悲しい過去は最大の呪いなり
多少胸糞シリアスな話です。
儚視点
私は、今、声が上手く出せない。
だから、端末に文字をうってとりあえず会話が成立する。
でも、昔は声はちゃんと出た。
なぜ、声が出せなくなったのかを、今、語ろうと思う。
私は、小学二年生の秋まではそれなりに友人と呼べるような人がいて、楽しい小学校だったとは思う。
まぁ、子供の単純さは、そんな私の心を砕くしかなかった。
私の通っていた小学校は微妙な人数で、クラスを分けると少なくて、一つだと授業参観で親が入る場所が無くなる……という感じだった。
だから、授業参観は体育や音楽、高学年は家庭科、中学年は図工と、広い教室でやることになっていて、机の向きの関係でクラスの全員が親の姿を見れる。わざわざ後ろを向かなくてもだ。
私の両親は共働きなので、小学一年生の時には二人とも仕事の都合で来れなかった。まぁ、そんなことが何回もあったので、参観日に来てもらうことなんかできないなぁと思っていた。
もちろんこれが原因とかではない。同じ境遇の子は何人もいたから、なにも言えないから。
小学二年の時に、その来れないと思っていた二人が来たのだ。どうやら、無理をして見に来たらしい。
その時にあの二人が私の両親だというのはクラス中で記憶に残った。仕事をしていてもそこそこきれいなお母さん、好青年のような印象のあるお父さん………。私はこの二人が大好きだった。
そして、二年生の秋に、私達のクラスで両親の仕事について作文を書き、発表することになっていた。私は二人が大好きだったので、当然すぐにたくさん書けた。
けれど、発表の日、私は子供の恐ろしさを……いや、いじめっ子達の恐ろしさを知ることになる。
「私はお父さんとお母さんの事がとても大好きです。」
この言葉の次の言葉からだった。
「私のお父さんとお母さんは二人とも看護師をしていて………。」
「じゃあお前のとーちゃんオカマじゃん!!」
「お前のとーちゃんオーカーマー!!」
「私達オカマの娘と一緒にいたの?恥ずかしー。」
「オカマの娘はやな娘~。」
「おい、お前の両親クズ野郎だな。」
「それが好きなお前もクズだー。」
「クーズ、クーズ。」
「そんな作文なんて~こうだ!!」
私の作文は破り捨てられる。足でグシャグシャに踏みつけられる。
先生はいじめはやられる方が悪いといういじめ肯定派であるから、いじめの方を生暖かい目で見ているだけだった。
しかもその後に両親が嫌いだという作文を書かないと虐められるよぉ~という言葉まで言ってきた。
ちなみに、この作文は先生に見せず、発表した後に回収することになっていた。しかし、私の作文が破り捨てられた現場を見ているのにも関わらず私を殴った。
「作文提出しないとか、やっぱクズの娘だなぁ。殴った音が気持ちいいぜ!」
この音を聞いた隣の三年生の担任がその先生を職員室に連れて行って、教員免許を剥奪したという話はあった。しかし、子供達は当然止まらない。
新しく来た担任はめちゃくちゃオドオドしていて、注意することが無かった。
まぁ、今思えばあいつらはタダのアホだったとかなんだと納得する。男だって看護師になれるし、世間にも何人も男性の看護師はいる。私が言ったのがもしナースとか看護婦だったなら言われても仕方の無いことだが、あいつらは看護師すら女性だけの職業だと思ったのである。
不公平だと今も思う。なら、あの子の父親がシェフをやっているのは?この子の父親が花屋をしているとかは?なんで看護師だけ責められるのかな?ただ私をいじめる口実が欲しかっただけじゃないのかな?主犯というか一番最初に言った子の母親は警察官だった。そっちの方はオトコ女としてからかいもしないんだね。と、失望していた。
