14 闘いと友情と俺と嫁
現実ってやつは、小説よりも奇なりとはよく言うもんだ。
俺は今、自分が直面している状況を前にして強くそう感じていた。
「本当にいいのかね? 椎名くん」
目の前で不敵に笑いつつ俺に問い掛けているのはレオンの父親である金宮 孝明だ。
金宮 孝明はスラックスと革靴を履き、上半身は長袖のワイシャツを二の腕までまくって、長さは三尺より少しある木刀を俺に向けて構えている。
この男にとって俺はすでに害虫以外の何者でもないのだ。それを駆逐する為の木刀。当然そんなもので強打されればただではすまない。それどころか当たりどころによっては死ぬ可能性もありうる。
しかしここで怖じ気づいてしまえば、俺は死よりも尊い何かを失う気がしてならなかった。だから、俺は金宮 孝明のその言葉に対し、
「……上等です」
と、答える。
「ならばそれを手に取りたまえ」
金宮 孝明が言ったそれとは俺の足元にある木刀。こちらも長さは彼が持つ物とほぼ同等だ。
俺はそれをゆっくり拾い上げる。
「安心しなさい。私も剣道などを心得ているわけではない。お互い素人同士だ」
孝明の言葉を聞きつつ俺はぐっと木刀を握りしめる。ずっしりと感じる重さ。それだけでこれを人に当てたらどうなるかを想像し、ゾっとしてしまう。
深夜の薄暗い農道。その一角。
「では始めよう」
そこで始まる。
孝明の言葉を合図にそれは幕を開けた。
――レオンを賭けた、漢の闘いが。
●○●○●
時を遡る事、一時間ほど前。
深夜十二時を過ぎた頃、東条さんの運転するベンツは街灯も少ない農道を走っている。
俺とレオンは車内の後部座席で二人並んで座っていた。
俺はぼんやりと窓から外を眺め、レオンはすやすやと眠っている。溜めこんでいた想いと、感情を涙として吐き出しきって疲れたのだろう。
「椎名さま」
レオンが完全に眠りに落ちたのを見計らってから、東条さんはようやく口を開いた。
「あなたさまが選んだ事です。私に異論などあろうはずもございません。が、椎名さまも子供ではありません。今ご自身が置かれている状況は把握しておいででございましょう?」
東条さんは教えてくれているのだ。俺が実行した行為が本当に危険な事であると。
「ああ。俺、これって誘拐、になっちまうのかな?」
「さて、そこはわかりませぬ。孝明氏がどう判断するかでしょうな。ですが、これから遠くない未来、大変困難で険しい道が待ち受けているのは疑いようもありませんな」
それも当然だ。
何せ金宮家の令嬢を家族の者に黙って深夜に連れ出してしまったのだ。十分犯罪として立証してしまうだろう。
「……親父は俺の事、怒るかな?」
「……怒るでしょうな」
「だよなぁ」
「しかし同時に喜んでもくれるでしょう」
「喜ぶ? 親父が?」
「椎名さまはご存知ないのも当然ですが、京平さまは常日頃から懸念している事のひとつに、あなたさまの男としての度胸不足がありました。厚真コンツェルンを指揮する者は多かれ少なかれ度胸と根性が必要です。帝王学を学ぶ者、上に立つ者とはそういうものですから」
「そんな俺がこんな大それた事をやってみせたから喜ぶ、か。あの親父がねぇ……」
「ハハハ。口には出す事はまずないでしょうな。ですが内心感心なさると存じ上げます」
「勘当、されなきゃいいけどな」
「それはあくまで口だけでございますよ。京平さまはなんだかんだ言って椎名さまを大切に思っておいでですから」
俺からすればあの堅物親父が俺の事を大切に思っている、なんて想像にも出来ないが、東条さんがそう言うのだから間違いはないのだろう。少々むずがゆいが。
「それにしても実際、レオンを俺の家に連れ帰ってからが問題、だよなぁ」
すでに六間高校へは退学の連絡をしてあると言っていたし、レオンを今後どうするべきなのか。今の俺には良い考えなど浮かぶはずもない。親父にでも相談するべきだろうか。
「……椎名さま。その憂慮はまだだいぶ先の事になりそうです」
東条さんが神妙な面持ちで言った。
「早速、遠くない未来、がやってきたようでございますよ」
東条さんはフロントガラスに向かって指を指した。
「……?」
