16 お前は俺の――(ひとつのエピローグ)
「ねぇ、ちょっと! 私のタオルどこよー!」
「だからいつものとこに干してあんだろーが」
「なんで洗面台の横に畳んでおかないの!? ほんっと使えないクズね!」
長崎から戻って数日。俺たちはまたいつもの日々を過ごしていた。
俺と言えばすっかりまたクズに逆戻りだが、もう慣れてしまっていたし、今更シイと呼ばれるのはトラウマとかではなく、単純にくすぐったいので助かる。
「ったく……早くしないと皆来ちまうぞ」
「うっさいわねー。だったら早く私の服とか準備してそこに並べておきなさいよ!」
前にそれをやったら、勝手に私のタンスに触ってんじゃないわよこの変態クズって言われたんですけどね。
という愚痴は心の中だけでぼやきつつ、いつまでもちんたら顔を洗ったりしているレオンの服を準備してやるかと渋々彼女のタンスに手を掛け衣服を取り出してやろうとした時。
「っと、なんだコレ?」
ハラリ、と一枚の茶ばんだ古い紙切れが床に落ちた。
俺は何の気なしにそれを拾う。
「これ、は」
それは古ぼけた一枚。
俺が親父に呼び出されたあの日に見せてもらった、幼き日の俺とレオンの写真だった。
多分俺の家のアルバムに有った物を、当時焼き増しして彼女も持っていたのだろう。そしてこの写真にも下手くそな手書きの文字が書かれていた。が、そこに書かれていたのは――。
その時、ピンポーン、という軽快なチャイムが部屋の中に響き渡る。
「あー! 美香たちもう来ちゃったじゃない! まだ準備できてないのにぃ!」
レオンがそう叫ぶと同時に玄関の戸がガチャりと開かれた。
「おーっす! 厚真、レオンちゃん!」
「レオンちゃーん! 来たよ―!」
今日は日曜日で休日。
実はあの長崎より帰ってきてから新井たちには会えていなかった。
というのも、関東に戻ったその日は俺の親父に呼び出され俺とレオンはアレコレと事情を聞かれていたので学校に行けず、更に翌日はレオンの父、孝明がすでに一度六間高校にレオンの退校届けの書類などを出してしまっていて、無理やり学校を止めさせる手続きを進めていたのもあり、その退校届けの取り止めやら、教員らに事情の説明などがあったりなどで普段通りに登校出来ておらず、おまけにその翌日は金曜日だったが祝日の為、金土日が三連休となっていて学校に行けなかった。
そして金曜日の日に新井から電話をもらい、色々どうなったか教えろーって言われたので日曜日に全員で集まる事にした。
「三上先輩と藤田は先にカラオケ屋で待ってるぞ。お前らまだ準備出来てなかったのかよ」
新井が玄関より呆れ気味にぼやいた。
なんだかんだ今回の一件で三上先輩や藤田にもだいたいの事情は知られてしまっている。そんな折、三上先輩がレオンの事を元気づけてやる為に皆でカラオケに行こうと提案してくれたんだぞ、と新井から聞いた時は、正直結構驚いた。
三上先輩はレオンが居なくなるかもと聞いた時、想像以上にかなり悲しそうそな顔をしていたそうだ。なんだかんだ三上先輩もレオンの事を気に掛けてくれていたんだな。
「うっさいサル! もう準備できるわよ!」
レオンは怒鳴りながら部屋の奥に行って着替え始めた。
さて、俺も準備するとしよう。とは言っても、もうだいたい出来ているが。
「……よかったね、厚真くん!」
相原が玄関先でニッコリと笑いながらそう言っていた。
●○●○●
俺達四人が徒歩でカラオケ屋の前まで着くと、その俺達に気付いた三上先輩と藤田が大きく手を振りながら声をあげた。
「新井くん、こっちこっちー」
「椎名さん! こっちですよー」
三上先輩と藤田を見るのもなんだか久しぶりな気がする。たった数日だったのに、色々ありすぎたせいだろうな。
しかしこの集まりも三上先輩が提案したというのだから本当に驚きだ。
俺の中での三上先輩に対するイメージは、美人陰キャ設定なのでこういう事を企画するタイプとは真逆の性質だと思っていたのに。
「あらあら、小学生はなんだか少し見ない間に、更に小さくなってしまったんじゃないですか?」
「あんたこそ、ちょっと見ない間に更に淫乱さに磨きがかかったんじゃないの?」
レオンと三上先輩の挨拶はいつも通りだ。でもそんな二人の顔はなんだか嬉しそうに俺には見えた。
「あ、そうそう! 椎名さん、長崎のおみやげとかないんですか?」
「ありますあります。帰りのパーキングエリアに寄った時に色々買ったんすよ」
やはり帰りに買っておいて正解だったな、と俺は思った。
「まあまあ。聞きたい事はたくさんあるけど、とりあえず中に入ってからにしよう。暑いし」
積もる話で盛り上がり掛けてしまったところを藤田がまとめてくれたおかげで俺達はようやく、空冷の効いたカラオケ屋の中に入る。
