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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
89/117

89. ウェンティゴの港町

 先頭を進むのは、フランチェスカと同行の使者。そのすぐ後ろを、マクギネスと馬車が続く。そして、それらを守るように左右に、アルサスとジャックが、最後尾にはセシリアが追随する。砂漠の馬は、砂に足を取られないように訓練されており、その行進に何ら影響はないものの、野盗や魔物の襲撃、最悪「翼ある人」の襲撃を見越しての護衛任務であると同時に、ダイムガルド軍がセンテ・レーバンにはない技術の武具を揃えていることを知らしめる、という重要な意味合いも含まれていることは、三人一様に認識していた。

 そのため、ウェンティゴの街へ向かう道すがら、誰もが緊張感の中でずっと押し黙っていた。ところが、いち早くその沈黙を破ったのは、アルサスの予想に反して、最後尾のセシリアだった。

『アルサス。昨日何かあったのか?』

 兜の耳あてから聞こえてくるのは、エーアデ通信を介した無線である。回線は通常回線であったため、その声はジャックにも届いていたが、兜の外に漏れることはない。現に、マクギネスは外交交渉という大任に意気揚々と、砂漠を焦がす太陽を見つめているし、フランチェスカたちセンテ・レーバンの使者も同様であった。また、馬車の荷台にいる少女たちは、ひそひそとなにやら雑談を楽しんでいるようで、アルサスたち三人だけの会話に気づくものなど誰もいない。

「何もないよ……」

『何もなくて、あの女に呼び出されるわけないだろう。ったく、昨日幽霊みたいな顔して寮に帰ってきたのは誰だよ』

 今度は馬車をはさんで反対側のジャックの声が聞こえてくる。

「なんだ、ジャック。ぼくのこと、心配してくれてるの?」

『ち、違えよ! ただ、なんで、その……任務に支障をきたして欲しくないからな。だってそうだろう、これから、俺たちは敵国のど真ん中へ行くわけだ』

「大丈夫だと、フランチェスカさんは言っていたよ」

『信用できるか。センテ・レーバンに味方するようなヤツの言うことなんて。何かあったときには、俺たちはマクギネス参事官をお守りしなきゃならないんだ』

「でも、フランチェスカさんは君の遠い親戚だろ? それに、ぼくはセンテ・レーバン人だ」

 ジャックにそう言ってから、アルサスはふと思う。もしも、自分が本当にフランチェスカの言うとおりの人間だったとして、それをジャックに言ったら、彼はどのような反応を示すだろう。自分がセンテ・レーバンの王子であるなら、それは彼が毛嫌いする敵国の親玉ということだ。もしかすると、折角芽生え始めた同じ小隊の仲間としての友情が、ふいになってしまうかもしれない。

 そんなアルサスの邪推を、再び聞こえてきたセシリアの声が振り払った。

『あの(ひと)が信用できるかどうかは、さておいても、ジャックの言うとおり、正式に同盟文書に調印がおわるまで、わたしたちが向かう海の向こうは敵国だ。聞くところによると、ストライン・イスカ・レーバンという男は、随分保守的な貴族だそうだ。気は抜けない』

「分かってるよ、セシリア。そういえば、ぼくたちも調印式には出るんだね。調印式でセシリアはドレスを着たりするの?」

 唐突に話題が変わり、スピーカの向こうでセシリアのうろたえる声が聞こえてくる。無論、わざと話の腰を折ったのだ。今はまだ、確かでないのに、フランチェスカから聞いた自分の正体を、セシリアやジャックに聞かせるわけには行かないと思ったからだ。

 いささか唐突にも思える話題の振り方ではあったが、効果はてきめんであったようだ。

『おっ、それは興味があるな。隊長ってば女の子なのに、いつも軍服だからな』

 と、食いついてきたのは、ジャック。男のような喋り方をしても、見た目も声も少女のそれであるセシリアは、いつも軍服姿である。すでに付き合いの長いであろうジャックも、セシリアのそうした女らしい恰好というのを見たことがなかった。

『馬鹿な事を言うな! わたしたちは観光でセンテ・レーバンへいくんじゃないんだ。調印式でのわたしたちの正装は軍服だ!』

 明らかに動揺していると分かる声で、セシリアが怒鳴る。ともすれば、マクギネスたちにも聞こえてしまいかねないような声だ。

『そもそも、ドレスなんてわたしには似合わない……』

「そんなの着てみなきゃ分かんないじゃないか、なあ、ジャック」

『そうそう、馬子にも衣装って言葉もあるっスよ。ドレスを着たなんて、オスカーさまが知ったら、きっとお喜びに』

『ならないっ! いいから、黙って任務に集中しろ、ジャック、アルサス! アルフレッド大佐の言葉じゃないが、終末思想にかられた輩だっているかもしれないんだ。無駄口叩いてると、敵に隙を与えるだけだ!』

