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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
96/117

96. 眠り姫

 リアーナが去っても、残された「翼ある人」との戦いは続いていた。剣を打ち合う音、怒号、悲鳴、あらゆる喧騒がない交ぜになりながら、ルートニア要塞を包み込む。すでに、防衛拠点のキリク隊がこちらに向かっている頃だろう。そう距離は離れていない。連絡があって、すぐに馬を飛ばせば、半時もしないうちに、主力部隊が到着する。

 センテ・レーバン王国騎士団とて、これがはじめての戦いではないのだ。ガルナックからここひと月あまり。空飛ぶ化物と戦った。その経験は蓄積され、騎士団の結束につながる。おそらく、センテ・レーバン王国騎士団始まって以来の、固い結束によって、一致団結し敵と戦っていることだろう。

 その団結の輪が、センテ・レーバン人の間だけでなく、三国すべての人間に広がれば、それはとても大きな力になる。アルサスは、冴え冴えとした頭でそう思った。

 記憶を取り戻すことに不安はあった。過去の自分をまったく知らないまま、その人格を取り戻せば、予想もしなかったことに心が押しつぶされるんじゃないか、と不安を抱いていたのだ。だが、取り越し苦労とはこのことだ。ダイムガルドを訪れて以降のアルサスと、それ以前のアルサス、そして本当の名であるフェルト、そのすべてが一度に融合したと言い換えるといいかもしれない。

 フランチェスカやルウのこと、そしてあの子のことも、はっきりと今なら思い描くことが出来る。その上で、記憶を喪いつつも、セシリア、ジャックとともに戦い、知りえたこと思ったことは、きちんと胸に刻まれているのだ。

「自分が、なにをすべきか……」

 西棟の螺旋階段を駆け上りながら、アルサスは呟いた。傍らのセシリアがその呟きを耳にして、訝るような視線を向けてくる。

「どうした、アル……」

 言いかけた言葉を飲み込んで、「いかがしましたか、フェルト殿下?」と言い換えた。その言葉の裏に、複雑なセシリアの心情があることに、アルサスは何となく気づいた。そして、すこしだけ顔をほころばせる。

「アルサスでいい。少なくとも、この戦いが終わるまでは、セシリアにもジャックにも今までどおりでいて欲しい。俺も、ダイムガルド軍人をやめたりしない」

「でも、あなたは、この国の王子さま。国王不在の今、この国を率いる義務がある」

「だから、シオンを叩き起こしに行くんだ。あいつは、アイシャに負けないくらい、しっかりした女の子だ。俺よりも、ずっと人望も知恵もある。あいつがいれば、この国は大丈夫だ」

 と、アルサスが言うと、今度はジャックが渋い顔をする。

「シオンってのは、お前の妹なんだろ? なんだよ、全部妹に丸投げするのか」

「まあ、平たく言えば、そういうことになるかな。もっとも、何もかも投げ出すつもりはないさ。シオンの役目は、この世界が本当の意味で平和になったときにやってくる。そのために、俺は兄貴として、その地平を開く」

「なるほど、要するにそのために、アストレアの天使どもを殺しにいくってわけだ」

「違うよ、ジャック。俺は……俺は、あいつらを説得したい。ちゃんと、言葉で分かり合いたい」

 アルサスの言葉に、ジャックがきょとんとする。不思議と、厳つい顔にそういう表情が似合っているから、面白い。

「なんだよ、それ。聖人君子じゃあるまいし。分かり合うとか、そんなこと……」

「できると信じたい。ガルナックでカレンが教えてくれた。いつか人は分かり合えるって。俺の親父はそんなの無理だって言ったけれど、俺はカレンの言葉を信じたい。だって、俺も、そう思ってる。それに、ネルが俺の知るあいつのままなら、きっと分かってくれるはずだ」

「希望的観測は承服しかねるな」

 セシリアは息も切らさず階段を駆け上りながら、アルサスと視線を合わせなかった。何故だかはよく分からないが、カレンの名を口にしたり、ネルの名を口にしたとたん、なんだかセシリアの口調に棘が混じった。

「希望は大切だ」

 と、アルサスが言うとセシリアは、

「それは、カレン将軍の言葉か? それとも、銀の乙女の言葉か?」

 尚も棘混じりに問い質す。アルサスは思わず苦笑しながら「俺の持論だよ」と返した。もちろん、即興で考えたことだが、記憶が戻ってから頭がすっきりとしているのだ。あれほど悩ませた頭痛もどこかへ消え、今ははっきりと、何をすべきか分かる。

「だから……セシリア、ジャック。力を貸してくれ」

 アルサスが言うと、二人はそれぞれにそれぞれの顔をした。セシリアは少しだけ微笑み、ジャックは仕方ないな、と言う顔だ。

「分かってる。わたしたちも、世界を生まれ変わらせたくない。その思いは一緒だ。たとえ、アストレアの天使が作り上げる新しい世界が、平和で豊かで、誰も憎しみあうことがなく、苦しむことがなくても、わたしは今の世界が好きだ」