俺は訝しげに、街灯の無い深夜の農道、ヘッドライトが照らしているその先をフロントガラス越しに見据えた。そこには黄色い幾つもの看板と、数名の青い制服を着た大人たちが立っていた。
その大人たちはこちらに向かって両手を大きく交差しながら、止まれと合図していた。東条さんはゆっくりと車の速度を落とす。
「道路工事?」
と、俺は思ったのだがあっさりと東条さんに否定される。
「違いますな。ここは来る時も通った道。その折、工事を施工しているような注意書きの類いは周辺で見ておりません。工事が突然今日の深夜から施工されたという薄い可能性もなくはないですが、まず違うでしょう」
「じゃああれは……」
「孝明氏、ですな」
東条さんがそれを呟くと同時に数名の男たちは俺たちが乗るベンツの周りを囲んだ。
一人の男が運転席にいる東条さんへ向かって、窓にノックをする。
「厚真家のものだな?」
男は開口一番、告げてきた。それだけでこの男たちが金宮家の関係者であることを察する。
「はい。通してはもらえないのでしょうか?」
東条さんは冷静な対応を試みた。が、
「お嬢様以外は全員降りろ」
男は他の回答は一切受け付けない、という頑なな表情で威圧するように返す。
東条さんは軽く溜め息をつき、首を横に振った。
仕方なく俺と東条さんは眠るレオンを起さぬように、車から渋々降りざるを得なかった。
●○●○●
車から降りるとすぐに俺と東条さんは男たちによって身柄を拘束された。
両手を後ろに組まされ、男たちに体ごとベンツに抑えつけられる。
「しばらく待て。じきに孝明さまがおいでになる」
一人の男がそう言った。
「俺たちをどうするつもりだ?」
俺は今後自分たちがどうなるかを想像し、警察にでも突き出されるのかと思った。しかし。
「孝明さまが決める。しばし待て」
男は淡々とした口調でそう告げた。
ほどなくして、メタリックゴールドのアウディが一台、通行止めをしている向こう側から走り寄ってきて、車を停めた。
中から初老の男が車から悠々と降り立ち、棒切れのようなものを二本携えながら俺たちの方へ歩み寄ってくる。――金宮 孝明だ。
「椎名くんを離しなさい」
孝明は俺を抑えつけている男に向かって言った。だが、その瞳は狂気に満ちているようにも窺える。
解放された腕を軽く振りながら、俺は孝明を見据えた。
「こちらに来なさい」
俺は東条さんに目配せをする。
東条さんは静かにこくんと頷いて見せた。
それを確認して、俺はゆっくりと足を孝明のいる方向へと進める。
「お義父さん……、強引な事をしてしまって申し訳ありません」
俺はまず深々とこうべを垂れて謝罪する。
すると、カラン、という音を鳴らしながら俺の足元へ向かって彼は何かを投げつけてきた。
それは孝明が携えていた棒切れのひとつ、木刀だった。
「椎名くん。よく考えてから答えるんだ」
孝明は重々しい口調で俺に告げる。
俺は垂れたこうべを上げた。
「零麻を返せ。そして零麻の事を一切忘れるんだ。そうすればキミと東条くんはこのまま返そう」
当然の文句だろう。
が、考えるまでもない。俺は首を横に振って即答する。
「すみませんお義父さん。俺は零麻さんを離したくない」
俺の回答は半ば予想していた事だったのだろうが、孝明氏はわざとらしく大きな溜め息をついた。
「椎名くん、キミはまだ子供だ。だが将来有望な厚真家の御子息だ。しかし今キミがしている行為は完全な犯罪だ。わかるかね?」
「……はい」
「私がその気になれば、キミなど法にも触れずこの日本という国から存在自体消す事ができる。それも理解しているのかね?」
「……もちろん、です」
「私のこの説得の意味するところが、犯罪者として京平殿が盛り上げてきた厚真家に泥を塗るか、それとも華々しく約束された未来を享受するかの選択だという事も、理解しているのかね?」
「……理解、しています」
「キミのお父さんは、後者を選んだ」
「……」
「それでも、か?」
俺は察していた。孝明は、レオンの父親は俺を試しているのだ。
俺の父親同様、俺も逃げる選択をするのだとゆさぶりを掛けている。
迷いが全くない、なんて言ったら嘘だ。
栄光な未来か。
たった一人の少女か。
けど、今の俺にとってどんな財宝も力も地位も。
何よりもッ!
