3.変わらない気持ち
何か続きを言いかけたジャスミンに向かって、その男が拳を振り上げた。とっさにジャスミンと体を入れ替え庇ったせいで、オレの背中にその男の拳が思い切りぶち当たった。かなりの力が込められたその拳に、オレは完全にキレた。オレの受けた痛みにではなくて、その拳をジャスミンに向けようとしたことに対してだ。
「おまえ、今ジャスミンの顔を殴ろうとしたな!その力でジャスミンを殴ってたら、アザどころの話じゃなかっただろ!そんなことになってみろ、ジャスミンの仕事は全部パーだぞ!おまえだって同じ業界にいるなら、そんなことぐらいわかるだろ!なのに、何でそんな風に殴れるんだよ?ジャスミンがどんなに苦労して今の地位を保ってるかだって、想像つくだろ?見た目第一の世界で、顔に傷を作ってくるモデルなんて、すぐにお払い箱だ!ジャスミンを好きなんじゃないのか?好きな女を傷つけて、仕事まで奪って、それで自分に縛り付けて満足か?そんなの愛じゃないだろ?どうして、こんなことができるんだよ!」
一気にまくしたてたオレに、その男・リョウは自嘲気味につぶやいた。
「結局アンタがそんなだから、ジャスミンはアンタを忘れられないんだな。何度もアプローチして、やっと振り向いてもらって、何をさておいてもジャスミンに会う時間作ってるのに、どこか最後のところで距離があるの、感じてた。ここのところずっとおかしくて、気になって追いかけてきたらこれだよ。別れても好きな人か…。結果別れてもいねぇんじゃないの。合い鍵持ってる関係が切れてるなんてあり得ない。なんか、オレ遊ばれた?本気で付き合う気なんて、ホントにあったの?」
ああ、コイツも本気でジャスミンが好きだったんだってわかった。きっとジャスミンより年下なんだろう。あこがれの人をやっと手に入れたと思ったのに、報われないものを感じて、それが怒りに向いてしまった。その気持ちはわからなくもない。でも、やっぱりジャスミンを殴ろうとするなんて、ジャスミンを好きでいる資格なんかないんだ。オレがさらに言い募ろうとした時、ジャスミンがそいつに謝り出したんだ。
「リョウ、ゴメン。アタシ。リョウのこと結局傷つけるだけだったんだね。確かにそう。アタシ、ずっとベクのこと忘れられなかった。でも、リョウがまっすぐアタシに向ってきてくれて、大事にしてくれて、すごくうれしかったの。だから、きっとベクを忘れてリョウを愛せるようになる、って思った。リョウと一緒にいるの楽しかった。でもね、全部を見せるの怖かった。頼り切ることができなかった。本当の自分で向き合えなかった。わかってたんだね、そんなことも。アタシのこと恨んで。許さなくていい。でも、もう一緒にはいられない。アタシを好きになってくれてありがとう。それから、本当にゴメンナサイ。」
ジャスミンがそう言って深々と頭を下げるのを見て、リョウは打ちひしがれた表情で、フラフラと部屋を出て行った。
「ジャスミン…。」
「ゴメン、ベク。殴られたトコ大丈夫?アザになってない?アタシなんか庇わなくてよかったのに。殴られて当然だよ。リョウのことあんなに傷つけて…。」
「確かにアイツを傷つけたかもしれないけど、だからって、おまえの顔に傷作っていい理由にはならないだろ?本気だったのは、よくわかったけどな。」
「うん…。」
俯いて落ち込んだジャスミンをそっと抱き寄せる。されるがままオレに体を預けるジャスミンは、この間よりもっとやせた気がした。ジャスミンも、オレ同様に悩んでいたんだろう。
ジャスミンを促して、とりあえずソファに並んで座る。ジャスミンはオレの肩にもたれ、オレはそんなジャスミンの髪を撫でる。2人ともしばらく言葉もなく、ただそうしていた。
「ね、ベク。」
しばらくして、ジャスミンが話し出した。
「アタシ達、やり直せるの?あんまり好きになり過ぎて、そんな自分が怖くてベクから逃げてしまったのに、もう一度、アタシのこと受け入れてくれるの?」
ああ、そうだったのか。それがジャスミンが去った理由だったんだ。やっとわかった。
「ジャスミン、やり直す必要なんかないんだ。だって、オレにとってはずっと終わってなんかいなかったから。ジャスミンがいなくなってからも、ずっとおまえのことしか考えられなかった。ずっと好きだった。いや、離れてみて、もっと好きになった。だから、今度はもう2度と失いたくないんだ。それは、おまえも一緒だと思うから。」
オレは改めて、ジャスミンを腕の中に抱きしめた。
「オレ達、一緒にいることにこだわり過ぎたんだよ。お互いこんな仕事してるから、一緒にいられる時間はどうしたって限られる。そこでいっぱいお互いを求め過ぎて、パンクしちゃったんだ。だから、今度は、離れている時間を大事にしよう。離れていても、こんなに相手のことを好きでいられる自分に自信を持とう。そして、オレのこと信じて。オレもおまえを信じるから。それできっと大丈夫。な、ジャスミン。」
「離れている時間を大事に…。」
