15 結局クズな俺と嫁
俺は困惑していた。
「……どうしたのよ? 食べないの?」
「……あー……うん」
レオンからのその問いに困っているのではない。
彼女の本音がわからない。
今は無邪気に笑うその表情の裏で、どんな想いを抱えているのかが、気になる。
「おいしいわよ? この白ウサギ饅頭」
「おう……」
戸惑う俺をよそに、レオンは美味しそうに名物のお菓子を頬張っている。
場所は中国地方の鳥取内、青々と広がる綺麗に整えられた緑地の芝。
そこに隣接する公園内のブランコに、二人並んで座っていた。
まるで、幼き日の思い出を振り返るかのように。
●○●○●
――レオン奪還に加え、彼女の父である孝明と一戦を交えたその後。
レオンの父は俺の事をわずかながらにでも認めてくれたようである事がわかった。
というのも東条さんが関東へ向けての帰路を急ぐ運転の途中、すぐ俺の親父から東条さんへ連絡が入った。
「椎名さま。京平さまから言伝でございます。零麻さまとの同居はまた続行されるように、との事です」
レオンの父、孝明は俺と彼女の許嫁の件を本当にまた戻してくれたのだ。
「よかったですな、椎名さま」
「東条さんのおかげだよ。こんな遠くまで本当にありがとう」
休まず長時間に渡る運転で、誰よりも疲れているのは東条さんであるのは間違いなかった。
「……椎名さま」
「ん?」
「……申し訳ございません。少々休みを頂けますか? 私もどうやらそろそろ限界のようでございます」
東条さんも迫る眠気がもはや限界に達したようで、弱音など一切吐かない彼がそう俺に懇願してきた。それも当然だろう。丸一日以上彼は眠っていないのだ。
周囲はすでに日の光りが照らし始めた、午前五時。
レオンはそんな東条さんの様子など知るはずもなく、気持ちよさそうに眠っている。
「もちろんだよ。こんなに無理してくれたんだ、好きな所で休もう」
「申し訳ございません。この高速道をもう少し進むとパーキングエリアがございます。そこでしばし休ませて頂きます」
「わかった、ゆっくり休もう」
むしろ俺の為にここまで眠らず行動してくれた東条さんに、申し訳ない気持ちで一杯だったのは俺の方だ。パーキングエリアに到着したら、思う存分寝かせてあげようと俺は思った。
平日の朝方は道も空いている。
おかげですぐに俺たちを乗せたベンツはパーキングエリアに到着した。
やや大き目なそこは、まだ明け方であるにも関わらずたくさんの飲食店やお土産屋などが開店している。
「では三時間程、仮眠させて頂きます」
「急いでないし、もっと沢山寝てても大丈夫だよ」
「ありがとうございます。ですが、三時間も休息を頂ければ十分でございます」
「そっか、うん。わかった」
「それでは失礼します」
そう言うと、彼は黒いアイマスクを装着して座席シートを少しだけ倒し、睡眠に入る。
俺も普段なら眠い時間のはずなのだが、色々な事がありすぎたせいで一種の興奮状態が続いているのだろう、今はまだあまり眠気がない。
「んー……朝……?」
東条さんが眠りに入って、まもなく俺の隣にいた嫁ことレオンが目を覚ます。まだこんな朝早いというのに珍しい。
「おはよう、レオン」
「んー……おはよ。……あれ、ここどこ?」
彼女は頭の寝ぐせを手でとかしながら、半分寝ぼけている。
「なぁ、レオン。ちょっと外へ行こうぜ」
「ふぇ……? 外……?」
「いいから、行こう」
俺は東条さんの安眠を邪魔したくなかったので、そう言って無理やりレオンを車から連れ出した。
●○●○●
寝起きのレオンを突然外に連れ出してしまったので、俺はまた色々文句を言われるかな、と思いつつ彼女の手を握って適当にパーキングエリア内をうろついていたが、予想と違い彼女はすぐにご機嫌になった。
「ねぇねぇ! これ見てすごい!」
パーキングエリアのお土産コーナーを彼女と回っていると、レオンは瞳を輝かせながらなんの変哲もないキーホルダーをひとつ手に取っては興奮し、またひとつ取っては俺を呼びつけたりと、子供の様にはしゃいでいる。
