1.鬼夜叉村
from "HP; The Road of Wolves"
登場人物
高椿 精司 子爵
東野 葵子 小間使い
梅小路 琴音 令嬢
大河内 毅 青年執事
柳原 志乃 七竈亭女将
猫谷 庄一郎 行商人
土方 晃暉 陸軍中尉
宮田 鈴代 霊媒師
菊川 六郎 蝋燭職人
西園寺 都夜子 未亡人
飯村 和弥 書生
目次
『出題編』
1. 鬼夜叉村
2. 十一人の村人
3. ささやかなる村の掟
4. 腹の探り合い(初日、日中)
5. どちらが本物?(初日、日中)
6. 恐怖の夜(初日、夜)
7. 令嬢の想い先(二日目、日中)
8. 今宵、処刑すべき者(二日目、日中)
9. まぶたに浮かびし美女(二日目、夜)
10.探偵の調査報告(三日目、日中)
11.天文家登場(三日目、日中)
12.小間使いの推理(三日目、日中)
13.今夜こそ殺される?(三日目、夜)
14.不可解な鬼たちの行動(四日目、日中)
15.チェックメイト(四日目、日中)
16.読者への挑戦
『解決編』
17.将校の最期
18.嘘つき探し(四日目、日中)
19.出口なき迷宮(四日目、日中)
20.アリアドネの糸(四日目、日中)
21.暴かれた真相(四日目、日中)
22.戦いの結末(四日目、夕刻)
23.エピローグ
本編は、多数の人物が登場し、それぞれの考えに従って独自の行動をとってゆきます。彼らがする発言や行動の順番などのひとつひとつが、読者が真相にたどり着くための貴重な手掛かりとなっています。しかし、その情報は複雑かつ膨大なものであり、とても頭で覚えきれるものにはなっていません。
そこで、読者の皆さんには、ノートなどのメモ用紙をご用意いただき、気が付かれたことを逐次書き留めながら、本編を、地面をはうがごとく、ゆっくりと読み進めていただくことを推奨いたします。
まことに勝手で七面倒な要望ではございますが、こうすることで、見事に本編の正解をお当ていただいたあかつきには、これまで感じたことのない満足感にひたることができるような内容になっていると、自負しております。
さあ、賢明なる読者の皆さん。私が文中にこっそりと忍ばせた手がかりをひとつたりとも見過ごすことなく、どうか真相を暴き出して、至福の喜びを得てください。
本編の複雑なルールに戸惑われた方のために、『入門編、小説・吸血鬼の村』という、読みながらルールを分かりやすく理解できる短編も用意しております。本編をお読みになる前に、一読されることをお勧めいたします。
本編は、できれば「縦書きPDF形式」でお読み下さい。(作者)
一つや二つくらいなら、誰にでも取り柄なるものが存在するものだ。こんな僕でさえ、人に自慢することができる特異な能力を持っている。それは、想像力である。
例えば、ビルディングの外にいて、窓越しに中の様子が垣間見られたとしてみよう。常識的な人ならば、おそらくは、大きな本棚が見えただとか、正面にテレビが置いてあっただとか、せいぜい、その程度の通俗な感想が浮かんでくるだけであろう。でも僕の場合は、視覚から得たわずかな情報から、イメージはどんどん増殖していき、やがては収集がつかなくなる。あたかもその建物の中に自分自身がいるかのような、異様な感覚に到達してしまうのだ。
もしも階段が眼に入れば、その傾斜角度から、階段を上っている時に感じる、視界の景色や、重力の強さ、絨毯が反発する感触、などといった五感で感じられる諸現象が次々と脳裏に浮かんでくる。さらには、壁掛けランプから放たれる鯨油が焦げた匂い、炎がくすぶる時に発するかすかな音、そして、頭上の踊り場にゆらりと佇んでいる黒い人影……。
医者の診断によれば、僕は神経症を患っている、ということらしい。今、僕は自宅でパソコンを開いている。そして、最近見つけたオンラインゲーム・サイトに入って、ゲームの開始を今か今かと待ち構えているのである。すでに僕は、ゲームの中に設置された仮想世界の住民であるかような錯覚に、ずぶずぶと沈み込んでしまっている。だんだん、現実と虚実の境界線が判別できなくなってくる。頭が重い。眼もうつろになってきた……。
車窓の外は、ひっきりなしに豪雨が降り続けていた。小型のワンマンバスが、エメラルドグリーンに輝く渓流に沿った砂利道を、泥を撒き散らしながら走行していた。終着点は上流に位置する鬼夜叉村だ。
長野県南佐久郡鬼夜叉村――。
僕はまだ鬼夜叉村を見たことがない。そしてそこは、母が生まれ育った村でもあった……。
母は、大正五年に僕を生んでから、間もなく病で亡くなったと、父からは聞かされている。身体は弱かったけど、聡明でとても美しい女性であったらしい。その鬼夜叉村には母の実妹がいて、つづまやかに宿屋を営んでいる。宿屋の名前は『七竈亭』と聞いている。母に関する手がかりといえば、今のところそれだけだ。
バスはどんどん暗い森の奥深くに入っていく。打ちつける雨とバスの走行音以外に聞こえてくる音といったら、時おり鳴く鴉の甲高い声と、渓流の早瀬が奏でる水の音くらいだ。
まるで母の胎内に潜り込んでいくような気持ちがした。母の秘密を解く鍵は、まだこの村に残っているのだろうか?
