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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
95/117

95. 立ち上がれ!

 セシリアの制止を振り切り、アルサスは駆け出した。ゼロコンマ一秒。その瞬間にフランチェスカの首が切り落とされる。そんなことがあってはならない。何故なら、フランチェスカは旅の仲間であり、友なのだ。激しい頭痛の中で、アルサスはそのことに気づいた。いや、思い出したのだ。

 その一点の突破口から、まるで堰が決壊するかのように、記憶が溢れかえり、あらゆることが、フラッシュバックのように蘇った。

『権力者の手に渡る前に、彼女をその手で殺し、この世界に平和をもたらすのです。それは、己だけの幸福のためではなく、世界すべてに生きる人の平和のため。あなたに、世界を想う心があると、母は信じています』

 メリクス湖畔の王家別邸で、アルサスを育ててくれた、優しくも厳しい母の言葉。それがすべての始まり……。

『レイヴンのアルサスに言われたくないよ。あんなすごい力を見せられて、学校の勉強なんかやってらんないよっ! ボクも『奏世の力』のこと、知りたいんだ!』

 ルミナス島で出会ったのは、どこか生意気だが憎めない魔法使いの少年だった。その瞳は真っ直ぐに未来を見つめ、そんな少年にアルサスも弟のように思っている。

『そんなことはないわ。でも、わたしの心は、間違っていると言っている。己の信念を曲げて、こんなか弱い女の子を殺すことが出来ないだけ。どちらを取るか。表か裏か、白か黒か、光か影か、上か下か、あなたかわたしか。わたしが選ぶのは、わたし。それだけのことよ』

 ウェスアで出会ったギルド・リッターの女隊長は、飄々とした食えないやつだ。だが、いつでも冷静で、アルサスたちを影から支えてくれる。

『そうか……だったら僕は何も言わない。君の親友として、ヴェイル家の騎士として、君の力になるよ』

 身寄りをなくし、アルサスと共に育った親友は、常にアルサスの傍にいた。そして、迷いの中で戦い続け、気丈な騎士となり、今もその友情に変わりはない。

『策が成らねば、そなたはあやつらに殺されるのであろう? それでは、あの娘の心を救ってやることが出来ない。それは、即ち、世界が滅びる。生まれ変わった世界に、そなたも我もいない……。それを止めることが出来るのは、そなただけだ』

『まだ時間はある。ネルが世界を滅ぼす前に、もう一度説得することは出来るはずじゃ。そのためにも、そなたはここで死んではならん』

 人語を解する魔物の長にして、アルサスのことを守ってくれた、ヴォールフとエイゲルは、共に人間の未来を信じ、そのすべてをアルサスに託した。彼らの言葉は、胸に熱く刻まれている。

 次々と蘇る、出会いと別れ。ルウ、フランチェスカ、クロウ、バセット、トンキチ、ウルド、メル、クレイグ、マレイア、カレン、キリク、トライゼン……。出会った数だけ、アルサスは様々な言葉をもらった。

 そして……。

『わたしは、多分あなたを信じられない……。嘘で塗り固めた、あなたの言葉を。だって、そうでしょ? あなたは現に、わたしを剣で貫きました。人が分かり合えないというのなら、あなたとわたしも分かり合えない。だから、あなたの剣がもう一度、わたしを貫く前に、わたしは世界を変える』

 あの子は、絶望の中で心の奥底に明るさを閉じ込めて、ただ頑な顔でそう言った。その柔らかな手を掴み引き寄せようとしたアルサスを拒むかのように、彼女は愁いを帯びた顔のまま、金の若子と共に姿を消したのだ。それが、すべて自分の所為だったとは思いたくない。だが、少なからず、彼女の信頼を裏切ったのは、他ならない自分自身であり、その迷いを彼女は感じ取って、銀の乙女となった。

 世界を生まれ変わらせる、銀の乙女に戻ったのだ、封印された記憶とともに。その後姿さえも忘れていた。夢に見ても誰だかわからなかった。だが、今ならはっきりと分かる。

 彼女の名は、ネル。

 本当は世界のために、彼女の力が目覚める前に、殺すつもりだった。だがそれは出来なかった。何故? それを問いかけるには、あまりに気恥ずかしい。それだけ、彼女の笑顔や優しさにアルサスは心惹かれていたのだ。

 だが、ネルと訣別し、そして自らはフェルト・テイルとなり、ガルナックの戦いに赴いた。それは、ほとんど逃げているようなものだった。そうして知ったのは、人間が愚かで、分かり合えない生き物だと言うこと。

 トンキチが救い出す寸前、「翼ある人」には目もくれず切りかかって来たガモーフの少年兵。彼は、何を思いフェルトを殺そうとしたのか。分からない……。分からないが、とても悲しかった。敵意など見せているつもりはなかった。そもそも、戦争なんてしたくなかった。

 いつか人は分かり合える。父から何度「人は分かり合えない」と教えられても、頑として納得しなかったフェルトの信念が、地崩れを起こした瞬間、フェルトは絶望した。やはり人間は分かり合えない生き物なんだ……。そうして、心が何もかもから逃げ出した。

 自分がフェルト・テイルであることも、アルサス・テイルであることも、記憶と共に投げ捨てたのだ。だから、思い出そうとするたびひどい頭痛に襲われた。

 今も、頭痛で頭の中がガンガンする。だが、忘れてしまったことを受け入れてしまえば、目の前で死に直面した仲間を、友を見捨てることになる。

 そんなのは、いやだ! もう一度、もう一度だけ、アルサス・テイルに戻る。たとえ、人が分かり合えない生き物でも、仲間と共にネルを絶望の淵から救いたい。そのためには、自分が絶望の中から立ち上がらなければいけないのだ。

 こんな頭痛、痛くも何ともあるものか!!

