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無題掌編  作者: mm
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 遠くで蝉の鳴き声が聞こえる。空を見上げれば紺碧が広がっているが、視線を水平に戻すと淡く紫がかっている。学校の屋上は陽に晒されて地獄の釜のように暑いが、唯一の日陰である給水塔の脇はなかなか涼しい。遮るものが無いため風が心地好い。

 心地好いのだが、読書をしているボクにしてみれば些か無粋な風だ。ページを捲ろうと指を外した隙に、好き勝手にページを巻き上げていく。ページどころかスカートすらも巻上げるのだ。視界の先にフェンスに指をかけている女生徒が一人。すらりと伸びたおみ足に、短いスカート。水色と純白のしまパン。先輩はパンツ全開な事実に気付いた様子も無く、フェンスのずっと奥を眺めている。背面しか見れないが、ボクの視線は一点しか見ていないが、たぶん遥か遠くを眺めている。

 ボクは小さく溜息を吐き出して、本のページを探し始めた。何ページだっただろうか、だらだらと読み流していたためあまり憶えていない。面白い本ではないが、文字を追うだけでも暇潰しになる。無駄に時間を浪費している気もする。

「あああぁぁァ―――っ」

 先輩が吼えている。フェンスの向こう側に。

 何か嫌なことでもあったのだろうか。ボクは三白眼気味に小説から視線を退かして先輩を見た。アンニュイな空気を背負っている。

「先輩」

「何?」

 振り向いた先輩は眉根に皺が寄っていた。美人は怒ると怖いと言う。とりわけ美人と言うわけではないが、先輩は不良さんなので怖い。染め上げた金色の髪を短くカットして、小さな耳たぶに赤色の宝石が光っている。

「人が来るので叫ばないでください」

 太陽に向かって叫ぶのは青春の基本だが、残念なことに学校の屋上は立ち入り禁止だ。つまりボクたちは禁を破っているので先生に見つかると危ない。真面目なボクと違って先輩は先生方の評価が絶望的に低いので、さらに危ない。

「黙れ後輩。私はいま物凄く苛立ってんのよ」

 幽鬼のようにボクの傍に近づいてくる。

「今、授業中ですよ。他の生徒の迷惑ですし、先生に見つかったら指導室に直行です。単位はいいんですか」

「うるさい」

 物凄く苛立っている、との言葉通り先輩は物凄く機嫌が悪かった。言葉の端々がささくれ立っている。ささくれ立っているが、先輩はボクの隣に腰を下ろした。ボクはなんとなく小説の続きを読む気になれず、栞を挟んで床に置いた。

「何で隠すのよ、エロい本か?」

「――フランス書院文庫です」

 先輩は胡乱気な顔をした後に、凄いな、と呟いた。ほんとうに、らしくない。

「どうしたんですか? 気の抜けた炭酸水みたいですよ」

「意味判んねー……あぁもう、死にたい」

 先輩の死にたいは要するに、詰らないと怠いを綯い交ぜにした言葉だった。

 人を屋上に呼び出しておいてなんて言い草なんだろう。せっかく歴史の次に好きな現国の時間だったのに。

「止めはしませんけど、先輩が死んだら悲しいです」

 先輩はボクを横目で見ているようだった。頬の辺りがむずむずする。

「止めないんだ」

「止めません」

「悲しいのに?」

「先輩が決めたことですから」

 先輩は、ふうん、とわざとらしく声に出した。

 含みのある声だな、と思い先輩に視線をむけると少しぽってりした唇に禁煙パイポが咥えられていた。

「煙草やめたんですか?」

 言うと先輩はじろりとボクを睨んだ。

「煙吐きは嫌いだ、って言ったのはお前だろ……」

 物足りないのか、がしがしと禁煙パイポを噛んでいる。

「おいしいですか?」

「ミント味だ」

 答えになっていなかったが、たぶん美味くはないのだろう。がりがりと口が動いている。耐え切れなくなったのかぺっと吐き出した。

「ポイ捨てはダメですよ」

 無視されたので、ボクはしかたなく禁煙パイポをつまみ上げて、ハンカチに包んでポケットにしまった。あとで捨てておこう。

「何がしたいんですか? ――呼び出しといてこの仕打ちは無いと思います」

 ボクはポケットにしまった腕時計を取り出して時間を見た。授業が始まって十五分を過ぎている。今更出ても欠課だが、出ないよりましだ。ボクは長い溜息を吐き出して立ち上がった。

「授業、行きますよ。先輩も、媚売っとかないと、来年同級生ですよ?」

 じっと先輩を見下ろしていたが、先輩はだらっと足を投げ出し、立ち上がろうとする気配は見えなかった。

「それでは、放課後に――ィ」

 歩き出そうとしたら、ズボンの裾を引っ張られた。強引な行動はらしいけど、声が無いのは先輩らしくなかった。

「なんですか?」

 振り返ると、先輩はじっとボクを見詰めていた。

「……何でも良い。少し話そう」

 何時に無く、悲しげな声だった。腰を下ろそうとしたボクを先輩は止めて、立ち上がった。今度は腕を引いて、フェンスの奥を覗き込んだ。ボクは先輩の隣で、フェンスにもたれ掛かった。

