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4 メシが不味いぞ俺の嫁

 命の危機に瀕している事など、この平和な日本で普通の人生を送る人間が一体どれほど体験するかなど不明だが、そう多い事はないだろう。それなのにも関わらず、俺は現在進行形で命の危機を感じている。今、確かに俺の命は風前の灯だ。


「どうしたのよ、クズ? 遠慮なんかしないでいいんだからね」

「あ、ああ……」


 滅多にない嫁の優しさが、今日は辛い。


 さて、まずは今の状況を説明しよう。なに、難しい事なんてひとつもない。三行だ。


 嫁のレオンが生まれて初めて料理を作った。


 死ぬほど不味くて食えたものじゃない。


 食わざるを得ない状況の為、困っている。


 という事だ。


「最後にはデザートも残ってるんだから、楽しみにしてなさい!」


 しかし俺の箸は一向に進まない。今、ようやくなんとか、かつては卵焼きと呼ばれていたであろう料理だと思われる黒い物体を半分ほど平らげたところだ。……うぇ、吐きそう。

 どうして俺はこんな目に……。



        ●○●○●



 ――話を遡る事一週間ほど前になる。


 新井部長の仕切る婚活部は、あの大イベント(俺の中での別名、嫁パンツイベント)から数日を経て見事正式に部として認められた(あんなふざけた部がよく認められたものだ)。

 あの日、帰りに少々レオンとはいざこざがあったものの、次の日になればなんの事はない、いつも通りの日常に戻っていた。今でもわずかなしこりがないわけではないが、俺もあえて蒸し返したくはないし、レオンのやつも特に何も言ってこないのであの一件については触れたりしていない。


 それから毎日、我が部は真面目(?)に活動していた。俺と藤田は主立って宣伝(張り紙など)を、新井は一応部長らしく表面上不具合の無いように活動内容のまとめ(俺にはよくわからんが)を、三上先輩は部室に自分専用のロッカー作り(一応視聴覚室なんだがいいのだろうか)を、レオンと相原はコミュニケーション力を実戦して学ぶ事(ただの井戸端会議とも言う)などを行ったりして、日々をなんとなく遊んで過ごしていた。


 ことあるごとに三上先輩が俺にちょっかいを出してきては、その度にレオンが噛み付き、猛毒戦争を起こしていたりはしてたが、まぁそれなりに平和ではあった。


 そんなこんなで数日が経過したある日。部活中に突然三上先輩が俺の誕生日を尋ねてきた。そして全くの偶然なのだが、俺はもうすぐ誕生日なのだ。


 で、その事を教えると三上先輩は俺のお誕生会を部活でやろうなどと言い出した。俺は断ったが言い出したら聞かない三上先輩は、自慢の料理の腕を振るいたいらしく、手作りケーキとかを持ってくるなどと言い始めた。で、また余計な一言を加えた。


「小学生には手作りケーキなんて作れませんものね」


 結果、レオンもケーキを作ると言い出してまた小競り合いが始まった。


 その喧嘩を見た新井が、「じゃあ料理対決でもしようか」などと言い始め、話はあれよあれよと大きくなり、俺のお誕生会は部活メンバー全員が食材を持ち寄り料理の腕を競い合う料理大会に発展してしまったのだ。


 そして俺の誕生日まで残すところあと一日の今日、レオンは本番に備えて予習したいから今日は自分が夕食を作る、という流れとなり、今現在、俺は命の危機に瀕しているというわけだ。


 これまでレオンが何かを作ったりしたのを見た事がない俺は、多分こいつは料理なんてした事ないんだろうなと薄々わかってはいたが、まさかここまで不味い物が食卓に並べられるとは思いもしなかった。


 しかしレオンも俺の為に料理をしてくれている、と考えるとせっかく作ってくれたものを残すのはいささかしのびないと思い、なんとか全て平らげようとは息巻いてみたものの、それは想定以上に困難な思惑だった。


