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無題掌編  作者: mm
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 ここは何処だ、とボクはベタベタなファンタジー小説の出だし様な目覚めを迎えた。

 妙な肌寒さを感じ、一つ身震いして、硬くなった首をぐるりと回して周囲を見渡す。無数の本棚が立ち並んでいる。木造の古びた本棚だ。そして日に焼けた背表紙の本。見覚えのある木目の床に格子じみた影が映る。大きめの窓が並んでいるのにも関わらず仄暗さを感じる室内。そして微かに香るカビの匂いと、エアコンの駆動音。

 よく来る場所なのに、ここが何処であるのか思い出すのに時間が掛かった。たぶん、それだけ熟睡していたと言うことなのだろう。ボクが目覚めた場所は学校の図書室だった。古びた長机に涎らしき跡が残っている。

 唇を親指で拭って、乱暴に頭を掻く。この場所が図書室だと言うことはわかったが、何でここに居るのか未だに理解できていない。平日ならまだしも、今日は夏休みの初日なのだ。ボクのような怠惰な学生ならば、昼過ぎまでぐっすり眠って、まずまちがいなく学校には近寄ろうとはしない。それが何故。

 ボクは立ち上がり、ぐっと背伸びをした。本棚の間をすり抜けて、壁に掛かった時計を見上げる。時計の針は四時半を指している。ほんとうに何でこんな時間に学校にいるんだ。

 ボクは考えながら図書室を出て廊下を歩く。誰も居ない廊下は奇妙に静まり返っている。薄い硝子の窓を隔てた外は蝉の鳴き声で五月蝿いと言うのに、ひどく遠い世界のように感じる。まだまだ明るい西日が差し込んでいるのに、床に焼け付く影の色が薄い。

 内容物が無くなるだけで学校はこうも違うのか、とボクは既に自分がここに居る理由を思い出すのをやめていた。その代わりあまり体験できることのない主を失った世界という物を堪能していた。

 こういう雰囲気は嫌いではない。血がすっと冷たくなるような孤独さ。世界が色を失うような寂しさ。色んな音が遠くに聞こえるような閉鎖感。なんだろう、すこし高揚しているのがわかる。世界に一人取り残されたような心細さに興奮する、そんな変なところは昔から変わらない。それがボクの本質なのだろうか。

 だんだんと思考がずれ始めている。それを理解しながらも無駄に回転する脳味噌を止められない。

 ボクは自己形成について考えを廻らせ、幼少期のトラウマを思い返し、ネガティブな思考に陥り、三日ほど前に見た深夜映画のラストとシンクロして、何処をどう間違ったのかモンブランが食べたいと思った。

 モンブラン、くりきんとん、マロングラッセ、栗羊羹。きゅるきゅるとお腹の妖精が咽び泣く。秋が来るのがそんなに待ち遠しいのだろうか。一日千秋の思いと言うし。

 お腹を押さえて立ち止まり、ふと周りを見渡す。図書室は二階在る。そしてボクはまだ二階に居た。この学校はこんなにも広かっただろうか。それとも思ったより歩いていなかったのか、ありがちなファンタジー小説のように無限回廊なる空間に引きずりこまれたのか。なんだか周りが揺れているような気がする。ボクはいったん目を瞑って、頭を振った。そして再び歩き出す。

 しばらく歩いて、人の気配を感じた。ボクは猫のようにすっと歩みを止めた。見上げる表札はボクのクラスのものだった。何かの巡り会わせだろうか、足音を殺しドアの隙間から教室内を覗くと一人のよく知っているようで知らない女の人が一人。夏休みなのに制服を着て、机に視線を落とし黙々とシャーペンを動かしていた。

 ずいぶんと集中しているようだったので邪魔をしてはいけないと身を引こうとしたが、その人はボクよりも鋭かった。ボクの感覚が野良猫のそれだとすると、その人のは獅子とか虎とかのそれだ。髪の色も金だし、ぴったりの表現だと自画自賛する。