ジャスミンはそこでしばらく考え込む。たぶん、この離れていた間の自分のことを思い返しているのだろう。
「そう、おかしいんだよ。離れてからの方が、ベクの優しい笑顔いっぱい思い出してた。一緒にいる時は、寂しそうな顔ばかり見てたのにね。ホントにそうだね。離れてる時間にも相手のことを想えるのって、幸せなことかもしれない。うん、きっとそうだよね。」
ジャスミンの声に明るさが戻った。だから、オレは抱きしめてた腕を緩め、その表情も確かめる。キラキラ輝く美しい瞳が、オレをしっかり見つめている。
「ジャスミン、改めてオレとちゃんと付き合って。好きだよ、愛してる。」
「ベク、アタシも好き。愛してる。」
オレ達は、心も体も一つに結ばれる幸せな夜を過ごした。
1か月後。アルバム制作が終わり、ツアー準備もいよいよ大詰めを迎えた。最初と最後に韓国内での公演を入れた、日本・中国・タイ・シンガポール・香港と5か月にまたがる計およそ50公演。もちろん新しいアルバム曲がメインだけれど、このツアーのために自分達メンバーで書き下ろした曲を2曲追加することで、より構成がオレ達の理想に近いものになった。合間に通常のレギュラー仕事がある関係で、相当ハードな日々が続く。
「ベク兄さん、最近ずっと楽しそうだね。…彼女さんとうまくいったんだ。」
「ああ。セナのおかげもあるよな。あの時は、サンキュー。」
「そっか、よかった。…で、ベク兄さんの彼女って、この人?」
とセナが手にした雑誌の表紙を飾っているのは、ジャスミンだった。オレが驚いた顔をすると、セナが元来のいたずらっ子の顔で笑う。
「だって、兄さん、この間から手が空くとマガジンラックのこの表紙、ずっと見てるからさ。バレバレ!」
耳が熱くなるのがわかる。まったく、セナのヤツどこまで人を観察してるんだ?
「でも、大丈夫。他のみんなは気づいてないよ。それにしても、すっごくゴージャスな彼女さんだね。どこで知り合ったの?ね、いつから?ねえ、ベク兄さん、教えて~!」
「ダ~メ!まだナイショ。…その内にな。」
「約束だよ!ちゃんと教えてよ?」
「ああ、わかったよ。」
人のことをさんざんイジって、今度はチャンスのところに行ったセナ。チャンスも何かあるのかな?まったく、セナは子供だか大人だかホントよくわからないヤツなんだから。
おや?セナは、チャンスにも何か言ったみたいだ。チャンスがあんなに驚くんだから、相当なんだろうな。セナ、恐るべしってところだな。ああ、インファはまた何か書いてるのか。ユチャンは読書?こんなところでよく集中して読めるな。で、テオクは完全寝ちゃってるし。夜遊びもほどほどにしてもらいたいとこだけど。
…いつかみんなにジャスミンを紹介できたらいいな。早くそうできるように、がんばらなきゃな。表紙のジャスミンは本当にキレイな笑顔で笑ってる。オレはそれを見ながら、そう思ったんだ。
あれから、3年程が経ったけど、オレとジャスミンにそれ以上の進展は無い。今はまだ2人にとって仕事以上に大切なものは無いからだ。
ジャスミンは、ますます活動の幅を世界に広げ、すっかりトップモデルの仲間入りだ。「世界の美しい女性100人」にも選ばれたり、以前韓国内のモデルとして活動していたブランドの今は全世界向けのミューズにもなっている。その華々しい活躍には、目を見張る。そんな彼女が誇らしくもあり、ほんのちょっぴり嫉妬もしてしまう。オレ達もすっかりアジアでの地位は確立できてはいるけれど、欧米では限られた範囲でしか認識されていないから、同じように世界を目指したジャスミンに水をあけられたと感じてしまうんだ。そこらへんの感覚は、出会った頃と変わっていない。
そんな中、オレは11月に入隊する。とりあえずのひと区切り。やり残したことがないように精一杯できることを、と思っている。
この約2年で、オレとジャスミンの関係にも何か変化があるだろうか?けど、たとえ何があろうと、きっとオレのジャスミンへの気持ちは変わらない。何があっても受け止める覚悟はできている。それが、オレの愛し方なんだ。離れていても、いつも心は寄り添って見守り続けるから。
また、セナがオレをこっそりからかおうとして買ってきたジャスミンの表紙のファッション雑誌を眺めながら浮かんだ新しい曲のアイディアを、頭の中でまとめているオレ。もっといい曲を。今のオレにとっては、それが最優先。恋の成果を出すのは、焦らずまだまだ先でいいや。
だろ?ジャスミン。表紙のジャスミンは今日も最高にクールな表情でオレを見つめている。
-完結ー
お付き合いいただきありがとうございました。スピンオフ作品、リーダー・ベクとトップモデル・ジャスミンの「受け入れる恋」のお話『離れていても心は…』全3話、当話をもって完結いたしました。内容は、本編から遡ってのお話、それを本編現在で振り返ってみました。お楽しみいただけたら幸いです。
まだ、あと残り二人のメンバーが残っています。うまく書きあげられるかどうか心配なのですが。できましたら、またお付き合いいただけたら幸いです。