「あっはは! なんなのこれ、意味わかんない!」
ヘンテコな人形の形をしたキーホルダーを手に取りながら彼女は無邪気に笑う。
そんな笑顔を見て、呑気なもんだなと思いつつも釣られて俺も笑みがこぼれた。
「ほしいなら買ってやろうか?」
「いらない! だってこれ、意味わかんないもん!」
確かにその人形は一体何をモチーフにしたのか、全く意味がわからない恰好とポーズを取っている。こういう謎キーホルダーって売れるんだろうかと毎度思うが、まぁ売れるから置いてあるのだろう。
「あ、何アレ!? すっごいイイ匂い!」
「お、おい待てよ!」
こいつはどうやらパーキングエリアというもの自体初めて来たらしい。さきほど、「ここってなんの観光地なの?」と聞いてきたのでパーキングエリアという場所だと説明したら、「何それ?」と言っていたからな。
興奮して店内を縦横無尽に駆け巡る嫁に、俺はしばらくの間振り回され続けた。
●○●○●
結局チンケな玩具とキーホルダー(なんか鳥取県の形をしたヤツ)数個、それに相原たちへのお土産ということで名物の白ウサギ饅頭を買った。
レオンがその饅頭を食べてみたい、というので適当に休めそうな場所を探そうと思って周辺をうろついていたら、見晴らしの良さそうな緑地の先に公園があった為、俺たちはそこのブランコに腰掛けた。
「うわぁ、可愛い……」
お土産用とは別に俺たちが今食べる為に買った白ウサギ饅頭を開け、中を見たレオンはまたも子供の様に目を輝かせてそのお菓子を手に取っている。
俺はそんな風に笑うレオンを見て、勝手にひとり気恥ずかしくなっていた。
ブランコで腰を落ち着けてから、俺は改めて思い出していたのだ。
『俺はレオン、お前が――ッ!』
そう。
俺はコイツにはっきり言ってしまっている。
好きだ、って言ってしまっていたのだ。
なんかあの時は勢いで出てしまったセリフだが、我ながらとんでもない事を口走ってしまった。
だが、よくよく考えてみるとコイツは俺に何も言っていない。確かに俺の手を取ってここまで来た。レオンも俺と同じ想いでいるものだと勝手に思い込んでいたが、コイツはハッキリとした事は何ひとつ言っていない。俺の勝手な独りよがりな可能性もあるのだ。
加えて、先ほどからコイツは俺の事を呼んでいない。以前なら『クズ』と、もれなく呼んでいたはずなのに。
「……どうしたのよ? 食べないの?」
「……あー、うん」
「おいしいわよ? この白ウサギ饅頭」
「おう……」
レオンは確かに俺の名をあの時呼んだ。俺と共に生活を始めてから、初めて呼んだ。
『バカシイ!』
名を呼びながら、涙を浮かべていた。そして俺の身を案じてくれていた。
だが、コイツが俺の事をどう想っているのかは昔も今も一度として確認していない。
勢いと焦燥感で俺はレオンを父の孝明から奪うように連れ去ってきた。だが、これは本当にレオンの為なのか……? 全て俺の勝手な都合と想いだけでコイツを振り回してるだけなんじゃないだろうか。
「ねぇ」
俺がうつむき思いふけっていると、レオンはそれまでと少し声色を変えて言葉を出した。
「……脇腹、平気なの?」
「え?」
「パパに打たれたところ……」
「お前、見てたのか」
「うん」
「平気だろ。ちょっとまだ痛いが、そこまでじゃない」
これは少し強がりだった。
車内で座っていた時はさほどでもなかったのだが、先ほど歩き回っている時、脇腹に残っていた鈍い痛みが少しぶり返していており、俺はそれをレオンに悟られない様にやせ我慢していた。
「……嬉しかった」
「レオン?」
「パパに、言ってくれた言葉。私の事、その……」
レオンはそこまで言って頬を赤く染めながら、うつむく。
「あ……」
俺も思い出し、同じく赤面した。
『俺は、俺個人がレオンを大事に思っているんです』
あんなくさいセリフをまさかレオンにも聞かれていたとは。
