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無題掌編  作者: mm
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03


03


 珍しいことに夢を見ていた。浅い眠りの中の、淡い色の夢。

 ボクがこの町に来る前、小学校の中学年の時の夢だ。その日は夏なのに肌寒かった。夏休みの中ごろで、ボクが目を覚ましたのは昼過ぎだった。断続的に鳴り響く雨の音が聞こえて、ボクは窓の外を見る。

 灰色の空。灰色の雨。

 湿った空気を吸い込んで、吐き出す。ボクは母の用意した昼食を大急ぎで食べて、大人用の傘を持って外に出かけた。雨の日が好きだった。人の少ない町並みはモノクロでボクの心を魅了する。一人ぽつんと取り残されたような心細さが、なんとも言えない。

 いま思うとずいぶんと変わった子供だったと思う。そんな変わった子供は、真っ黒な傘を差して、真っ黒な長靴を履いて、どこかに向かっている。霧が立ち込めるように白く霞む景色の向こうは、学校だった。

 いま通っている学校ではない。真っ白な新しい校舎。見上げると首が痛くなるほど大きい。

 ――最低な夢だ。

 ボクはばちりと目を覚まし、そして体を起こした。ぐるりと辺りを見渡し、額を湿らせる汗を拭う。

 誰も居ない教室はやけに広く見える。皆は今頃校長のくだらない話でも聞いているのだろう。せっかくの終業式なのに、ご苦労なことだ。

 体の筋を伸ばして、それからゆっくりと立ち上がった。窓の傍に寄り、外を眺めると憎らしいほどの青空が広がっている。ジィジジッ、と蝉の鳴き声が聞こえた。夏の音に耳を傾けながら、ボクはしばらくぼうっとしていた。

 先輩はどうしているだろう。当然のように終業式はサボっているとして、それ以前に学校に来ているだろうか。今日は半日なので先輩がよくする重役出勤は意味を成さなくなる。誰も居ない学校に足を踏み入れて、舌打ちをする先輩が目に浮かぶようだ。

「――くん?」

 背後から声を掛けられた。一瞬だけ先輩の顔が浮かんだが、彼女はボクを敬称付けで呼ばない。それよりも、どこかで聞いたことが有る声だ。ボクは一つ息を吐き出して、振り向いた。

 ボク同じぐらいの小さな背丈。丸っこいショートカットの髪の毛に、丸っこい顔。大き目の瞳がボクを映している。化粧気のない童顔に唯一色付けされた唇が開いて、ボクを咎めた。

「如何してここに居るの? もう終業式始まってるよ」

「体調不良ですよ、先生」

 むうっと疑わしそうな瞳でボクをにらみつけるのは担任の岩淵先生だった。怒っているようだったが、童顔のせいで怖さはない。

「保健し――」

「嫌いですって、まえ言いましたよ。それよりも先生こそどうしたんですか? 教師がサボったらダメですよ」

「先生はサボりじゃなくて、見回りです。まったく、貴方は」

 先生はもう一度、まったく、と呟いて腰に手を当てた。そしてボクの顔をじぃっと見つめると、その表情が怪訝に歪んだ。

「……すこし顔色悪い?」

 僅かに首をかしげながら聞いてくる。子供に見られるのが嫌だと言うくせに、こういった子供っぽい仕草が抜けない人だ。

「体調不良と言いましたよ。信じてなかったんですか?」

 ボクが先生方に受けが良かったのはもう過去の話なのだろうか。それとも一番接する機会が多い岩淵先生が、ボクが毒されていることに気付いているだけなのだろうか。

 ボクが冷ややかな視線を浴びせると、先生は本当に氷水なり何なりをぶつけられた人のようにわたわたと慌てはじめた。そして早口でいいわけらしい言葉を百万言ぐらい積み重ねている。なんというか、可愛らしい大人だ。

「そ、それで何処が痛いの? お腹痛い?」

「――生理」

「え、あ、私薬あるよ―――じゃなくて嘘吐かないのっ」

 先生は真っ赤になって怒った。からかわれていることに気付くのが遅いし、ノリ突っ込みの才能も無いようだ。芸人の道を歩まなくて正解だな、とボクは斜め上に想像を巡らせる。

「すみません。でも、気分悪いのは本当です」

 ボクを睨みつける先生から視線を外して、陽炎に揺らめく校庭を眺めた。クリーム色の校庭は人っ子一人居ない。生徒数から考えると、あきらかに広すぎる校庭はいつも寂しげに見える。

「先生は、夢に見るような心的外傷ってあります?」

「しん……?」

「トラウマってやつです」

 先生は、いろんな言葉を知ってるね、と空気を読まない発言をした後に、深く考え込んだ。ドラマで見るみたいにあごに手をやり、視線を下げている。もう少し背が高かったら様になっているが、先生がやると探偵ごっこをしている子供のようだ。

