10.探偵の調査報告(三日目、日中)
今日も村長の屋敷に集合だ。正直いって、あまり行きたくはないが、仕方ない。『梅小路』と大きく刻まれた石板の表札が掛かった華々しい門をかいくぐり、急な石段をのぼっているところで、後ろから女性の声がした。
「あら、和弥さんじゃないですか。ご無事でよかったわ……」
振り向くと、浅葱色の着物を纏った都夜子さんの姿があった。彼女は、遠慮もなしに僕の真横にやってきて、小さな顔で見上げるように、にこりと微笑んだ。背中まで伸びた美しい黒髪からは、ほのかに椿油の香りが漂ってきた。彼女は僕に衣類が触れるかどうかの距離まで、細身の身体を擦り寄せてきた。彼女の温もりが伝わってきて、僕の心臓がドクンと鳴った。わずかに開けた胸元のすき間から、綿雪のような白い素肌がちらちらと見え隠れしていた。
「今日も嫌な話し合いをしなければなりませんね」と、僕の視線の矛先に気づく様子もなく、都夜子さんはほのかにため息を吐いた。
「邪悪に屈してはいけません。いっしょに力を合わせて、村を守り抜きましょう」
ほんの弾みであったのだが、気が付くと僕はかよわげな彼女の手をギュッと握りしめていた。都夜子さんは頬を薄紅色に染めて、恥ずかしそうに、はい、と一言だけ口にした。
令嬢琴音「みなさん、今日もお忙しい中、足を運んでいただいて感謝するわ。昨夜に亡くなった方の確認ですけど、まず処刑された霊媒師宮田鈴代さん――。
それにもう一人……、菊川六郎さんのご遺体が、ご自宅で発見されました」
土方中尉「なんと……、蝋燭師が殺されたのか? 死因は無論、失血死だな?」
令嬢琴音「まあ、それが妥当な解釈やね……」
行商人猫谷「論理的に考えて、失血死ということになる。ところで、鈴代さんが吸血鬼だとすれば、残りの鬼は一人ということになるが、一人になった吸血鬼が村人を襲った場合、村人はどうなってしまうんだ? 確かルールでは、吸血鬼の片方に襲われると感染する、と書いてあったような気がしたが……?」
土方中尉「何? もし、それが真実なら、蝋燭師の死因が説明できなくなるではないか!」
小間使い葵子「大丈夫です。吸血鬼が二人いる場合に、二人が同時に一人を攻撃すれば、被害者は失血死となり、別々に襲い掛かれば、上位吸血鬼に襲われた被害者が感染します。しかし、吸血鬼が一人となれば、襲われた被害者は無条件で失血死となります!」
土方中尉「ふむ、それは真であろうな?」
小間使い葵子「はい、ルールブックにそのように記載されてございます」
土方中尉「そういわれてみれば、なるほど、書いてあるな。ありがとう、重要なルールを確認することができた」
書生和弥「二人いる時には、単独では感染させる能力しかないのに、一人になると、単独で失血死できるようになる、というのですね。考えてみると妙な話ですね」
小間使いは、小振りな左の手を口もとに当てて、くすりと笑った。
小間使い葵子「そうですね。吸血鬼は一人になってしまえば、『感染させる』という選択肢を失うことになります」
女将志乃「それじゃあ、あたしが今日調べる死体は、誰にすればいいの? 昨日亡くなった大河内さんも含めて、候補者は三名いるけど……」
行商人猫谷「大河内君と、鈴代さん、菊川氏の三人だね。菊川氏が天文家かどうかの確認はしておきたいが、やはり鈴代さんの確認が優先だろう。彼女が吸血鬼であれば、俺たち村側は、大きく勝利に前進したことになるからな」
後家都夜子「わたしも鈴代さんの調査をしていただきたく存じます。最も吸血鬼でありそうに思えるからです」
小間使い葵子「そうでしょうか? わたくしには鈴代さまが吸血鬼であるとは、とても思えません。鈴代さまが吸血鬼だとすれば、あのように喧嘩を売るご発言は、決してなさらないはずです。あれでは、処刑されてしまっても致しかたございません」
土方中尉「そうはいっても、あとの二人が吸血鬼に襲われたとしか解釈できない以上、やはり、鈴代の遺体を調べることが、村人側にとって最も有益な選択だと、余は思うぞ」
小間使い葵子「それもそうですね。でしゃばってしまい、申し訳ありませんでした」と、葵子はあっさりと引き下がった。
女将志乃「じゃあ、今日の遺体の調査は鈴代さんにするわよ。みなさん、異論はないわね?」
誰からも反論する声はあがらなかった。それを確認した女将は、そろそろと鈴代の遺体に近づいて、しゃがみ込んだ。