カラオケ、か。俺は歌が得意じゃないんだが、歌うのは嫌いじゃないんだよな。
「あ、ねぇクズ。私の荷物持って先に部屋に行ってて」
「おう、ウンコか?」
「違うわよ! だいたいそういう事デカい声で言うんじゃないわよ! このクズ!!」
「グハッ!」
レオンは手荷物を俺に渡しつつ、腹部に同時に前蹴りを入れた。相変わらず加減がねぇ。
「部屋に入ったら、私のオレンジジュースとポテト頼んでおいてよー!」
と言いながらレオンはお手洗いの方へと小走りで行ってしまった。
そんな様子を見ていた新井が、
「しっかし厚真、お前の行動力には正直恐れ入ったわ」
がっはっはと大声で笑いながら俺の背をバシンバシンと叩きながら新井が言った。
「ね! 私も厚真くんがこんなに行動派だとは思わなかったなぁ」
相原も楽しそうに新井の言葉に乗っかった。
「何言ってんだ。お前らが後押ししてくれたんだろ。俺一人じゃ動けてねーよ。ありがとな」
これは心から思った事だ。本当にこの二人には感謝してもしきれない。
「……椎名さん。失礼ながら事情は新井さんからだいたいお聞きしました。やはり小学生とはそういうご関係だったんですね」
「僕も聞かせてもらったよ。厚真くんと金宮さんって凄いお家柄だったんだね」
三上先輩と藤田は待ちきれなくなったのか、カラオケルームへ続く短い通路で早速そう尋ねて来た。
「すんません、三上先輩に藤田。二人には色々黙ってて」
「いえ、いいんです。もとよりお二人のご関係については並々ならぬ雰囲気を感じ取っていましたし」
「そうだね。僕もなんとなくはわかっていたよ。でもまさか許嫁って関係だとまでは思わなかったけどね」
さすがに俺達の関係が普通じゃない事はバレバレ、か。まぁ俺も隠してはいたけど、部活メンバー内といる時は割と素だったし、それも当たり前か。
「それより意外だったのは三上先輩だよ。金宮さんが学校から居なくなるかもってわかった後、すぐに新井くんにハッパ掛けたの、三上先輩なんだから」
「……藤田さん。そういう事、言わなくていいですのに」
俺も実は新井から聞いている。
確かに長崎へレオンを追いかけろと背中を直接押してくれたのは新井だ。
しかしその前に三上先輩は新井のもとへ電話し、レオンと俺の事を聞いたり、レオンの事を追いかけさせた方が良いとアドバイスしたりしたのはこの三上先輩だったのだ。
「べ、別に私は、あんな小学生がどうなろうと知ったこっちゃないです。ただそれで椎名さんが落ち込んでしまうのを見てられなかっただけです。小学生の為なんかじゃないんですからねッ!」
三上先輩、それはレオンの専売特許のツンデレなんで、あんたはやらない方がいいっす。
と、内心可笑しくなりつつも俺はこの二人にも多大な感謝をしている。
「藤田さんだって、小学生の退学について学校側に待ってほしいって教員に話していたって聞いてますよ」
「だって、金宮さんいなくなっちゃったら、部活存続できなくなっちゃうからね」
そう、藤田もなんだかんだで心配してくれていたという話も聞いていた。
だから俺は新井、相原、三上先輩、藤田全員に感謝していた。
――婚活部。
ふざけた名前の部だが、こいつらは皆良いヤツだ。
俺は良い仲間に恵まれたと本当に思っている。
「ありがとう、藤田。三上先輩」
俺が素直に礼を述べると、三上先輩はニッコリと笑い、
「さ、そんな事より今日は積もる話と椎名さんの超オンチの歌声を皆で楽しみましょうね」
嬉しそうにそう言った。
●○●○●
――皆で思う存分遊び終わった頃にはもう夜の八時を回っていた。
カラオケ屋に集まり、まずは皆で様々な話しをした。
その後は歌を歌ったり、新井がまた変なゲームを考え付いてそれで遊んだりなどしていたらすっかりと日が暮れていた。
最後は適当に皆でファミレスにて夕食とし、今日は解散となった。
そして今、俺とレオンは二人、夜道を我が家に向かって歩いている。
「あー、お腹くるし」
「お前、食い過ぎだ。一体そのちんまりした体のどこにあんだけ入るんだ」
「なによ。一杯食べたの私だけじゃないもん」
レオンは初めて行くファミレスのメニューのあれもこれもが気になり、片っ端から注文するもんだから、俺達のテーブルは大家族よろしく食べ物のフェスティバルになっていた。しかしその食料のほとんどは女性陣が平らげてしまった。全く女性の腹とは恐ろしい。
「それにしても、あんたって歌へったくそね!」
グサっと唐突に俺の弱点を刺された。
以前三上先輩ともカラオケに行った時に同じ事を言われているが、俺はオンチだ。なんでかわからないのだが、歌の音階というものを上手く自分の声色に乗せて発するのが非常に苦手なのだ。原因は知らん。
けど、歌は好きだ。歌うのも実は好きだ。ただ下手くそだ。
