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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
90/117

90. クロウの危惧

「どういうことだ!?」

 烈火のごとく怒りを露にするのは、でっぷりとした腹を抱えた、三十路半ばの男だ。顔つきこそ、アライグマを思わせ、悪辣ではないものの、高貴な衣装を身に纏っていなければ、誰がかれをセンテ・レーバン王家に連なる人物だと思うだろうか。

 名は、ストライン・イスカ・レーバン卿。メタボリックな体つきではあるが、フェルトやシオンの従兄弟に当たる。皇位継承権はないが、王家の親戚ということで爵位と領地を与えられた、言わば公の諸侯と言える。ガルナックの戦の際には、一切の派兵をしなかったにもかかわらず、臨時の王位代行者となれたのは、他でもない、国王となったシオン女王陛下と、その兄であるフェルト殿下が不在であるためだ。

 しかし、この男。随分と及び腰なところがある。保守的とは随分オブラートに包んだ言い方で、決定的に決断力に欠ける男、というのがクロウたち騎士団の評価だった。それでも、王の代わりとなる人物がいなければ、県と盾の王国は瓦解してしまう。ガルナックに派兵しなかったのも、状況を鑑みて、究極的には王家と国家の存続にこだわればこそであると、及び腰になったことを弁解出来るだろう

「ワシに何の説明もなく、勝手にダイムガルドに使者を送り出すとは、どういうつもりだ、クロウ・ヴェイル騎士団長!!」

 ストラインはテーブルを強く叩いた。叩いてから、手のひらに走った痛みに顔をしかめる。ここは、ルートニアの臨時宰相府となる一室だ。もともと、要塞ということもあって、飾り気はないが、ライオットが宰相であった当時に、彼の趣味で集めさせた骨董品が幾つか並び、要塞の質素な部屋に違和感だけを与えていた。

「説明はしたはずです。われら、騎士団の総意として、カレン将軍、キリク将軍の承認のもと、フランチェスカ・ハイトどのに、使者としてダイムガルドへ向かってもらったのです」

 クロウが毅然と言い返すと、ストラインはまるでふてくされた子どものような顔をして、「ワシは聞いておらぬ」と言う。彼のために、フォローしておけば、彼とて王国のことは考えている。別段王国を滅ぼしたいなどとは思っていないし、ライオットの不始末とアストレアの天使の脅威については、その責任を果たすべく、落ち延びた先であるルートニアを良くまとめていると思う。しかし、その一方で、敵国であるダイムガルドと同盟を結ぶと言うことに、二の足を踏んでいるのだ。

「たしかに、バタバタしておりましたから、ストラインさまのお耳から漏れたとしても、これは、両国の力をあわせて、かの脅威に立ち向かうために大切なことです」

「左様なこと、言われずとも分かっておるわ! だが、よりにもよって、ダイムガルドなどと」

「では、現在戦争状態にあるガモーフと手を結べとでも? 彼らが無条件で同盟を結んでくれる可能性など皆無でしょう。そのために要する折衝の時間はありません」

「ダイムガルドとて、何らかの条件を出してくる。それがこちらの飲めぬ要求となることは明白だ。それよりは、諸侯どもに呼びかけ、先代の国王の時のように、八百諸侯との連合軍で、アストレアの天使を打ち負かすことの方が、理に適っている!」

「理の問題ではありません。メッツェとネルさん……アストレアの天使が標的としているのは、世界そのもの。だからこそ、世界中の人々が手を結び、この危機に立ち向かわなければならないのです」

「よもや、憎きガモーフとも手を結ぶなどと言い始めるのではないだろうな?」

「適うのであれば」

 クロウが言うと、ストラインは「やはりな」と言う諦めにも似た顔をして、どっしりと宰相の席に腰を下ろした。ライオットの死後、ストラインが宰相も兼務している。ルートニアには王都に住む一部の民間人も移住してきているため、非常時とは言え、内政も怠るわけには行かず、外交のほとんどをクロウに任せていた。

 ガルナックより舞い戻ったキリク・クォーツからの伝言で、トライゼン・バルック将軍の遺言代わりの進言に従い、ルートニアへの遷都を行い、騎士団の指揮権をクロウ・ヴェイル、カレン・ミラ・ソアード、キリク・クォーツの三人に委譲した。実際のところ、ガルナックより帰還した騎士団長は全体の半数以下であり、戦死、行方不明者はフェルト王子を含めて、かなりの数に上った。そのため、騎士団の再建を若い力に任せるというトライゼンの意向を汲み、彼らが騎士団を束ねることには、誰も反対しなかったのだ。

