1 テンプレなツンデレが俺の嫁
今、俺は夢を見ている。この夢は優しい。
俺は運命的に出会ったかなり気の強い少女と今まさにラブコメしている。夢を見ている。
そこはどこかの公園なのだろう。その気の強い少女はブランコに腰掛けながら、普段見せないような儚くも潤んだ瞳で俺を見つめている。この流れはまさしくチューをする雰囲気だ。もちろん夢だ。
夢だとわかっていながらも俺は演じてしまう。「○○ちゃん、一生キミを守るよ」などと臭すぎるセリフも淡々と出てしまう。さすが夢。
頼む、せめてこのチューが終わるまでは夢よ、覚めないでくれ。いや、出来ればこの先まで進んでくれ。っていうかセクロスセクロス!
あ、なんか不味い。世界がぼやけてきた。あぁ、ダメだ! もう目覚めてしまう。どうしてこんな良いところで終わってしまうんだ。現実は優しくない。優しくないんだ。現実には○○ちゃんのようにデレてくれる美少女なんていな、
「くぁああ……」
おはよう現実。さよなら○○ちゃん。
我ながら奇妙な欠伸と共に目を覚まし、むくりと上半身を起こす。
現実に目覚めてしまうと、見ていた夢の内容などほとんど忘れてしまう。はて、どんな夢を見ていたんだ俺は。なんか惜しい夢だったような気もするが、よく思い出せん。
まだあまり慣れていないソファーで眠っていたせいか、身体中が痛い。そのせいで変な夢を見たのかもしれない。
眠気眼を擦りながら、壁に掛けてある時計に目をやる。時刻は七時十分前。うむ、相変わらず我ながら素晴らしい体内時計だ。
自慢じゃないが俺の人生で遅刻というものは一度もした事がない。俺の体内時計は実に素晴らしい仕事をしている。
「ほら、起きろよレオン。お前も今日から学校始まるんだろうが」
「んー……」
俺はソファーから降り立つと、ベッドの上でいまだ気持ちよさそうに夢の世界にいるレオンを無理やり現実世界へと引き戻す。
「ほら! 学校、遅れちゃうぞ?」
「あと……ちょっと……」
レオンは瞼を開けようとはせず、更に布団を引っ張り込んだ。
昨晩、あれほど必ず起こせと威張っていたくせに、朝になったらこれだ。
しかし、ここで確実に彼女を起こさないと後が怖い。高確率で俺は地獄を見る。なのでここは多少強引に彼女を起こす事に決めた。
「起きろって……言ってるだろぉが!」
彼女が引っ張り込んだ布団を無理やり引っぺがしてやった。ちょっと気持ちよかった。
今は四月の中旬。朝方はまだまだ肌寒い季節。当然、寝起きで布団をはがされれば寒さで否が応にも起きざるを得ないはずだ。
「……」
俺は彼女を見た。枕に顔をうつ伏せて黙っている。やばい、か?
「ほ、ほら、早くしないと遅刻しちゃうからってお前が……」
今更恐怖感を覚えた俺はつまらない言い訳を始めたと同時に、それは来た。
「ぐ、ふ……」
下腹部に強烈な圧迫感と共に痛みが走る。それは彼女の右足が俺の大事なブツにめり込んでいたからだ。うん、今日も朝から良い蹴りですね。俺は思いつつ、目覚めたばかりなのに力尽き果てた。……これが、げんじつ。
●○●○●
「うーん、いい朝だわ! おはようクズ!」
凄まじい蹴りを俺のムスコに入れたかと思うと、彼女はようやくベッドから降りての第一声がそれだった。どうやら今日も彼女は絶好調のようだ。
「おう……おはようレオン」
「まったく、クズはクズの癖に寝起きだけはきっちりしてるから役に立つわ。クズだけど、ちょっと使えるあたりが微妙にクズじゃない、なんというかすごく中途半端なクズね!」
お父さん、僕、もう泣いていいですか?
朝っぱらから俺をクズ呼ばわり(連呼)する彼女は、金宮零麻。レオン、というのはあだ名だ。ただし彼女が強制的に使わせているあだ名だ。
一方先ほどからクズ呼ばわりされている俺は、厚真椎名。遺伝によるブルーの瞳がチャームポイントである事以外、特殊能力など何も無いごく普通の男子高校生だ。
「クズじゃない。し・い・な・だ。いい加減名前で呼べ」
俺はちょっと強面で言ってみた。怒っている素振りを見せておきたかった。毎度毎度、舐められっぱなしでいられるのも癪だからな。
「あつかましいな、だっけ。相変わらず素の名前も面白いわね。あつかましいな」
「あつましいな! か、はいらない! かを入れるんじゃあない!」
「ったく、朝っからうるっさいわねぇ。もう一発いいのお見舞いしてやろうか?」
「ごめんなさい。かを入れないで頂けますかお嬢様」
「それでいい。まったくクズも嫌、あつかましいも嫌。イヤイヤだらけのワガママで、こっちが嫌になっちゃうわ」
言わせとけばこのやろう、いい加減朝からヒートアップするぞ?
とは言えず、胸中で強く罵るだけにしておいた。レオンには力でも言葉でも勝てる気がしない。
「さて、今日から初めての土地で新たな高校生活が始まるのね! 楽しみだわ!」
レオンはうーん、と気持ちよさそうに伸びをしながら、カーテンを勢いよく開いた。途端に部屋中が強い日差しに見舞われる。
思わず目を細めた俺は、その視線をレオンへと向けた。寝巻きの上下スウェットから日光に包まれている彼女の姿は、実に輝いて見えた。
背中の腰ほどまでに伸ばされた若干茶色掛かった黒髪は、ところどころ寝癖で飛び出しているがそれが返ってチャーミングだ。お日様に向かって伸びをし終えると、今度は大きな瞳をパッチリと開かせる。小柄でスレンダーな体形の通り童顔な彼女は、悔しいがとにかく可愛いの一言に尽きる。
「なんなのそのいやらしい顔。ムカつくわ」
そんな彼女は笑顔で俺に暴言を吐いた。天使のような悪魔の笑顔。
「なによ? なんか言いたげな顔ね」
当たり前だ馬鹿。
「とにかくこの生活も三年我慢すればいいわけだから、がんばりましょ!」
「……そうだな」
結局俺は何も言い返す事など出来ず、小さな溜め息をつくのが精一杯だった。
●○●○●
「なんなのこの目玉焼き。こげてるんだけど?」
手早く朝食を作った俺に対し、ねぎらいの一言など当然あるはずもなく、彼女が放った第一声はクレームです。
いい加減、この手の文句は聞き慣れていたので、俺はそれを無視する。ほっといても彼女はなんだかんだで俺の作った飯を食うので、あえて火花を散らす必要はないからだ。
「そういや聞いたかレオン。お隣のトネさん、今日息子さん夫婦が来るんだと」
「へぇ」
「まったく、あそこんちも変わってるよな。実の母親をこんなボロアパートに一人暮らしさせておいて、それなのにちょくちょく遊びに来る息子夫婦は何を考えてんだろーな」
「決まってるでしょ。お嫁さんが姑なんかと絶対一緒には暮らしたくないからよ」
「ふーん、そういうもんかね」
「そーゆーもん」
くちゃくちゃと不謹慎に食パンをほおばりながら、レオンは視線を新聞から離さずに、俺との会話を進める。全く、いい年してオヤジ臭い……いや、ババ臭いと言った方がいいのだろうか? ヤツだ。
夫婦生活のようなこの俺達の関係は一体なんなのか。甚だ疑問は尽きないだろう読者諸君。ぶっちゃけ俺もいまだ半信半疑なのだ。が、簡単に言うとこうだ。
レオンは俺の嫁!