 ぷいっ、とそっぽでも向くように、セシリアからの通信回線がプツリと切れる。

『最初に話しかけてきたのは、隊長じゃねえか……なあ?』

 ぼそぼそと、ジャックは言うと、彼も通信を切った。上手く話しをごまかせたアルサスは、バイザーのスリットから覗く、無限の砂漠に横たわった砂丘を見つめながら、ほっと胸をなでおろした。後には、砂風のもがり笛と、馬の闊歩する足音だけが残される。

 それきり、セシリアからの通信はなく、時折退屈したジャックがどうでもいい事を、秘匿回線を通じて話しかけてくるだけで、旅程は平穏に進んだ。ウェンティゴの港町までは、距離にすればかなりである。しかし、徒歩でレメンシアへ向かう事を思えば、騎馬の背に乗って、進む旅は随分と気楽なものである。それは、まさに嵐の静けさかと思えるほど、平穏な旅路。もしも、そうだとすれば、この砂漠を越えた先に、嵐が待っていると言うことなのか……。

 不安を抱いていても仕方がない。いざとなれば、バヨネットでマクギネス参事官の身を守るだけのこと。それが任務なのだ。しかし、願わくはすべてが円滑に進み、ウルガンより授かった黄金の鍵を開けられれば、それにこしたことはないだろう。そうして、記憶を取り戻せたなら……、取り戻せたなら、どうするのだろう? フランチェスカの言ったことが、本当だとして、記憶を取り戻した自分は、今の自分とはまったくの別人で、それが受け入れがたいものだったとしたら、どうすればいいのだろう。それをセシリアやジャックに相談するわけには行かない。かれらとて、歴史の転換になるかもしれないような重大任務に就いているのだ。それを、ごく個人的なことで煩わせるのは、間違っている。

 だが、その一方で昨夜から漠然とした不安が少しずつ胸の内に溜まっている。アルサスの事を知るフランチェスカは騎馬に跨り、すっかり使者の顔に戻っている。本当は、昨日の話がやっぱり夢だったんじゃないのか、と思いたいが、抱きしめられた時のぬくもりも、彼女の笑顔も確かに覚えているのだ。

 例え受け入れがたくても、受け入れる他ない……。アルサスは、覚悟にも似た気持ちを抱えながら、旅程を歩む。何処までも続く無限の砂漠。その先に行けば、答えはあるはずだ。

 方角さえよく分からない砂漠では、砂目と太陽の位置が重要である。無限の砂漠を駆け抜ける砂風は初夏のこの季節、必ず西から東へ向かって吹く。偏西風の影響だと言われているがその理由は分かっていない。それはともかくとして、風が一定の方角に吹くということは、それを目安に向かうべき方角を決めることが出来る。また、季節と太陽のある位置で、時刻とおおよその方角を知ることが出来る。この二つを照らし合わせながら、注意深く進まなければない。さもなくば、目標物のない砂漠の真ん中で、延々と同じところをぐるぐるし続けることになるのだ。

 そして、砂漠を渡るにはもう一つ、きをつけなければならないことがある。砂漠というのが苛酷な理由の一つが、夜間ともなれば、砂漠の気温は一気に氷点下近くまで下がると言うことだ。砂漠は水がなくとても乾燥しているため、夜間には地表の熱が消えてなくなるのだ。そのため、太陽が沈めば、行進を止め、キャンプを張らなければならない。無論、航海術の応用で六分儀を用いて、星の角度から方角を割り出すことは出来るのだが、氷点下の世界を無理に進むことは出来ない。アルサスたちは、空調機能の備わった甲冑を身に着けているが、フランチェスカをはじめ、マクギネスや馬車の中の少女たちは、そのようなものを持ち合わせてはいない。

 そうして、何度かのキャンプを行いつつ、夜間の見張り役を務めたアルサスたちの疲労がピークに達しようとするころ、ようやく砂丘の向こうにきらめく海岸線と、ウェンティゴの街が見えてきた。

『ウェンティゴも何度か、「翼ある人」の襲撃を受けたらしい。まあ、レメンシアと違って、予め守備隊を配置していたから、まだ、街として機能している』

 ウェンティゴの街を見つめながら、セシリアが言う。港町と言うだけあって、ウェンティゴはレメンシアに次ぐ、ダイムガルドの重要都市である。いくつもの建物や民家が立ち並び、ギルド・マーチャントの商家が軒を連ねていた。ウェンティゴが「翼ある人」に襲われたのは、レメンシアの襲撃から、約二週間後のことである。

 ちょうど、帝都ではモーガン率いる教導団が、反乱を起こそうとしている頃。レメンシアの惨状を重く鑑みた近衛騎士団が、いち早くウェンティゴの守備隊を増強していた読みは、見事に当たった。無論、相手は不死身の軍隊であり、かなりの被害と、かなりの苦戦を強いられたものの、辛くも撃退に成功したことは、半壊した街並みをみれば分かる。