バスに乗っていた乗客がぽつりぽつりと減っていき、最後に残ったのは、僕ともう一人だけとなった。そいつは、なにやら大きな四角い籠を背負って、誰もいないのに一人でニヤニヤ薄ら笑みを浮かべている、痩せた中年男だった。
男が振り返って、僕をじろじろと眺めてきた。
「よう、あんた。鬼夜叉に行くのかい?」
「はい。そうです」
「そうかい。めずらしいな。こんな山奥の寂れた村に、何の用だ?」
「はい。知り合いを訪ねてやってきました。母の妹にあたる叔母です」
「ふーん、あんた、仕事をしているようには見えないが……」
「はい、東京で学生をしています」
「なるほど、書生さんか……。俺はさすらいの行商人で、猫谷というんだ。薬を売りに、ここにはよくやってくるのさ。よろしくな」
「あのお、猫谷さん。どんな村ですか? 鬼夜叉村って……」
「ふつうの村さ。ありきたりの――。ただ土地は痩せていて、どちらかといえば不便な部落だな。村人はもうわずかだし、このままじゃ廃村になっちまうのもさほど遠くないことだろう。おお、そうそう――。とにかく美人が多い村だな、あそこは……」
「美人?」と、僕は呆気にとられて、聞き返した。
「そうなんだ。あの村には、何故か伝統的に器量が良い娘が多いんだ。そういう血筋なのかもしれん……」そういって、猫谷は窓の外に目をやった。「それにしてもひどい雨だな。何か不吉なことが起きなければいいのだが……」
バスは、終着点の鬼夜叉という停車場に到着した。僕と猫谷がバスから降りた時、心配していた雨はかなり小降りになっていた。辺りは徐々に暗くなっている。遠く彼方から、狼の遠吠えが連呼して聞こえてきた。
「どこにも家が見えませんね。どっちに行けばいいのかな?」
「ついてこいよ。村はこっちだよ」と、猫谷は僕を手招きして、とぼとぼと歩き出した。
途中、草が生い茂った道の脇には樫の巨木がそびえており、その下に石地蔵と小さな祠が立っていた。
「立派な樫の木ですねえ」と、僕が感心して足を止めた瞬間であった。突然、木の陰から人影が猿のように飛び出してきて、両手を広げて立ちはだかった。白装束の下に朱色の着物を着こみ、顔を白粉で真っ白に塗りたくった女だ。女は、手にした先が瘤状の大きな杖を、威嚇するかのように僕の目の前に突きつけてきた。
「あんた……、――これからどこに、いくつもりだね?」
「ええ? この先の鬼夜叉村まで……」
縮こまりながらも、僕はしっかりとした口調で答えた。白装束の女は品定めをするように、僕をじろじろ覗き込んでいる。
「ふん、うぬの身体からは、禍々しき邪悪な気配が、どくどくと発せられておる。なんということじゃ……。よいか、村に不吉をもたらすよそ者よ。ここを通ることはまかりならぬ。さあさあ、とっとと引き返せ!」
やや語調を荒げて、女が意味不明な罵声を浴びせかけてきた。しかし、横にいる猫谷は、相も変わらず飄々としている。
「なんだ、なんだ。お鈴さんじゃないか。いったいどうしたんだい?」
そういって、猫谷はちらりと僕に目を向け、「書生さんよ。このおばさんはこのお宮を管理している鈴代さんだ。悪い人ではないよ」と説明した。
「ええい、うるさい! そこの若蔵よ――。このまま、うぬが村に行けば、血塗られた忌まわしき惨劇が、必ずや起こってしまうのじゃ。ああ、なんと、恐ろしいことか……。さあ、今すぐに引き返せ。さっさと、この村から消えてしまえ!」
猫谷はニコニコしていて、相手にしなかった。「そんなこといったって、夜も遅いし、バスはもうないんだ。いつまでも訳のわからないことをいってないで……、なっ、お鈴さん――」