「あ、ねぇクズ。そっちのパスタ、食べてみてよ。創作だけど、自信あるの!」


 レオンは上機嫌でテーブルのソレを指差した。


 俺は目を疑った。この食卓にパスタと呼ばれる料理が存在していたのか。


「その……パスタというのは、ソレ、の事か?」

「はぁ? あんたパスタも知らないの? どう見てもソレに決まってるじゃない」


 レオンから見て『どう見てもパスタ』というソレは、長さがまるでマカロニ以下しかないぶつ切り状で真っ黒になっており、しかもそのぶつ切りパスタ(?)は真っ青なスープの中でいくつかがかろうじて浮かんで見える。ちなみに香りはなんか甘い感じ。なんだろうこの匂い……あ、あれだ。露店にあるカキ氷屋のブルーハワイの匂いだ。


「これが……パスタ、か」

「いわゆるスープパスタってやつね! ただ既存の料理に準じていたんじゃあの淫乱売女の鼻をへし折れないから、あっと驚く創作料理に挑戦したの!」


 どうしてまともに料理をした事がないやつが創作なんてするんだ……。


 いつもなら絶対、料理を俺の為に運んだりなどしないのだが、今日は本当に上機嫌なのだろう。わざわざ俺の目の前にまでそのパスタ(?)的なものを運んできてくれた。そして満面の笑みで薦めてくる。可愛いんだよ、ちくしょう。顔だけはな!


 俺は眼前に差し出されたそのパスタ(?)的なものをフォークですくってみた。するとパスタ(?)的なものは短くてほとんどすくえないので今度はスプーンを使ってすくってみた。そしたらなんか、糸引いた。なんで。


「あのレオンさん……これは、何かねばっとしているみたいですけど、食しても人体に悪影響はないんですよね?」

「当たり前でしょ。ねばねばしたものは健康にも良いって聞いた事があるから、そういうアレンジも加えたのよ!」


 えっへん、といった感じでレオンはふんぞり返った。


 据え膳食わぬは男の恥、とは言うが、これはかなり勇気がいる。俺はスプーンですくいあげたパスタ(?)的なものを震えながら口に運んでみた。


「……んぐ。く、く……」


 予想通り始めに感じたのは甘み。ブルーハワイの豊潤な香りが口一杯に広がる。次に感じたのが粘度。一口噛む度に口内でにちゃっにちゃってなる味はゴーヤっぽい。そして最後に感じたのが炭の苦味。多分パスタが完全に焦げているのだろう。


「……ぅぷ」


 堪能しているうちに激しい吐き気に襲われたが、かろんじて流し込んだ。危なかった。一口でこの威力。俺はこれを平らげる自信が、まるでない。


「はぁっ……はぁっ……!」

「あんた、何泣いてんのよ?」

「あ、あまりの美味しさに、か、感……ぉえ……んぐ。感激して……んだよ」


 死ぬ。俺、本当に死んじゃう。この地獄はいつ終わるの?