 抵抗の跡だろうか、ある建物には、パイルが無数に突き刺さった痕が残されているし、別の民家は屋根が丸ごと崩れ去っていた。それでも、生き残った人々は、変わらぬ生活を続け、守備隊も戒厳令に従って常に見張りの眼をきつくしていた。

「ここからセンテ・レーバンの軍船で海を渡って、対岸のジルブラントへ向かいます。軍船は港に待機させてありますので、ひとまずそちらへ。出航は本日の夕刻。それまで、体についた砂と疲れを癒して下さい」

  街に入るなり、フランチェスカが海のほうを指差して、マクギネスに説明する。フランチェスカの指差す先には港があり、そしてそのはるか向こうに霞がかった陸地と、小高い塔のような岩山が見える。そこは、センテ・レーバン領の港町、ジルブラントである。

 ウェンティゴとジルブラントの間は「ジルブラント海峡」と呼ばれている、非常に狭い海峡である。しかし、センテ・レーバンとダイムガルドの国境として横たわる「セントレア海」、即ち今アルサスたちが臨んでいる海の水が一気に流れ出す場所であり、潮流は思うよりも速い。そのため、海峡を渡るには、軍船のような大型船や、櫂で漕ぐカッターやガレオン船などが必要不可欠であった。

 ウェンティゴの港には、そうしたダイムガルド軍船やギルドのガレオン船が並んでいる。そのなかで、大きな帆布(はんぷ)に剣と盾の紋章をあしらった、一際巨大な帆船が、フランチェスカたちを乗せてきた、センテ・レーバンの軍船である。戦争以外で、この港にセンテ・レーバンの軍船が寄港するのは、初めてのことだろう。そのため、街の人たちは、ものめずらしくその軍船を眺めていた。

 軍船のラッタルにかかる(はしけ)の前には、ダイムガルド守備隊と、センテ・レーバン王国騎士団の者が待っており、アルサスたちを招きいれた。

「ダイムガルド軍の検閲が厳しくて、本船の武装はほとんど取り外されてしまいましたが、部屋は海運ギルドの客船よりも、広く快適かと思います。ジルブラントへの短い船旅ですが、ごゆっくりくつろいで下さい」

 皮肉交じりにセンテ・レーバン騎士団は言う。彼は、アルサスがセンテ・レーバン人であることに気づいたが、余計なことに口を挟んではいけないと思ったのか、何も尋ねては来なかった。

 船室に案内された、アルサスはようやく一息つく。幸いにも、一人に一室が与えられたおかげで、静かでいられることは寂しくも嬉しかった。部屋には、水さしが置いてあり、アルサスはその水を飲み干して喉の渇きを癒すと、甲冑を脱いだ。

 出航までは色々な準備もあって、数時間の暇をもてあそぶ事になるのは目に見えている。アルサスは、甲冑の関節ヒンジに詰まった砂を、小さな綿棒で取り除きながら、その時間を潰すことにした。しかし、部屋が静かであればあるほど、そうした作業に上手く没頭することが出来、甲冑の掃除が終わっても、まだ出航の合図はならなかった。しかも、直後に船員が、出航準備に手間取って、出航時刻が遅れることを知らせてきたのである。

 仕方なくアルサスは、外へ出る。廊下の向かって反対側はセシリアの部屋、その隣はジャックの部屋だ。なんだかんだと言って、女の子であるセシリアの部屋を覗くわけにはいかない。アルサスはジャックの部屋をノックしたが、返事の替わりに聞こえてきたのは、随分とけたたましいイビキだった。どうやら、疲労が蓄積して、眠ってしまったのだろう。

 無理に起こしてやるのも可愛そうだ。出航時刻が遅れるなら、おそらく今夜は船中泊となり、明日、ジルブラントへ到着することとなるだろう。せめてジルブラントへ到着するまで、そっとしておこう。アルサスは、そう考えて、一人甲板へと上がった。

 港町を駆け抜ける夕暮れの風はやや冷たく湿り気を帯びていた。なにせ数クリーグ先には、ダイムガルドとは気候のまったく違う、センテ・レーバン王国が広がっているのだ。その涼しい風は、おそらくセンテ・レーバンより吹いてきた風だろう。

 アルサスは、船の縁に寄りかかると、ウェンティゴの街並みと、セントレア海を眺めた。

 街の方から、カモメの群れが甲高い鳴き声を上げながら飛んでいく。雲は淡い朱色に染まり、波間に、きらりきらりと夕日が反射して、黄金に輝く様は、実に美しい。

 そんな風景を見つめていると、まるで、世の中の喧騒など嘘のように思えてくる。こんなに美しいものを滅ぼして、新しい世界を作ることに何の意味があるのか。本当の自分が知る、ネルと言う少女は、この美しい世界を、それほどまでに憎んでいると言うのだろうか……。

「同盟が上手くいけばいいのだけど」

 アルサスの呟きは、そっと涼しい海風に攫われて、輝く波間へと沈んでいった。


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