「させるかーっ!!」

 渾身の声で叫ぶと、軍靴のつま先で床をけり、稲妻の速さでリアーナの懐に飛び込む。さらに、下段に構えたバヨネットを振り上げ、リアーナのアロンダイトを打ち払うと、すかさずその引き金を引き絞る。熱と振動が筒の中を駆け巡り、火薬の爆発するわずかな閃光とともに、至近距離でパイルが火を噴いた。

「くっ!」

 危険を察知したリアーナは大きくのけぞりながら、パイルをかわすと軽業師のように、ひょいっと飛び跳ねると、橋の欄干に飛び乗った。月を背後に、アロンダイトを構え、探るような視線をアルサスに向ける。

「フラン、大丈夫か!? 無茶するなんて、あんたらしくもない。ハイゼノンの時みたいだったぞ」

 アルサスは、リアーナを睨みつけながら、フランチェスカに言う。フランチェスカは蒼い顔をしながらも、口元に苦笑いを浮かべた。

「そうね……あの子の鎧を見てたら、ギャレットの事を思い出したのよ。それより、アルサス、あなた……」

「おしゃべりは後だ! フラン、あんたは下がってろ。セシリア、ジャック! 俺を援護してくれ!!」

 返事を待つまでもなく、バヨネットを小脇に構えて、駆け出す。

「お、俺!?」

 狐につままれたような顔をするのはジャックだ。今の一瞬の間に何があったのかは分からないが、明らかにアルサスの雰囲気が今までと違うことに気づいていた。

「いくぞ、ジャック!!」

 きょとんとするジャックをセシリアが促す。すでに、アルサスは欄干の上のリアーナに飛び掛っていた。それを援護するように、パイルを放つが、まるで踊り子のようにリアーナは、一発一発を華麗にかわしながら、アルサスと剣を打ち合う。

 リアーナ・ロシェットは騎士ではない。騎士団に伝わる剣術を習得しているわけでもないし、彼女の戦い方はある種独特なものがあった。そう、まさに踊りを踊るかのようだ。そして、その度に彼女の体をつつみこむ陽炎のような揺らぎ。それが何であるか、アルサスたちは知っていた。ウルガンを殺めた、ギャレットも同じ力を使っていたからだ。

「児戯です。フォトンの力で身体能力を極限まで高めた、わたしたち天使の騎士に、あなたたちでは敵いません」

 余裕の表情と言うのだろうか。表情筋がほとんど動かないリアーナの鉄面皮から、それを読み取るのはほぼ不可能に近いが、それでも言葉尻にどこか余裕が感じられた。一方のアルサスは、何度バヨネット先端の小剣を振り下ろしても、その太刀筋すべてが、軽く受け止められてしまう。

 それでも相手に気取られないために、

「フォトンの力だかなんだかしらねえけど、そんなもんに頼らなきゃいけないなんて、底が知れてるな!」

 と、わざと余裕綽々を気取る。だが、根拠はある。

「それに……」

「余所見をするな、リアーナ・ロシェット!! てやぁっ!」

 掛け声と共に、セシリアとジャックも射撃から剣戟に切り替えて、リアーナに飛び掛る。リアーナは咄嗟にアルサスのバヨネットを強く押し返すと、体を二人の方向に向け、一太刀ずつその攻撃を打ち払った。その一瞬の隙を見逃す手はない。

 アルサスは、バヨネットをクルリとまわし、リアーナの右手にあるアロンダイト長剣を絡め取った。

「あっ!」

 思わず、リアーナが声を立てる。しかし、絡め取られた剣はリアーナの手からこぼれて、渡り廊下の橋から、遠く下の地面へと落ちた。

「それに……俺の仲間も侮るなよ、元メイド長さん」

 形勢逆転。そんな風に、アルサスが皮肉った。だが、依然としてリアーナの顔に余裕が垣間見える。二対になったアロンダイトのうち、主力たる長剣を失い、手元に残されたのは、本来的にはパリィ、即ち敵の攻撃を相殺するための小剣のみである。