なんて言葉に出したら間違いなくコイツにぶっとばされるから絶対に言えないが、実際にそうなのだ。このドギツイ性格の彼女はマジで俺の嫁なのだ。
しかしまだ俺もレオンも齢十五。当然法律で定められた年齢までは結婚出来るわけがない。よって正確には『俺の嫁の予定』だ。
というのも、親が勝手に取り決めた誓約で彼女と俺は結婚が可能な年齢になったら婚姻させられる、いわゆる許婚という関係なわけだからだ(一応お互い高校卒業するまでは、婚姻はしない事に決まっている)。
そんなレオンがうちにやってきたのはつい一週間前。
初めて彼女を見た時は、
(いよっしゃぁぁあああああああ! 超激マブやぁあああああ!(死語))。
などと胸中で強くガッツポーズをしていたものだ。
親から聞かされていた許婚の存在は昔から知っていたのだが、俺もレオンも家が近くない。許婚と言いながら、この年になるまで俺達は出会った事もなければ話した事すらない。
親元から届いた一報は『これから婚姻への予行練習として彼女と一緒に暮らせ』という実に安易なものだった。
俺達の為に用意された舞台が、この2DK(風呂トイレは別々)の木造オンボロアパートの二階であり、当の俺もここにはまだ住み始めて一ヶ月程である。夫婦だったり、本当の恋人同士であれば、決して狭くはないこの家も、俺達のような赤の他人からすれば、色々な弊害がある。俺の寝床がソファーなのもそのひとつだ。
で、今日からレオンも俺の通う高校に登校する初日というわけだ。
とにかく親には逆らえなかった俺もレオンも、その言いつけ通りこうして二人暮らしをしている。
「これから三年、か……」
「三年の辛抱よ」
俺は食パンにかじりつきながら小さくぼやくも、彼女は少しも気に留めず冷たく言い放った。
態度を見ればおわかりかもしれないが、レオンはこんなわけのわからん政略結婚(?)など当然嫌がっている。
そんな彼女は俺にとある提案をした。それは、とりあえず親の言う通り一度は結婚してそのあとすぐに離婚すればいい、という安易なものだ。果たしてそんな事が許されるかどうかは知らないが……。
そういうわけで、俺はギャルゲー世界の主人公的立ち位置さながら、彼女と過ごすハメとなった。リア充死ねとか言うな。
「そんなに俺が嫌いですか」
「別に。悪い奴じゃないから嫌いじゃないわね。伴侶としてはどうかと思うけど」
そうなのだ。彼女はやってきた初日から態度は悪いし、言葉使いも悪いが、なんだかんだで俺の事を極端に避けたりはしない。多少は俺に気を許してはいるようなのだ。しかし結婚をするまでの対象には見れない。よって先ほどの提案が上がったというわけだ。
ここまでの内容だと俺だけ彼女にのめり込んでいるように見えるかもしれないが、別にそういうわけでもない。確かに彼女は可愛いが、どうにも性格がきつすぎる。いわゆるツンデレという属性持ちなのだろうが、実際、現実にツンデレというものはムカつく。デレなんてまず滅多に見れないから、余計に腹立たしい。というか、この一週間で彼女がデレた事なんてあっただろうか。いや、ない。という事は、彼女はただのツンか。
「ほら、そろそろ出るぞ。お前も初日っから遅刻は不味いだろ」
「っるさい。わかってる。もう出ますよーだ」
彼女は文句をたれながら、洗面所に向かった。着替えと顔を洗いにいったのだろう。
俺は再び小さく溜め息をつきながら、自分も制服に着替えようと洋服棚を漁り出す。
「ちょっとぉ! 私のタオルどこにやったのよ!」
洗面所から、お嬢様が何か叫んでいらっしゃいます。
ああ、そういや昨日の晩、洗濯にかけっぱなしだった。いかん、怒られる。
「知らん! 適当に使え」
俺は説明に面倒臭くなってそう答えた。奥で何かぶつぶつと聞こえたがもうそんな事にいちいち構っている暇はない。
口を尖らせながら、彼女は身支度を整え終え玄関先までやってきた。俺も同じく玄関で革靴を履く。
「さてっと。弁当も持ったし、そろそろ行くか」
俺は手作り弁当(もちろん自作だ)がカバンに入っている事をしっかり確認する。
「お前、本当に弁当いらないのか? なんだったら作ってやったのに」
「あんたの手作りなんて恥ずかしくて持っていけるわけないでしょ。あー、でもカレーのお弁当だったら持って行ってやっても良かったかもね。私カレー大好物だし。っていうかあんた、たまにはカレーでも作りなさいよー。だいたいあんたカレー作るの少なくない? カレーなら毎日でもいいのにさー。今日帰ったら作りなさいよカレー」
「やなこった。面倒くせぇ」
カレーカレーうるせぇ。お前はカレーのお姫様か。
レオンの唐突な我侭に毎回付き合っていたら身がもたない。俺が拒否するとあーだこーだとまた文句を言い出していたが、それを無視しながら玄関の戸を開けた。
「気をつけてくれよ。初日っから学校で揉め事とか起こさないでくれよ」
「クズに心配されるほど落ちぶれてないわ。あんたこそ学校で舞い上がって変な事言わないようにしなさいよ」
「ふん、余計なお世話だ」
小春日和の今日は実に天気がいい。おかげで気分も晴れる。
これが本当の新婚生活で、彼女がもっと優しかったら幸せなんだろうな、などとまたもくだらん妄想をしつつ、俺達はバス停に向かって歩を進める。
「高校かぁ……普通の高校ってどんな所なんだろう」
レオンはまるで子供のようにはしゃいでいた。
「まぁお前がいた所に比べたらそうとう文化が違うだろうから、あんまり無茶はすんなよ」
「どういう意味よ。だいたいいつ私が無茶なんかしたのよ」
「おいおい、お前さん、俺の家にやってきた初日の事を忘れたなんて言わせねぇぞ」
「はぁ? 何言ってんのよ。私が何したって言うのよ」
コイツ、本気で言ってんのか? と疑いたくなるが、多分本気だ。だって目がマジなんだもの。
