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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第二章
9/117

9. 空白地帯の街

 森林の枝から枝へと、いくつもの影が飛ぶ。猿か栗鼠のような獣に見えなくもないが、やがて、それが樹上から地上へ降り立つと、人の形をしていることが分かる。だが、人と呼ぶには、彼らの出で立ちはあまりに奇妙だった。

 彼らは、みな一様に、黒いタイツ状の装束に頭の先からつま先まですっぽりと身を包み、さらに肘から腕にかけて、三本の鉤爪のついたガントレットを装着している。もしも、彼らを目撃したものがいるなら、彼らの異様な姿に驚きを禁じえなかっただろう。それは、もはや人と言うよりも、魔物のシルエットに近い。もっとも、彼らは誰かに目撃されるような愚は犯さないし、もしも誰かに見られたなら、目撃者はアトリアの森に屍をさらしただろう。

「隊長、野営の跡があります」

 と、一人の男が右手の鉤爪で指差す先には、アトリアの雪解け水を運ぶ森の小川が流れており、その川辺に焚き火をした跡と思われる、石を積み上げた(かまど)があった。隊長と呼ばれた男は、静かに竈に近づくと、どこからともなく、手のひらと同じくらいの大きさの小さな箱を取り出した。箱の上面には、金属の棒が取り付けてあり、表面には青銅の板が貼り付けてある。

 隊長は、何かを探るように箱に取り付けられた棒をあちらこちらに向けてみた。すると、竈より少し離れた場所で、青銅の板が俄かに輝いた。青銅版に魔法の文字が浮かび上がる。

「エネルギーの片鱗が残っている。間違いない、未知の力の発生源はここだ。魔術師どもがこしらえた、こいつがそれを示している。ライオットさまがお探しの娘がどこへ行ったのか、手がかりを見つけるんだ!」

 唯一、黒装束から覗く瞳が、仲間たちに向けられた。男たちは無言の返事を返すと、風のように散らばった。

「これは! エイゲルの羽根です」

 男の一人が、足元に落ちていた茶色の羽根を拾い上げる。

「こちらには、墓のようなものもあります」

 べつの男が指差す場所には、石を積み上げた、簡素な墓らしきものがいくつもある。それは、アルサスが斬ったヴォールフを弔った墓なのだが、黒装束の男たちは知らない。

「随分と、河原の石が荒れております。おそらく、ここで何かがあったのではないでしょうか?」

 隊長の傍に近づいてきた、男が声を殺して言った。

「あたりに転々としている血痕。あれは、人間の血ではありません」

「魔物か……」

 そう呟きながら、隊長は河原に点在する血痕に目を落とした。すっかり乾ききっているにもかかわらず、鮮血と見まごうほどの、赤々とした血の痕。人間の血ならば、赤黒く変色しているのが相場だ。おそらくもなにもない。ここで魔物と誰かが戦ったことは確かだ。その結果、未知の力が発現されたと推察するのが妥当だろう。だが、幸いにも人間の血痕らしきものは見当たらない。

「貴様の魔力で、娘の居所を探ることは出来るか?」

 隊長に下知された男は、「はい」と短く答えて、瞳を伏せた。

 魔力のない者には分からないことなのだが、魔法を使うと、わずかに『精霊イオン』と呼ばれるものが発生する。言ってみれば、精霊の力を借りて発現する魔法の残り香のようなものだ。それが、この場所には滞留している。おそらく、ここで戦った者か、魔物が魔法を使ったためだろう。

 そのイオンの流れを追いかけるため、精神を集中し、身体の奥底に眠る魔力の感応を高めれば、それはわずかに森の外へとなびいていることが分かる。

「南です。すでに娘は森を後にしたようです」

「南……カルチェトの方角か。全員集合! 娘を直ちに追跡を開始するぞ!!」

 隊長の合図とともに、あたりに散らばっていた男たちは集まり、再び風のようにその場を後にした。


 カルチェトの街は、空白地帯のダイムガルド国境に程近い、南岸にある。海に面した港町であり、ここから、各国の交易船が寄航しており、商業の中継地点としても賑わっている、数少ない栄えた街である。ちなみに、ここに下ろされた貨物は、この街を取り仕切るマーチャント・ギルドに加盟している商人たちによって裁かれ、運輸ギルドによって、各国へ運ばれる。