「……お、お前は、どうなんだ!」
俺は照れ臭さと困惑する頭のせいで、切り替えしがうまくいかず妙な事を口走ってしまう。
「え?」
「お前は、その、お、俺の事……」
意図して言いたかったわけじゃなかったが続く言葉は思わず、ずっと俺が気にしていたものとなってしまった。
「私、は……」
俺もレオン同様顔をうつむけたまま、レオンの言葉を待った。
「……イヤ、じゃない、わよ」
「イヤじゃないって……それってつまりどういう事だよ?」
「つ、つまりそういう事よ」
「そういう事ってなんだよ」
「い、イヤじゃないって事よ!」
「わかんねーよ、なんだよそれ!」
「う、うるさいわね! クズ!」
レオンは真っ赤になりながら、言葉をそこでやめて、無理やりお菓子を頬張りだした。
どうやら俺はまたクズ、に戻ってしまったようだ。
しかし、
「俺はクズ、じゃないぞ」
と、嫌味っぽく返してやる。
「うるふぁい! うるふあぁぁい!」
レオンはお菓子を頬張ったまま、俺の言葉を掻き消すように叫んだ。
俺はそれ以上詮索するのはやめた。
本当はもう十分に彼女の気持ちをわかっている。それを彼女の口から言わせるのは、無粋だ。
それだけで今はもう、十分だ。
「あ、おい! 俺の分取っておけよ!」
「あんたみたいなクズの分なんか、ないわよ!」
レオンはふんっと怒りながら白ウサギ饅頭を全て抱えこんでしまう。
全く、子供みたいなやつだ。
思いつつ、俺はそんな彼女を見て微笑ましくも感じた。
「でもこれ、ほんっとーに美味しい。早く帰って美香にもこれ上げたいなぁ」
「あー、そうだな。新井のやつにもこれ渡して機嫌直してもらわないとだ」
「何? サルとなんかあったの?」
「ああ、怒られちまった」
「はぁ? サルに? なんでよ?」
「新井のやつが背中を押してくれたんだ。レオン、お前をすぐに追いかけろって。多分、俺一人だったらここまで来る事はできなかった。新井と相原のおかげだよ」
「へぇー……美香はともかくサルがねぇ……」
「あいつみたいなのを親友、って呼べるかもしれないな」
新井は一見ふざけているように見えるが、心の芯は熱く真っ直ぐなやつだ。新井があの時真剣に怒ってくれたからこそ、そして相原が気づかせてくれたからこそ俺は今ここでレオンといられるんだ。
「あんなサルと親友じゃ、あんたもサルね」
レオンはからかいながら笑った。
「男は皆、サルなんだよ」
「そうかもね。あんたってもっと理知的で落ち着いてるヤツかと思ったけど、私の家まで乗り込んで来たりパパと殴り合ったり……。パパもそうだけど、男ってどうしてこんなにバカなんだろ」
「しょうがねーだろ。男ってのは勢いで生きるもんだ」
「……パパがね」
レオンは突然口調をやや落として声色を変えた。
「私を学校から連れ戻した飛行機の中で言ってたの。私の事を大事だって。だから連れ戻しにきたんだって。でも私は今の生活が大事だって言ったの。あんたや美香たちと過ごすこの生活が楽しいって。だから帰りたくないって言ったわ」
「そう、だったのか」
「うん。そしたらパパはこう言ってたの。もしもあんたが長崎まで来るような事があったら、私はそっちに帰れる事もあるかもしれないな、って」
そうか、レオンの親父さんは予見していたんだ。俺が来ることを。
俺がどこまでレオンの事を本気で考えているか見たかったんだ。
「パパはね、昔からすごく優しかったわ。だけど私が本当に欲しい自由は何もさせてくれなかった。地元のスクールじゃ友達を作ることも禁じられた。どこにも連れて行ってくれなかった。どうしてなのかって聞くと決まってパパは、お前は選ばれた人間以外とは関係を持ってはいけないからだって言うの」
金宮 孝明はどうしてそこまでレオンに対して強く偏った愛情を注いでしまったんだろう。それも俺の親父との関係の亀裂に因るものなのだろうか。