レオンが俺のボロアパートにやってきた初日。いきなり図々しく部屋の中に入ってきたかと思うと、いの一番に冷蔵庫を漁りだして、あれは駄目。これはゴミ。と、勝手に掃除(という名の食い物漁り)を始めた。俺は唖然としてその様子を見ていたのだが、あまりにもどんどんと冷蔵庫が綺麗になっていく状況に我慢がならなくなった頃、突如彼女が放った一言は「なんなの……このクズしかない冷蔵庫は。あんたの名前は今日からクズね」だった。
以来、彼女は俺をクズと呼ぶ。
皆さん信じられますか? いくら許婚だとしても、初対面の家の冷蔵庫をいきなり我が物顔で漁り、勝手にクズ呼ばわりする、そんな女性がこの世にいるんです。
彼女の暴走はそれだけに留まらず、部屋の中のものをあれこれと勝手に仕分けし、自分にとっていらないものは全て捨ててしまうという暴君っぷり。
俺も当然文句を言った。彼女も反論する。口論がヒートアップしていくと突然彼女は俺の顔面に容赦なくグーパンチをくれるのだった。
そんなのがまだ序の口だと知るのは、それから一日も経たないその日の中で十分に把握していった。そんな感じの生活を一週間ほど続け、俺は最近身も心も疲れている。
とにかくレオンこと金宮 零麻はどこかがずれている。一般常識から掛け離れているのだ。それというのも彼女が育った環境のせいなのかもしれないが、経歴を考えるとどうにもしっくりこない。
レオンは中学まで、男子禁制の超お嬢様学校に通っていた。それも私立のシスター学校だ。本来、そのシスター学校はエスカレータ式ミッションスクールである為、高校へも自動的に上がるわけだが、今回の同居の事があって、そのミッションスクールは中学で終わりにし俺の元へとやってきたわけである。
普通、そんな学校を出ているのならもっとおしとやかなイメージがあるが、当の彼女にそのイメージを当てはめてはいけない。良くも悪くも彼女は超個性的だ。
「あ、私と同じ制服の子、はっけーん!」
レオンはバス停付近を歩く女子数人を指差した。
まさかいきなり声を掛けるつもりじゃないだろうな、と少々不安だったが、さすがにそこはレオンも自重したようだ。バス停に到着した今も、彼女達の事をチラチラと見てはいるが、何かしようとまではしなかった。
キャッキャと騒ぐ、可愛らしい女子高生達の声が俺の元にも届く。ああ、全くどうして女の子ってやつぁあんなに眩しいんだ。俺は思わず嬉しい溜め息をつく。しかしレオンのやつはその辺の女子高生に比べるとかなり身長が小さい。俺の見立てだが、百五十ないんじゃないだろうか。
レオンの事を好みと言ったり(容姿に限る)、目の前の女子高生に心奪われたり、俺はどんだけ女好きなのかと読者諸君、思ったりしてはいけない。世の男子は皆すべからくそうなのだ。いや、そうに決まっている。
などとくだらない言い訳を自分にしている内に、気づくとバスはすでにやってきていた。
俺と同じく制服に身を包んだ男子高校生やら、サラリーマンやら、OLやらが次々とバスの中へとなだれ込む。俺とレオンも皆と同じくそのバスへと乗り込んだ。
見るもの全てが新鮮なのか、彼女はバスの中をきょろきょろと見回してみたり、窓の景色をじっと見つめていたり、はたまた『降ります』ボタンを押してみたり、他人が読んでいる小説を覗き見してみたり、とまるで落ち着かない。
「おい、レオン。お前あんま子供みたいな事すんなよ。みんな見てるだろ」
周囲からの視線に若干耐えられなくなってきた俺は、小声でレオンをたしなめる。
「ねぇクズ」
バスの中でまでクズ呼ばわりは、正直やめてほしい。
「なんだよ」
「あそこ見て」
俺のたしなめなどまるで聞かず、レオンは窓の外に映る建物を指差す。
「おかしくない?」
「あん? 何がだよ」
「だって、ついさっき通り過ぎたところにビジネスホテルがいくつかあったの。なのにまたこの通りに入ってから、HOTELって看板が四つも五つも並んでるわ。それもさっきまでの看板とはなんか違うの。ピンクだったりオレンジだったりカラフルな模様のばっかり。何が違うの?」
子猫ちゃん。それはいわゆるラブホというやつだぜ。
いや、そんな事より俺はいますぐ穴があったら入りたい状況だ。なんせそのレオンの質問は周りの乗客に丸聞こえなのだ。目の前に座っているおっさんなど、少し笑っている。
「あ、後で説明してやるから今は忘れろ」
「ふーん? ねぇじゃああれは?」
今度はバスの中に書かれている単語を指差している。
「ワンマンバスって書いてあるじゃない。ワンマンって一人って事でしょ? 一人しか乗れないバスって意味なのかなと思ったけど、そんなわけないわよね。こんなにたくさん人が乗ってるのに。あ、もしかしてワンマンっていう名前のバスって意味?」
目の前のおっさん。そんなに新聞で顔を隠さなくてもいい。思う存分笑うがいい。
全く、こいつは一体どんな育ち方をしてきたんだ。
「それは乗務員が運転手の一人だけですよって意味だ」
「何言ってんのよクズ。車の運転なんて二人以上でするわけないじゃない。絶対違うわ」
なんでこいつ、こんなに自信たっぷりなんだ。
「俺も話でしか聞いた事はないけど、昔は車掌さんも乗員していたバスがあったんだ。そしたら乗務員が二人だろ? そういうバスはツーマンって呼ばれていたから区別する為にあるんだよ。まぁ今はなごりみたいなもんだろ」
「へぇ。クズってば、クズのくせして案外物知りね」
これは褒められているのか。
「あ、そうそう。さっき電柱の張り紙に書いてあったんだけど、あんた、バイアグラ飲みなさいよ! バイアグラ!」
「ぶっは! ちょ、おま、レオン、声がでけぇよ!」
「あんたみたいに取り柄のない男子はバイアグラ飲んだ方がいいのよ! ふふん!」
こいつは一体何を間違って学習したんだ。
「レオン、頼む。小声で教えてくれ。なんで俺がバイアグラ飲んだ方がいいんだ?」
「だってアレ飲むと男としての魅力が急激に上がるらしいわ。あんた、男としての魅力は皆無に等しいから、飲んだ方がいいんじゃないの?」
