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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
88/117

88. 再会

 皇居へは、大本営の渡り廊下を渡って、直接向かうことが出来る、と言うのはすでに知っている。しかし、内部は城独特の複雑な通路となっており、以前御前会議室まで向かった道すら分からなくなってしまう。所々、見回りのための衛兵が立っており、アルサスは彼らに道を尋ねながら、メモの場所を目指した。

 余談ではあるが、衛兵たちも近衛騎士団の一部である。衛兵、警備兵などと呼ばれるように、アルサスたち哨戒小隊とは別任務を仰せつかり、皇居の安全を守っているのだ。アルフレッドの言ったとおり、そんな彼らに話は通っているらしく、衛兵の一人が親切にも、わざわざ目的の部屋まで案内してくれた。

「君が、噂のセンテ・レーバン人の近衛騎士か」

 道すがら、バヨネットを片手に歩く衛兵が言う。その言葉には、多少の好奇心が含まれてはいたが、悪意や侮蔑は感じられなかった。

「センテ・レーバンからの使者がダイムガルド人で、ダイムガルドの近衛騎士がセンテ・レーバン人。面白いよな」

「そうか? ぼくは、そんなに面白いとは思わないけど」

「いやいや、これは運命だよ。センテ・レーバンと同盟を結ぶって話。もう、部隊中その話題で持ちきりでさ、君がダイムガルドに来たことも含めて、偶然にしては神さまとやらの運命を感じるよ」

 楽しそうに語る衛兵に、アルサスは少しばかり拍子抜けした。実際のところ、ジャックのように同盟に不満を持っている兵士は少なくない。入隊からそれなりの時間が経ったにもかかわらず、今を以ってしても、アルサスが近衛騎士団に居ることを快く思わない者もいる。それだけ、根強い恨みつらみが、十年前……いやもっとその前から鬱積しているのが、この国の現状だ。特に、鉱物資源しかない砂漠の国という苛酷な環境にあるこの国の、緑と水に対する羨望が彼らの原動力となっている。そんな中で、この兵士はあっけらかんとしていた。

「あんたは、不満に思わないのかよ?」

「別に。俺の実家はギルド・マーチャントの商家で、昔からセンテ・レーバン人と接する機会は多かったんだよ。だから、他の奴らほど抵抗感がないんだ。それに、今回の同盟は向こうから言い出したことだろう? だったら、こっちは大船にに乗ったつもりでいればいいんだ」

「そういうもんかな」

「そういうもん、そういうもん。ほれ、着いたぞ。あそこが、センテ・レーバンの御使者どのがいる来客間だ」

 ぽんぽんっ、とアルサスの背中を軽く叩いた衛兵が指差すのは、皇居の二階に設けられた、来客が寝泊りするための部屋である。ダイムガルドが半鎖国状態になってから、云年ぶりに使用されるその部屋からは、気配こそすれ、物静かであった。部屋の中には、センテ・レーバンから来たという使者がいる。しかもダイムガルド人で、ジャックの遠い親戚らしい。しかし、そのジャックですら、顔も見たことがないという使者が、何故自分を呼びつけたりしたのか、その理由が今ひとつ釈然としないまま、アルサスは案内してくれた衛兵に礼を言った。そして、衛兵の姿が見えなくなるのを待って、深呼吸と共に扉をノックする。

「どうぞ」

 中から聞こえてきたのは、聞き覚えがあるような、ないような女の声。アルサスはそっとドアノブをまわして、室内へ足を踏み入れた。

 窓辺の椅子に佇む、女性が一人。ポニーテールに纏め上げられた漆黒の髪と、浅黒い肌はダイムガルド人のものだ。しかし、見覚えがない。いや、本当は知っているのに忘れているだけなのかもしれない。それが証拠に、女の方は驚いた顔を隠しきれずに、目を丸くしていた。

「近衛騎士団哨戒小隊、アルサス・テイル少尉です。御使者さまがお呼びとお聞きしましたので、参上いたしました」

 戸惑いながらも、アルサスが言うと、女は立ち上がりつかつかとこちらに歩いてくる。彼女が着るドレスは、どうやらセンテ・レーバンから持って来たもののようで、アイシャのドレスとはデザインが違うな、などと思っていると、アルサスはいきなり抱きしめられた。

「わっ! ちょっ、ちょっと!」

「良かった、生きていたのね、アルサス……! みんな心配していたのよ、ルウくんも騎士さまも」

「ちょっと待ってください! あなた、誰なんですか?」

 アルサスは、抱きすくめられた恥ずかしさと、この女が自分の事を知っているかもしれないという驚きの中で、無理矢理にフランチェスカの両腕を引き剥がした。

「なあに? まさか、わたしのことを覚えていないなんて言うんじゃないでしょうね。そんな詰まらない冗談を言う子じゃなかったでしょう」

 フランチェスカが怪訝な顔をする。アルサスも怪訝な顔をする。ある種奇妙な空気が二人の間に流れるのを、アルサスは感じていた。やっぱりこの人は、ぼくのことを知っている……。