 そんなカルチェトは、貨物だけでなくいろいろなものが集まる。人、金、情報、ありとあらゆる有益、有害なものたちである。ある意味で、どの国にも属さない空白地帯らしい、無法の街とも呼べる。

 その分、活気にあふれており、ガモーフの辺境に育った、田舎娘のネルにとっては、見るものすべてが初めてのものばかりで、つい昨日まで、塞ぎこんでいたことも忘れて、笑顔をあふれさせた。アルサスはそんなネルを横目に、元来明るい子なんだと思った。

「アルサス! 見てください。緑石英で作られた置物ですって!」

 露天商が並べた、いわくありげな置物を手にとって、ネルはアルサスに見せてくれた。鳥なのか、獅子なのかよく分からない生き物の彫像だ。

「お嬢さん、お安くしておくよ」

 ダイムガルド人と思しき、肌の浅黒い露天商が、胡散臭い営業スマイルを、顔にまとわりつかせて、ネルに怪しげな置物を勧める。この手の露天商は、口八丁手八丁で、田舎者を丸め込むのが得意なタイプ、だと気づいたアルサスは慌てて止めに入る。ところが、アルサスが口を出す前に、ネルは置物をもとあった場所に戻すと、店主に向かって丁寧に頭を下げた。

「でも、旅の荷物になりますから。面白いものを見させていただき、ありがとうございました」

「は、はぁ。どうも」

 なぜか、店主も頭を下げる。ネルの無垢な笑顔には不思議な雰囲気があって、すでに六件目、ネルを丸め込んでわけのわからないものを売りつけようとした露天商はみな、同じように、何故か頭を下げて、ネルを見送った。

 しかし、アルサスは、珍しいものを見つけると、それまでのネルからは想像できないほど、子どものように目を輝かせて飛びつく彼女の様にヒヤヒヤしっぱなしだった。

 アルサスたちが、カルチェトに到着したのは、ちょうど昼を回ったころだった。アトリアの森を出て、街道で運良く辻馬車ギルドの、ウォーラを見つけた。黄色い三角の旗は、辻馬車ギルドの証だったが、ネルは少しばかり怯えていた。無理もない。ネルをセンテ・レーバンへ誘拐しようとした、裏ギルドの「運び屋」は、辻馬車に偽装したウォーラで、ネルを運んでいたのだ。ネルにとって、その荷台はトラウマに近い。

 それでも、何とかネルが辻馬車に乗ることを承諾してくれたのは、辻馬車ギルドの男が、陽気で気さくな男だったからだ。

 そうして、馬車に揺られて、カルチェトへ到着した二人は、とりあえず、街を散策がてら、魔法使いギルドの運営する魔法学校がある、「学園島ルミナス」へ向かうための船の切符を買うことにした。

「ネル、何でもかんでも飛びつくのは、勘弁してくれ」

 港の方へと歩いていきながら、アルサスは、ネルに苦言を呈した。ネルは少しだけしゅんとする。言ってみれば、お上りさんなのだから、仕方がない。

「ごめんなさい……。なにもかもが珍しくて。わたし、ラクシャから一度も出たことがなかったから」

「別に怒ってるわけじゃないよ。俺もレイヴンになるため、家を出た時は、見るものが珍しくてワクワクしたよでも……」

 と言うアルサスの傍をみすぼらしい姿の男がすれ違う。不意に男がふらついて、アルサスの肩にぶつかった。

「おっと、すまねえな、兄ちゃん」

 そう短く謝って、男は立ち去ろうとする。すると、突然、アルサスは踵を返して、男の腕を乱暴に掴んだ。

「世の中には、悪いやつも沢山いるからね。たとえばこいつみたいにっ!」

「痛てえなっ! 何しやがるっ!!」

 男は往来の真ん中で叫んだ。アルサスは、驚いて目を丸くするネルを他所に、男の腕を強く捻ってみせる。すると、男の手から、小さな皮袋がこぼれる。あれは、お金が入ってるアルサスのお財布! 気づいたネルはすかさず、革袋を拾い上げた。