間違っていない。間違っていないんだが、間違っている。
「……わかった。後で考える。頼むからこれ以上バスの中で話しかけないでくれ」
「なによ? 変なクズね」
俺が変だとしたら、この世界はすでに狂っています。
しかしレオンのやつ、本当に世間知らずだな。さすがの俺も結構驚かされた。
登校初日。まだ学校に着いてすらいないのに、どうしてこんなに疲れるんだろうか。先が思いやられる。
●○●○●
珍道中をなんとか耐え凌ぎ、ようやく目的地である私立六間高等学校前に到着。俺達は下駄箱のある昇降口まで一緒に進むとそこでレオンとは別れた。俺はまだ慣れない自分の教室である一年A組へと向かう。この学校は、まあ私立ってだけあって、制服も見た目が少し変わっているし、色々と個性的な分野の部活動とかも盛んな学校だ。なんでも理事長のモットーが『子供達の豊かな想像力を自由に伸ばす』というらしく、そのせいか、教員達もかなり個性的な能力を持つ人達が多い。
俺は当然ながらこの学校の生徒として、四月の頭から高校生活を始めているが、例の嫁であるレオンは別だ。
彼女が俺の家にやってきたのは一週間程前の四月八日。時期的な問題でどうも転入に関する手続き時、すぐに入学というわけにもいかず、転校という形になった。
その初日が四月十六日の今日であり、彼女は教員と共にどこかのクラスへ紹介される手はずになっている。なので、俺は自分の教室へと足を運び、レオンは職員室へと向かったわけだ。
「おっはよ、厚真くん! んっふふ!」
「おはよう、相原。って、な、何? なんかご機嫌だね?」
俺が自分の席に着くとほぼ同時に、待ってましたかのように前の席にいる女子が振り向き、椅子で船をこぐかのように斜めに倒しながら話しかけてきた。
「ねぇ聞いてる? 今日このクラスに転入生が来るんだって!」
なんて事だ。今日のこの日に転校生なんてただの一人しかいない。
「へ、へぇ。そうなんだ」
「変わってるよねぇ? こんな時期に転校生なんて。普通入学したばっかりで転校なんてよっぽどの事情があると思わない?」
軽快な挨拶を交わしてきたこの女子は中学時代からの同級生である相原美香。茶髪のショートカットの上に飾られた水色の小さなリボンをトレードマークにしている、可愛らしい女子だ。彼女はやたらと人の情事を探ってはあーだこーだと模索するのが三度の飯より大好物という変わった娘だ。
「俺の勘によれば、その子は絶世の美少女と見た」
「えぇ? なんでよ新井くん?」
突如横やりを入れてきたのは俺の席の後ろにいる、ボウズ頭にメガネを掛けた男子、新井健一。この学校に入学して一番初めに出来た俺の友人だ。
「なんでってそりゃお前、その方が嬉しいからだ。絶対に可愛い女の子。それ以外は認めん」
なんとなくその答えには予想がついていた。新井は単純明快に加えてなかなか女子の好みにうるさい。そもそも俺に掛けた第一声が「お前、どんな女の子が好き?」と言っていたくらいだからな。
「……ほんっと新井くんってそればっかね。だいたい目の前にすでにいるじゃない。絶世の美少女」
相原も結構言うなぁ、と感心しつつ若干俺は呆れた。
「ふむ……戦闘力たったの5か。ゴミめ」
「っぷ」
新井は自分のメガネを某アニメに出てくるアイテムのスカウターよろしく扱い、そう言い放った。その言い方がちょっとそのキャラに似ていたのが面白くて俺は思わず噴いた。
「……いってぇ! 相原、いきなり定規投げつけんなよな!」
「なによバーカ! 戦闘力1のゴミ男子に言われたくないよ!」
相原も意味を理解しているらしく、怒っている。確かに戦闘力5は酷い。相原は普通に可愛い女子だと思うけど。
「ってゆーか、厚真くんも今笑ったでしょ!」
「わ、笑ってない! 相原は可愛いよ!」
「おいおい厚真、そりゃないぜ。俺達戦闘民族は常に強い奴を追い求める人種だって、あんなに熱く語り合ったじゃないかよ」
「新井よ。俺はそんな事を熱く語り合った記憶がない」
新井の言う強い奴ってのは、可愛い女子の事だ。っていうか、俺を勝手に混ぜるな。
「男子ってほんと馬鹿みたい。私はどっちでもいいけど、出来れば明るい子がいいかな。早く友達になりたいし」
俺達三人の名前を見ればわかるが、このクラスでは五十音順で席順が決まっている。一番前の席にいる相原、次に俺、後ろに新井だ。男女ごっちゃまぜってのも珍しいが担任の先生の趣向だそうだ。そのおかげかどうかはわからないが三人はすぐに打ち解けた。まぁ相原だけは元々俺と同中だったわけだが。
と、そんなこんな馬鹿をやっているうちにホームルームのチャイムが鳴り響く。その直後、教室内に担任教師の三田先生がやってきた。
新井曰く、戦闘力150という高数値(らしい)である三田先生は、スタイル抜群、巨乳、天然の超童顔に加えメガネ属性持ちとかなり色々な要素を持つ美人教師だ。
「はぁい、みんな静かにねぇ。知ってる人もいるかもだけどぉ、まだ新しいこのクラスに早速新しい仲間が増えちゃいまぁす」
三田先生はニコニコしながらおっとり声で言った。そのボイスも新井曰く、戦闘力を底上げしているのだとか。アイツ頭大丈夫か。
「んじゃ、入ってきてぇ」
三田先生が教室の外、廊下側へと向かって呼びかける。
そして扉が開かれるやいなや、教室内に複数人のざわめきが起こる。俺は当然静かに見守った。ヒソヒソと囁かれる声の大半は男子によるものだ。内容は大方想像がつく。現に後ろの新井は例のスカウターで彼女の戦闘力を測定しているようだ(なんかぶつぶつ言ってるから)。
教卓の前、三田先生の横でレオンこと金宮零麻は立ち並ぶ。
「さぁ、金宮さん自己紹介してねぇ」
「はぁ……」
レオンはそっけない返事を返した。
俺の席はかなり前の方だ。当然すでにレオンのヤツも俺の事に気づいている。さきほどからチラチラとこっちを見てるし。っていうか、あれ? なんかアイツ、怒ってね?