「だけど、昨日パパは初めて私にこう聞いてきたの。裕福が約束された未来とお前が自身で歩んで決める未来、どちらがいいんだって。私は迷わず後者を選んだ。そしたらパパ黙ってどっかいっちゃった」
多分、レオンの親父さんはレオンの本音を理解していたはずだ。だけど、何かしらの理由があってレオンを束縛し続けた。それでも彼女の幸せを考えて考えて、悩んでいたのだろうか。
そこには俺やレオンにはまだ理解できない深い闇があるのかもしれない。
「……レオンの親父さんは、俺を試したんだ」
「あんたを?」
「俺がお前に相応しいのかどうかを。自分自身の手で確かめたくて俺にあんな事をしてきたんだ。もし俺が長崎までお前を追いかけなければ、きっと間違いなく金宮と厚真は完全に縁が切れてただろう。レオンの親父さんは厚真の最後の希望を俺の行動に賭けていたのかもしれないな」
「だからって、あんな木刀で殴り合うなんて下手したら死んじゃうじゃない!」
「しゃーないさ。男ってのはそういう風にしか相手を判断出来ない時もあるんだ」
「全く、シイは昔っから変なところで男っていうのにこだわるんだから」
「……やっと呼んでくれたな、名前」
レオンはしまった、という表情をし思わず手で口を塞いでいる。
「はぁー! 俺もようやくクズから解放だ!」
俺はわざとらしく大きな声でそう言ってやった。
「う、うるさいわね! あんたはクズよ! クズクズクーズ!」
レオンは照れ隠しのようにクズ、と連呼するがそれが返って俺には可笑しく思える。
「ははは!」
「な、何よ! 何笑ってんのよ!」
「べっつにー」
「うーっ! クズのくせにぃ……!」
涙目で俺の事を睨みながら、レオンは顔を真っ赤にさせていた。
こんな日々がずっと続けばいい。俺の望みはただそれだけだ。
厚真家の力も金宮家の力も、俺には、俺たちには要らない。
彼女と共に笑って過ごせる日々こそ、何物にも代えがたい宝なのだ。
「なぁレオン」
「何よ?」
「俺たちってやっぱ三年後、結婚して、すぐ離婚すんのか?」
お菓子を頬張っていたレオンの手が止まる。
「……そ、そんなの知らない!」
●○●○●
それから俺とレオンはまたパーキングエリア内にある様々なショップを巡ったり、近くの名所を調べていたりしたら、気づけば午前八時を回っていた。
東条さんは三時間も眠ればいいとは言っていたが、俺は彼をもう少しゆっくりさせてあげたかったのもあって、車にはまだ戻らないつもりでいた。
「ねぇクズ」
しかし俺の事はまたすっかりクズに戻っていた。
「あん?」
「私、アレ食べたい」
レオンは先ほどちょうど開店したアイスクリーム屋を指差す。
「おまえ、白ウサギ饅頭ほっとんど食って、その後フランクフルトとタコ焼きと焼きおにぎりも食って、まだ食うのかよ」
「デザートは別だもん」
ったく、そういう時だけは女みたいな事言いやがる。……いや、女だけど。しかしほんとにこいつはよく食うな……太るぞ。
「わーったよ。んじゃ好きなの選べよ」
「んっとー……」
食べたいと言った割りにはなかなかすぐに決めない。
こいつにしてはちょっと珍しい。レオンはだいたい何かしたい! っていう時はほぼ迷わずそれを実行するものだが。
「じゃあ、この小さいヤツを二つ!」
二個も食うのか。呆れたやつだな。まぁいいけど。
「あいよ。すみません、コレを二つください」
「はい、毎度。すぐ出来るからちょっと待っててねー」
アイスクリーム屋さんのお姉さんは気さくにそう答えた。
そういやアイスクリーム屋って言えば三上先輩とデートした時にも寄ったな。
「仲いいわねー。二人は兄妹かな?」
突如、店員のお姉さんがニコニコ顔で問い掛けてきた。
「あ、いえ……その……」
俺はそんな風に返答に困っていると、
「あー、ごめんね! カップルだったのかな?」
改めて言われると、俺は悩んでしまった。俺たちの関係は許嫁、ではあるけど現状は……なんなんだろう。カップル、恋人、彼氏彼女、というカテゴリになるの、か?