猫谷は僕を庇うように肩をつかんで、女の横をすり抜けた。女は恨めしそうに、ずっとこちらを睨み続けていた。
「ほうら、あれが鬼夜叉村だ――。どうやら、日暮れには間に合ったみたいだな」と、峠を越えた下り坂で、猫谷が前方を指差した。
僕たちが立っている丘のふもとに、小さな集落がポツンと姿を現した。建物の数はせいぜい十戸ほどで、村の中央を流れている小川に沿って一本道が横たわっていた。その両端、つまり集落の西と東の端っこに相当するところに、将棋の飛車と角を思わせるような高台があり、大きな二軒の豪邸が競い合うように建っていた。
「右手の御殿が、梅小路権蔵村長のお屋敷だ」と、猫谷が東側にある黒い瓦屋根の豪邸を指差していった。「そして、反対側の洋館が、高椿子爵の邸宅だな」
こちらは外国のおとぎ話に登場する宮殿を思わせるような、洒落た建物だった。
「梅と椿ね……」と、思わず僕はうなずいていた。
長いつづら折れの坂を下って、僕たちはようやく鬼夜叉村にたどり着いた。道の小脇の所々に置かれた石灯籠には、一つ一つにきちんと炎が灯されていた。小川のほとりの水車がコトコトと静かに音色を奏でている。おそらく、蕎麦を挽くために設置されたものであろう。
集落の真ん中までやってくると、叔母が営んでいる旅館・七竈亭と書かれた看板は、すぐに見つかった。旅館に入ろうとする僕に向かって、猫谷が後ろから声をかけてきた。
「なんだ、書生さんの叔母って、ここの女将だったのか……」
「はい、そうです」
「それなら話が早い。俺も今夜、この宿に泊まろうと思っていたんだ」といって、猫谷は遠慮なしに僕についてきた。
玄関から中に入ると、真正面に厳つい武者の甲冑が飾ってあった。兜には、ど派手な三日月形の装飾がほどこされている。
「ところで、書生さん。あんた、この宿の名前となっている七竈の意味はご存じなのかい?」
「いえ――、確か、植物の名前ですよね?」
「そう、赤い実がなる樹木だ。名前の由来は、七回竈に放り込んでも決して燃えない、ということから来ている――」そういって、猫谷は意味ありげに口もとを緩ませた。
虫よけのために噴霧された溶剤の独特な匂いが、玄関口に漂っていた。やがて、奥の方から、山吹色の着物を着た長身の女性が姿を現した。
「まあまあ、こんな山奥の田舎までようこそ。あらまあ、あなた……、ひょっとして、和弥さんじゃないの? ほんに姉さんの生き写しだわ! 立派になったのねえ……」
彼女は、この旅館の女将であり、僕の叔母でもある、柳原志乃であった。年は四十を超えているはずだけど、ちっともその年齢には見えない。素肌は瑞々しくて、あでやかな女性である。
「そうですか、バスで猫谷さんとご一緒になったのね。せっかく来てくれたけど、あまり十分なおもてなしはできないのよ……。実はね――、村長さんが危篤で、ひょっとすると今晩が山になるかもしれないの。村といっても、こんな小さな部落でしょ。だから、ここにいるみんなは、家族のようなものなのね。ちょうど、これから村長さんのとこへ寄ってこようかと、思っていたのよ……」
すると、猫谷が目を輝かせて、横から口をはさんできた「そうかい、俺も村長さんには随分と世話になっているからな。お志乃さん、一緒について行っていいかい?」
志乃は、一瞬、困ったようなそぶりをみせた。「そうねえ。じゃあ、和弥さんもご一緒に、どうかしら?」と、今度は僕を誘ってきた。
「わかりました。別に予定もないし、喜んで、ご一緒させていただきますよ」
僕が女将に返事した時、猫谷がチッと舌打ちするのが聞こえた。