「さあ、武器を捨てて大人しくしろ!」

 バヨネット先端の小剣をリアーナの白い首筋にあてがう。

「まったく……。フェルト殿下もお人が悪いですね。記憶を喪った振りをしていたんですか? ハンナさまの前で、レイヴンのアルサスの振りをしていたように」

 リアーナは小剣を投げ捨てると、再び口角を吊り上げた。

「いや、あんたの顔見てたら、思い出したくないことを全部思い出したよ。メッツェのことも、ネルのことも、俺自身のことも。ついでに一番肝心なことも思い出した。俺は、メッツェの望む世界を望んでいない。誰かが、自分の理想だけで作り上げた世界で生きていくなんて、湿気たワックを齧ってるみたいで、厭だってこと」

「あら、殿下はメッツェさまの理想を理解しているものと思っていました」

「そいつは誤解だ。この世界には、色んな考え方の人間がいて、色んなものを見て生きてる。意見が違ったり、守るべきものが違ったり、欲しいものが違ったりするのは自然なことだ。その中で、俺には分かることが一つだけある」

「分かること……?」

 リアーナはそう尋ねながらちらりと、自分の周りに視線を投じた。セシリア、ジャックの銃口もこちらを向いている。避けることは容易いが、背後は、地上からかなりの高さがある欄干の上。さらに、フランチェスカも落ち着きを取り戻し、鋭利な鉄槍の先端をこちらに向けている。

「あんたに言うべきことじゃない。あいつに……ネルに伝えなきゃいけないことだ」

「でも、あなたは、ハンナさまの居る所へは行けない」

「いや、行くさ。どんな手を使っても。そのために、あんたに黄金の鍵は渡さない」

「そうですか。でも、わたし言いましたよね。力ずくでも、あなたたちから黄金の鍵を奪うと」

 不意に、リアーナの陽炎がするすると彼女の両手に集まる。そして、その手アルサスの方に突き出した瞬間、アルサスの体は、簡単に弾き飛ばされた。

 まるで、怪力男にでもぶん殴られたような衝撃だ。しかし、リアーナはフランチェスカよりも、セシリアよりも華奢である。その体の何処にそんな力があるのか、それがフォトンによって高めた身体能力の賜物なのか、アルサスには分からなかった。

 リアーナはすかさず、セシリアたちの射撃をかわすと、彼らの腹にも拳を叩き込んだ。

「きゃあっ!」

「ぐえっ!」

 二人は折り重なるようにして、倒れこむ。アロンダイトが飾りだったかのような、すさまじい力だ。

「くそっ! ギャレットにしてもあんたにしても、随分化物じみてきたな……!」

 よろめきながらもアルサスは立ち上がる。

「減らず口もここまでです。皆さんを殺すことは最優先事項ではありませんでしたし、皆さんにもメッツェさまとハンナさまの作り上げる、理想の世界に生まれ変わって欲しかった。しかし、あなた方が悪いのです。アロンダイトは、もう拾いに行けません。この力で、あなた方を葬り去るほかなくなりました」

「言ってくれるよ、まったく!」

 バヨネットを構えながら、ちらりとセシリアたちの無事を確認する。二人とも、痛みをこらえるように顔をしかめつつも、立ち上がる。しかし、どうしたら良いのか。全力でぶつかっても、フォトンの力の前には太刀打ちできない。

「アルサスーっ!!」

 と、唐突に背後から声がした。一瞬、振り向きかけたアルサスの視界に、リアーナが飛び込んでくる。迅雷の剣技よりもすばやい瞬動術、いわゆる「縮地」で一気にアルサスは間合いを詰められた。 

 捻りこまれるリアーナの白い拳。

 だが、その拳がアルサスの腹に直撃する瞬間に、アルサスの背後から、炎の矢が飛来した。それは、火矢ではなく、魔法の矢である。

 動作に入っていたリアーナは不意打ちにも似た、魔法攻撃をかわすことが出来ず、胸に魔法弾の直撃を受け、橋の欄干から叩き落された。

「きゃああっ!!」

 女性らしい悲鳴が徐々に下方へと落下する。アルサスは慌てて欄干へ駆け寄った。この高さから叩き落されれば、無事では済まされない。地上に叩きつけられたリアーナの体は無残にも砕け飛び散るだろう。

 だが、覗き込んだ地上に、リアーナの遺体はなかった。代わりに、東の空に向かって飛び去る「翼ある人」の姿が、視界を横切った。どうやら、リアーナは「翼ある人」に救われたらしい。

「大丈夫、アルサス?」

 ぱたぱたと、足音が近づいてくる。

「ああ、助かった、ルウ」

 人心地ついたようにアルサスは息を吐き出すと、後ろを振り返った。顔の半分を覆う丸ぶちのメガネ、生意気そうな顔……ルウだ。大事そうに抱える魔法杖の先端には、わずかに魔法の輝きが残っていた。

「アルサス……?」

 ルウはアルサスの雰囲気が変わったことにすぐ気づいた。アルサスは、ニヤリと笑うと、ルウの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「バカで悪かったな……でも、俺はネルを見捨てたりしない。だってそうだろ、俺たちは短い間でも、苦楽を共にした旅の仲間だ」

 何故か、アルサスの言葉に、ルウは大きな瞳を潤ませた。アルサスは急に照れくさくなって、ルウの頭を軽く叩くと、

「よし、シオンのところへ急ごう」

 くるりと踵を返し、セシリアたちに言った。


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