4-6
次の日も変わらずに、ヴィクターはノルンの元を訪れた。
「昨日は、大変だったとお伺いしました」
「え」
「あ、グレイテルが。デニスさんと一緒に外からお帰りになられるのをたまたま見たそうで」
「ええ。食事に連れて行ってもらいました。帰って来てからは、団員たちに質問攻めです。デニス団長には、もう放っておいて構わないと言われていたのですが。あまりにうるさく、しつこいものですから。ご迷惑ではなかったですか?」
「いいえ。こんなに城の中がにぎやかだと……少し落ち着きませんでしたが、問題はありませんでした」
「なら、よかった」
ほっとしたようにヴィクターが微笑むと、ほんの少し、ノルンも顔を綻ばせたような気がした。
それに気づいたヴィクターが、ノルンにそれを告げようとした。
「ノルンさ」
「あの」
遮られるように、ノルンに問いかけられる。
「ヴィクターさんは、まだ私の事を、呼び捨てにはして頂けないのですか?」
その問いかけに、ヴィクターは一瞬、言葉を失くした。
ノルンに仕えたその日も、彼女はそう言っていた。
呼び捨てで、構わないと。
確かに、ヴィクターも恋人になったのだから、それは当然なのかもしれない、と今やっと思った。
しかし、どうしても身分の差という意識が、それを邪魔するのも本当の事。
「ヴィクターさんとこうして一緒にいるのも、もう一月ですから。……やはり、気になります、よね。立場、だとか」
少し切なそうにノルンが言うので、慌ててヴィクターが発言する。
「い、いえ! ……それは、未だに多少は気にします。今は、恋人という関係上、呼び捨てにしてもいい、という自分の気持ちもありますが、踏み出せないのです」
ヴィクターの言葉に、ノルンはこう提案した。
「では、私もヴィクターさんの事を呼び捨てにしましょう」
「……はい?」
「そうすれば、きっと呼べますよ。……多分、ですけど。ですが、恋人同士、というものですから、それも自然なのではないかと」
まさか、ノルンが自分の名を呼び捨てにする、という日が来るとは。
正直その提案には驚いた。
そして、目の前のノルンはヴィクターが名前を呼ぶのを待つように、じっとヴィクターを見つめている。
――くそ、緊張する。
しばらくして、やっとヴィクターが口を開いて、恥ずかしそうに言った。
「……ノルン」
「何ですか、ヴィクター」
「……っ」
呼ばれ慣れた自分の名前をノルンに呼び捨てにされて、顔が熱くなるのを感じた。
「顔が真っ赤です」
「……からかわないでください」
ヴィクターは平静を装うと試みたが、心拍数は上がりっぱなしだ。
「ヴィクター」
不意にノルンに再び名前を呼ばれた。
そして、問いかけられた。
「私の傍に、ずっと、居てくれますか?」
その問いかけにきょとんとしたが、ヴィクターは言った。
「はい。ずっと、ノルンの、傍にいる、よ」
あ、しまった。
堅苦しい言葉と馴れ馴れしい言葉の混在。
そして、何よりもそう感じたのは、後者の言葉を出してしまったからだ。
しかし、ノルンはそれを気にしないで、再び問いかけた。
「私に、何があっても。ずっと傍に、居てくれますか?」
「必ず」
「ありがとう、ヴィクター」
幸せ者です、ノルンは嬉しそうな声音でそう言った。
ただ、ヴィクターの中で引っかかった言葉があった。
――私に、何があっても。
また、聞いてはいけない事なのかもしれない。
引っかかった言葉を振り切るように、ヴィクターは深く考えないようにした。
――この国は平和だから、きっと何も起こらない。起きたとしても、俺がノルンを守らなければ。この世で、唯一の愛しい大切な人だから。
けれど、その時のヴィクターは、何も知らなかった。
知る術もなかった。
ノルンに関する過去も、そして、やがて知ることになる真実さえも。
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