93. 赤銅の騎士
「ストライン卿は、採掘されたミスリルの三十パーセントを要求している。ミスリルは、センテ・レーバンにとってレアメタルだ。たとえ、三十パーセントでも、センテ・レーバンで採掘されるミスリルの何倍にもなる」
クロウの言葉に耳を傾けていたセシリアは、少しばかり苛立ちを募らせていた。やはり、思ったとおり交渉が上手く行っていなかったのだ。ジャックに「落ち着け」と言った手前、その苛立ちを露にするわけには行かなかったが、平然と言ってのける、クロウを腹立たしく思わずにはいられなかった。
「しかし、クロウさま。我が国とて、無限の資源を有しているわけではありません」
セシリアは勤めて丁寧な言葉で返す。相手は、センテ・レーバン騎士団の総長の立場にある男だ。
「先ごろ、ダスカード採掘場が敵の襲撃に遭い、現在は採掘事業そのものが停滞しています。センテ・レーバンに三十パーセントのミスリルを持っていかれたら、我が国では餓死者が出ることになります。そのことを、ストライン卿は分かっておられないのですか?」
「そうだ! 俺たちは、センテ・レーバンのために身を切りに来たんじゃねえ! 同盟を結んで欲しいって、そっちが言うから、ここまでやってきたんだっ!」
セシリアに同調して、ジャックが吼える。相変わらず窓辺に佇むアルサスだけは、話の外でぼんやりとしていた。きっと、あの魔法使いの少年のことを思い出しているのだろう。時折、頭痛に顔をしかめている。
ルウが部屋から飛び出して言った後、交渉はどうなっているのか、どうしてこのような場所に閉じ込められなければならないのかを、クロウたちに尋ねたのはセシリアだった。
「両者言い分があるのは最もだと思う。僕は、それでもミスリルより、君たちの力を借りたいと思っている。しかし、僕は政治家ではないから、戦後のことまで考えられない。だけど、君たちにとってダイムガルドが大事なように、僕たちにとってセンテ・レーバンは大事なんだ。だから、マクギネスどのの言い分を聞き入れるこも難しい」
思いがけず、真っ当な言葉で返されて、セシリアは戸惑ってしまう。クロウの傍には、自分と年の変わらない、少女が参謀よろしく寄り添っている。名はカレンと言ったか。彼女もまた、騎士団長の一人である。騎士団長といえば、ダイムガルドで言うところの、大隊長に匹敵するだろう。すなわち、アルフレッド大佐とほぼ同格と言ってもいいかもしれない。
たった十八の若さで底まで昇った理由は、この国が血筋や家柄を重んじる旧軍制の国家であることと、ガルナックの戦いで、多くの将兵が死んだことが挙げられるだろう。ルートニアにいる王国騎士のほとんどが、若者ばかりであり、センテ・レーバン軍が如何に逼迫した状況かが分かる。
だからこそ、クロウの言葉は本心だろう。
「両国に、無償の信頼があれば、このようなことにならなかったのだろう。しかし、長い歴史の中で、三国は常に水と油の仲だった。今更、何の条件もなく、手を取り合うなど、土台無理なことなのかもしれないな」
「では、クロウさまは、この同盟が失敗すると、仰るのですか? 同盟を立案したのは、クロウさまだったのではないのですか?」
溜息交じりのクロウにセシリアは問いかけた。
「そうだ。両国間の隔たりは理解しているつもりだが、今は共通の敵に対して、手を取り合うことが大事だ。シオンさまであれば、僕の意図を理解してくれただろう」
そういいながらも、クロウの視線はアルサスに向いていた。どうしたものか、そんな風に視線がクロウの心中を物語る。すでに何時間もの時を費やした同盟交渉は難航し、再会を喜びたい友は記憶をなくしている。しかし、どちらもこのままにしておくわけにはいかない。騎士団総長を務める身として、悩ましい問題なのだろう。
「だから、君たちの力を借りたい。正確に言えば、アルサス。君にフェルトとして、同盟を取りまとめてもらいたいんだ」
「ぼくに!? でも、記憶が」
クロウの言葉に驚くアルサス。セシリアも驚きながら、しかしクロウが冗談を言っているようには見えなかった。
「本気ですか、クロウさま。そもそも、あなた方の言う、センテ・レーバンの王子殿下かも疑わしい。アルサスはアルサスで、フェルトではないのだから」
セシリアが言うと、クロウはこくりと頷いた。
「本気です、セシリアさん。たとえ、僕の思い違いで、彼が他人の空似であっても、一芝居打って欲しい。なんとしてもこの同盟を果たし、ガモーフを侵略する『翼ある人』を倒さなければならない。それが、人類にとって共通の急務なのです」