「……今日は夏休みですよ、先輩」

 金の髪の女性――先輩はシャーペンを置いて、ちょいちょいと手招きした。ボクは恐る恐る近づく。先輩は、座れ、と目で示した。先輩の前の席に座り向き合うと、脳が揺れた。

「バカにすんな」

 額を押さえて思わず先輩を睨む。先輩は手を差し出していて指がデコピンをした後の形になっていた。ボクの恨めしそうな視線を正面から受け止めて、鬼のような眼力で睨みつけてくる。

「してませんよ……ばかになんか。なんでこんなことにいるんですか?」

 自分の教室ならまだしも、ここはボクの、先輩にしてみれば下級生の教室なのだ。聞いても先輩は答えようとしない。机の上に視線を落とすと遣り掛け数学プリントがあった。

「夏休みの宿題ですか?」

 ボクが聞くと先輩は嫌そうな顔をする。それからしぶしぶ口を開いた。

「それとは別の課題だよ。補習ついでにあたしだけ渡された」

「補習ですか……」

 進学を視野に入れてのことだろうか。それともただ単に先輩が――、と考えるとじろりと睨まれた。

「言っておくがな、あたしは赤点を取ったことはない。成績も取り分けよいわけではないが、悪くはない。出席日数の問題だ、――それと素行」

「どちらにしろ自業自得じゃないですか」

「うっさい」

 先輩は机に上に転がっているシャーペンをつかんで問題を解き始めた。自分で成績が悪くないと言うだけあって問題を解くペン先は淀みなく一定のリズムで解答を導き出している。ボクが見た限りでは間違っている問題はない。意外なことに文字も綺麗だ。

 ふと先輩の指の動きが止まった。三白眼でボクを睨む。

「そう言えば、お前この教室に用が有るんじゃないのか?」

「……? いえ、先輩が手招きしたから入ってきたんですよ」

 先輩は胡乱気に眉根を寄せて、すっと手を伸ばしてきた。今度はデコピンではなく熱を測るようにボクの額に掌を乗せられる。

「熱はないか、……お前、覚えてないの?」

「何をですか」

「二時頃ここに来ただろ、あたしらが補習してる最中に」

 今度はボクが眉根を寄せた。ぜんぜん覚えていない。

「なんかぼうっとしてたけど、あたしらを見たら、間違えましたって、そのまま消えたけど。ほんとうに覚えてないの?」

「ぜんぜん、覚えてないです。さっき図書室で寝てたんですけど、なんで自分が学校に居るのか判らなかったですもん」

「夢遊病、か?」

「や、それはないと思いますけど」

 少し語尾が小さくなる。

 なんにせよ、ボクがこの教室に来たということは、教室に何かあるのだ。そしてその目的はそんなに多くはない。例えば先生に呼ばれたとか、忘れ物を取りに来たとか。その程度のことだ。ボクは前者の可能性を消して、自分の机に向かった。窓際の後ろから二番目。

 腰を屈めて机の中を覗き込むと、すっからかんになっているはずの机の中に一枚の紙切れが残されていた。それを引き出す。

「それがあんたの目的?」

「みたいですね。少し思い出してきた、かな?」

 ボクが手に持っているのは岩淵先生がわざわざ作ってくれた夏休みの課題プリントだ。英語教師なのになぜか小論文を書くための用紙。小論文の良い書き方を丁寧に書き連ねて、千五百文字程度の升目がずらっとならんでいる。

「わざわざ宿題を取りに来るかね、クソまじめだな」

「否定できませんね」

 ボクが今日こんなにもぐだぐだなのは、昨日の夜からずっと宿題をしていたからだ、ということを思い出した。数学のプリントに漢字書き取り、英語の穴埋めと単語書き取りに、世界史のレポート、その他諸々の宿題を物凄い集中力を要してやりとげて、このプリントが無いことに気が付いた。それで思考能力と糖分を失い、代わりに眠気を詰め込まれたボクは先輩の言うように夢遊病患者のようにこの学校に来たのだと思う。来るまでの記憶は無い。