 しかし、ストラインとしては、ダイムガルドとの同盟には、難色を示さざるを得ない理由があった。

「貴様たち騎士団は、今だけを考えればいい。しかし、シオン陛下の名代を務めるワシは、この先何十年もの事を考えなければならない。そうして、シオン陛下がお目覚めになられたとき、万全の体制で政務を受け渡したい。分かるか、クロウ? ダイムガルドがもしも、領土や主権を侵すような条件を提示すれば、ワシの独断では同盟を結べない」

「その折衝をなさるのが、ストレインさまのお役目では?」

 するりと、ストラインの言い分をかわすクロウ。思わずストラインは目を丸くして、ニヤリと笑う。笑えば、よりアライグマのような顔になる。

「ライオットの犬だった貴様も、言うようになったな……」

「ライオット閣下への恩は今も忘れてはおりません。ヴェイル家が滅びずに済んだのは、彼のおかげです。だからこそ、彼の不始末を私が何とかしたい。そのためには、言葉を慎んでいる場合ではないでしょう。ダイムガルドとの同盟も同様です」

 クロウはそう言うと、ちらりとストラインの前の机に目を落とした。陳情書や報告書が山のように積み上げられている。それらは、日増しに激しくなる、『翼ある人』の攻勢を知らせ、助けて欲しいと言う訴えの山でもある。センテ・レーバンは、西の果てにあるルートニアと王都を結ぶ街道を、防衛線としている。ここで、遊撃抵抗を続け、ルートニアを守るという戦略を打ち出したのはキリクであり、その陣頭指揮はキリクが執っているのだ。その一方で、各地の村や町は今日もひとつ、また一つとこの世から消えている。

 一国の猶予も許されないからこそ、クロウはフランチェスカを使者に出したのである。

「キリク将軍の抵抗がいつまで続くか、何の保障もありません。目下、『翼ある人』がガモーフの西部、ダイムガルド北部へ侵攻し、敵の戦力が分散している今こそ、同盟を結ぶ好機です。何卒、ご承諾下さい」

 クロウの言葉に、ストラインは溜息を混ぜる。しばし何事か思案するような顔をすると、書類の山から報告書の束を取り出したストラインは、

「分かった。成否はとやかく言うな。ワシは政治家としての立場で、この国を守る者。その立場だけは忘れるな。後のことは、ワシの方で何とかする……」

 というと、クロウを追い払うように手の甲を払う。

「はっ、承知つかまつりました」

 一礼をした、クロウはマントを翻しながら部屋を後に、廊下に出た。何とかする……ことがうまく運べばいいのだが、どうしても及び腰なストラインの態度は、危惧に値する。今はまだ、センテ・レーバンにも力は残されている。その今のうちに、人間の結束を固めておかなければいけないのだ。

「クロウさま!」

 廊下を城外の騎士団詰め所へ向かおうとした、クロウの足を背後からの声が呼び止めた。かちゃかちゃと、鎧の鳴る音共に駆け寄ってくる相手が誰なのか、声だけで分かった。

「カレン。何かあったのか?」

「先ほどエーアデ通信にて、フランチェスカさんとダイムガルドの外務参事官を乗せた軍船がジルブラントに到着したとの知らせが……」

 と言う割りに、カレン・ミラ・ソアードの顔はやたらと深刻そのものだった。もともと、表情のころころと変わるような女の子ではない。しかし、それでも、眉目に多少の戸惑いが宿っていることに、クロウは気づいていた。

「それが……」

 カレンは顔を近づけると、クロウの耳元に手を添えて内緒話でもするかのように囁く。そして、囁きを聞いたクロウは思わず、「何だって! それは、本当か!?」と大きな声を立ててしまった。


 予想通り、ジルブラント港に着いたのは、翌日になってのことだった。船中泊にて、十分疲れを癒した、アルサスたちは、船を降りた。

 独特の石造り赤い屋根の、センテ・レーバン建築の家が立ち並ぶ、静かな港町である。センテ・レーバンの本拠地ルートニアが近いせいもあってか、町全体には緊迫感のようなものが、あまり感じられなかった。そもそも、ジルブラントは、セントレア海の狭い海峡を隔てて、常にダイムガルドとにらみ合う場所にあり、常に危険と隣り合わせという状況は、何も今に始まったことではない。それだけ、心に余裕があるという証拠でもある。