確かに、本当にアルサスが彼らの言うとおりの人であったとしても、クロウたちの勘違いでアルサスがフェルトでなかったとしても、アルサスがフェルト王子の振りをして、同盟を取りまとめることが出来れば、すべてが上手く行くかもしれない。そして、セシリア隊に課せられた、護衛任務とは別のもう一つの任務、「黄金の鍵」による、ルートニア遺跡の解放。そこに眠る記憶を知り、そしてアストレアの天使に対抗する術を見つけることを、成し遂げることが出来る。そうしてはじめて、あの不死身の軍隊と戦うことが出来るのだ。
「お召し物はこちらで用意しております。殿下の礼服です」
カレンが言うと、客間の外で待っていた給仕の老婆が、桐の箱に入った衣類一式を、部屋の隅のベッドの上に広げた。王子殿下が式典など公式の場で着用するための白絹の服、青のマント、王冠、帯剣。
「どうする? アルサス。あなたが決めるんだ。わたしたちは、全力でサポートする」
ちらりと、王子殿下の衣類を見遣ったセシリアは、アルサスの表情を伺った。とても固い顔をしていた。頭痛がきりきりとするのか、それとも、突然降って湧いた大役に戦いているのかはよく分からなかった。だが、アルサスは、その場にいる全員の期待を込めた視線に応えた。
「保障は何も出来ないよ。ぼくが偽者だとばれるかもしれない。それでもいいというなら、ぼくは本当のぼくの振りをする」
アルサスは、窓際から給仕の老婆の傍まで歩み寄ると、そっと帯剣を手に取った。意匠に凝り、宝石などがちりばめられた、実用向きではない飾りの剣だ。しかし、オーダーメイドのその剣は、アルサスの身長や手の大きさに、しっくりと馴染んでいるように見えた。
と、その時である。
甲高い音と低い音が入り混じったような、角笛独特の音が、全員の耳朶を打った。それとほぼ同時に、「敵襲ーっ!!」という、叫び声が反響する。クロウはいち早く立ち上がると、先ほどまでアルサスのいた窓辺へと駆け寄り、外の様子を探った。そして窓の外に何か見つけた、クロウは呟く。
「あれは……」
「敵襲の知らせが角笛とは古風っスね」
小さく囁くようにジャックが、セシリアだけに聞こえるように言った。しかし、どうやら、クロウは耳の良い男らしく、「伝統は我ら王国騎士団の誇りだ」と返すと、すぐさまカレンに命令を飛ばす。
「お芝居どころじゃなくなった。カレン将軍、会議室の皆さんを避難誘導してください。それから、防衛拠点のキリク将軍に連絡を。僕……私が『翼ある人』を抑えている間に頼みます!」
「クロウさま、西棟のシオン陛下はいかがいたしましょう!? 会議室のある東棟からでは離れすぎていて、どちらにも手は回せません!」
カレンが問う。現在、セシリアたちがいるのは、ルートニア要塞の城にある、南棟の客間。渡り廊下で東棟に連結されているが、西塔の一番奥にある部屋で眠るシオンの下へ行くには、北棟を越えて西棟に入るか、一度南棟に戻って、西棟へ向かう他ない。いわゆる二度手間になってしまうのだ。時間も手勢の数も限られている中で、東棟のストライン、マクギネスらの避難誘導と、西棟にいるシオンにまで、手を回すことは出来そうにもなかった。
「憎憎しいな、翼があるということが……!」
吐き捨てるように、クロウが言い放つ。空を飛べば、国境も海も山も砂漠もない。防衛拠点を敷いたところで、飛び越えられれば一巻の終わりである。そんなことは、クロウとて分かっていたことだろう。だが、同時に、防備に対して圧倒的に人手が足りていないと言う、事実も突きつけられたに等しい。
やがて、騒然としたざわめきが城下から聞こえてくる。戦闘が始まったのだ。剣で斬り殺しても、弓矢で射抜いても、魔法で焼き払っても、光の粒になって再生する。だが、彼らの三叉槍に貫かれれば、人間は同じような光の粒になり、虚空へと消え去ってしまうのだ。
その不条理を前に、迷っている暇はない。シオンかストラインたちか、そのどちらかを捨て置く他ない。その責務が、クロウの眉間に、ひどく似合わないシワを寄せさせた。
「ぼくたちが、シオン陛下をお助けする」
唐突な声は、アルサスのものだった。アルサスは、壁際に立てかけたバヨネットを取り上げると、セシリアとジャックに同意を促すような視線を向けた。
「待て待て、どうして俺たちが、敵国の女王を助けなきゃいけねえんだ!」
予期していた返答が、ジャックから返ってきた。すると、アルサスは小さく微笑んで、
「ウルガンさまが仰った事をわすれたのか? 国境なんて、そんなことばかり言っていたら、やつらに勝つことは出来ない。『翼ある人』はダイムガルドにとっても、センテ・レーバンにとっても共通の敵。それなら、ぼくたちにも協力する理由はあるはずだ。もちろん、ダイムガルド軍人として」
