9-4
ノルンの部屋へ四人が入り、グレイテルは四人にお茶を持ってきた。
デニスには珈琲、ヴィクターには紅茶。
珈琲が苦手だというヴィクターの好みは、しっかりと覚えていた。
場の空気は淀んでいた。
そんな中、グレイテルはノルンの兄の事を話し始めた。
「姫様のお兄様、エルン様は、亡くなったのだと表面上ではそういう事実になっていました。ですが、本当は〝魔女〟に攫われたのです。それは姫様のご両親と私しか知りません。この事実もまた、私が姫様のご両親から口止めされていた事項です」
「……お兄様が、魔女に……?」
「はい。姫様が呪いをかけられる二年前に、同じように魔女はやって来たのです。姫様の事は、その時魔女は知らなかったのでしょう。エルン様もまた、姫様と同じように、お綺麗でした。ご両親はその場の事は知りません。たまたま出くわした私しか、知らないのです」
「グレイテル、だけが?」
「はい。ですから、私も魔女の姿はしっかりと見ています。あの漆黒の長い髪、焔のような赤い瞳、印象的な魔女の風貌は、忘れるわけがありません」
ヴィクターもノルンも、そしてデニスも同じように驚いた。
グレイテルが自分たちと同じように魔女と会っていたなんて、と。
グレイテルは、ティーカップに口をつけ、一呼吸置いて、また話を続けた。
「私は直接、魔女と会話を交わしませんでした。ですが、エルン様を連れて行くのを、確かにこの目で見ました。エルン様は、まるで夢遊病の患者のように、当たり前のように魔女に手を引かれ、城を出て行ったのです。魔女は呆然とその光景を見ていた私に振り向きましたが、何も言わずに出て行ってしまった。……私が声を出せなかったのは、赤い瞳に射抜かれて、蛇に睨まれた蛙のようになってしまったからです。あの時、私が声を出して引きとめていたら、エルン様は連れて行かれなかったのかもしれません。ご両親にその事を次の日に報告しましたら、怒られました。それも、酷く。当たり前です、最愛のご子息が魔女に連れて行かれ、その場にいたのは私だけ。私だけがエルン様を救う事が出来たのですから、そうされて当然でしたし、城を追い出されるのかとさえ考えました。ですが、それはなさりませんでした。姫様の世話係として働く事、そしてエルン様が魔女に連れ去られた事実を誰にも口外しない事を理由に、私をこの城へ置いてくれたのです。エルン様は〝亡くなられた〟と言う事にして、それ以上の事を言う事は禁じられておりました」
「だから、私がお兄様の事を父や母に教えてもらえなかったのも?」
「はい。姫様を心配させたくない一心で、ひたすらに隠しておられました。ですが、写真だけは残したいと仰られました。姫様のお部屋にあるお写真も、そのうちの一つ。ご両親が一番のお気に入りだと私に教えて下さいました。エルン様、というお兄様がいた、という事実は、姫様に覚えていてほしかったそうです」
ふと、ノルンは魔女に初めて会った夜の事を思い出す。
――あなたはあの子も私たちから奪ってゆくと言うのですか!
あの子〝も〟。
自分だけではなかった、誰かが連れて行かれた。
誰だったのか、今まで不思議でたまらなかったのだ。
それが、兄だった、とやっと合点がいった。
ふと、部屋にある写真立てを手に取った。
ずっと伏せていたのだ、ヴィクターが自分に仕えると聞いた時から。
知られてほしくなかったし、深く聞かれては答えようがなかった。
だからずっとベッドチェストに伏せて置いてあったのだ。
写真には幸せそうに微笑む両親と、無邪気に笑うノルンと兄のエルンが映っていた。
先ほど倒れていた兄も、その頃と変わらない兄の姿。
「お兄様との記憶があまりないのが、本当に辛いけれど、こんなに幸せな日々もあった」
たった一つの写真でそれが伝わってくる。
そして、ノルンは三人に言った。
「私は、お兄様の分まで、生きていたい。お兄様の分まで、幸せに」
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