 ボクと先輩は、少しとは言わずだいぶ話しをした。現国の時間が終わる鐘が鳴り、英語を時間を開始する鐘も鳴った。

 実りのある会話ではなかった。ボクも先輩も話し上手なタイプではないので、取るに足らない日々の出来事を報告するような、淡白で、単発な言葉の応酬だった。

 とりあえず今の話題は、先輩が太った、と言う自己申告だった。傍目に見る先輩はまったく太っていない。きゅっと引き締まった足はしなやかで、腰も細い。胸も悲しいことに最近の家電のようなフラットボディだ。背はボクよりも高い。むしろボクが小さい。男子の中では一年から三年、さらに教師と事務員を含めてもダントツで最小だ。そこに女子を含めても最小の部類に入る。

「お前のせいだ」

「なんでですか?」

 ボクは一方的な言いがかりに律儀に反応した。横目で先輩を見上げる。

「煙草をやめたせいで、ストレスが溜まってよく食べるようになったんだよ」

「……味が判るようになったんじゃないですか? ご飯が美味しいから良く食べる、とか」

 先輩はぼうっと校庭を見下ろしている。体育の授業が展開されていた。

「それに先輩は細すぎなんだから、もうちょっとお肉付いた方がいいですよ」

 クッと先輩は喉の奥で笑った。今日初めて聞く笑い声にしては、少し寂しい。

「その台詞、女には言わない方がいいな」

「そうですか?」

「あぁ、そうだよ。それでだ、お前はアレか? 細いよりは太い方がいいのか?」

 そういった色気のある話を振られるとは思わなくて、ボクは大きく瞬きした。先輩は、フンと鼻を鳴らし、視線を校庭に戻した。

「あれ」

 先輩は首を振って、何かを指し示した。

「近江に告白されたんだって?」

 その先には沢山の生徒が居たが、先輩の指すのが彼女だとすぐにわかった。近江先輩が走り幅跳びの順番を待っている。

「何で知ってるんですか」

 少なくともあの場所に他者の視線はなかったと思う。

「近江がげろったの。目ぇ真っ赤にして登校したら、脳みそ花畑の連中に集られるのは当然だろう」

 近江先輩の順番が回ってきた。長く艶やかな黒髪が彼女の助走に靡き、年齢平均を大きく上回る胸が揺れる。勢い良く踏み切ったが、ここからでもファールだと判った。肉感的な近江先輩の体が、鉄で出来ているように見えた。

「なんで振ったのさ。優良物件だろ」

 近江先輩は可愛らしい人だ。

 ボクの身長からすると殆どが長身なのだけど、近江先輩は女性だけど百七十ほどの上背がある。濡れ羽色の黒髪にあっさりとした純和風の顔立ちをしている。そして顔立ちとは裏腹に、外国人のような体型をしている。足が長く、肉感的――エロい体つきをしてる。クラスの男子の下劣な話の中に登場する回数は少なくない。それに性格も良い。優等生で、友人も多く、生徒会役員で、もう大学の推薦枠を頂いている。

「家庭科の成績も抜群で、実家も金持ち、話し上手の聞き上手。完璧超人だぜ、もったいねぇ」

 先輩は褒め言葉を吐き出した。あたしが男なら間違いなくいてこましてるね、と続ける。

「それで、振った理由は」

「さぁ?」

 ボクははぐらかそうとしたが、先輩はなおも食い下がった。

「さぁ? ――じゃねえよ。言え、先輩命令だ」

 理不尽な要求だったが、先輩の顔を見ていたらなんとなく話そうという気持ちになった。

「よく判んないですね。近江先輩は好い印象しかないから、告白する時、真っ赤で可愛かったし。そのあとも捨てられた子犬みたいで可愛かったし、物凄く罪悪感を感じたし、――嫌いじゃなかったし」

「じゃあ付き合えよ」

 ボクはふっと視線を上げた。

「先輩命令ですか?」

 先輩は何も答えなかった。

「近江、好い奴じゃん。あたしみたいのにも優しいし、美人だし、巨乳だし、金持ちだし、煙草吸わないし」

「先輩の真逆ですね」

 先輩はあまり優しくないし、とりわけ美人というわけでもないし、薄いし、バイトの身だし、煙吐きだ。それに最初の印象は近江先輩とは比べ物にならないほど酷かった。

「どうせ不良だよ……」

 でも今の先輩は、たまに優しくて、かっこよくて、スレンダーで、勤労少女で、禁煙中だ。こうして一緒に授業をサボるほどに、仲良しさんだ。

「ボクも同じようなもんですよ。こうして授業サボってるんだし」

「悪い奴だな」

「ま、女の人を泣かせてますしね。否定はしません」

 近江先輩の話に戻ると、先輩はまた黙った。

「近江先輩のこと好きですけど、それよりも先輩の方が好きだし。だからじゃないですか? 振った理由」

 先輩は目をきょろきょろとさせていた。頬が赤いのは暑さのせいではないだろう。

「――――好感度の問題ですよ。勘違いしないように」

 フェンスから離れて、一つ指を立てて忠告した。したら、蹴りが飛んできた。骨と骨のこすれあう嫌な音がした。

「うっさいバカっ、判ってるよ」

 ボクは大げさにうずくまって先輩を見上げた。スカートの中が丸見えだった。

「……しまパン」

 延髄に上から切り落とすようなローキックを見舞われて、ボクは意識を失った。

 だけど丁度良い。これ以上意識があったら、ボクの顔が真っ赤に染まるだろうから。


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