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悪役令嬢は第二王子の甘い毒牙から逃れて真っ当に生きたい

「ルイ、申し訳ないけれど、あなたとは縁を切らせてもらうわ! 今日限りもう二度と会わない」


 春の風が優しく舞うあずま屋で、私はいま幼なじみであるルイ・シュワルツに絶縁宣言を突きつけた。

 ルイはアーモンド型の瞳を何度か瞬かせたあと、天使のように愛らしい顔を歪めて、クスクス笑い出した。


「なあに、突然どうしたの? 新しい遊び?」


「遊びなわけないじゃない! よーく見えてよ、私のこの顔を。大真面目でしょ?」


「意地悪そうでとってもかわいいよ」


「そ、そんなこと知ってるわよっ……! あなたに持ち上げられたぐらいで、こ、この私が動揺するとでも思っていたのっ!?」


 ってそうじゃない。

 またいつものように、ルイのペースに飲まれるところだった。

 私はこほんと咳をしてから、改めてルイに向き直った。


「悪いけれど、私は一秒でも早くルイと縁を切りたいの」


「なぜ? 俺のことが嫌いになった?」


「むっ。それは……」


 彼のことが好きか嫌いか。

 正直なところ、時々むかつくやつだけれど、別に嫌いではない。

 というか結構好き。

 ルイと一緒にいると面白いこともたくさんあるし。

 私と同じ十歳だというのに、ルイはすごく頭の回転が速い。

 絶句するような悪巧みを次々思いついては、私をいつも驚かせ、楽しませてくれた。

 でも、私たち二人、このまま一緒に成長したら、とんでもないことになるのだ。


 どうして断言できるのかというと、それは昨日の午後のこと。

 庭の段差につまずいて転んだ私は、したたかに頭を打ちつけた。

 そのショックで前世の記憶を取り戻し、そして絶望的な運命を理解したのだ。


 ここが生前プレイしていた乙女ゲームの中の世界で、自分は破滅的な人生を歩む悪役令嬢リリアーヌ・ラングレであると。


「あなたのことを好きとか嫌いとかは、関係ないの。なんて言ったらいいのかしら……」


 顎に手を当てて、うーんと唸りながら考え込む。

 乙女ゲームだの、前世だのと説明しても、ルイにはちんぷんかんぷんだろうし……。

 もうそのまま恐ろしい結末を伝えるのが一番かな。


「あのね、ルイ。私とあなたっていつも一緒にいて、色々なイタズラをしているでしょう?」


「そうだね。僕たちは人を困らせるのが大好きだからね」


「うん、私たちの悪事に周りの人が振り回されて、困り果ててるのを見ると、とってもワクワクするわよね。でもそういうのが許されてるのって、私たちが子供だからなわけじゃない? 大人になっても、そんなことをしていたら、どういう目で見られるようになるのか。ルイだって想像つくわよね」


「ああ。なるほど。悪事の犯人が僕らだとバレるのが嫌になったんだね。僕たちの仕業でしたって名乗り出るとき、リリーがいつもすごく楽しそうだから、敢えて証拠を残していたけれど。リリーが望むなら、今後は完全犯罪にすることも可能だよ?」


 小首を傾げてルイがにっこりと笑う。

 ルイなら本当に、言葉どおりのことを成してしまうだろう。

 でも、そういう話じゃなくて!


「悪事全般から足を洗いたいってこと。私はまっとうな人間を目指したいの。このままだと私たち、裏でいやらしくヒロインを苛めたり、未来の王である第一王子を失墜させようとしたのがばれて、国外追放になって、その道中、賊に襲われて、串刺しに刺されて死んで、川にぷかぷか浮かぶことになるのよ!」


 一息に捲し立てたあと、ふうふうと肩で息をする。

 とくに悪役令嬢である私のほうは、頭が良くて、いつでも味方をしてくれるルイがバックにいることで調子に乗りまくっていた。

 ルイは私のすることをまったく否定せず、堕落していく私を煽りまくった。


「とにかく私たちは、一緒にいちゃいけないのよ。悪人が悪人を煽って、とんでもないモンスター二体を作り上げちゃうんだから。私そんなものになりたくない」


 ルイは形の良い目を丸くさせたあと、またすぐに、いつもの楽しげな笑顔を浮かべたのだった。


「へえ、おもしろいね。それ、リリーの予言?」


「そんなようなものよ。でもね、これ本当に当たるんだから」


「リリーと二人で破滅するなら悪くない」


 うわ。

 あなた本当に十歳? と言いたくなるような、あくどい顔をしてルイが笑う。

 人のこと言えないけれど、ルイの悪人面は筋金入りだ。


「ふっ、あはは。リリー、善人のふりしたいんじゃなかったの? 今、悪魔もゾッとするぐらい最高に冷たい目で、僕のこと見下すように見つめてくれたよ」


「……!」


 しまった。

 完全に無意識だった。

 気をつけよう。

 笑顔。笑顔。


「今度は何を考えてるの? 人殺しを企んでいるような笑顔だね」


「もう! そういう甘い言葉で、私をその気にさせるのはやめて」


「ねえ俺と一緒に地の果てまで堕ちようよ。きっと、とても刺激的だよ。リリーもそういうの好きでしょう?」


 今まではね!