「……金宮 零麻です。家族の事情で転校してきました。よろしく」
ぶすぅーっという膨れっ面に加えて、低い声の早口でレオンは簡単な自己紹介を済ます。あまりに不機嫌な態度で言い放った為か、それからほんの少しの間、クラス内がしんと静まり返った。
誰がどう見ても、彼女が不機嫌である事は手に取るようにわかる中、三田先生だけが呑気に言葉を続けた。
「はぁい。それじゃあせっかくだからぁ、質問タイムとかやりましょお」
ピクッと、レオンの眉が歪む。どう見ても三田先生を睨みつけている。ヤバイ。あの表情は完璧にヤバイぞ。
「誰か金宮さんに聞きたい事ある人、手ぇあげてぇ」
そんな雰囲気じゃねーだろと総ツッコミをクラス中から食らってもおかしくない中、三田先生はきょろきょろと教室内を見渡している。
しかし勇者はいた。いわずもがな、女スカウター搭載の新井健一だ。
「はぁい。新井くん、どうぞぉ」
さすがは戦闘民族新井。相手が強ければ強いほどに挑みたくなるわけか。
「金宮さんは、なんでこの学校に転校してきたの?」
「家族の事情です。話を聞いていなかったんですか?」
レオンは間髪入れず応えた。うん、確かに最初に言っていたな。かろうじて敬語なのはまだ理性が保てている証拠。これ以上アホな質問はやめるんだ新井。
「その事情が知りたいんだけど……」
食い下がる新井。
「家庭内の事情を他人に話すわけにはいきません」
ますます冷え渡る教室。しかし勇者はまだ死なない。
「えっと、じゃ、じゃあ、今はどこから通ってるの?」
「個人情報なので言えません」
「う……あ! しゅ、趣味とかはある!?」
「ない」
「食べ物は何が好き!?」
「うるさい」
ブチ。って音が聞こえた気がした。いや、間違いなく聞こえた。
「え?」
新井は呆けた様子でレオンを見る。
「うるさいって言ってんのよ。なんなのよあんた」
俺は顔を伏せた。もうだめだ。
「あんたなんなの? どう見ても私が不機嫌なのがわかんないの? くだらない質問繰り返さないでくれる?」
どうにでもなぁれ。俺の心境はそれだけだった。
「だいたいなによそのメガネ。銀縁とかダッサ。おまけに今時流行らないボウズ頭。女の子に対する質問もベタなもんばっかり。しかもなに? その赤いTシャツ。ブレザーの中に着込んで俺KAKKEEEE! とかしたいの? 何年前のスタイルなのよ。一回死んで十年前からやりなおした方がいいんじゃないの?」
「え……え……?」
「ハナっから私と絡んで印象付けでもしたかったの? あははご愁傷さま。残念だけど、私から見たあんたの戦闘力コンマ1よ。全てにおいてNG。のーぐっど。視界に入るのさえ不愉快だわ」
もうやめて! 新井のHPはとっくにゼロよ!
「それから言わせてもらえば……」
「はぁい! 質問タイムしゅーりょぉ! じゃあ金宮さんの席は加藤くんの後ろね! このクラスは名前の順だから、木田くん以降みんなひとつずつずれていってねぇ」
三田先生が珍しく空気を読んだのか、レオンのマシンガンを止めた。
ぼろぼろに打ちのめされた新井はなすすべなく、黙りこくって席に座り込む。俺には見える。新井の口から抜け出ていく魂が。新井よ、お前の死は無駄にはしない(泣)。
「じゃあ先生は他のクラスで授業なので移動しまぁす。皆も一時限目が始まるまで、仲良くしててねぇ」
空気読むとかじゃなかった。ただ時間が来ただけか。
「もーぅ、新井くんがたくさん質問するから、先生が金宮さんに質問する時間なくなっちゃったじゃないのぉ」
捨て台詞を残して三田先生は教室を後にした。あれはあれだな。天然とかいうレベルじゃなくて、ちょっと足らない先生だな。俺は個性的と呼ばれるこの学校の教員がようやく少しだけ理解できた。
結局最初の授業が始まるまで、教室内でのざわめきは増すばかりとなった。
●○●○●
まず一時限終了後の十分休み。二人目の勇者が現れた。
「っよ、金宮! あたし宗次ってんだ!」
レオンの名を呼びつつ、ぽんっと慣れなれしく肩を叩く女子の名は宗次。高校デビューでもしたのか、めちゃくちゃ派手なメイクのギャルっぽい女子だ。
「あのさぁ」
宗次がその言葉の続きを紡ぐ前に、レオンは叩かれた肩をまるで埃を払うかのようにポンポンっとはたくと、
「気安く触らないでくれる? あと初対面の相手を呼び捨てってどうなの? だいたいなんなのその気持ち悪い化粧……おまけになんか安っぽい香水の匂いが鼻につくし。っていうかあんた誰なの?」
と、問答無用に毒マシンガンが炸裂。
「な……なっ」
「それにそのピアス、校則違反じゃないの? あんたみたいなのを不良って言うのよ。近づかないでもらえる? 社会のゴミ」
「な、なんだとてめぇ!」
さすがにぶち切れた宗次が平手を振りかぶった。
しかしその平手はどうやら宗次の友人らしい女子に抑えつけられた。
「ちょっとちょっと宗次ってば! 落ち着きなよ! っていうかさ、金宮さんもそんな言い方ないんじゃない?」
「私の言い方が悪いっていうの?」
「はぁ? 当たり前じゃない。宗次に謝んなよ!」
「嫌よ。私は私が悪いとは微塵にも思っていないもの。だいたいこのゴミ女が気安く私の肩を叩くから悪いのよ。そっちが先に謝りなさいよ」
宗次は早速ゴミ女という名前になったようだ。クズとゴミ。どっちの方がマシなのか。
「こ、こいつ! 離せ、持田! この女、一回ぶっとばさなきゃダメだ!」
全くだ。いや、暴力は不味いが、レオンは少しくらい痛い目を見ないとアイツの為にならん。ビンタの一発くらい食らって世の中を知るべきだ。
「やめときなって宗次! ここで手ぇ出したらあんたが不利になるよ!」
「く、くうぅぅぅっ!」
結局宗次は持田という女子に説得され、その場を離れていった。持田と宗次は自分達の席に戻ってからもなにやらぶつぶつと文句をたれていた。ま、当然か……。
そんな騒動を俺含むクラス全員が脅えつつ見守る中、最初の休み時間はあっという間に終えた。
●○●○●
それから次の休み時間。
今度は女子三人グループがレオン城を攻め落とそうと進行。
「ねぇねぇ金宮さん。なんだかイライラしてるみたいだけど、なんか悩み事? よかったらあたし達に相談してくれない?」
「そうだよ! まだ慣れてないんだし、なんでも力になるよ!」
「うんうん! もしここじゃ話しにくいなら、今日の帰りにでもさ!」
鈴木、鈴本、鈴鹿の鈴三姉妹だ(実際はただの友達同士だが、クラス内でそう呼ばれている)。
「悩み事なんてない。っていうか三人揃ってなんなの? なんかそういう集団行動って気色悪いんだけど。仲良しアピールのつもり? キモい」
その言葉を切り出しに止む事なく続いたレオンの吐いた毒は、あっという間に鈴三姉妹を飲み込む。哀しいかな、内容は宗次達の時とほぼ同じ。やはり彼女達もレオンの発する強烈無比な毒であえなく撃沈してしまうのだった。
●○●○●
更に次の休み時間。
いまだ勇者、現る。今度は男子ソロ。俺のクラスメイトはマゾなのか?