次の日から上履きが無くそのかわりに,お前のとーちゃんオカマ!!と書かれた紙があったり、体操服を給食の残飯の中にぶち込まれたり,……………。上級生の一部が殴って来たり、遠足や運動会、学芸会のプリントを自分だけ捨てられたり、カンニングをしたと言いがかりをかけられたりもした。登下校中にランドセルを川に投げられたりもした。家のポストにオカマフーフの紙、ましてや放火まであったらしい。いじめっ子の姉が放火した所を近所のおばちゃんが発見、すぐに消火してくれたものの、つけられたところが悪いのか両親と一緒に行った旅行の記念写真がかなり焼けてしまった。しかしこれでも子供のしたことだからとその姉はお説教以外のお咎め無し。いじめは相変わらず無くならなかった。
担任もクズかオドしかならなかった。
味方になってくれる教師の所にいこうとしても、待ち伏せされて別の所に連れて行かれ、罵声や暴力は当たり前。私はひたすら耐えるということに集中したが、四年生の頃、とうとう声が出にくくなるぐらいにストレスがたまった。
その事でまた殴られたりし、学校に行こうとすると腹痛が襲ってくることもあった。それにも耐えて行っていた。
五年生の終わり頃に、階段から落とされ、首の骨にひびが少し入るほどのケガを負わされ、六年生の一年間は病院で入院することになった。その間、自分がすらすらと話すことができないぐらいのどが変になっていた。ストレスと首のひびが原因だ。
お見舞いにはもちろん誰も来ない。
別にこなくても問題ない。だってあの子達から見たら、私はクズなんだもの。あっちの方がよっぽっど馬鹿らしいのにね。
それから、リハビリを繰り返してなんとかなったが、学校には行かなかった。
来賓で卒業式に行った教育委員長さんとは父さんが知り合いで、その人から聞いた話がある。
私がいない間、私の席は無くなっていたこと、いじめっ子達は反省もしていないこと、校長までもが私がいなくなって清々したと卒業式の最初に暴露したことなどだ。
しかも、主犯の女の子の母親は校長の愛人だったことも判明した。愛人の娘を院や教育委員会に行かせることはできない、と。
その事を聞いた教頭(私の味方だった。というより、作文の件で止めに来た先生)が激怒。
私を虐めていた子を軒並みに調査し、有名私立に受かったはずの子がまとめて普通の中学に進路を変えた。(その中学はいじめっ子を受け入れていない。)
続いて教育委員長と直談判し、校長を解雇。退職金はもちろん無い。(ちなみにいじめを促進した先生方は人手の足りないらしいいじめっ子ばかりの子供がいる学校に転勤させられていた。他に辞職させられたのは主犯の母親。警察官が愛人をやるなど言語道断だからだ。)
当然卒業式は大混乱。主犯の子が泣きながら「この人もこの人達もやってました!!」と、先輩方の名前も暴露。
(その先輩方は退学とかにはなっていないがその代わりにいじめをしていたというレッテルを貼られ、就職とか高校受験でかなりの大目玉を食らったらしい。)
まぁ、そんなこともあり、普通の中学では私を虐めていた奴らが集まることになった。
だから、どこか別の所を探した。
両親の職は引っ越すことができないため、私一人でいれて、絶対にいじめっ子が来ないところにすると、都市島になった。
それから、私が今のように心を開くのは、また、別の話だ。
魅「いじめ、ねぇ………。」
海「お前が男だった頃は、女顔で虐められたことが一度あったな。」
魅「確かあの時は重要な行事の時にバックレるだけで収まったけど。」
海「弁当全員分持ってこいとかのでわざと引き受けてから風邪を偽って逃げたよな。その後先生に説教される。その時に虐め暴露。なんつー小学生だよ。」
魅「まぁ、あの後の姉様が怖かったけど。」
海「確かにな………確か、虐めてたグループの家の東側半分が壊れてたな。」
魅「あの時にブルドーザー動かすためのピッキングとかのは犯罪ですよね?」
海「もう気にすんな。次回、心ここにあらず。」