しばらくすると、志乃は残念そうに首を横に振った。
女将志乃「鈴代さんは吸血鬼ではないわ! どうやら、ただの村人だったようね」
土方中尉「なに? それは真か? ううむ、またもや我らの目論見が外されてしまったか……」
後家都夜子「あのお、確認ですが、鈴代さんは天文家ではなかったのですよね?」
女将志乃「そうよ。能力を持たない村人よ。天文家でも、探偵でも、片想いでもないわ」
書生和弥「僕たちは、再びふりだしに戻されてしまったのですね」
行商人猫谷「でも、吸血鬼はまだ二人とも生き残っている……。俺たち七人の中にな」
令嬢琴音「うちも報告させてもらうわ。うちの想うお方は、まだ感染なさっていません」
小間使い葵子「志乃さま。ご主人さまのご遺言を、公開していただきたいのですが……」
女将志乃「そうよね。昨日の日中に調査した子爵の遺言は、昨晩になって確認できたわ。高椿子爵さまの遺言の概要をいうと――、彼は無力の村人である。最後に心ならずも天文家と偽証してしまったのは、もう一日生き延びることで、村側に貢献できると考えたからである。無念の死を遂げた初日の時点では、吸血鬼のしっぽを捕まえる手がかりはほとんど皆無であるが、自分が主張した通り、菊川氏は極めて黒っぽいような気がする。もっとも、片想いと天文家の両名を告白させた行為については、わたしは何ら悪気を感じてはいない。わたしの発言によって、結果的に天文家や探偵、片想いが救われていると確信するからである。――以上ね」
行商人猫谷「なるほどねえ。お坊ちゃんらしい、負けず嫌いのコメントだなあ」
令嬢琴音「それじゃあ、明日になれば、今度は鈴代さんの遺言が聞けるのね。楽しみだわあ」
行商人猫谷「ふん。女将が無事に生きていれば、という条件付きだがな……」と、猫谷が含み笑いをした。
女将志乃「そうそう。昨日の投票について、みなさんには、誰に投票したのか正直に告白してもらいたいわね。事前の申告と投票結果には、かなりのずれがあったように思うけど……。まず、いいだしっぺのあたしからだけど、あたしは予定通り、小間使いの葵子に一票を投じたわよ」
土方中尉「余は宣言通り、霊媒師に投じたぞ」
令嬢琴音「うちも、いうた通り、小間使いに投じたわ」
書生和弥「僕も予定通り、鈴代さんに投じました」
後家都夜子「わたしも鈴代さんに入れました」
小間使い葵子「申し訳ありません。わたくしは宣言を覆して、鈴代さまに一票を入れました。理由は単純で、自分が助かりたかったからです」
行商人猫谷「最後は俺か……。実は、俺は宣言では小間使いに入れる予定だったが、実際は鈴代に票を投じたんだ――。理由はって? 単なる気まぐれに過ぎないが、鈴代に入れたくなったからさ。そもそも、葵子が黒だという主張にもさしたる根拠はなかったしな……」と、猫谷が弁解がましく語った。
女将志乃「まとめると、あたしたちが入れた七票は、鈴代さんに五票と、葵子さんに二票ってことになるわね。すると、亡くなった菊川さんと鈴代さんの入れた二票が、鈴代さんと葵子さんに一票ずつということになるわね――。変ねえ? 当初の宣言だと、お二人はともに和弥さんに投票すると宣言されていたはずなのに、どうして気が変わったのかしら?」
行商人猫谷「霊媒師の行動については、至極単純だ。自分が死にたくないから、葵子に一票を投じた。それだけだ! しかし、そうなると……、蝋燭職人の行動は奇怪だよな? なんで、和弥君に投じるといっていた票を、豹変して霊媒師に投じたんだ?」
後家都夜子「きっと、当初は和弥さんを疑っていたけど、その後の会話から、鈴代さんこそが最も黒っぽいと考え直されたのでしょう」
土方中尉「おそらくそうであろう。それしか、事実の説明はできんぞ」
女将志乃「でも、もしかしたら、あたしたち七人のうちに、嘘を吐いている者がいたりして……?」
行商人猫谷「だとしてもだ――。いずれにせよ、蝋燭職人が投じた票は霊媒師か小間使いのどちらかなんだ。だから、和弥君に投じるはずの票を奴が覆したという不可解な事実は、依然として変わらないのさ」
令嬢琴音「案外、不可解でもなんでもないんとちゃう? 鈴代さんの発言って、ぜんぜん筋が通っとらんかったし、菊川さんが鈴代さんを黒だと思うても、ちっとも変やないわ」
本当にそうなのだろうか? 頼りない直感に過ぎないが、僕はこの時、菊川氏の不可解な行動の中に、何か真相を解明する重大な手がかりが潜んでいるような気がした。