と、ジャックの憤懣をするりとかわす。だが、まだアルサスの眼には、本当の自分への戸惑いが浮かんでいた。センテ・レーバンの王子という、それが事実か、クロウの妄言か、それを信じるか、信じないか、甘んじて受け止めるか、受け止めないか。迷いにも似た、いくつもの二択が去来しているかのように、セシリアは感じた。
「同盟の成否は、こと、ダイムガルドにも関わること。わたしも、共通の敵を滅ぼすためには、センテ・レーバンと手を結ぶことが必要不可欠だと思う。ジャック、厭なら、ここに残れ」
セシリアも小脇のバヨネットを抱えなおした。もちろん、ジャックに言った言葉は、半分彼の性格を見抜いての科白だ。残れと言われれば、厭だ、と言うことは分かっている。案の定、ジャックは溜息混じりに、まだ納得のいかない顔をして、
「隊長がそういうならしかたがないっス」
と、踵を返した。
「分かりました。シオン陛下のことお願いいたします。フランチェスカさんも、彼らに同行してください」
クロウはフランチェスカにそう促すと、自らは剣を手に客間を後にする。続いてカレンも、セシリアたちに一礼すると、そそくさと自らの任務に就いた。
「さてと、フランチェスカどの。シオン陛下の居られる、西棟に案内してください」
二人の足音が消えると、セシリアはフランチェスカに案内を頼む。フランチェスカの手には、いつの間にか、長柄の鉄槍が握られていた。ギルド・リッターには、武具の決まりがない。主に剣を使うものが多いとは聞いているが、そのほかにも魔法使いであったり、弓矢使いなどもいるが、槍を好む人物は少ない。
「ああ、これは、わたしの部下から手向けにもらったものよ」
セシリアの視線が鉄槍に向いていることに気づいたのか、フランチェスカが言う、そして、ちらりと遠い親戚の顔をみて「ちょうど、ジャック、あなたのようなタイプの部下だったわ」と、付け加えた。それが、気に食わなかったのか、ジャックはぶっきら棒に返す。
「無駄話してる余裕はねえ。さっさと、シオン陛下のところへ案内しやがれ、遠い親戚」
「そうね、こっちよ、付いてきて、三人とも」
そう言うと、フランチェスカは、すらりとした長い足で床を蹴った。セシリアは、アルサスとジャックを促し、甲冑を着込むことなく軍服姿のまま、フランチェスカの後を追った。
客間を後に、いちろ廊下を駆ける。要塞の全体が石で出来ており、廊下の床には赤いカーペットがしかれているにもかかわらず、軍靴のから伝わる感触はひどく固い。ばたばたと足音を響かせつつ、西棟へ連なる、渡り廊下へ出た。屋根がなく、ちょうど橋のような渡り廊下を走れば、西棟と呼ばれる城砦である。
夜風の隙間から、戦いの音がここにも聞こえてくる。空から舞い降りる「翼ある人」の前に、苦戦を強いられていることは明白だ。
「セシリア! 上っ!!」
背後からアルサスの声がする。同時に、ばんばんっ、と火薬の弾ける音がして、セシリアの頭上をいくつかのパイルが飛んだ。アルサスが、バヨネットの引き金を引いたのだ。見れば、頭上に「翼ある人」の姿。アルサスの放ったパイルは、見事に「翼ある人」の弱点である胸倉を貫いた。
ところが、「翼ある人」の体が弾けて光の粒となり、夜風に散る瞬間、黒い影……いや、月明かりに一瞬だけ紅くきらめく人影が、セシリアたちの行く手に舞い降りた。
「この先に行きたければ、わたしを殺すか、それともあなた方が持っている、『黄金の鍵』を渡しなさい」
人影は、女の声でそう言うと、ゆっくり立ち上がる。
二十歳前後の華奢な体を包み込む赤銅の鎧。胸当てには鷹の紋様が意匠として刻まれ、両手には長さの違う二対の剣が握られていた。輪郭の細い顔立ちや、長いしなやかな栗毛の髪を見るまでもなく、それはセシリアの知らない女だった。
「誰だ! 貴様!!」
セシリアは、バヨネットの狙いを絞った。
「そうですね、あなた方にお会いするのは、これがはじめて……。わたしは、リアーナ・ロシェット。金の若子メッツェさまの理想に共感した者……いえ、こう言ったほうが、お分かりになられるかもしれません」
ふっと、鉄面皮のような顔に笑みが浮かぶ。仰々しい赤銅の鎧がまったくに合っていない、たおやかな美女の顔つきではあるが、どこか冷たく感じていた。その顔に笑みが浮かぶと、空恐ろしい。まるで、目の前にいるセシリアたち四人を獲物か何かのように見ている。
「ライオット・シモンズのメイド……」
リアーナ・ロシェットが言う前に、呟いたのはフランチェスカだった。
「何だって!?」
一堂、声をそろえて、リアーナの鉄面皮に浮かんだ微笑を見た。
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