「そ、そんなに褒めたって、べ、別に嬉しくなんかないんだから!」


 レオンは頬を赤く染めながら、顔はにやけつつテンプレツンデレている。俺はなんていいやつなんだ。俺が女だったら俺は俺に惚れるぞ。


「じゃあ私、次の料理持ってくるから、それ全部片付けちゃってよ」


 なん……だと。


 まだ食卓には五種類ほどレオンの手作り料理が残っているというのに、更に増援部隊が送られる……だと。


 ああ、神様。俺は無事に明日の朝を迎えられる事が出来るのでしょうか。


 現実逃避しながら、俺はとりあえず口にしてしまったパスタ(?)的なものを味わおうとはせず、水と共に一気に流しこむ事にした。


「あれ、もうパスタ食べ終わっちゃったの? そんなに美味しかった?」

「はぁ……はぁ…。……う、美味、すぎて……ぐすっ、な、涙が止まらねぇよ……うぅ」

「そ、そこまで言われちゃうと、さすがにちょっと嬉しい、かも……」


 ああ、レオンが珍しく素直にはにかんで照れている。それが見れただけでもこの苦行を乗り越えた価値がある。そうとでも思わなければやってられない。


「まだまだたくさんあるから、遠慮なんかしなくていいんだからね!」

「まだまだたくさんあるんだあ。たのしみだなあ」


 完全に棒読みと化した俺の言葉になど気づくはずもなく、レオンはますますご機嫌に台所へと向かっていった。


 俺はひたすらに水で流し込みながら食す戦法で、いくつもの敵部隊を撃破していった。あまりに水を欲しがるものだから、多少レオンが不思議がっていたが、俺は「レオンの料理を早く味わいたくて、急ぎ食べてるからノドに詰まるんだ」と言ったらまた喜んでいた。


 それから幾度か三途の川を渡りかけながらも、俺はついにレオンの手料理を全て堪能する事ができた。ここまで何かを頑張ったのは、生まれて初めてかもしれない。


「ほんとあんたってよく食べるわね……。じゃあ最後のデザート持ってくるね」


 俺は現在、声を発する事が困難になっていた為、ニッコリと笑いながら頷く。今、声を出したら胃の中に収めた何もかもを噴出してしまいそうだ。


「はい、デザート。プリンを作ってみたの。あんた確かプリン好きだったもんね」


 地獄の幕引きに出されたプリンという名の食べ物は、俺の目の前には存在していないのだが、もはや何も言うまい。優しい俺の嫁が俺の為に作ってくれたものを食さないわけにはいかない。


 俺はスプーンを手に取り、プリンと呼ばれる、真っ赤なぐにゃぐにゃの物体をすくい、口に運んだ。


「どう、かな?」

「……(にこ)」


 笑う以外の反応を示す事ができない。


「そっかぁ、よかった! じゃあ私、食器を洗ってきちゃうね! あ、それとあんた今日はたくさん食べ過ぎたから動くの億劫でしょ? 洗濯物も私が特別にやったげるわ!」


 レオンは本当にご機嫌のようで、洗濯物を自分から進んでやるなど初めての事だ。いつも家事炊事洗濯(さすがに彼女の洗濯物だけは自分でやっていたようだが)全て俺にしかやらせなかったというのに。


 とにかくとにかく、あと残すところわずか。赤い謎の物体ことプリンを食べてしまえばこの地獄は終わるのだ。あと、たったの二、三口で。


 しかし、この真っ赤なプリンらしきものは、さすがレオンの最終兵器なだけはあり、今まで以上に食すのが困難な食べ物だった。


 何がって、とにかく辛くてしょっぱい。プリンという潜入感を見事に裏切る辛さ。いや、色合いから言うと見た目通りといったところか。その辛さをごまかす為にまたもや水を飲もうとするも、すでに腹がパンパンの為、水すらもノドを通らない。おまけにいつまでも口内でもたもたしていると、さらにツブツブの謎な食感が表れる。極めつけにこのツブツブを噛むと、ものすごく苦いのだ。


