常空間に戻してしまったのだ。船内は地獄になるぞ。ラジャは服を引きちぎり、腹を、胸を掻きむしった。冷却ヘルメットなど、もはや何の役にも立たなかった。御神体がクーポン券を吐き出し始めた。「この券一枚で店の商品のどれでも一割引きいたします」だめだ、そんなことしちゃ。「また十枚でタイ産インディカ米一キロと交換いたします」ラジャはヘルメットを投げ捨て、印刷機を止めに行った。内臓が茹でられ、脳が沸騰している。俺が死んだら、この世界はどうなるのだろう。終わりだ、俺には救えない。

 果てしなく吐き出されるクーポン券に埋まりながら、ラジャは美しい夢を見た。父が汗をふきながら、鶏を串に刺して焼いている。少年チェンは、自分も早くあんなふうに、上手に鶏を焼けるようになりたいと思った。だがここは熱くてたまらない。チェンは妹を連れて近くの池に泳ぎに行く。そこでは泳ぐなと父にいつも言われていた。ヒルがいるから。でも水は暖かくて気持ちがよかった。妹が岸から何か叫んでいる。あいつも泳げばいいのに。ぽんっと音がして、振り向くと大きな蓮の花が咲いていた。いつの間にか回りは蓮の花で一杯だった。チェンは手を伸ばして 花に触ろうとした。水から出したその手は、赤や緑の無数にうごめくヒルに覆われていた。チェン・マードックは声にならない悲鳴をあげながら、暗い水底へ沈んでいった。

       

   

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