5-3
この日の夜は、眠れなかった。
いつもならベッドに入ればすぐに眠れるのに、この日だけはどうも寝つきが悪かったのだ。
眠れずに、ベッドの上でぼんやりと窓の外を眺めていた。
窓の外の夜空には、丸い月。
今日は満月だと知らせるように、煌々と輝いている。
そんな月を見ていると、城の中から人の声がした。
聞きなれた声、だけど、それはどこか、切迫したような声だった。
「……お父さんと、お母さん?」
誰かと言い争うような、そんな声を聞いて、不安に思ったノルンはベッドから出て、部屋を出た。
夜の城内は薄暗い。
それでも、ノルンは声のする方へと向かった。
歩き慣れているので、その場所へはすぐに辿りつけた。
「お父さんとお母さんの部屋……」
その部屋は、両親の寝室だった。
だけど、こんな真夜中にどうしてだろう。
仲の良い両親が喧嘩をする、という意味がよくわからないし、ノルンからしてみれば、こんな深夜に言い争いをするような感じには思えない。
理由が知りたくて、ノルンは扉をノックして部屋に入ろうとしたその時、扉越しに母の叫ぶような声が聞こえた。
「あなたはあの子も私たちから奪ってゆくと言うのですか!」
ノルンの動きが止まる。
びっくりして、身体も硬直する。
――お母さん、誰と話してるの?
疑問だった。
どうやら相手は、父ではないようだった。
そう気づいたのは、見知らぬ女性の声が聞こえたからだった。
「あなたたちの息子よりも、今の私にはあなたたちの娘に興味があるの。悪いようにはしないわ。だけど、あなたたちの元にはもう、戻って来ないでしょうけれど」
自分に興味を持っている、という謎の女性。
不穏な感じがして、ノルンは怖かった。
だけど、このまま部屋に戻ってもどうしていいのかわからない。
ノルンは意を決して、扉をノックすることにした。
「お父さん、お母さん。どうしたの?」
向こうに聞こえるように、恐怖に震える声を押し殺して。
すると、父が叫ぶように扉の向こうで言った。
「ノルン! 部屋に入るな! 早く――」
父の声が、途切れた。
母の叫び声が聞こえる。
扉の向こうで何が起こっているのか、わからない。
けれど、よくない事だ。
それだけははっきりと理解出来た。
やがて母の声も聞こえなくなり、静寂が訪れた。
ノルンはただ一歩もそこから動けずに、立ちつくしていた。
そして、扉が開く。
そこから姿を現したのは、見知らぬ女性。
闇のような漆黒の髪、焔のような赤い瞳の女性は、扉の前で立ち尽くしていたノルンを見た。
「あなたが、ノルン姫、かしら?」
女性はノルンと同じ視線になるように、しゃがんで言った。
ノルンは女性の姿を見ながら、怯えた表情をしていた。
見た事のない女性が、どうして自分の事を知っているのか。
理解が出来なかったし、何より威圧を感じたのだ。
すっ、と女性の手がノルンの頬に触れる。
その冷たさに、身を強張らせた。
女性はそれを気にも留めずに言った。
「噂通り、本当に綺麗。――本当に、私の〝蒐集〟に加えたいぐらいだわ」
「あ、あなた、は、誰なんですか? お父さんと、お母さんは……?」
勇気を振り絞って、震える声でノルンが問いかける。
すると女性はノルンに言った。
「私の名前は魔女・リューミエル。あなたを奪いに来たのよ、綺麗なお姫様」
「私、を……?」
「ええ。でも、あなたのお父さんとお母さんは、あなたを私に素直に渡してくれなかったの。邪魔だったから、あなたのお父さんとお母さんを殺してしまったの」
「……え……?」
残酷な事実をあっさりと告げられ、ノルンは混乱した。
リューミエルという名の魔女が自分を奪いに来た、だけど両親が邪魔だったから殺してしまった。
その事実だけが頭を支配して、ノルンは完全に怯えてきってしまった。
「怯えた表情も綺麗ね」
にやり、とリューミエルは笑んだ。
すると、城内が騒がしくなった。
恐らく、城に駐留していた兵士が騒ぎに気付いたのだろう。
「……あぁ、また邪魔が入りそう。せっかく綺麗なお姫様に会えたのに」
嫌そうな表情をして、リューミエルがそう呟いた後、ノルンの耳元でこう囁いた。
「あなたがもし死んでしまったら、私はあなたの綺麗な瞳と存在を奪いに来ましょう。私はこの国に興味はないの。あなたに興味があるの。だから、あなたに魔法をかけてあげましょう。――永遠に人を愛せない魔法。あなたがもし大切な人に愛されたら、少しずつあなたの命が削られて、やがては死んでいく。だからその時、私はあなたの死を見届けて、あなたを奪いに来ましょう。その時、また会いましょう。麗しき青の瞳のノルン姫」
そう言って、リューミエルはノルンの目の前から忽然と姿を消した。
そしてノルンは、その言葉の直後、ずきりとした胸の痛みに襲われた。
その痛みは一瞬だった。
直後、兵士がやって来た。
「ノルン様、一体何が……っ!?」
兵士――デニスは、ノルンの両親の部屋の惨状を見て、言葉を失った。
両親は、息絶えていた。
ノルンはリューミエルが遮っていた部屋の向こう側の惨状を見ていた。
血だらけの部屋、リューミエルには付着していなかった血液が、そこには広がっていた。
改めて認識した、両親が死んだという事実。
「……お父さんと、お母さんが、死んじゃった」
小さな呟き、呆然自失のような声音で、ノルンは言った。
瞳は虚ろで、泣きだす素振りはなく。
「……ノルン様。何が、あったのですか?」
デニスが問いかける。
聞いて、ノルンが答えてくれるかわからなかった。
しかし、ノルンは淡々と、呟くような声で答えた。
「……私、魔女に、呪い、かけられたの」
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