「覚えていないっていうか、知らないっていうか」

「どういうことかしら?」

「ぼくにも良く分かりません。ただ、ぼくが何者なのか分からなくなってしまった。あなたは、ぼくのことをご存知なのですか?」

 と、アルサスが問えば、フランチェスカは顔をしかめてしげしげとアルサスの頭の先からつま先までを見つめる。ダイムガルド陸軍の軍服に身を包んでいるとは言え、彼女は再び確信を以って頷いた。

「この世界には、同じ顔をした人間が三人いるなんて、まことしやかに語られるけれど、あなたは、瞳も、顔も、声も、髪の色も、名前も、わたしたちの知るアルサスそのものよ」

 やや悲しげな色が眉目を伝う。

「記憶喪失……なのかしら」

「医者はそう言っていました。御使者どの、もしもぼくの事をご存知ならば教えてください。ぼくは、なにか大切な事を忘れてしまっている……このままでいいはずがありません」

 と、アルサスが言うと、フランチェスカはやや困ったような顔をした。事態が飲み込めず、戸惑っているようにも見える。彼女はくるりと踵を返し、ベッド脇のレターテーブルに添えられた丸椅子をアルサスに勧めた。

 それからしばらく、沈黙が訪れる。何から話せばいいのか、記憶喪失というのが冗談ではないのか、そう確かめるように、思案をめぐらせるフランチェスカのことを、アルサスは黙って待った。

「記憶喪失になると、性格まで変わってしまうのかしら。ぼく、だなんてあなたに似合わない。それに、わたしのことは、フランと親しみを込めて呼んでいてくれたのに」

 たっぷり二十分ほどして、おもむろに口を開いたフランチェスカは、窓辺の椅子に背を預けながら、少しばかり苦笑する。

「すみません」

「謝ることじゃないわ。どうやら、冗談ではないみたいだから。それに、あなたの本当の正体を知れば、あなたがその軍服を着ていること自体、おかしなことになる」

「それは、どういう意味ですか?」

 アルサスが問いかけると、フランチェスカはやや間をおいて、真剣な目で言った。

「あなたは、センテ・レーバン王国第一王子、フェルト・テイル・レーバン殿下なのよ。それも、忘れちゃったかしら?」

「ぼくが、センテ・レーバンの王子!? 冗談は止めてください」

「あら、わたしが冗談ばかり口にする女に見える? まあ、冗談を言うのは好きだけど、時と場合は弁えているつもりよ。あなたが、わたしたちの知るアルサスだというなら、あなたはセンテ・レーバンの王子」

 フランチェスカは、そう言って、経緯をアルサスに聞かせた。それは、少年が一人の少女と出会い、そして別れ、決死の戦場へと赴くまでの旅の話。少年は、世界を守るため少女を殺すことに躊躇した。そして、少女は最愛の家族を失い、欲と傲慢に満ち溢れた分かり合えない世界に、終止符を打つため、自らの使命に目覚めた。そして、すべての旅の仲間との思い出や出会いを捨てて、金の若子とともに姿を消した。少年は自らの後悔に苛まれながらも、王子という立場と責任に押され、死地とも言うべき戦場へと赴き、その混乱の最中、生死さえもわからなくなってしまった。

 物語を紡ぎだすかのように、フランチェスカは語る。その物語の主人公は、アルサス。そしてヒロインは、ネルという少女だった。

「あなたに、旅の仲間の解散を告げられても、わたしたちには帰る場所がなかった。わたしは、ギルド・リッターに反旗を翻した身だし、ルウはルミナス島を失った。そして、ガルナックの戦場から命からがら帰ってきた、騎士さまにあなたが行方知れずとなったことを聞いて、わたしにも何か出来ないか、協力を願い出たのよ。ルウも、収監されたまま裁判も行われていないナタリーの事を心配して、センテ・レーバンを離れるわけには行かなかったから。これで、わたしの知るあなたのことは、全部話したわ。どうかしら、何か思い出した?」

 答えは期待していない、そんな風な微笑みがフランチェスカの顔に浮かぶ。正直なところ、話を聞いていても、どこか他人の物語にしか思えないのだ。それにも増して、自分がセンテ・レーバンの王子などと、信じろという方が無理難題である。