「はい、お待ちどおさま! 彼女、大切にね」
「あ、どうも……」
結局俺はそのお姉さんからの質問には何も答えられず、アイスを二つ受け取った。
「ほら、レオン」
俺はアイスを二つレオンに差し出す。
しかしレオンは片方だけしか受け取らなかった。
「……? お前、二個頼んだろ?」
「……一個はあんたのよ」
「へ? 俺の?」
「そうよ! ありがたく食べなさいよね!」
ぷいっとふて腐れながらレオンはそっぽ向いてしまった。
ありがたく食べなさいって、金出したの俺なんだが。
「あらら、彼女怒っちゃったじゃない。だめよー彼氏くん、彼女さんの機嫌損ねるような事しちゃ」
アイスクリーム屋のお姉さんに言われてしまった。
レオンはすたすたと一人歩き始める。
「あ、おい待てって」
俺は慌てて後を追う。
しかし、俺が何かしたか? 確かにレオンのやつは若干機嫌を損ねてるようだが。
全く、相変わらずわけのわからん嫁だ。
レオンの隣まで追いつき、俺たちは二人歩きながら同じアイスを食べた。
「うまいな、アイス」
「うん。けど、やっぱちょっとお腹一杯かも……」
食べたい、と言っておいてレオンはあまりアイスを食べていない。やはり食い過ぎだ。
「お前、その前にかなり高カロリーなもん色々食ってたからだぞ」
「しょうがないでしょ。あんたとアイス食べたかったんだもん」
「は? なんで?」
「……なんでもいいでしょ」
「いや、意味がわからんが」
「……なんでもいいの!」
俺は不思議そうに首をかしげてレオンを見た。
今はどうやらまたご機嫌に戻ったようで、何故かニコニコしながらアイスを舐めている。
ちょっと怒ったり、すぐ笑ったり、全く忙しい嫁だな。
……いや、待てよ。まさかコイツ。
「お前もしかして、前に部活でやった俺と三上先輩のデートの事、気にしてた、とか?」
あの部活はデート内容を皆に報告している。当然レオンも、俺が三上先輩にアイスを買ってやった話も知っている。
「う、うるさいわね!」
どうやら正解のようだ。
最近わかってきたが、レオンがうるさいって言いながら顔をそっぽ向ける時は、だいたい決まって照れ隠しなのだ。
素直じゃないヤツだ。やきもち焼いてたんだな。
「わ、」
俺は声に出さずに笑いながらレオンを見ていたら、彼女が何か口にし始めた。
「わ、私は、あんたのも買ってやったんだからね!」
……あー。そういう事か。
レオンからしたら、俺の分まで気を利かせて買ってやったんだから、私の方が上でしょ! って言いたいんだな(買ったのは俺だが)。
気の利かせ方が変だが、まぁこいつなりの俺への優しさなんだろう。
「そうだな、ありがとうなレオン」
そんなヘンテコな気遣いに思わずおかしくなった俺は、言いながらレオンの頭を撫でてやった。
「ふぇ……!」
レオンは顔を真っ赤にして、俯いた。最近こいつの頭なでなでは結構面白い。わかりやすいくらい照れて変な声を出す。
そんな事をするとまたレオンが怒り、俺はそれをからかって笑っていた。
●○●○●
「デートは十分楽しまれましたかな?」
いい加減東条さんを待たせすぎてもいけないと思った俺は十時ちょっと前くらいに車まで戻ると、すでに仮眠より目覚めていた東条さんが、運転席から俺たちにそう言った。
「あ、いや俺は東条さんがよく眠れるようにって思って」
「そ、そうよ! 別にこんなクズとデートなんて!」