「今時、ぶつかった隙にスリなんて、古典芸能通用しないぜ。ギルド・リッターに突き出されたくなかったら、とっとと、どこか行きやがれっ!!」

 アルサスは、男の手を離すと軽く毒づいて、男の尻を蹴飛ばした。往来を行く人たちの視線が、スリの男に集中する。スリに失敗した上に、衆目に曝されたスリの男は、恥ずかしそうにそそくさと逃げ出した。

「アルサス……」

 革袋を差し出すネルに、アルサスは少し笑って、

「とまあ、油断はするなってこと。いい人ばかりじゃないのが、世の中ってやつだから」

 と、革袋の財布を受け取った。ジャラリと、金貨の音がする。

「でも、アルサスはいい人です」

「どうかな。じつは、悪いやつかもよ。レイヴンなんて、ヤクザなことやってる身分だからね。何の縛りもないだけに、裏ギルドよりずっと性質が悪い。実は、ネルを外国に売り飛ばそうとしてたりして……」

 ちょっと怖い顔を作って、アルサスが低い声で脅すように言うと、ネルはクスクスと声を出して笑いながら、アルサスの少し前に走り出す。そして、振り向くと、

「大丈夫です。手の暖かな人に、悪い人はいないって、お父さんが言ってましたから。それに、そんな顔、アルサスには似合ってませんよ!」

 と、アルサスに言った。

「え?」

 アルサスはネルの言葉の真意がつかめず、きょとんとしながらも、ネルの後を追いかけた。


 往来を通り過ぎ、港の入り口に入る前にアルサスは街の路地裏に入った。建物と建物の間の細く薄暗い通路は、とても狭苦しく、時折猫が足元をすり抜けていく。しばらく路地裏を歩くと、その突き当たりに、小屋と呼ぶのがふさわしいような、三角屋根の家が現れる。他の建物は、ダイムガルドの建築様式に近い、砂のレンガを積み上げた箱型の建物であるから、余計に三角屋根の家が浮いて見える。

「ここは?」

 三角屋根を見上げて、ネルがたずねると、アルサスは入り口の扉にかけられた小さな看板を指差して、

「魔法カード屋さん」

 と、言った。「魔法カード」とは、ネルの手錠を解いたり、バセットとの戦いの時に、アルサスがポケットから鳥足した、魔法円の描きこまれたカードのことだ。人間なら誰でも、魔力の素養があるわけではない。アルサスのように、まったく魔法を使えない人間でも、簡単に魔法を使えるように、魔法使いギルド「ワルブルガ」が開発した。利便性は高く、リスクも伴わないために、レイヴンをはじめとした旅人たちにとっては、御用達アイテムの一つである。もっとも、欠点もある。カードは、一度きりの使い捨てだし、威力をコントロールすることは出来ない。中には、極端に威力の弱いカードを売りつけるカード屋もいて、そういうカードのことを、誰ともなく「スカ」と呼んでいた。

「いらっしゃい……なんだ、アルサスじゃないか」

 店に入ると、カウンターの奥に座る小さな老婆が顔を挙げ、アルサスを見るなり溜息混じりに言った。フード付のローブから覗くその顔は、年輪のような皺が刻まれ、モノクルが皺の間にばっちりと挟まっているようだった。

 魔法カード屋の店内は、ランプが二つほどしかなく、やたらと暗い。その上、足元には、本があちこちに転がっていて、気を抜けば躓いて転んでしまいそうなほどだった。さらに、鼻をつんと突くような、カビ臭さがある。