「あのさ、金宮ちゃんって」
「うるさい死ね」
最後の勇者は、俺の紹介文が始まる前に死亡していた。
●○●○●
そして気がつけば昼休み。
それまでに新井含め、計七名の尊い犠牲が払われた。
その結果、当然といえば当然だが、ついにこの昼休みには誰一人として彼女に近づく者はいなかった。
レオンといえば、昼休みになるとぶすっとした表情で教室を出て行ってしまった。結局俺の所には一切接触してこないままだ。っていうかあいつ、昼飯どうするんだろう。
全く、俺にはアイツの行動が理解できん。アイツは何がしたかったんだ。そもそもなんであんなに不機嫌だったんだ?
「厚真! 視聴覚室でメシ食おうぜ?」
本日の英雄が一人、新井が俺に声を掛けてきた。
「お、おう。っつーかお前、元気だな」
すでに日課になり始めている視聴覚室での昼飯。俺達はよくそこで昼食を済ませる。
「あ、私も今日は購買所でパン買ってきたら行くね」
と、相原。
すっかりこの三人でつるむ事が多くなった。相原は他の女子や男子達とも仲は悪くない。というか、クラスメイトの女子達に至ってはほぼ全員とすでに仲がいいくらいだ。俺達に混ざって飯を食うのは二日に一回というペースで、後は他の女子達と一緒だったり、色々と忙しいやつだ。
それでも男子と混ざるのは俺達くらいだから、俺達三人はかなり仲が良い方だと言える。まぁ俺と相原は元々中学のよしみであるわけだから、相原も気兼ねしなくて済むのだろう。
「なぁ厚真。俺は決めたぜ」
昼休み、色々な生徒達でごった返す廊下の中を歩きながら、新井は意を決したかのように語り始めた。
「ん? 何をだよ?」
新井はひと呼吸間を置いて、視聴覚室への扉に手を掛けながら爆弾発言をした。
「金宮さんを……落とすって事をなぁ!」
「な、なんだってー!?」
この「なんだってー」はわりとマジだ。よくネットで使われる比喩なんかじゃなくて、結構本気で驚いています。あんだけレオンの態度を見といてよくそんな事が言えるな。こいつ、マジで頭だいじょうぶか?
「ヤツの戦闘力はかるく500を越えていた。それも気を抑えている状態でだ。あんなつえぇやつ、オラ見た事ねぇ!」
あぁ、俺も見た事ねぇ。お前みたいなアホは。
「あの子は……やめておいた方がいいと思うぞ……」
「馬鹿が! 敵は強いやつほど燃え上がるってもんだろうが!」
馬鹿はお前だ。
しかしコイツの戦闘力を測る数値はあながち間違ってはいない。確かにレオンはクラスメイトどころか学校内の中でも一、二を争う程に可愛いだろう。まぁ俺の勝手な主観だが。けど性格がなぁ……。
「やっほー。お待たせ」
新井のアホな発言を流し聞きしつつ、家から持ってきていた弁当をつまんでいると、相原がやってきた。なにやら両手一杯にパンを抱えている。五個か六個はあるな。コイツそんなに喰うのか。
「お前、食うなぁ……」
「違うよ厚真くん。これ私の分だけじゃないよ」
「え?」
ざわざわ……と、なにか嫌な予感がした。なんだろうか、この妙な胸騒ぎは。自然に顔と鼻と顎が角ばっていく気がする。気のせいだが。
「えへへ、さっきね、たまたま購買所で会って、せっかくだから一緒にご飯しようって誘ったらついてきてくれたの!」
相原からややも遅れて、その後ろに誰か歩み近寄ってくる。
「なん……だと……」
俺は思わず絶句した。
「じゃーん! 早速仲良くなっちゃいました! 零麻ちゃんでーす!」
何故だ? 何故相原と!? というか新井は色々と大丈夫なのか!?
「一緒に、いい……?」
ちょっとしおらしげにレオンはそう言った。若干頬を赤らめている。くそ、かわいい。
「金宮さん! どうぞどうぞ!」
新井はむしろ元気だ。コイツのタフさを分けてほしいものだ。
「新井くん……だっけ。今朝はごめんなさい。ちょっとぴりぴりしてたから……」
「いいっていいって! それよりほら、二人共こっち来てメシ食おうぜ!」
新井は本気でへこたれていない。むしろテンションが上がっている。というか、レオンのヤツが謝罪しやがった。ふざけんなてめぇ。俺にはデレた事ないくせにここでデレるとか、なめてんのか。
「厚真くんもいいよね?」
相原が満面の笑みを俺に向けてくる。
「あ、ああ……。よろしくレ……金宮さん」
レオンは小さく俺に向かって会釈すると、ちょこんと近くに座り込んだ。何かおかしい。レオンのやつ、一応穏やかな表情をしているが、機嫌が直っているようにも見えない。
「えっと、ちゃんと自己紹介してないよな。俺、新井健一! 趣味は戦闘力測定。よろしく!」
なんだその自己紹介。
「戦闘力って可愛さの事よね? 気持ち悪い趣味だね! よろしく!」
うん、レオンさん。軽く毒混ざってるけど、今朝よりは良いお返事ができました。
「私はさっき零麻ちゃんと話したから大丈夫。厚真くんは全然お話、してないよね?」
きたな。どうするか。
「……厚真椎名だ……いや、です。よろしく」
俺はとりあえずレオンの反応を伺うまで余計な事は口走らない事にした。そういえば学校内で俺達の関係ってどうするべきかとか全然話し合わなかったな。こいつもそういうのをどう考えているんだろう。やはり内緒にしておきたいよな、普通は。
「あつかましいな?」
「か、はいらない! かを入れるんじゃあない!」
しかし俺は思わず立ち上がり、いつものようにレオンにつっこんでしまった。
「っぷ! あっはははは! 零麻ちゃん面白い! 厚真くんに『か』を入れるとあつかましいな、かぁ! あっははははは! 初めて気づいたぁ! おっかしい!」
無邪気に笑い転げている相原。
「ぎゃははは! ほんとだわ! あつかましいな! だははは!」
同じく新井。てめぇら吊るすぞ。
「うふふ、ごめんなさい。あつかましいなさん」
「違う! っつーかてめぇレオン、どういうつもりだ!?」
「どういうつもり?」
「学校じゃ黙っとくんじゃなかったのかよ! いや、まぁそういう取り決めをしたわけじゃないけど……っつーかなんかやたら不機嫌だったり、クラスの連中と騒ぎ起こしたりといい、何やってんだよお前は!?」
気づいた時にはもう遅かった。
さっきまで笑い転げていたはずの相原と新井がきょとん顔で俺を見ている。
「うるっさいわねぇクズ」
「なに?」
「だいたいあんたが悪いのよ! クズのくせして女の子とイチャイチャしたりして、どういうつもりよ!」
「は、はぁあああ!? 何言ってんだお前?」
「教室の中でこの子とすっごい仲良さそうにしてたじゃないの! どういう関係なのか知りたいのはこっちよ! ふっざけんじゃないわよ!」
レオンは相原を指差しながらいきり立っている。なんだなんだ? 何を言ってるんだレオンは。まさかとは思うが、嫉妬、か?
