18.嘘つき探し(四日目、日中)
思考の最深部に向かって、僕はゆっくりと沈み込んでいく。けれど、いくら考えても、どうにも真相は見えてこない。完全な袋小路だ――。行き詰まった思考は、しだいに妄想へと変り果てる。
僕は、一人で若竹色の藪を彷徨っていた。やがて、精も魂も尽き果て、地べたにしゃがみ込んだ。もう一歩も動けない……。
どのくらい時間が経ったのだろうか? 気が付くと、薄もやの向こうに、檜皮色の屋根をした廃家がぼんやりと現れた。まるで、蝶々が蜜に引きつけられるかのように、僕は建物に向かってそろそろと歩き出した。
驚いたことに、中には人の気配がした。こっそり覗いてみると、男女がいやらしく寄り添うのが見える。僕は、思わず息をのんだ。
よく見ると、力ずくで一方的に押さえ込もうとする男に、華奢な女が必死に抵抗を企てているのだった。だが、男の圧倒的な腕力の前に、か細い女の抵抗など無意味であった。やがて、哀れにも両腕をひろげられた女の眼から、一粒の涙がこぼした。
僕は決断した! 勇気を出して、扉を蹴破り、中へ踏み込んだ。
背中を向けていた男が、さっと振り返る。その瞬間、僕は恐怖のあまり、足元が凍りつくこととなる。男の顔面は、ひどい火傷のため、皮膚がただれ落ちていた。
男は傍にあった鉈を手にしようとした。その一瞬に生じた隙をついて、右の拳をぶち込むと、男は、そのまま大の字になって、伸びてしまった。
「ああっ、どなたか存じませんが、助けていただいて、本当にありがとうございます――」
後ろ向きで、恥ずかしそうにうつ伏せたまま、女が、精いっぱいの礼をいった。可哀そうに、男の魔の手によって、上半身の着物は乱暴に剥がされている。
艶々とした漆黒の長い髪が、肩までたなびき、細い肩から背中までの、雪のように白いすべすべの地肌が、滑らかな弧を描いている。女は胸元を右手で恥ずかしげに覆いながら、そっとこちらを振り向いた。吸い込まれるように艶めかしい黒い瞳が、僕をじっと見つめている。女は、美貌の未亡人西園寺都夜子であった。
「まあ、和弥さんだったんですね。うれしい――。さあ、こちらに来てくださいまし。お礼を差し上げましょう。今のわたしには、こんなことしか――、できません」
煮えたぎる溶岩のように突如湧き起こったみだらな情欲に、僕は抗うことができなかった。彼女の前に跪き、けなげに胸元を押さえている右手を強引にはねのけると、一直線に、僕は侵入していった。
「和弥さん。ようやく、来てくれましたのね……」と、優しげな都夜子の声が、僕の頭上から降り注いできたが、それに応じる余裕はなかった。耽美なる快楽をむさぶるために、僕はしゃにむに柔らかな肉体を抱きしめ続けた。
都夜子のしなやかな腕が、包み込むように、ゆっくりと背中に巻き付いてきた。と、その瞬間だ。いきなり背中に鋭い爪が突き刺さり、激痛が僕を襲った。
「都夜子さん……、いったい、どうした……んですか?」と、かろうじて声は出せたものの、苦しくて呼吸すらできない。そのまま熊のような力で、ぐいぐいと締めあげられ、僕の身体は弓なりにのけぞった。
「ふふふっ……、もう、逃がしませんことよ」
美しかった都夜子の顔は、いつしかおそろしい夜叉の形相と化していた。
「しまった、この女は吸血鬼だったのだ……」
後悔しても、あとの祭りだ。
「和弥さま、せっかく、わたくしが警告してさし上げましたのに、本当に残念ですわ……」
小鳥のさえずりを思わせる小間使いの声が、どこからともなく聞こえてきたような気がした。しだいに、意識が遠のいていく……。
令嬢琴音「ちょっと、和弥さん。大丈夫……?」
気が付くと、琴音がまん丸い眼を開いたまま覗き込んでいた。ようやく僕は現状を把握した。まだ、ゲームは進行中で、今は四日目の日中だ。そして、ここまで生き残った、令嬢・梅小路琴音、小間使い・東野葵子、七竈亭女将・柳原志乃、未亡人・西園寺都夜子の四人の美女が、心配そうな面持ちで、僕を取り囲んでいた。
僕は慌てて、冷静さを取り繕うと、ここまでたどって来た推理を、彼女たちに語ることにした。
書生和弥「みなさん、ここに今、五人が生き残っています。そして、探偵である志乃さんの調査から、高椿子爵と霊媒師鈴代さん、そして行商人猫谷さんの三名が、いずれも能力を有しない村人であったことが、報告されています。
さらに、初日から三日目まで、毎晩、確実に死者が出ています。大河内青年、菊川さん、そして、土方中尉の三名ですが――、必然的に、彼らは憎むべき吸血鬼たちにより失血死させられた、哀れな犠牲者であることになります。
つまり、これまでに全部で六人の村人が亡くなっており、一方、生き残った五人の中には、天文家と探偵と片想いの三名が、いずれも健在であるのです。でも、これって、おかしくありませんか?」
令嬢琴音「うちは、別におかしくないと思うけど……。亡くなった六人は、能力を持たない五人の村人と、一人の使徒、であっただけやないの?」
書生和弥「ところが、この僕が、実は、能力を持たない村人なのです! だから、おかしい――。
すなわち、ここにみえる、能力者宣言をされた三人のうちで、最低一人は、嘘つきが紛れ込んでいなければなりません!」
口もとにひとさし指をピンと立てた小間使いが、横やりを入れてきた。
小間使い葵子「差し出がましいようでございますが、和弥さま――。正確には、わたくしと、女将さま、琴音お嬢さま、そして、和弥さまの四人の中で、少なくとも一人が嘘を吐いている、というのが正しいご推論ですね」
書生和弥「はははっ……、おっしゃる通りですね。僕が嘘を吐いている可能性も、もちろん考慮しなければなりません。
したがって、僕を含めた四人が全て正直者であることは、論理的にあり得ないのです! では、誰が嘘つきなのでしょう?」
小間使い葵子「きちんと考えれば、わたくしと女将さまのいずれかが、嘘を吐いていることは明白です。
わたくしが天文家であることが真実であれば、わたくしの観測した事実によって、女将さまと和弥さまは吸血鬼ではないことになります。したがって、和弥さまが村人であることが確定します。
ところが、ここに女将さまの意見も合わせますと、能力を持たない村人と使徒が全部で七人存在することになってしまいます。これは明らかな矛盾です!
