3.距離
次の日、ヴィクターはノルンの部屋の前にいた。
「……緊張するな、俺。落ち着け」
ぶつぶつとそう言いながら、自分を落ち着かせようとする。
ノルンに仕えるという立場を指名されて、やらなければいけないことがあった。
毎日、ノルンに謁見すること。
話す内容はともかく、これだけは必ず欠かさないでほしい、とデニスにもグレイテルにも言われた事項である。
ノルンの過去を聞く事のないように、それも同じく。
しかも、今日は初めて一人でノルンに会うのだから、余計に緊張してしまって、前日の夜もしっかりと眠る事が出来なかった。
意を決して、ノルンの部屋の扉をノックする。
「姫様。ヴィクターです。お部屋に失礼してもよろしいですか?」
向こうに聞こえるように問いかけたが、返事はやはりない。
普通ならば、「どうぞ」の一言ぐらいあるだろうに。
そう思ったところで、思い出した。
昨日、グレイテルは入室する際に、部屋に入ると告げて何事もないかのように部屋に入ったのだ。
しかし、相手は女性。
異性の自分が入って、もし着替え中だったりすると、などと考えると、やはりいきなり入るのに躊躇する。
入るか迷っていると、いいところにグレイテルが通りかかった。
「ヴィクター様、どうかされましたか?」
「えっと、その、姫様の返事がないので、部屋に入るのを悩んでいて」
素直にそう告げると、グレイテルは言った。
「構いませんよ。一言告げてから、部屋にお入りください。姫様は部屋の中から返答はしませんから」
「……それはあまりにも無防備では……?」
ヴィクターが疑問を呈すと、グレイテルはこう言った。
「姫様はそういう方なのですよ。着替えや食事の時間はきちんと決まっていますから、安心してお入りください」
「……わかりました。ありがとうございます」
「いいえ。では、私はこれで失礼しますね。姫様を宜しくお願いします」
グレイテルはそう言って、去って行く。
そして、もう一度扉をノックして、部屋の向こうに言葉をかける。
「姫様。ヴィクターです。失礼します」
そう言って、ドアノブに手をかけ、扉を開く。
すると、昨日見たのと同じ光景が広がっていた。
窓際にあるスツールに座る、ノルンの姿。
ドレスは昨日とは少し違うものの、昨日見た光景と全く同じだった。
扉を閉め、ノルンに声をかけようとした瞬間、ノルンはヴィクターを見るように振り返る。
そして、小さな声で告げる。
「こちらへ」
そう言って指示した先は、ノルンが座るスツールの傍にある、ノルンのスツールによく似た茶色のスツール。
そう言われたヴィクターは少し悩んでから、指示されたスツールに。
「失礼します」
そう言って、着席する。
ノルンは着席したヴィクターを見ることなく、窓の外を眺めていた。
沈黙。
ヴィクターは、沈黙が苦手だった。
静かなのは嫌いではないが、目の前に話す人間がいるのに、黙っているのは苦手だった。
何か会話をしよう、そう思って、ノルンに話しかけようとする。
「姫さ」
「ノルン、で構いません」
姫様、そう言おうと思った寸前で、ノルンの言葉に遮られた。
そういえば、堅苦しいのは少し苦手だと言っていたのを思い出した。
だが、やはりそういうわけにはいかない。
考えた末、妥協してほしいと願いを込めて、提案した。
「ノルン様、でも構いませんか? いきなりは、やはり無礼を感じてしまいますので」
「ヴィクターさんが呼びやすいように呼んでくださって構いません」
ノルンはそう言うと、また窓の外を眺めるように視線を元へと戻す。
またここから沈黙が始まるのか、と思うと耐えられなくなったヴィクターは、とりあえずなんでもいいから話してみる事にした。
「ノルン様は、お部屋から出られない、のですか?」
緊張して堅苦しい口調にどうしてもなってしまう。
言葉をかけて一瞬の後悔。
しかし仕方ない、緊張はするし、正直ノルン自身の事を何も聞くなと言われている以上、話す話題があまりにもないに等しい。
その問いかけに、ノルンは答える。