「なんだはないでしょ、なんだは。一応、これでも俺、なじみ客なんだけど」

 アルサスが返すと、老婆はギロリと睨みつけた。

「この前、値切りに値切って、カードを四枚も持っていったのは、どこのどいつだい?」

「俺だよ。っていうか、婆ちゃんのカード、高すぎるんだよ」

「品質保証代だ。スカを掴まれないだけ、安いもんさね……。ところで、今日は、随分と可愛らしいお連れさんがいるようだけど」

 老婆は、アルサスの後ろで、店の中をきょろきょろと見回すネルに気づいた。ネルにとっては、ここも珍しい場所のひとつだろう。

「カチュアの衣裳……。ガモーフの娘さんかい?」

「え? あ、はい。そうです」

 老婆の値踏みするような視線には気づいたネルはかしこまってしまう。すると、老婆は「ヒャッヒャッヒャッ」と、独特の笑い声を立てた。

「あたしゃ魔物じゃないんだ、取って食いやしないさ。こっちへ来て、もっとよく顔を見せておくれ」

 手招きされて、ネルはカウンターに近づいた。老婆は、ローブの懐から虫眼鏡を取り出すと、右目のモノクルにあてがって、ネルの顔を興味深く覗き込む。

「ほうほう。銀色の髪とは珍しい。アルサスの赤い瞳ぐらい珍しい。かつて、女神アストレアに仕えた天使が二人いた。一人は、金の若子(こがねのわこ)。もう一人が、銀の乙女。娘さんの髪は、その銀の乙女によく似ておる」

 ネルの側からも、大写しになった老婆の顔が百面相のようにくるくるとする。アルサスとネルは老婆の占いじみた鑑定に、複雑な顔をして視線を交わした。

「もっとも、あたしゃ、銀の乙女なんて見たこたないがね。ヒャッヒャッヒャッ! いいものを見せてもろうた」

 そう言うと、なんだか愉快そうに、皺だらけの顔をよりくしゃくしゃにして、老婆は虫眼鏡をローブにしまいこんだ。

「さて、アルサス、今日は何のカードが用入りなんだい?」

「ああ、フランメ・プファイルを一枚、ヴィント・プファイルを一枚あと、四色バックラーのカードを一枚ずつほしい」

 営業スマイルに戻った老婆に、アルサスは購入するカードを伝えた。

「なんだい、戦争でもおっぱじめるのかい?」

 と冗談交じりに言いながら、注文を受けた老婆は、カウンターの下から六枚の真っ白なカードを取り出した。そして、その一枚一枚に、これまた皺だらけの手を添える。すると、老婆の手が俄かに輝き、カードに次々と、幾何学模様の魔法円が描き出されていく。こうして、一枚ずつ魔法を封じ込めておくのだ。

「別に、戦争するわけじゃないよ。護身用ってやつ。婆ちゃんの魔法カードは、俺の剣よりよっぽど頼りになるからね」

 アルサスは、革袋から金貨を取り出す。六枚で、しめて百二十ドラクマ。レストランでの一食が、だいたい五ドラクマほどで済むのだから、安価とはいえないが、さすがにネルの手前、渋る気はない。

「アルサスがお世辞を言うなんて、珍しいこともあったもんだね」

 カードに魔法を込め終わった老婆は、それをアルサスに手渡し、引き換えに金貨を受け取る。

「でもいいのかい? ここで使い果たしてしまうことになるかもしれないよ」

「はぁ?」

 老婆の言葉の意味が分からず、アルサスは思わず小首をかしげた。

「気づかないのかい、この気配に。店をいくつも取り囲んでる。こりゃ、敵意むき出しだね……」

 老婆はまるで他人事のように言う。「まさか」と言いかけたアルサスは、ハッとなって、後ろを振り向いた。窓ひとつない、老婆の店。入り口の扉の向こうから、じりじりと迫りくる悪意を感じたのだ。

「魔物でしょうか……?」

 ネルも、忍び寄る敵意を感じたのか、不安そうにする。だが、アルサスにはその敵意が、魔物のものでないと分かっていた。大きな街には、大抵、魔法使いギルドやギルド・リッターなどによって、魔物を寄せ付けないための「簡易結界」が張られている。魔物は、街に侵入することはおろか、近づくことすら出来ないのだ。

「違うね。こんなに分かりやすい悪意、人間以外の何者でもないよ」

 アルサスに代わって答えたのは、老婆だった。

「アルサスや、暴れるのは勝手にして欲しいが、店を壊さないでおくれよ」

「分かってるよ、婆ちゃん。一気に港まで駆け抜ける。ネル、走れる?」

 アルサスが問いかけると、ネルはこくりと頷いた。

「よし、じゃあ行くよっ!!」

 アルサスは腰に帯びた剣を引き抜く。そして、ネルの手を取ると、睨みつけた店の扉を勢いよく蹴り開けた。


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