「そうそう、辛くても苦しくても、俺たちダイムガルド人には砂漠で鍛えられた、それを乗り越える力がある。それに……ここでお前に協力して、センテ・レーバンにコネを作っておくのも悪くねえ」

 厳格で男っぽい口調の真面目なセシリアと、照れ隠しなのか冗談交じりなジャック。二人の仲間に、アルサスは微笑んだ。その視線の先、アルサスたちの後ろを追いかけ、今にも酸欠になりそうなルウと、そんなルウの手を引くフランチェスカに目をやる。

「なに、三人で内緒話してるのかしら? お姉さん、ちょっと妬いちゃうわよ」

 真顔でさらりと冗談を言うから、フランチェスカは怖い。だが、そういえばそういう飄々とした人であったことを、アルサスは今更ながらに思い出した。

「もちろん、フラン、あんたも力を貸してくれ。それから……ルウは、もう少し体を鍛えた方がいいな」

 たった百余段の螺旋階段で、あっぷあっぷしているルウに、アルサスは苦笑する。もともと小食で、同じ年頃の男子に比べれば身の丈の小さな魔法使いの少年にとって、それは地獄の階段なのだろう。それでも、ルウは眼鏡の奥でアルサスを睨むと、

「ボクは、頭脳労働役なの! アルサスこそ、もっと頭鍛えろよーっ!」

 と、皮肉交じりにアルサスを罵った。

 そうして、ついに階段は頂点に達する。ルウほどではないにしろ、セシリアをのぞく全員がさすがに息を切らしていた。西棟は、ちょうど鉛筆型の塔になっている。その頂点に当たる部屋に、シオンは眠っているのだ。衛兵の姿は見当たらない。おそらく、衛兵も戦闘に借り出されているのだろう。そう考えると、本当にセンテ・レーバンの人材不足は目に余る、と思わず余計なことに思考を巡らせつつ、部屋の扉の前に立った。

 予想通り鍵がかけられている。

「ぶっ壊す。ちょっとどいてろ」

 と、ジャックは言うと、アルサスの了承も取らずにバヨネットの引き金を引いた。ミスリルのパイルが見事にドアノブを打ち抜く。

「あとで、修理の請求書を送るから」

 アルサスはニヤリとして冗談を口にしながら、ジャックの打ち破ったドアを押した。観音開きのドアが開く。ふわりと、香の匂いとともに、部屋の明かりが五人の視界を覆った。

 部屋には窓はない。どちらかと言えば、密室のような場所。それでも鬱々とした空間にならないように、魔法装置の灯りが煌々としており、それが花柄の壁紙に反射して部屋の中はまるで日中のように明るかった。調度のそれは、シオンの趣味に合わせて世話係がしつらえたのだろうか、女の子の部屋と呼ぶにふさわしい家具やぬいぐるみが置かれ、その真ん中に、ツインのベッドがある。そのベッドの上で、枕と布団に埋もれるようにして、静かな寝息を立てる幼い少女の姿があった。

「シオン……」

 アルサスは、そっと妹の名を呼んだ。腹違いとは言え、兄と慕ってくれる可愛い妹である。そもそも、アルサスがフェルトの名を捨てて旅立ちを決めたのは、母の遺言と妹の未来のためだったと言っても過言ではない。その妹は、ライオット・シモンズによって、心を操られ、その後遺症で昏睡したままなのだ。

「眠り姫みたいだ」

 呟いたのは、セシリアだった。たしかに、その表現の通り、アルサスたちの気配に気づくこともなく、ただ静かに眠り続ける姫のようだ。

「王子様のキスで目覚めるって言っても、アルサスは兄だから、それはちょっと不味いわね……」

 と、フランチェスカが言う。冗談半分にしても、さすがにそれは笑えない。かと言って、ルウやジャックにその役を任せるのは、何となく兄として許せなかったりする。無論、口に出しては言わないが。

「当たり前だろ。だいたい、そんなことで目覚めたら、世話ないよ」

 とは言ったものの、どうしたらシオンが目覚めるのか分からない。夢さえ見ていない寝顔をそっと見つめながら、アルサスはその小さな手を取った。

「シオン、目を覚ましてくれ。この国のみんなのために……」

 願いをそっと口にする。と、その瞬間だった。アルサスの体が、金色の光に包まれる。その微細な光の粒子が、アルサスの手からシオンの手に伝わり、まるで伝播するかのようにシオンも光に包まれた。驚きを隠せず、言葉を失う、セシリアたち。

 やがてその光が収まると、小さな声が聞こえた。一瞬誰の声だか分からずに、一堂そろって部屋を見回した。だが、ぬいぐるみが口を聞くはずがない。御伽噺ではないのだから。

「お兄さま……?」

 今度ははっきりとその声が聞こえた。見れば、シオンが薄く瞳を開き、こちらを見ている。真っ白だった頬に、わずかな赤味が指し、見るからに生気を宿したと分かる。

「お兄さまは、どうして外国の服を着ているんですの? おかしいですわ」

 シオンは可愛らしい声でクスクスと笑う。

「そんなに似合ってないか、この軍服」

「いいえ、とてもお似合いです。それより……みなさんお揃いで、何かありましたの?」

 部屋を見回すシオンは、見慣れぬ顔に少しばかり小首をかしげた。その手を強く握り、兄の顔になったアルサスは、

「聞いてくれ、シオン。お前はライオット操られていた。その間に……」

 と、シオンの知らないこれまでのいきさつを語って聞かせた。

 