「部屋から、ですか? ……多少は出ます。庭園に行ったり、グレイテルとは街を歩いたりします。以前仕えてくださったデニスさんとも、街を歩いた事があります」
「街では何を?」
「散歩のようなものです」
「……散歩、ですか?」
「はい」
簡潔に会話が終わりを告げる。
また沈黙が訪れるのを避けるため、次の話題を考えていた瞬間、ノルンがヴィクターに問いかけた。
「おいくつですか?」
「……年齢、ですか?」
「はい」
急にそんな話題を振られるとは思っていなかったので、少し驚きながらも答える。
「二十一歳です。まだまだ、騎士団の中では若造です」
「デニスさんからは、しっかりとした若者だ、とお伺いしています。素敵な方だ、と」
「いえ、そんな……」
デニスが一体何を吹き込んだのかは定かではないが、ノルンにそう言われると照れる。
やはり、同性同士で生活をしていたのが当たり前だったせいか、異性にそう言われるとドキッとする。
「ノルン様も、お若く、素敵な方だと思います」
告げた瞬間、心の中で「褒め合いか!」と自分に突っ込んでしまった。
しかし、ノルンはその言葉に表情は変えなかったものの、言った。
「ありがとうございます。若い、と言っても、私も二十歳。成人です」
急に告げられた年齢を聞いて、ヴィクターは驚いた。
実は、もう少し若いのかと思っていたからだ。
二十歳でも十分若いのだが、ヴィクターが見た時に予測していた年齢は十七か八。
「一つ、下なのですか? 私と」
「そうなりますね。ですが、よく言われるのですよ。年相応ではない、と」
「と、言いますと?」
「若く見られすぎるのです。別に嫌な気はしないのですが、〝女性〟ではなく〝少女〟と見られてしまう場合がとても多いです」
「そう、なのですか」
「はい。あと、無愛想ですから。苦手なのです、表情を作るのも、感情を出すのも」
だからノルンは表情を変えない、理由はそういう事かとヴィクターは把握した。
ノルンは言葉を続けた。
「それに、こんなに誰かと話すのは、きっと珍しい事です」
「稀だ、と?」
「はい。ヴィクターさんとこうして二人でお話をするのは初めてなので、緊張しているのですよ。騎士団の方々ともあまりお話しませんし。デニスさんは、たくましい方で、最初は少し怖い方だと思っていたのですが、接していくうちに、優しい方だと思いました。頼れる方だな、と」
「確かに。デニス団長……今は私が団長ですから、そう言うのもおかしいのかもしれませんが、デニス団長は強面であんなにがっしりとした体型をしているので、ノルン様が怖がるのも無理はないと思います。我々でも、初めはどこか近づきがたいイメージはありましたから。今ではもう平気です。ノルン様が仰ったように、接していくうちにイメージが変わりましたから。……まぁ、未だに怒られるのだけは怖いですけれど」
そんな話をしながら、デニスの事を思い出す。
そういえば、ノルンはデニスとここでどんな話をしていたのだろうか。
ヴィクターは気になって、聞いてみることにした。
「ノルン様はデニス団長とここではどんな話をされていたのですか?」
「デニスさんとは、そうですね。毎日何があった、どうだった、何気もない普通のお話をしていました」
「なるほど」
今後のヒントに繋がるかと思ったのだが、もしかしたらデニスも自分のようにノルンの事を聞くなと止められたのかもしれない、とヴィクターは思った。
「私は、ヴィクターさんのお話が、聞きたいです。話す方より聞く方が好きなので」
「……私の、ですか?」
「はい。少しずつで構いません。デニスさんの時もそうでしたが、仕えてくださる以上、知っておきたいのです。ヴィクターさんの事を」
自分の事は言えない。
だけどヴィクターの話を聞いていたい。
ノルンはそう思って、そう提案した。
するとヴィクターは、微笑んで言った。
「私の話でよければ」
ほんの少しだけ、距離が縮まったのかもしれない。
微々たるものかもしれないけれど。
ヴィクターは、そう思った。
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