 この街から、街道沿いに北上すれば、ルートニア要塞がある。そのためか、むしろ、マクギネスたちの方が、緊張感を露にしていた。

「寒いな」

 船を下りて真っ先にそう言ったのは、ジャックである。兜のバイザーを上げ、見知らぬ異国の街を眺める彼は、少しばかり身震いした。確かに、灼熱の砂漠が広がるダイムガルドに比べれば、気候は随分と違う。とは言っても、ウェンティゴからそれほど離れているわけではないし、センテ・レーバンも季節は初夏を迎えている。要は、感じ方の問題で、アルサスはそれほど寒いと感じない自分が、改めてセンテ・レーバン人である事を再確認したような気分になった。

「なあ、センテ・レーバン人、何か思い出したか?」

 ふいに、ジャックが、船倉から降ろされる馬車と騎馬を眺めながら、アルサスに尋ねた。相変わらず、名前を呼んではくれないが、随分とジャックの声に棘がなくなってきている。

「何かって?」

「記憶だよ、記憶。この街並みを見たら、何か思い出したかと思って。でも、その調子だと、何も思い出してないか……。お前ってば、一体何処の誰なんだろうな?」

 ジャックの言葉に、アルサスは内心で呟く。王都生まれの第一王子。フランチェスカの言うことが真実なら、そういうことになる。しかし、ダイムガルドのウェンティゴと明らかに街並みが異なる、ジルブラントの風景を目の当たりにしても、頭の奥がズキリと痛むだけで、何かを思い出すことはない。一度失った記憶はそう感嘆には戻らないということなのだろうか……。

「ダイムガルド近衛騎士団の、アルサス・テイルだよ」

 と、冗談めいた口調で返すと、アルサスは視線を馬車の方に向けた。見れば、馬車に少女たちが乗り込もうとしている。皆、相変わらず目深にフードを被っているため、どのような顔をした少女たちなのかはよく分からなかったが、最後に乗り込もうとした背の低い女の子が、唐突にふらついた。どうやら、船旅で酔ってしまったのだろう。

「きゃっ!」と悲鳴を上げると、荷台のタラップから足を踏み外して、そのまま派手に尻餅をついた。あの子は……出発前に、どこかで見覚えがあるような気がした子だ、とアルサスは無意識にその娘の下に駆け寄って、手を差し伸べる。

「大丈夫?」

 と、アルサスが言うと、少女は手を取って、「ありがとう」とつぶやいき、そしてアルサスの顔を見て慌てて口をつむぐ。やはりどこかで聞いたことのある声だ、とアルサスは思った。いっそのことフードをはぐって少女の顔を確かめたいところだが、まさかそんな無粋な真似が出来るはずもない。

 一方で少女はよほど慌てたのか、アルサスの手を離すと、ふらついていたのが嘘のようにタラップを駆け上ると、荷台の幌の奥へと姿を消した。

「どうかしたのか?」

 セシリアが背後から問いかける。アルサスは、今一度少女の消えた馬車の幌を見つめ、呟いた。

「いや、まかね……」

 セシリアはきょとんとして、アルサスを見つめ、やがてマクギネスから出発の合図がかかると、アルサスを促して、騎馬にまたがった。

 ジルブラントの往来を闊歩すれば、街の人たちが、何事かと家々の窓から顔を出す。さながら、軍隊の凱旋行進のようではあるが、紙ふぶきもなければ、歓声もない。代わりに、金色の甲冑を身にまとう、アルサスたちと、そして三頭立ての馬車ウォーラに掲げられた、ダイムガルドの紋章旗を、物珍しげに見つめる。

 そんな視線に見送られて、ジルブラントを後にした一行が、ルートニアに到着したのは、それから数日の旅程を越えてのことである。

 眼前に現れた、古代遺跡の一部といわれるルートニア城砦は、ハイゼノンのそれとは違い、どちらかといえば城のような概観をしている。無論、その概観は遺跡ではなく、センテ・レーバンが築き上げたものであり、遺跡と呼ばれるものは、ルートニア要塞の地下に広がっているのだ。そして、その一番奥には、王家の者、それも嫡流の者しか知らない、開かずの扉がある。扉の中心に開けられた大きな鍵穴に「黄金の鍵」と呼ばれる、神々の時代の秘宝を使わなければ、絶対に開かない扉である。

 センテ・レーバンには、その鍵を持ち合わせてはいなかった。しかし、今、ルートニアに到着したダイムガルドの同盟の使者が、ダイムガルド皇帝陛下と議会の書状に加えて、ハイ・エンシェントのウルガンより授かった黄金の鍵を大事に持参している事を、ルートニアにいる者たちは知る由もなかった。


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