「ふふ。さようでございましたか。ありがとうございます椎名さま、零麻さま。おかげで十分体力も戻りました。さて、それでは参りましょうか」
白い髭を頬ごと緩ませて、東条さんはまた長い道のりを運転すべく車のエンジンをかける。
全く東条さんには敵わない。
実際、俺も東条さんを休ませたい気持ちは本当だったが、レオンと遊びまわりたかったのも本当なだけにさっきの言葉は少し気恥ずかしかった。
結局その後も車内での会話に出てくる俺への呼び名は、終始『クズ』と戻ってしまっていた。でも、なんか、それでいいような気がする。
確かにあの呼び名は俺にとっても彼女にとっても特別なものであるかもしれないが、俺はこの方がレオンらしくて好感が持てる。……俺がクズだって事じゃあないが。
「明日さ」
後部座席の窓の外の景色を眺めながらレオンが不意に呟いた。
「明日、皆どんな顔、するかな?」
「驚くだろうなぁ。ま、お前は質問責めにされるだろ」
「美香にはちゃんと説明したい。もちろんサルたちにも」
「……そうだな。特に新井には俺からもちゃんと話したい」
新井のやつが真剣に俺に怒ってくれた事を俺は今でも感謝している。相原にもだ。
それに事情を聞いてるであろう三上先輩や藤田にもきっと心配を掛けちまってるだろう。
しばしの沈黙が車内を包む。
……レオン奪還劇はあっという間の出来事だった。
でも、俺がもし何も行動に移せずウジウジしていただけだったならきっと戻れなかった。レオンと一緒に笑って過ごせるこの日常。
レオンが訪れたあの日から続いていた当たり前のようで大切な日々を、失いかけていたんだという恐怖が今更胸の中を巡った。
俺はすでに記憶でレオンを一度失っている。
そして今回は記憶だけでなく、実物の彼女すらもこの手から零れ落ちてしまうところだった。
きっと今までの俺だったらこんな行動力なんて持てなかったはずだ。
「……きっと」
俺が思うと同時にレオンがポツリ、と再び呟き始めた。
「きっと、今までの私だったらパパの言う通りにしていた、と思う」
どうやらレオンも俺と全く同じ事を思っていたようだ。
「皆が私を変えてくれた。美香が、サルが。……あと淫乱女とマオもね」
「そう、だな。あいつらが居てくれたから俺も変わる事ができたと思ってる。これまで親父に怯えながら生きてきた俺という殻を破ってくれたんだ」
けど、誰よりも本当に俺を変えてくれたのは。
「……レオン、お前だ」
「え?」
それまで窓の外を見つめていたレオンが、不意に名を呼ばれ俺の方へと振り向いた。
「お前が俺を変えてくれたんだよ。お前が居なかったら俺はきっと親父に怯えながら、いつまでも大人しくウジウジした本当のクズのままだったと思う。ガキの頃からずっと、ずっとお前には助けられてばかりだよ。ありがとう」
「……ッべ、別にあ、あ、あんたの為なんかじゃないし!」
俺がレオンの目を真っ直ぐに見据え素直に謝辞を述べたのが相当に恥ずかしかったのか、レオンはいつものツンデレっぷりを取り戻しながらまた窓の外へと視線を戻してしまった。
しかしそんなレオンの口元は、窓に反射して微笑んでいたのが見えていた事を俺は見逃さなかった。
そして同時にそんな俺たちのやりとりの様子を見て、とても穏やかな表情で微笑んでいた東条さんの事もルームミラー越しに気付いてしまった俺は、思わず気恥ずかしくなりレオンとは反対の窓の方へと視線を逃がしたのだった。
「――ふん! あんたなんて、クズのまんまよ!」
照れ隠し丸見えのレオンがそう呟いた。