「つまりアレだな。馬鹿だろお前」

 先輩は笑いながら言った。否定は出来ないけど少し酷い言い草だ。もう少し後輩に優しくしてくれても良いと思う。

「先輩、頑張った後輩にはもっと優しい言葉を掛けるべきですよ」

「ばーか、愛の鞭だよ。ありがたく受け取れ、そしてあたしを崇めろ」

「なんでですか……」

 ボクはプリントをたたみながら席に座った。今度は先輩の右隣だ。先輩は集中力を切らしながらも、再び数学のプリントに向き直った。散発的な会話が思い出されたように、ぽつりぽつりと繰り返される。ボクは抗い難い重力に負けて、机に頬をつけた。

 かちかちかちと時間を刻む音と、かりかりと数式の答えを導き出す音が耳に心地好い。

「不思議な感じですね」

「ん、何が」

「こうやって先輩と机を並べていることが」

 あと一年ボクが早く生まれたら、この不思議な感じが普通に感じていたのだろうか。

 先輩は飽きれたような声で、なに言ってんだか、と呟いた。横目に見る先輩の顔は真剣そのものでボクのことなど眼中にないように見えた。シャーペンを操るしなやかな指先に、背筋の伸びた綺麗な姿勢に、白くほっそりとした首筋に、数字を映す綺麗な瞳に、ボクは見惚れた。

 しばらく眺めていて、気がついたら先輩は居なかった。

 泥を詰め込まれたように頭が重い。太陽は殆ど真横で光っており、その色は赤い。どうやらまた眠ってしまったようだ。ボクは眠気のまとわりつく頭を振って、一つあくびをした。

「せんぱい……?」

 間延びした口調で呼びかけてみたが、先輩からの返事は無かった。もう帰ってしまったのだろうか。声ぐらい掛けてくれてもいいのに、と心の中で愚痴る。

「薄情な人だよ」

 愚痴が思わず口をついて出ると、タイミング悪くがらっと教室の扉が開いた。先輩が乱暴に足でドアを開けたのだ。ボクは思わず凍りつき、曖昧な笑みを浮かべた。

 先輩はぺたぺたとスリッパを鳴らして近づいてくる。机の横に下がった学生鞄を掴んで、そしてボクを一瞥して無言で教室を出て行った。

「あ、まってくださいよ。先輩」

 ボクは半生解凍して、急いで先輩を追った。仄かに赤く色づいた廊下で肩を並べる。

「先輩?」

 無言。

「何で無視するんですか?」

 先輩はちらりとボクを見る、――睨む。

「どーせ、あたしは薄情者だよ。眠っている後輩を学校に置いてけぼりにするような女だよ」

「えーと、拗ねてる―――」

 んですか、とは続けられなかった。先輩の神速デコピンがこめかみに突き刺さった。こめかみなのにデコピンとはこれいかに。

「先輩、物凄く痛いです」

「そうか、それは大変だな。あたしは向こうだから」

 先輩は自分の靴を取りに上級生用の靴箱に去っていった。ボクの靴、と言うよりサンダルは玄関口に転がっていた。自分で脱ぎ散らかしたのか、それとも誰かに蹴られたのかはわからないけど、盛大に八の字を描いている。

 ボクはサンダルを履いてぺたぺたと歩き出した。リストラされた社員みたいに肩が落ちてるのが自分でも判った。自分の足元ばかり見ている。

 赤く照らされた道に影が伸びている。校門の分厚い影と、細身の影がくっついている。ボクは細身の影を追って視線を上げた。

「……先輩」

 呟くようなその声が聞こえたとは思えないが先輩は顔を上げた。校門に預けていた背を離して、さっさと歩いていってしまう。ボクは子犬のように先輩を追った。

 帰り道。赤い光に焼き付けられた影は色濃く地面に落て、ふたり肩を並べていた。


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