「え? え? 私?」
困惑しているのは相原。状況を理解出来ずに呆けたままの新井。
そんな二人の事などすっかり忘れて俺とレオンはヒートアップ。
「関係もクソも、相原は昔馴染の友達だよ! っつーか、お前こそどういうつもりなんだっつの! この場に混ざって何がしたかったんだよ!」
「あんたの見張りに決まってんでしょッ!」
「何を見張るんだよ!? 意味わかんねーよ!」
「一応でも将来の旦那がとんでもない遊び人だったら、私の経歴に傷がつくって言ってんのよ!」
しーん。という効果音って本当にあるんだなぁ、と俺は思った。最後のレオンの一言でまさしくそうなったからだ。
俺もおかげでようやく気づいた。取り返しのつかない現状に。
「しょ、将来の……旦那?」
相原が目をまんまるにして両手で口を塞ぎながら呟く。新井に至っては顔がぐにゃぁあって感じで歪んでいる。気がする。
「い、いや、二人共聞いてくれ! これには深い事情が……」
「旦那……へぇー。厚真くんと零麻ちゃんってそうだったんだぁ……」
「あ、あつま……きたないぞ、きさま……どんだけ手が早いんだ……」
だから俺、聞く耳持たない人って嫌いなんだ。ぐすん。
こうなったら仕方がない。ちゃんとレオンに説明してもらうしかない。
「おいレオン! お前が余計な事言うから変な誤解させちまっただろうが! しっかり二人にもわかるように説明しろよ!」
「ふふん、いいわよ。このクズと私は許婚で、今も一緒に暮らしてるんだから!」
説明、本当にありがとうございました。
「「い、一緒に!?」」
新井と相原がぴったりとハモった。そりゃそうだわな。
俺は考える事をやめて、窓の外に虚ろな視線を向けた。
視聴覚室から覗く緑の木々が、お日様の光を浴びて青々と輝いている。そんな木々に小鳥達が実に楽しそうに群がってはさえずり合っていた。ああ、俺は、小鳥になりたい。
●○●○●
「へぇ! 今時そんな家族があるんだね!」
「厚真、お前は下級戦士かと思っていたが、まさかエリート戦士だったとはな! リア充死ね!」
それから十分程お祭り騒ぎだったが、ようやく収拾をつける事ができた(一名を除く)。
とりあえずここまで知られてしまったからには、この二人には洗いざらい全てを吐いた。もちろん、一度は結婚しなければならないが、すぐに離婚する予定である事も。
「まぁそういう事なんだ。俺の家もレオンの家も親がやたらとうるさくてね」
「でもなんか憧れちゃう! いいなずけってお話の世界みたいじゃない!」
「エリート戦士には敵わねぇよ……。俺もエリートに生まれたかったよ……」
相原は少女のように瞳を輝かせている。相変わらず新井はわけのわからない事をぼやいている。こいつはしばらくほっとこう。
「だ、だからって勘違いしないでよね! さっきも言ったけど、すぐこんなクズとは離婚するんだから!」
レオンは頬を赤く染めながら相原に力説している。お前はなんてテンプレなツンデレなんだ。
「でもさ、なんですぐ離婚しちゃうの?」
「はぁ? 何言ってんのよ美香。好きでもない男と一生暮らせっていうの?」
「うーん……って事は、零麻ちゃんは厚真くんの事、好きじゃないんだ?」
「とぉっぜんでしょ! 誰がこんなクズ!」
いや、わかってはいたが、そんなはっきりと拒絶されると心が痛い。
「じゃあなんでさっき怒ってたの? なんか私が厚真くんと仲良くしてたらやきもち妬いてなかった?」
「違うわよ! やきもちとかじゃないわ。さっきも言ったけど、一応でもこのクズは私の旦那になるわけでしょ? その旦那が女たらしだって世間に知れたら、これから築かれていく私の華麗なる人生の経歴に、取り返しのつかない汚点が出来てしまうじゃない」
女たらしって……俺はそんなキャラじゃない。いや、女の子は大好きだが、それを表面に出した覚えはない。
「厚真くん、そんな人じゃないと思うけど……」
相原だけはわかってくれている。それだけで俺は救われる思いだ。しかしレオンは続けた。
「だって、異性の子とあんなに近寄って話してたら、普通恋人だと思われちゃうじゃない?」
ちょっと待て。お前は何を言っているんだ。
「私のいたシスター学校じゃ、年の近い男子との会話はもちろん半径一メートル以内に近寄る事も厳禁だったわ。それが許されるのは将来を約束しあった恋人だけ。そう教わったわ。それだけじゃない。友達だって、厳選して選べってパパが言ってた。だから私はあからさまに低脳なやつは関わらないようにしてるんだから」
あー、なるほどな。それで俺と相原がやたらと近くで話していた事が気に入らなかったわけか。というか、朝の会話を聞いていたんだなコイツ(戦闘力の意味合いを知っていたみたいだし)。俺もまぁあれだが、レオンは本当に箱入り娘だという事がよくわかった。そしてそれは相原も同じだったようだ。
「そっかぁ……そうなんだ。零麻ちゃんには刺激が強すぎたんだね。でもね、一般世間じゃ友達同士なら男女で仲良く会話なんて当たり前なんだよ」
「そう……なの?」
「うん。だって私、厚真くんだけじゃない。新井くんにだって、他の男子達とだってさっきみたいにおしゃべりするよ? 零麻ちゃんも見てたよね?」
「うー……」
珍しくレオンが言葉を詰まらせている。なんでか知らんが、相原の言う事にはいまいち逆らわない。
「友達だもん。仲いいのは当たり前だよ。それに友達になる相手に条件なんかないの。だからさ、私達ももう友達! っね!」
相原は満面の笑みを浮かべている。
「ああ、そうだぜ金宮さん! 俺達はもう友達なんだ! 友達は仲がいいんだ! だから仲良くしよう! なんてったって友達だから!」
さっきまで戦闘不能だった(心折れていた)新井もここぞとばかりに復活。
「とも、だち……」
レオンはそう呟くと少し顔を綻ばす。