「はぁ……はぁ……。ぅぇ……」


 もう苦しすぎて、何がなんだかわからない。両目から涙が止まらないのだ。


「ぁ……ぅ……」


 俺は「あと少しだ頑張れ俺」と言っているつもりなのだが、声になっていないようだ。


 けれど、けれども、俺は最後の力を振り絞ってそのプリン(赤)を口に詰め込んだ。口の中はまだそれらを飲み込めない為に一杯だが、俺はやり遂げた達成感に包まれた。


「ねぇクズ。この雑巾なんだけど、もう汚くて臭いから捨てちゃっていいわよね?」


 口の中がまだ一杯の俺に尋ねるべく、レオンは鼻をつまみながらトイレ掃除用の雑巾を持ってきた。と、その時。


「あいたっ!」


 レオンは何かにけつまづいたらしく、その拍子に持っていた雑巾を俺へと放り投げた。


 そしてペチャン、と俺の顔を覆った。えもいわれぬ香りが俺の鼻をつんざく。


 ――瞬間。


「……ぅ、オボロロロロロロッロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロッッ!」


 俺の全てが、解き放たれたのだった。



        ●○●○●



 粗相をしてしまった俺は、自分の汚物を片付けようとしたのだが、その直後に気を失ってしまったらしく、目が覚めたらすでに夜中の十二時になっていた。


 周囲を見渡すと、すでにレオンは布団で眠っており、俺の汚物等も綺麗に片付けられている。レオンがやってくれたようだ。


「腹いてぇ……」


 胃の中がまだぎゅるぎゅる鳴っているが、とりあえず吐き気は収まっている。むしろノドの乾きを覚えた俺は、部屋の豆電球だけを点けて台所へと向かった。水が欲しい。


 あのあと気を失ってしまったのでどうなったかわからないのだが、多分レオンは怒っているに違いない。せっかく作った料理を全て吐いてしまった上に、俺の汚物まで片付けさせたのだから。これは明日の朝、そうとう文句を言われるな。


 レオンを起こさないよう、物音を立てずに台所まで来ると何かメモみたいなものが置いてある事に気づく。それには、簡素な字でこう書かれてた。


『全部食べてくれてありがとね』


 レオンが書いたのだろうか。とても信じられないが、それ以外には考えられない。


 メモの横には胃薬も置いてある。まさかあいつがこんな気遣いをしてくれるとは思いもよらなかった。


「あいつにも、こんな優しさがあったんだな……」


 俺はひとりごちた。もし今の言葉を聞かれていたなら、「別にあんたの為に優しくしてやったわけじゃないんだからね」というテンプレが返ってくるんだろうな。


 胃薬と水を飲んだ俺は再びソファーで横になった。とりあえず明日の朝、レオンのやつには謝っておくか。


「……クズのくせにぃ……無茶するんだから……」


 ハっとして俺はレオンを見る。どうやらただの寝言のようだ。


 そういやどうして俺はこんな無茶をしたんだろうな。いつもなら不味いものは不味いって言ってやるのに。明日の料理大会で三上先輩に負けたくないっていう意地が一番なんだろうが、それでも俺の為に作ってくれたから、か? 無茶をした理由は俺自身、よくわかっていない。


 というか、よくよく考えたら明日の料理大会でレオンはまた料理をするわけで、みんな一体どういう反応をするんだろうな。……あらかじめレオンの料理が不味い事をみんなには伝えておくか。その場で驚かれてハッキリ言われたら、レオンのやつ、傷つくだろうからな。あいつ、ああ見えて変なところで繊細だったりするし。布団に髪の毛一本落ちてたりして、枝毛なんかあったりしたら自分の髪の毛を一日中気にしたり、風呂場に小さなカビがあったりしたら、掃除終わるまで絶対風呂入らなかったりとか、な。


 ――などと考えているうちに俺は再び眠りに落ちていた。



        ●○●○●



 翌日。


 結果から言うと、料理大会は行われなかった。


 なぜなら主役の俺が学校を休んだからだ。


 体調を崩した俺は、あまりの腹痛で学校に行く事が出来なかった。朝起きてから、トイレとソファーの往復だったのだ。とてもじゃないがトイレから離れられる状態ではない為、俺はその日学校を休み、レオンは初めて一人で学校へ登校した。


 登校する直前にレオンが「あんた、あんなにたくさん食べるからおなか壊したのよ」と呆れていた。しかし玄関を出て行く背中で「誕生日おめでとう」と小さく呟いたレオンの声をしっかりと聞き取り、少しだけ穏やかな気分になった。直後、またトイレに行った。


 午後になって、ようやく腹の痛みと下痢が和らぎ始めた頃、一応念の為もう一度胃薬を飲んでおこうと思い、救急箱を取り出す。


 そこで俺は全てを理解した。


 この家に引っ越してきてから揃えた救急箱の中身はほとんど未開封のものばかりのはずなのに、なぜか下剤薬の瓶の包装が解かれていた。その下剤薬の形状は昨晩レオンが台所に置いてくれた胃薬と同じものだった……。


 俺は今日、レオンが学校から戻ったら早急に薬の種類と意味を教えようと思った。

















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