 でも、もう刺激を追いかける生活からは、卒業したからね。

 意思表示のため、いつものように勝手に私の腕に自分の腕を絡めて、すり寄ってきたルイを突き放す。


「大丈夫。賊に襲われて串刺しの部分は、しっかり回避するから。それに第一王子を失墜させるのに、失敗したりもしないよ。というか第一王子を失墜させて欲しかったんだね、リリー。君はあんまりそういうことに興味がないと思っていたけれど、そうか。それなら俺も色々と考えておかないと……」


 後半は独り言のような声音になったので、よく聞き取れなかった。


「とにかくさっき言ったとおりだから! 今後は一切会わない。ルイもできるだけ早く改心しなさいよ! じゃあね!」


 まっとうな未来を夢見て、ルイに背中を向けて歩き出す。

 だからそのときの私の耳には、彼がポツリとつぶやいた声が届かなかった。


「俺がリリーを手放すわけないのに。そんなこともわかっていないなんて。リリーはお馬鹿さんで本当にかわいいね」


***


 あの春の日から、六年間。

 馬鹿な私は、破滅する運命を恐れて、ひたすらに惨めで恥だらけの人生を歩んできた。

 ゲームの中で悪役令嬢を追い詰めた人々にたしいては、愛想を振りまき、ご機嫌伺いを行い続けた。

 十三歳で出会ったヒロインにも、嫌われまい、憎まれまいと、必死で媚を売った。


 それだけじゃない。

 とにかく徳を積んでおくべきだと思って、慈善事業には積極的に参加したし、毎週末ゴミ拾いボランティアに精を出した。

 困っている人を見たら、必ず声をかけた。

 困ってない人にも、困ったことはないかと尋ねて歩いた。


 いま、アルベルト城の大ホールのど真ん中で、膝をつき項垂れながら悟る。

 あれ全部、まったくなんの役にも立たなかった……!