「……レオンが大事です」
「本当にいいのかね? 椎名くん」
俺はひと呼吸おいて、最後の問いに答える。
「……上等です」
「……私も零麻は大事な娘だ。キミ程度の小僧においそれと渡すわけにはいかない。たとえ一秒たりともだ。だが、それはキミも同じのようだ。しかし私はまどろっこしい事は嫌いだ。だから、ここで警察に連絡したりはせん」
「……お義父さん?」
俺は訝しげに孝明の表情を見つめる。
「私はね、キミをこれで折檻する事に決めていた」
そう言いながら孝明は右手に携えている木刀を高々と天へ向けて伸ばす。
「いいかね、これは父親が誘拐されたその娘を取り戻す為、必至に犯罪者であるキミと戦う物語なのだ。しかしキミも当然抗う。その成り行きの末、キミがどんな大怪我を負ってしまったり、はたまた運悪く死んでしまうような事になってしまってもそれは致し方ないのだ。私は正当防衛をしたまでなのだからな」
孝明の瞳からはもはや、優しさなど微塵も感じさせない。
この男は正当な理由を盾に俺をなぶり殺したいのだ。レオンを奪われたあてつけに。
最初の押し問答もわかりきっていて、ここまで誘導したのだと理解する。
「私は引かんぞ、椎名くん」
「俺も引けません」
「ならばそれを手に取りたまえ」
俺は言われるがまま、足元の木刀を拾い上げる。
「……では始めよう」
俺と孝明、その両者お互いが木刀の切っ先を相手に向けて突き出すように構える。
闘いの幕は切って落とされた。
●○●○●
月や星は全く見えない暗黒の雲で覆われた、湿気の高い深夜の農道。東条さんのベンツが照らし出すヘッドライトの明かりと、金宮 孝明が乗ってきたアウディが照らし出すヘッドライトの明かりだけがその場を映し出す。その二つが重なる場所に俺とレオンの父、孝明は対峙している。
木刀を構えて。
しかし俺は、やはり躊躇われた。
これは遊びやおふざけの部活動なんかではない。
たったの一撃で相手を昏倒させる可能性すらありうる、真剣な闘い。そんな状況になった事など俺の人生では当然、ただの一度もない。
結果、先制は孝明が仕掛けてきた。木刀を高々と天に振り上げつつ俺の脳天へと向かってその刃を振り下ろさんとすべく走り寄る。
「ハッ!」
孝明の掛け声と共に、メキっという激しい木と木のぶつかり合う音。
さすがにあまりにも大振りだ、俺も携えた木刀を頭への防御として横に構えそれを受け切る。が、予想以上の力強さに俺は何よりも驚いた。
この振り下ろし方と、力の入れ様。いくら見え見えの打ち筋とはいえ俺が木刀で受けなければ、大きな致命傷を負う可能性も十分にある。それほどまでに強烈な一打。
「しっかりと受けたな」
木刀に力を込めて俺を頭から抑えつけるようにし、孝明は不敵に笑った。
この男は、本気だ。
ようやく俺は理解したのだ。この闘いが、お遊びでも、おべんちゃらでもなく、本当に相手を倒す為の決闘なのだと。
「く、ぐ……」
とても初老とは思えない程の力を木刀越しに感じ取る。孝明は強く強く木刀を押し込んでくる。俺はそれを耐えるので精一杯だ。
「ふっん!」
孝明は更に、瞬間力を込めて押し込んだ。
「うわっ!」
それによって俺は防いでいた木刀ごと態勢を崩し、足をよろけさせる。
瞬間、孝明は木刀を一度離し、今度は俺の胴体へと向かって横に薙ぎ払った。
次の一撃も防がないと、と脳では理解していたが崩れた態勢ではとても防御が追い付かない。
「うぐっ!」
ドス、っという鈍い音と共に脇腹へと孝明の木刀がめり込む。
衝撃の後、襲いくる腹部への鈍痛。下手をすれば骨や内臓に損傷があるかもしれない。それほどまでに強く打ち付けられた。普通ならもはやそこで倒れこんでもおかしくなかったが、俺も必死だった。必死で抵抗を試みた。
「貴様ッ!?」
俺は打ち付けられた木刀を、咄嗟に二の腕と胴体で挟みこみ力を込めた。これで孝明の次の手を封じた。
「っく、離せ!」
孝明は両手を使って木刀を俺から引き抜こうともがく。それを好機とふんだ俺は、勢いよく右足で孝明の腹部めがけて蹴り飛ばす。
「あぐ!」
俺の足で吹っ飛ばされた孝明は思わず木刀をその手から離して、尻もちをついた。