 だが、フランチェスカが嘘を言っているようには見えなかった。嘘を言う人間はたいてい目を泳がせるものだし、物語のような嘘をアルサスに聞かせ、すっかり窓の外が夕暮れになってしまうなどと、ありえないことだ。

「アイシャ陛下は、随分とあなたの事を慕っているようだけど……」

 フランチェスカが瞳に、夕日を写しこむ。遠く無限の砂漠の稜線に沈む夕日は、まるで血の色の様に真っ赤に染め上げられていた。

「それは、ちょっとした行き違いで」

「ってこともないんじゃないかしら? 陛下は、それなりに真剣よ。わたしも女ですもの、乙女心は良く分かるわ」

 クスリと笑うフランチェスカの大人の微笑みに、アルサスは当惑してしまう。そうでなくとも、自分の知らない自分の姿を教えられ、いまだに何一つ事情が飲み込めていないところに、とどめのパンチが飛んできたようなものだ。しかし、フランチェスカはそんなアルサスに安堵したかのように言う。

「記憶を失っても、あなたの根底はあなたのままのようね。心配しないで、あなたがフェルト殿下であることは、誰にも話していないわ。アイシャ陛下にも。願わくは、ルートニアに着くまでに、あなたの記憶が戻ってくれれば、良いのだけど……」


 フランチェスカの部屋を後にして、どのようにして寮へ戻ったのか良く分からない。すでに、出発の準備を整えたジャックは、これでもかとアルサスを怒鳴り散らしたが、あまりにも元気がなく、却って心配させる結果になったことだけは覚えている。

 だが、肝心なことは何一つ覚えていない。自分が、センテ・レーバンの王子、などと突然言われて、「はいそうですか」と楽天的な考え方は出来なかった。まだ、暗殺者だの、軽業一団の息子だと言われたほうが、マシだ。一国の王子などと、そんなことがあるはずもない、そう思いたいのだが、記憶の底の方で、フランチェスカの言ったことが真実のように思えた。

 それだけではなく、信じられないことは山のようにある。ネルという少女のこと。顔も思い出せない、声も思い出せないその女の子が、「翼ある人」をこの世に放った、アストレアの天使の一人、銀の乙女だということ。そして、その渦中の中心に、自分とフランチェスカ、そしてルウという少年がいたことも、すべてが信じられない。まるで、アイシャの好きな絵本の中の出来事のようじゃないか、とアルサスは思う。しかし、それが絵本の出来事でないことは、分かっている。何故なら、この世界に「翼ある人」が現れ、次々と世界中の人間を光の粒に変えている、という事実があるからだ。

 その事実ををどうやって受け止めたら、記憶が戻ってくる? 自分が何をなすべきか、それを思い出すことが出来る?

 ウルガンは「自ずと分かる」とアルサスに言ったが、それがいつのことなのか、それさえも良く分からないままでいる。しかし、いくら歯がゆく思っても、暮れた日は昇るもので、翌朝にはすぐに任務へと着かなければならなかった。

 まだ空が白み始めるころ、アルサスたちは甲冑を着こんで内裏の入り口に集合した。すでに、フランチェスカたちは騎馬にまたがり、出発の時を待っている。遅ればせに、現れたマクギネス・ハット外務参事官は、ひょろりとしたモヤシのような男で、いさか交渉役としては頼りなく見えたが、それでも敏腕外交官として知られる人物だ。

「これより、センテ・レーバンはルートニア要塞へ向けて出発する。貴君ら、近衛騎士団は我とともに、ダイムガルドの顔である事を忘れるな」

 思いがけず、モヤシから吐き出された太い声に、アルサスたちは揃って敬礼した。

「セシリア小隊、全身全霊をもって、護衛任務に当たります!」

 小隊の隊長であるセシリアがそれに答えると、マクギネスは頷き返した。マクギネスの馬の後ろには、馬車が控えている。センテ・レーバンでよく使われる、三頭立ての馬車、ウォーラである。その荷台の中に、アルフレッド大佐の言った「娘っ子」がいるのを見つけたアルサスは、ちらりとそちらを余所見する。

 おそらく、アルサスたちとそう年齢の変わらない少女たち。みな、目深にフード付きのコートを羽織っているため、その顔まで確かめることは出来なかったが、可憐な乙女たちは、相手の警戒心を解くのにうってつけの世話係というところだろう。

 ふと、アルサスはそのうちの一人の少女に目を向けた。どこかで見覚えがあるような……と思ったのもつかの間、

「しゅっぱーつ!!」

 という、マクギネスの声に弾かれて、すぐさま兜のバイザーを閉じ、自らの騎馬に乗る。かっぽかっぽと、蹄鉄が街路を踏みしめる音が鳴り響き、ルートニアへの第一歩を歩みだした。

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