「あ、そういえばさ、厚真くん、零麻ちゃんの事れおん、って呼んでたよね? それあだ名? 私もそう呼んでいいかな?」
「え? あ……う、うん」
「じゃあ、俺もいい? 友達だしさ!」
新井はそこ、押すなぁ。
「あんたはダメ」
「なして!?」
と、オチがついた所で、昼休みを終える十分前予鈴が鳴り始める。
「あ、まずい。早くご飯食べちゃおう!」
昼休みだという事をすっかり忘れていた俺達は早々に昼食を済ませ、教室へと戻る事にした。
ひとまずは理解者が増えたと思っていい、のだろうか。とりあえず相原も新井も、俺とレオンが家の事情でそういう関係になっているがそれは無理やりやらされている、という事さえ認識してもらえれば今はそれでいいか。別に俺達は実際、恋人でも夫婦でもない。
一応、俺達が許婚という関係なのは他の人間には伏せておく事に決まった。面倒事が増えるのも煩わしいし、からかわれるのも面白くないから正直助かる。
●○●○●
午後の授業も無事に終え、下校時刻。
「レオンちゃん、一緒に帰ろ!」
相原が早速レオンのもとへと駆け寄る。
「う、うん」
レオンは気恥ずかしさからなのか、少しおずおずとしながらも小さく頷いていた。
「新井くんも厚真くんも、途中までバス一緒だったよね。皆で帰ろ!」
「おう! 皆で一緒に帰ろう! なんてったって俺達は友達だからな!」
新井は馬鹿のひとつ覚えみたいにそればっかりだ。あまり妙な事を言われても困るので俺は少しジト目で新井を見た。
「安心しろって。お前とレオンちゃんの事はヘタに口にはしねぇって」
新井が俺の耳元で囁く。珍しくコイツに俺の考えが伝わったようで、とりあえず俺も一安心。
「それによ、俺はまだ諦めちゃいねぇんだぜ。レオンちゃんの事」
「はぁ? お前、マジか?」
「当然。だってお前とレオンちゃんは肩書きだけの関係だろ? だったらまだ俺にも十分チャンスは残されている。だから厚真よ。お前とは良き友人であり良きライバルってわけだ。まさしく強敵と書いてトモと呼ぶ関係!」
いや、待ってくれ。それだと俺もレオンに惚れてるみたくなる。
「なぁに新井くん。また戦闘力の話?」
訝しげな顔をしながら相原とレオンが俺達のもとへと歩み寄る。
「そ、そうそう! やっぱ戦闘力だよ、世の中! な? 厚真!」
なんなんだ、その無理がある話の変え方は。っていうか俺に振るな。
「聞いてよレオンちゃん。新井くんってば酷いんだよ。私の事を見て『戦闘力5かゴミめ』とか言うんだよ!」
「戦闘力戦闘力って、あんたほんとそればっかね。いいわ、今日からあんたの名前はサルよ!」
全くもって、お似合いです。
「だいたい美香はそんな低レベルじゃないわ。なんてったってこの私が認めた女子だもん」
ふふん、と何故か誇らしげにレオンは言った。
「やーい、サル!」
便乗して相原も新井をサル呼ばわり。
「あはは! もっと言うのよ美香! このサルがっ!」
レオンと相原はサルを連呼。あまりにサルサル言われた新井はそのうち「うるせームッキー!」とか言い出して、また笑われていた。っていうかレオンがあんなに楽しそうに笑ったの、初めて見たな……。
俺達の和気あいあいとしたやり取りを、クラスメイト達は不思議そうに見ていた。そりゃそうだろうな。昼まではあんなに友達拒否オーラ出していたヤツが、いつの間にか俺達の輪に加わって笑っているんだから。
しかしそんな俺達の和に、誰一人として接触しようとする者はいなかった。
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帰り道、バスの中でも四人で話をした。一週間後には所属する部活を決めなくちゃいけないんだよ、と相原がレオンに説明していた。新井は「みんなで同じ部活入ろうぜ」と提案。それには皆賛同したが、結局どの部活がいいかはその日決まらずに新井、相原とは別れた。
後日知る事になるのだが、相原だけにどうして気を許したのかをレオンに尋ねたところ、「パンくれるって言うから」と言っていた。後でわかったが、こいつは昼食を買うお金を持ち合わせていなかったらしい。なんでも前の学校では、昼食は待っていれば勝手に運ばれてきたとか。すげーお嬢様学校だな。それに餌で釣られるとか、案外単純なヤツだ。
「はぁ。初日っから、お前にはハラハラさせられたわ」
夕闇が迫り、景色が橙色に染まり始めた街路樹通りを俺達は歩く。
レオンと二人きりになったその帰路で、俺は呆れたようにあてつけた。
「あんたが悪いんでしょ。クズはクズなりに一人っきりでポツンとしてればよかったのよ」
「なんだよそれ……」
ふん、といった態度でレオンはそっぽ向いた。
それから少しの間、お互い何もしゃべらなかった。俺はひたすらこの先の学校生活が思いやられるな、などと考えていた時、
「ともだちって、いいね……」
という、レオンの呟きが聞こえた。
こいつはもしかして、異性はおろか満足に友達さえもいなかったのかもしれない。だから今日学校で俺に嫉妬したのか。俺がレオン以外のヤツと仲良くしているのが、恋心とか別にして純粋に気に入らなかったんだ。
そういえば、と今更だが思い出した事がある。
レオンが俺の家にやってきた初日から、こいつは携帯電話を持っていなかった。俺がその事を問い質すと「使う必要がないから持った事がない」と言っていた。それってつまり、携帯を使う相手がいない=友達がいないって事なんじゃないだろうか。
俺の家もそうだが、コイツの家は度を抜いて変わっている。きっと今まで普通の女の子みたいな楽しみは少なかったのかもしれない。そう考えると、少しだけコイツが不憫に思えてきた。
俺はレオンの呟きが聞こえなかったフリをして、
「今日はカレーでも作るかな」
と言った。