俺は脇腹に抱え込んだ孝明の木刀を遠くに投げ、打ち付けられた腹部を押さえながら、倒れた孝明の眼前に片手で木刀の切っ先を向ける。
「ハァッ! ……ハァッ!」
俺は肩で息をしながら何も言わずに孝明の目を見た。
孝明も見上げるように俺の目を覗く。
「……どうした? 椎名くん。振り下ろしたまえ」
「ハァ……ハァ……で、できません。ぅ」
言葉を口にすると打ち付けられた腹部に鈍い痛みが走った。
「そうか」
孝明はまたも不敵に笑う。
瞬間、孝明は右手で何かを掴み俺の眼前へと投げつけた。
「ッう!?」
小さな砂利の飛来に思わず目をふせてしまった俺を横目に、孝明は勢いよく走り出した。
俺が先ほど木刀を投げ捨てた場所まで行き、孝明は木刀を拾いあげ、またも俺へと向き直す。
「椎名くん、それではいかん。上には立てんよ」
「お、お義父さん、もうやめましょう! こんなのおかしい! 危険すぎる!」
「キミは私からいいのを一発もらっているだろう。悔しくないのかね?」
「そういう問題じゃないです。俺は、戦いたくない!」
「そうか、なら」
孝明は再度、木刀を天に掲げ、
「キミが死ぬだけだ!」
俺の元へ駆け寄ってきた。
「くそ!」
俺はまたもや同じ様に振り下ろしてきた孝明のそれを、自身の木刀で同じ様に受ける。
しかし、今度は先ほどよりも俺の受けに力が入らない。腹部に受けたダメージによって襲いくる痛みが、受ける力を鈍らせているのだ。
それを察してか、今度は孝明は力で押し込もうとはせずすぐに木刀を離す。そして同じように脳への防御に構える俺の木刀めがけて、また、振り下ろす。
それを俺は同じ格好のまま受ける。
また孝明は振り上げる。そして俺はまた受ける。
連続で幾度も幾度も孝明は俺の木刀めがけて振り下ろしを繰り出してくる。
それを受ける度に、俺は最初に受けた腹部への一撃が響く。ズキン、ズキンと痛みが襲う。
「ハァッ……! ハァッ……!」
連撃の打ち付けにより、襲いくるあまりの痛みで俺の息はどんどんと上がっていった。
「キサマが、キサマが零麻をたぶらかさなければッ!」
孝明は怨恨の言葉と共に木刀を振り下ろす。
「そもそもキサマの父が悪いのだ! キサマの父親が……!」
孝明はまるで鬱憤を払うかの如く、俺への激しい打ち付けと共に半狂乱気味に声を荒げ始める。
俺はただ、必死に痛みを耐えつつそれを受けるほかなかった。
「キサマの父親が……! 逃げたから……! うがァァァァァッ!」
俺の親父が逃げたから? どういう事だ?
しかし俺には今、質問が出来る余裕などない。激しい打ち付けは尚も収まる様子がないからだ。
「私は……! 私は! 私は京平も妻も零麻も失いたくなかったのだ!」
失う……?
親父を……?
「だが、ハァッハァッ……! キサマの父は逃げた! 私の為に! 許せなかった! 私はそんな事で妻を手に入れたくなどなかった! ハッ……ハッ……! 京平と私、正々堂々お互いの気持ちをぶつけっ、それを乗り越えっ、勝ち取りたかった! なのに! ハァっハァっハァッ!!」
気づけば先ほどから続いていた連撃の打ち付けは、力強さをほとんど失っていた。
孝明のスタミナがなくなったのだろう。肩で激しく息をしながら、だが、それでも、力なく俺の木刀へ向かって振り下ろしは続く。
「私は……誓った……。もはや妻と血を分けた人間以外には……一切の情も与えない、と……ハァッハァ……」
そこまで言って、孝明はついに木刀を振り上げる事をやめ、俺の木刀へ今度は寄りかかるように押し込んだ。だが、そこに力はもはやない。
「ハァ……ハァ……、キサマの父親は……私から逃げた……臆病者だ……」
ついに精根尽き果てたのか、ガラン、と木刀を手から落とし、孝明は両腕をだらんと力なく下げた。
「お、お義父さん……」
俺も上段に構えていた木刀を降ろす。
「……キサマの父、京平は我が金宮家に資金援助するどころか、妻までも私に援助した。由緒正しい我が金宮家の当主であるこの私がだ。キサマのような子供には、わかるまい。この屈辱が」
「それは違います! 俺の親父は親の許嫁による束縛から逃れられなくて……」