「そーいや昔、あんたのドレミの歌が下手すぎて私、大笑いしたんだ」
「昔?」
「……幼稚園の頃、よ」
「……悪い、それは思い出せねぇ」
そうだった、のか。
俺は確かにガキの頃の記憶を多少取り戻してはいたが、細かな所まではいまいち不鮮明だ。
そういえばガキの頃の事で思い出した事がある。
「なぁレオン。あれは一体どういう意味なんだよ?」
「あれ?」
「……写真の、だよ」
「ッ!! あんた見たの!?」
俺の言葉を聞いてその横を歩くレオンの表情は、街灯の小さな明かりに照らされながらもすぐにわかるくらい顔を紅潮させていた。
「あんたはあんな写真の事なんて気にしなくていいのよ! 忘れなさいいいいいーーッ」
「あだだだだ! な、なにすんだよ!」
レオンはそう言いながら、突如俺の両方のほっぺたをつねりあげてきた。
「いででで! あ、あの写真自体は俺の家で前に親父に見せてもらってるからもうすでに知ってるっての! 俺が聞きたいのはレオンが持っていた写真に書かれていたあの文字だよ!」
そう。レオンが持っていた写真の方に書かれていた下手くそな文字にはこう書かれていた。
『か・れ』
多分ひらがなの、か、と、れ、だと思われるが、意味がよくわからない。
「な、なぁ? かれ、って一体なんなんだよ?」
しかしそんな俺の問いにはまともに答えず、尚もレオンは俺のほっぺをつねったままうーうーと唸っている。
「うー! そんなの知らないわよ! 知らない知らない知らなぁああーーい!」
「あだだだだだだ! いてぇえええ! わ、わかった! もうわかったから離してくれ!」
どんどんと俺のほっぺをつねるチカラが強くなっていったので、俺もさすがにギブアップした。
「はぁはぁ」
「ひぃひぃ」
二人して息を切らして肩で呼吸をしていた。
そしてお互い沈黙のまま、睨み合うこと数秒。
「……私にとっての、あんたの事、よ」
レオンが何か小さく呟いた。
「ん? なんだって?」
しかしその声があまりにも小さくて俺にはよく聞き取れなかった。
「……もういい! 忘れなさいよ。写真の事は!」
「……はぁ? わかったよ」
結局レオンはそれについてはそれ以上何も言わなかった。
俺達は少し黙って再び夜道を歩き出す。
穏やかで静かな夜道に優しい風が流れる。
その風に踊らされたレオンの長い髪から覗かせた彼女の横顔。俺はそれをチラっと横目で見た。
この隣にいる事が当たり前になり始めているレオンという存在と共にいられる事に対し、無性に慈しみを覚えた。同時に決して失いたくない、とも思った。
俺は、そうだ。
俺は、厚真 椎名は、この少女が。
金宮 零麻の事がこの世で何よりも大切で。
そして誰よりも。
「……ねぇ」
そんな事を考え伏していた俺に突如彼女は呟いた。
「……あ、あの、さ。わ、私ってさ……」
レオンは視線を俺に合わせようとはせずに、口元をもごつかさせながら、おずおずと喋り始める。
「その……。……なん……なの?」
レオンの問いに対して充分意味を理解している俺も、その答えを出すまでに色々と考えていたら自分が思っている以上に体が火照ってきてしまった。
「な、なんなの……って、なんだよ」
こんな情けない返ししか出来ない自分に気恥ずかしくなる。
「……あんたにとって、なんなの……って意味よ」
レオンも凄く恥ずかしいのだろう。首ごと顔を俺の方とは真逆の方を向けてそう言い放つ。
「そ、そりゃあお前。レオンは俺にとってアレだよ! アレ!」
「……アレ?」
彼女は、俺にとって。
レオンは、俺にとってとても大切で、とても大事で。
それって、つまり……なんだ?
俺にとってレオンはなんだ?
友達ではない。友達以上なのは間違いなくて。
彼女かと言われるとそんな安っぽい言葉で表してしまえる程軽いものでもなくて。
じゃあ俺にとってレオンは。
……あ、そうか。
「コレ、か」
俺はひとりごちた。
「……?」
そんな俺にレオンは不思議そうな顔をする。
「あのな、レオン。お前はな――」
そう、レオンは。
お前は。
ツンデレすぎるけど、根は素直で、優しくて、ずっと俺の事を想ってくれている。
そんなお前は、そうだ。お前は。
――――――――――お前は『俺の嫁』。
この物語は一旦ここで終わりとします。
読んでくださった方、応援してくださった方には多大なる感謝とお礼を申し上げます。
不器用なラブコメでしたが、ここまで御拝読賜りまして誠にありがとうございました。
引く所を見誤ってしまい、数年かけてしまいましたが、ひとまず広げた風呂敷をここで畳ませてもらいたいと思います。
この先の物語、他の物語でお会い致しましょう。
ひぐらしのなく頃に、里恋し編の方もご存じの方はよろしくお願い致します。
それでは。