つまり、天文家宣言をしたわたくしと、探偵宣言をされた女将さま、のどちらかは嘘を騙っていることになります」
令嬢琴音「でもねえ……、天文家さんと探偵さんの、どっちを信用したらええんよ?」
後家都夜子「ひょっとしたら、お二人とも嘘つきであるかもしれませんよ」と、未亡人は冷たく突っ放した。
女将志乃「ちょっと待ってよ! あたしは、探偵として調査した事実をそのまましゃべっただけ。決して嘘なんて吐いてないわ。本当に、調査した遺体はみんな、ただの村人だったんだから!」
後家都夜子「女将さんの調査結果は、和弥さんの非能力者宣言とも矛盾している気がしますが、和弥さんと女将さんのお二人が、真実を語っている可能性はあり得るでしょうか?」
小間使い葵子「あり得ますね。能力者宣言をしているわたくしか琴音お嬢さまの、どちらかが嘘を吐いていて、なおかつ、吸血鬼であればいいのです!」
女将志乃「そうよ――、そうなればいいのよ。小間使いかお嬢さまが鬼であって、その代わりに、亡くなった六人の中に天文家か片想いが紛れていれば、あたしの調査に矛盾は生じないわ!」
令嬢琴音「つまり、処刑された三人じゃのうて、夜に鬼から襲撃されて亡くなった三人の中に、実は、能力者がいたというんね?」と、令嬢が細部を訂正した。
書生和弥「高椿子爵か、鈴代さんか、猫谷氏の中に、能力者がいたということですか。なるほど……」
突然、都夜子がヒステリックな声をあげて、議論を遮った。
後家都夜子「だめよ! これじゃあ、切りがないわ。結局のところ、事実の表面を見ているだけじゃない?」
書生和弥「それでは質問を変えてみましょう。先ほどの推論で、志乃さんと葵子さんのどちらかは、確実に嘘を吐いていることになりますが、お二人が、ともに嘘を吐いている可能性はあるでしょうか?」
令嬢琴音「それは……、あるに決まっとるやん! 嘘を吐くのは、二人の勝手なんやから?」
小間使い葵子「でも、二人が嘘を吐くということは、二人がともに吸血鬼かまたは使徒であることを意味しますよね」
後家都夜子「だとしたら……、説明がつかなくなってしまうわ! だって、葵子さんがさっき自ら指摘したように、志乃さんと和弥さんがともに鬼ではない、という葵子さんの発言と、志乃さんの調査結果は、真っ向から矛盾しているもの!」
書生和弥「しかも、葵子さんは四日目の朝まで天文家の告白を控えていました。もしも、葵子さんと志乃さんがともに吸血鬼であるならば、ここに来て葵子さんが、味方である志乃さんを陥れるような発言を、わざわざする理由がないのです!」
令嬢琴音「ちょっと待ってよ。だったら、小間使いが使徒で、志乃さんが吸血鬼Qなんやわ。小間使いは、志乃さんが味方であることを知らずに、うっかり陥れる言動を取ってしまった、ということかもしれんよ?」
書生和弥「それもあり得ません。もし葵子さんが使徒であれば、三日目に猫谷さんを追い込んだあの切れ味鋭い発言を、するはずがありません。なぜなら、結果的に葵子さんが弁護することとなった土方中尉は、昨晩の忌まわしい事件によって、明らかに白であると判明したからです!」
令嬢琴音「和弥さんの説明は、早すぎてようわからんわ。葵子が使徒やったら、土方中尉が白であることを、昨日の時点で知る由がないんよ。たまたま、白側の弁護をしちゃっただけかもしれんのよ?」
書生和弥「ちょっと、言葉足らずでしたね。それでは、質問を変えましょう。仮に、志乃さんが吸血鬼Qであれば、吸血鬼Kは誰でしょう?」
後家都夜子「葵子さんは、女将さんを否定していますから、吸血鬼Kであるはずがないですね。でも、他の方々なら、どなたが吸血鬼Kであってもおかしくないと思いますけど……」
考え込む美しい未亡人の横顔を眺めながら、僕は誇らしげに発言した。
書生和弥「案外、そうでもないですよ。僕たちは、確実に真実たる事実を、もう一つ、手にしています。それは、猫谷氏が嘘を吐いていた、という事実です!」