「……っふ、同じ事だよ。私は京平だけは昔からずっと友だと思っていたのだ。お互い遠慮しあう事のない、最大の親友だと。だが京平は違った。あいつは友である私よりも厚真という名前を取った。それだけの話だ」
レオンの父親が言っている事は、間違っていなかった。
それがわかったからこそ、俺にはその後に続く言葉を紡げなかった。
「京平が逃げたおかげで妻を手に入れた。しかしそれから京平は私と連絡を取ろうとはしなかった。私は察したよ、妻を手に入れた代わりに京平を失ったのだと。やはり所詮は家柄と血縁。私は改めてその時に思い知らされた。だからこそ妻と娘だけは何があっても私の元からは手放すまいと誓ったのだ」
そうか。
レオンのお義父さんもずっと苦しんでいたのか。
「しかし私に子が授かるや否や、突如京平は連絡をよこし娘と椎名くんを許嫁にしようなどと提案してきた。腸が煮えくり返りそうだったが、当時の私には金銭面での大きなトラブルによる影響で、下手をすれば家族すらも守れない状況になりかねなかった。この許嫁の提案を私は脅しなのだと悟ったよ。私の娘を渡さなければ、金は工面してやらない、というな」
「ち、違う! お義父さん!」
「違くなんてないさ。私は妻と零麻を守る為に渋々京平の提案を飲んだ。しかしずっと私は待っていたのだ、いつか零麻を取り戻せる日が来る、と。そしてチャンスはきた」
「……うちの今のトラブル、ですね」
「そうだ。これで零麻を取り戻せるはずだ、と踏んだんだがな。……キミは逃げなかった」
「……俺は、親父とは違います。厚真とか、金宮とかそんなの関係ない。俺は俺個人がレオンを大事に思っているんです」
孝明はそれまで険しかった表情をふっと緩めて、少しだけ笑った。
「それに、お義父さん、俺の親父もずっと後悔していたんだ」
「後悔、だと?」
「はい。俺の親父は厚真という得体の知れない大きな力に惑わされてしまった。結果その女性からは手を引く形になってしまいましたが、それをずっと悔いていた。だからこそせめて、俺には自分の出来なかった事をさせたかったのだと、今はそう思ってるんです」
「それは私に奪われた妻の代わりに、せめて娘だけでも奪ってやろうという意思ではないかね?」
「……そういう気持ちが全くなかったとは、確かに俺も思いません。でも、親父は見越していたんですよ! お義父さんがいつか大物になるって事を! だからこそ俺とレオンを許嫁にしたんだ。それってつまり俺の親父はお義父さん、あなたの力を信頼していたからこそなんじゃないですか!?」
「……京平」
「親父はよく言ってました。金宮家の機嫌を損ねるな、って。俺は最初、それはきっと金宮家は恐ろしい存在だからなのかと思っていました。でも今ならわかる。親父はずっとお義父さんを気にしていたんだ。俺の親父が望んだ許嫁の本当の理由。それって、金宮と厚真をただの他人から、親族にしたかったって事ですよね。親父は俺たちの婚約を理由に、本当は昔のような親友同士に孝明さんとの関係を修復したかった。あなたとのわだかまりを解消したかったんじゃないでしょうか?」
俺がそこまで言うと、金宮 孝明は力なくその場に座り込んで顔を俯けた。
ここまでは全て俺の推測に過ぎない。
ちょっと前までの俺だったら、こんな推測などたつはずもなかった。なにせあの親父を一番よく知っているはずの俺ですら、本心が窺い知れない存在だったからな。
けど、この数日で認識を改めさせられたからこそ今ならわかる。
俺の親父も、レオンの父親も皆、力と金に惑わされてしまった被害者なんだ。
ポツン、と俺の頬に冷たい何かが当たる。
雨が降り出してきたようだ。
しかし俺も孝明もその場から動こうとはしなかった。
「……椎名くん」
孝明は顔を伏せたまま、言葉を紡ぎ出す。
「……零麻を連れていきなさい」
「お義父さん!」
「ただし、私はいつでもキミを見ていると思え。キミが零麻に相応しくないと感じれば、許嫁の件は今度こそ確実に破棄するぞ」
それって、つまり俺は認めてもらえた、って事なのだろうか。
レオンの父、孝明はそれ以上言葉は出さずゆっくり立ち上がると、手で引きあげろと言わんばかりの合図を周りの男たちに促し、また自身も乗ってきたアウディへと踵を返していった。
深夜の決闘は、これにて幕を閉じたのだった。