「嫌な思い出はあるけど、……トラウマって呼ぶほどのことはないかな」

「羨ましいですね」

 言って、ボクは再び視線を外した。窓の外を黒い影が落下した。たぶん鳥の影が陽の光に焼きつけられたのだろう。

「――ん、……くんっ。ねぇっ」

「聞こえてますよ」

「顔色悪いよ、保健室行こうよ」

 ボクは自分の頬を撫でた。ほんの僅かに冷たい、かな。

「大丈夫ですよ、夢見が悪かっただけですから。すぐに忘れます、だから平気、です」

 息を大きく吸い込んで、二秒止める。そして時間をかけて吐き出だす。喉の詰まった泥を吐き出すように、痛みを感じないようにゆっくり。

「ボクはもう大丈夫ですよ。先生こそ、見回りは良いんですか?」

「この学校には物を盗むような生徒は居ない、と信じてるわ」

「じゃあ最初から見回りなんか必要ないじゃないですか」

 先生は、うっ、とわざわざ声に出してたじろいた。

「ほら、でもキミみたいな生徒も居るわけだし」

「ボクが物を盗みそうだと?」

「そうじゃなくて行き倒れてたりするのっ。まったく、先生をからかわないの」

 行き倒れてないです、と突っ込んでみようかと思ったが、そうしたら先生はまた機嫌を損ねるだろう。まぁ、先生が怒っても怖くないのだが、精神衛生上の理由で突っ込みは遠慮しておいた。

 ボクは窓際の座席を借りた。すこし立っているのが辛かった。先生も座ったらどうです、とすすめると先生はボクの前の座席に座った。こういうときは横だと思うのだが、そんなことを考えていると先生は椅子ごと反転させる。

「二者面談みたいですね」

「やっぱり緊張する? 教師と二人って」

「そんなことはありませんよ。先生は親しみやすいから」

 先生は少し納得いかなかったのか不服そうな顔をしたが、まぁいいです、とたぶん誰にともなく言った。

「それにしてもちょっと意外だったな」

「何がです?」

 先生は少しためらうような素振りを見せた。

「あんまりさ、そういうイメージが無かったから。夢にうなされるような」

「ボクが、ですか?」

 先生は、うん、と頷いた。

「他の子に比べるとさ、雰囲気が違うの。大学の後輩にも居たけど、超然としていると言うか、浮世離れした感じ。醒めてる――あ、悪い意味じゃないよ」

 先生は取って着けたように言った。

 なんか最近どこかで聞いたことあるような言葉だった。誰だろうと、考えるまでも無く、一人の女性が頭に思い浮かぶ。

「そうかな?」

 ボクが独り言のように呟くと、先生は興味を示してきた。

「つい最近同じようなことを言われたんですよ。浮世離れしてるって、普通のつもりなんですけどね」

「自分のことは自分でも判らないものよ。先生もね――」

 ボクと先生は取り留めの無い雑談で時間を潰した。もっともその殆どが先生の愚痴だった。延々と、呪詛のように紡がれる愚痴をボクは深く頷く振りをして聞き流していた。聞き流していたのだが先生の恨み節が耳に纏わりついてくる。ストレスが溜まっているのだろうか、ボクは少しだけ先生に優しくしてあげようと思った。

 ふと先生が一方的な会話を止めた。ぱちりと大きな瞬きをして、巣穴から姿を表すプレーリードックのように背筋を延ばす。音が聞こえる。大勢が連なって歩く断続的な足音。どうやら終業式は終わったらしい。

 先生は、ああぁぁ、と声を出して立ち上がった。どうやら通知表やら夏休みの心得を書き綴ったプリントやらを職員室に取りに行かなければいけないらしい。がたんと椅子を蹴っ飛ばして、どたどたと廊下を走る。教師の癖に、廊下を走らない、と言う約束事をものの見事に破り捨てている。アウトローだ。

 一人取り残されたボクは、居心地の悪さを感じていた。皆が帰ってくる教室に一人で待っている。たったそれだけと言えばそこまでだが、なんとなく嫌な感じなのだ。ボクは立ち上がり、先生が蹴飛ばした椅子も綺麗に正して廊下に出た。どうしようか、と思いつつボクの足はトイレに向かっていた。

 その途中で先輩方の集団に出会った。背の順なのか五十音順なのか、或いは適当という可能性もあるが先輩方はとりあえず二列に並んで歩いていた。とりあえずと形容したのはたまに三列ないし四列になっているからだ。ボクは立ち止まってその列を眺めた。知り合いの先輩は手を振ったり笑いかけたりしてくれたが、ボクは概ね無視した。先輩方も気にしてないようだった。

 あ、と言う声が重なった。視線の先には金色の髪が有る。

 ボクが口を小さく開けたまま惚けていると、同じように口を開けていた先輩はむっつりと口を結んだ。そして鬼の様な目でボクを睨みつける。何か先輩の癇に障ることをしただろうか。いや、ない。

 反語表現を使用しつつ自問自答していると、先輩はボクの脇を通り過ぎた。ちらりと一瞥して、呟くように、小さく口が開いた。小さな声だったがボクの耳にはその言葉が聞こえた。

「――不良」

 ボクは階段を上がる先輩の背中を見つめて、大きな溜息を吐き出した。不良は不良でも体調不良ですよ、と、とてつもなく寒いことを思いついて自嘲気味に頬を引き攣らせる。ほんとうに体調が悪いかもしれない。

 自分の頬に触れてみると、まだすこし冷たく感じた。

 がさん、と聞きなれない効果音を聞いて廊下を振り返ると岩淵先生が盛大に転んでいた。プリントが宙を舞っている。

 ボクは自嘲を苦笑に変化させて踵を返す。だから廊下は走らないほうがいいのに、まったく、子供か。

 困っている先生から視線を外し窓の外に目を向ける。憎たらしいほどの青空に一筋の飛行機雲が伸びていた。



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