 ちょうどいま私は第一王子に『腹黒のゴマすり女』と中傷され、さらに足蹴にされて、すっ転んだところだ。

 そっか。

 腹黒のゴマすり女か……。

 でも間違っていないかもしれない。

 私は、自分が不幸になるのが嫌で、他人の顔色ばかり伺い、自分のために人に優しさを押し売りしてきた。


 結局、性根がクズだったのだろう。

 私の体の中に流れる血には、悪役令嬢のスクリプトが組み込まれているのだ。


「リリアーヌ、目障りだ。さっさと消え失せろ性悪」


「お優しい殿下に、こんなお言葉を浴びさせるなんて……」


 手と手を取り合った第一王子とヒロインが、悪鬼のように顔を歪めて、私を睨みつける。

 ふらふらと立ち上がり、ホールを立ち去る私を、数多の笑い声が見送ってくれた。


 傷ついた心で、家へ辿り着くと、父親と長兄に「即座に出て行け、リリアーヌ。この面汚しめ」と怒鳴りつけられた。

 母はこちらを見向きもしなかった。

 彼らは、王族の怒りを買った娘などいらないそうである。


 ここまでの流れ、ゲームにあったとおりの展開なので、別に驚かない。

 ただひとつ違うのは、隣にルイがいないことだけ。


 六年前、私が決別を宣言したあの日から、彼とは一度も顔を合わせていない。

 風のうわさによると、あの直後、ルイは隣国に留学して、そのまま一度もこの国に帰ってきていないらしい。

 こういう結末に辿り着いてしまった私としては、ルイだけでもまっとうな人生を歩んでくれたのがうれしかった。


「このあとは、賊に襲われて串刺し、からの水死体だったわね……」


 気がめいるなぁ。

 串刺し痛いんだろうなぁ。


 一銭も持たず、行く当てもなく、日の暮れかけた街路をとぼとぼと歩きながら、ため息をつく。

 死にに行く――、この状況をあっさり受け入れている自分が、少し信じられない。


 全部がだめになって、諦めてしまうと、人間の心ってこんなふうになるんだ……。

 そんなことを思ったとき、ぱからぱからと馬のひずめの音が背後から聞こえてきた。


 ああ、きた。

 賊の登場だ。


 一度すうっと息を吸って、ゆっくりと振り返る。

 すぐに目の前までやってきた一頭の馬は、やはり私の前で歩みを止めた。

 禍々しい黒い馬に乗った、ローブ姿の男が、私を見下ろす。

 目深にかぶったフードのせいで、彼の顔は口元しか見えない。

 男の唇は薄く弧を描いてから、ゆっくりと開かれた。


「どうして怒らなかったの?」


 え……。


「君をなじった王子やご令嬢。君を庇わなかったご両親、兄上。君を嘲笑ったすべての者たち。何より君を苦しめ傷つけた運命にたいして、君は怒るべきだろう? リリー」


「……!」


 懐かしい声。

 耳に馴染む甘くて、優しい声。

 ああ、でも私が知っているものより、少しだけ低い。

 けれど聞き間違いなんかじゃない。

 彼は、私のことをリリーと呼ぶ唯一の人。


「ルイ……」


「久しぶりだね、リリー」


 なぜなのだろう。

 誰に何を言われても、誰に何をされても、一度も流れたことのない涙がとめどなく溢れ出す。

 この六年間、必死に踏ん張ってきた両足からは、力が抜けてしまい、もう立っていられなかった。


「うっ……うう……」


 その場に座り込んだ私は、唸り声を上げながら涙を流した。

 唇を噛みしめても噛みしめても、嗚咽が溢れ出してしまう。

 馬上からひらりと飛び降りた彼は、私の傍らに跪き、当然のように肩をギュッと抱きしめてくれた。

 彼はまだフードをかぶったままだったけれど、顔を見なくても、疑いようがなかった。


「ルイ、どうしてここにいるの……。留学していたんでしょう?」


「少し前、密かに戻ってきたんだよ。君を助けるために」


「な、なんで……。私、昔あんなに一方的に、あなたを突き放したのよ……?」


「そのおかげで、俺は君のために、色々な下準備が出来た。そもそも突き放されたからって、手放したつもりはなかったし、気にすることないよ」


「う、うん……?」


 なんだかよくわからないけれど、私のひどい行いを彼は許してくれているらしい。

 身勝手だとは思うけれど、うれしいと思ってしまった。

 ルイは私を宥めるように、何度も優しく髪を撫でてくれた。


「リリー、泣くより怒るといいよ。そのほうが元気が出るからね」


「そう言われても、難しいわ……。もうずっと攻撃的な感情は持たないよう努力してきたんだもの」


「じゃあ客観的な視点で、避難するところから始めてみたらどうかな」


 客観的……。

 自分のあしき感情じゃないと思えば、たしかに突っ込みどころが色々と浮かんでくる。

 たとえば……。


「あのね……い、いくらなんでも、女の子の私を、王子様が足蹴にするのはないと思ったのよ……」


「本当だね。だいたい君を性悪だとからかっていいのは、俺だけなのに」


「なによそれ……。でもルイ、なんでそんなことまで知っているの?」


「あの場にいて、苛められる君の様子を全部見ていたからだよ」


 ルイは、なんでもないことのように、サラッと言ってのけた。

 私が絶句して固まると、肩を抱いていた彼の指に痛いぐらい力が込められた。


「わかってる。見ていたのに止めてくれなかったのって、腹が立つよね。俺も死ぬほど助けに出て行きたかった。でもしなかった。このことを一生恨まれても仕方ないと思っている」


「恨んだりしないわよ……。だってあんな状況、助けになんて出てこられるわけがないもの……」


「言っておくけれど、保身のためじゃあないよ? あの場で君の前に立ちはだかっても、君を辱めた連中は痛くもかゆくもない。だから耐えた。おかげで彼らに対する憎しみがますます募ったよ。こういう気持ちは大事だよね。復讐のための原動力になるから」


「え……復讐って……?」


 少し身を引いて、彼に尋ねる。

 ルイはクスッと笑い声をこぼしてから、ローブに手をかけ、フードを下ろした。


「……っ」


 六年前、天使のような美少年だった彼は、絶世の美男子に成長していた。

 威圧的なルビー色の瞳、冷酷無情に見える微笑み。

 このアルベルト王国の王族だけに見られる銀髪だけが、あの頃と変わらない。


「さあ、リリー。僕と一緒に、君を傷つけたすべてのものに、復讐してやろう? きっとすごく楽しいよ。それが果たされた後には、あいつらの絶望に歪む顔を眺めつつ、二人で祝宴をあげようね!」


 アルベルト王国第二王子ルイ・シュワルツは、私に向って手を差し出した。

 幼い頃、イタズラに誘った時と同じ、悪魔のような笑顔を浮かべて。


 ――この半年後。

 私は、ヒロインが自分になすりつけてきたあらゆる罪の証拠を、ルイの協力を得ながら集め、最終的に彼女を国外へと追放した。

 ヒロインにまんまと騙されていた第一王子は、王位継承権をはく奪され、代わりに皇太子の座には、ルイがつくことになった。

 ルイは留学によって、隣国の皇太子と密な友情を築いていて、その後押しが決め手となった。


 私とルイの関係は……。

 色々育んでいる最中だということだけ言っておく。

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