「キリク隊はまだですか!?」

 剣を振り、「翼ある人」に一太刀浴びせかけ、傍らのブレック・ケイオンに問う。すでに、クロウの両腕は疲労を訴えている。次から次へと上空からルートニア要塞の中庭に舞い降りてくる敵。無機質な顔をして、ひたすらに三叉槍を繰り出してくる彼らに貫かれれば、この五体は光の粒になって消えてしまう。一瞬の油断も許されない状況に、クロウは体力ばかりでなく、精神力まで削り取られていく感覚を覚えた。

「この状況では、キリク隊も敵の襲撃を受けているかと。まさか、ここで一気に勝負をかけてくるとは!」

 信頼する副官のブレックは、剣を突き出しながら、クロウの怒号に答えた。

「同盟の阻止が目的か……これはいよいよ、同盟に意義が出てきましたね。でも、その前に、こいつらを片付けなければ、ここで我々が死んでしまうわけには行かない!」

「分かっておりますとも! 魔法騎士隊! 敵を薙ぎ払えっ」

 ブレックの命令が飛ぶ。すかさず、魔法杖を構えた、魔法騎士たちが整列し、風の魔法を唱えた。ごうっ、と唸り声を上げながら、魔法騎士の数だけの疾風が周囲を薙ぎ払う。いくつかの「翼ある人」が光の粒になって弾けた。しかし、彼らには恐怖を感じる感情がないのか、まったく臆することはない。瞬くうちに、魔法騎士隊に雪崩れ込み、列を乱す。

「このまま押し切られて、城内に入られたら、万事休すですっ! クロウ隊長っ」

 悲鳴にも近い、副官の声。センテ・レーバン軍は完全に劣勢に立たされている。いくら、経験を摘んだところで、相手は空から襲い掛かる。こちらが対空に弓や魔法を射掛けても、たちどころに高く上空へ逃げられれば、矢も魔法弾も失速して届かない。翼のない人間にとって、これほど不利な戦いはあるだろうか。

 地の利も、堅牢な壁も、騎士団伝統の剣術も、すべてか「翼ある人」のまえでは、児戯にも等しい存在でしかないことを痛感する。

 だが、撤退すべき場所は何処にもない。言ってみれば雪隠詰めの状態なのだ。せめて、シオン陛下が目覚めるまで……いや、ダイムガルドとの同盟が成るまで、待って欲しかった。そんな願いを、メッツェが聞き届けるわけはない。

「奮起しろ! 敵を押し返せ! まだ決戦の日ではない! ここでやられては、死んでいったものや先祖たちに顔向けできないものと思え!」

 ブレックのみならず、他の騎士団長たちが、声を枯らして叫ぶ。だが、敗北の色が濃厚になればなるほど、兵士たちの意気は、削がれていく。

 明日の命を守るため。そう説いたところで、人間誰しも今日の命が惜しい。怯えた兵士たちの中には、すでに逃げ出そうとしているものや、及び腰になっているものもいる。そういった者たちは、狩でもするかのような敵の格好の餌食となる。

 ある者は、妻子や恋人の名を叫び、またある者は母親の名を呼び、べつのある者は、クロウに救いを求めながら、消えていった。

「くそっ! くそっ! くそったれーっ!!」

 心から湧き出たクロウの叫びは、普段の彼からは聞くことの出来ないような言葉だった。それだけ、悔しさが、胸を貫くのだ。

『聞きなさい、センテ・レーバンの誇り高き騎士たちよ!』

 突然に中庭に声が響く。女の、それも幼い少女の声だ。しかし、凛と張り詰めたその声は、苦しみに満ちた辺りの空気を一瞬で払いのけるようだった。

「あれは!?」

 ブレックが上を見上げて指差す。夜空に浮かぶ月を背に、南棟と西棟を繋ぐ渡り廊下にいくつかの人影があった。目を凝らせば、それが誰であるかはすぐに察しがついた。

「いまこそ、センテ・レーバン騎士の誇りを見せ付けるのです! あなた方こそ、五百余年の剣と盾のこの国の礎! 必ずや、正義の女神はあなた方に微笑みます。センテ・レーバンに勝利を!!」

 少女は、高らかに宣言する。

「シオン陛下だ! 陛下がお目覚めになられたんだ!」

「フェルト殿下も居られるぞ!」

 その一言だけで、一気に周囲の悲鳴は消えうせて、歓声に変わる。そして、士気が見る見るうちに高まる高揚感が、すべての騎士を包み込んだ。

 と、その時である。中庭に別の騎士たちが雪崩れ込んでくる。東の防衛拠点を守っていた、キリク隊が到着したのだ。形勢逆転の狼煙が上がった事を感じたクロウは、もう一度、渡り廊下を見上げた。

「クロウ! 待ってろ、今すぐそっちに行くからな!!」

 渡り廊下の上で、親友が言った。



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