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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
87/117

87. アイシャのお茶会

 窓ガラスから差し込む朝日は、部屋の中を光で満たしていく。朝日を受ける調度類は、テーブルも椅子もカーテンも、隅に置かれた壷さえも、すべて高級な品々ばかりだが、下品さはなく、厳かで優雅なものばかりだ。フランチェスカ・ハイトは、そんな部屋の中をぐるりと見渡して、ふとセンテ・レーバン王城の景色を思い出した。あそこも、様々な調度が置かれ、城としての威風を見せ付けていた。しかし、センテ・レーバンのそれは、もう少し質素で、比較してみれば地味な印象をうける。

「こういった皇室の家財は、いずれ国費補填のために、売りさばくべきじゃと思う。それで、国民の暮らし向きが少しでも豊かになるなら、わらわはそれで構わないと思うておるのじゃが、中には先々代、もっと前から受け継がれてきた宝物も存在する。わらわの一存だけで売り払うことが出来んのは、忸怩(じくじ)たる想いじゃ」

 テーブルの向かいに座るアイシャはやや苦笑をフランチェスカに向けた。テーブルの上には、こぽこぽと音を立てるティーポットが、なにやらガラス製の不思議な機器に取り付けられていた。それは、お茶を蒸留するための装置で、ティーポットの底面と接触する部分には、カーマインの魔法石が設置されている。そして、ティーポットで湧かされた茶が長い管からティーカップへと注がれるのだ。それは、ダイムガルド伝統のお茶の飲み方で、「蒸留茶(リーツァ)」と呼ばれている。

 フランチェスカは、蒸留されたお茶がティーカップに注がれるのを見つめながら、驚いていた。無論、リーツァのことは良く知っている。そんなことに驚いているのではなく、アイシャが茶席に招待してくれた事を、である。しかも、部屋には侍女以外の人はおらず、彼女たちのことを無視すれば、そこには、ダイムガルド皇帝陛下と二人きりという状況なのだ。

 フランチェスカは、ダイムガルド人である。生まれは帝都ではないが、ダイムガルド人共通の認識として、皇帝陛下は神聖な存在で、臣民はその顔を拝謁することすら許されないものだと思っていた。ところが、皇帝陛下は、十五、六歳という歳相応の屈託のない笑顔を浮かべて、フランチェスカのためにお茶を淹れてくれる。皇帝陛下が少女であったということの驚きよりも、むしろそのことの方が信じられない気持ちであった。

「陛下は、物欲がおありではないのですね?」

 皇帝直々に茶を淹れてくれるなどと、一生に一度あるかないかのような誉れ高いことだ。せめて、緊張のあまり会話が途切れないようにと、フランチェスカが口にすると、アイシャは「そんなことはない」と言った。

「わらわにも物欲はあるのじゃ。世界中の本を読んでみたい。ありとあらゆる本を。わらわにとっては、本こそ財産だと思うのじゃ。このような、美しい調度などよりも」

「さすがは、皇帝陛下です」

「お世辞など言わずともよいのじゃ。そちは、わらわよりもずっと年上。そのようにかしこまられては、わらわの方が困ってしまう」

 アイシャは、何気なくそう言うものの、自分の立場が如何にダイムガルド人に畏怖の念を持たれている立場かを理解していないような発言だった。その辺りが、少しばかり世間ズレしていると言えなくもないだろう。

「フランチェスカどのは、ギルド・リッターとして世界中を飛び回られておったのじゃろ? ここに閉じ込められているわらわにとっては、羨ましい限りじゃ」

「陛下は、そういうお立場に居られるからです」

 と、フランチェスカが真っ当な事を言うと、アイシャの顔は少しだけ曇る。

「侍女たちと同じ事を言うのじゃな……。しかし、それは正しいと思うのじゃ。わらわは、皇帝。兄上が守ろうとしたこの国の王なのじゃ。その責任は重い」

 アイシャの兄、ライベル親王のことはフランチェスカも知っている。もちろん、ライベル親王も雲上人に変わりはないのだが、それでも皇位継承者ではない親王ならば、ちらりとそのお姿を拝見したことがある。アイシャとは随分歳の離れた兄である。それもそのはず、ライベルは前皇帝の二番目の妻の子であり、先に生まれたにもかかわらず、皇室典範に則って、皇位継承権が正妻の娘であるアイシャよりも下であった。そのライベル親王はいずれ妹が継ぐであろう国を守るため、十年前のヨルンで、白き龍によってその命を落とした。

 思えば、アイシャとライベルの関係は、シオンとフェルトの関係に酷似している。少しばかり違うのは、フェルトの母親は正式な妻ではなく、フェルトは半ば私生児だったということだ。ただ、兄が妹を想う気持ちは、ライベルとフェルトに差などないように感じられた。そのことは、アイシャも感じているようで、

「フランチェスカどの、お尋ねしたいのじゃが、フェルト殿下とはどのようなお人なのじゃ? フェルト殿下と友であったという、そちならばよく知っているのじゃろ?」

 と、まるで兄の姿を探すかのように、フランチェスカに問いかけた。

「虚勢を張った、馬鹿な子です。無理に強がって時に無鉄砲だったり、そのくせ弱い部分を隠しながら迷ったり挫けたり。でも、身分や人種にとらわれない広い心を持っています。その心根はとても真っ直ぐで、人の心を信じています。それが、彼の優しさでした」

「シオン国王は未だ目覚めぬまま、フェルト殿下はガルナックの戦いで行方不明となった」

「はい。だから、せめて共に旅をした仲間として、フェルト王子のためにこの動乱に決着をつけたいのです。それに、銀の乙女もわたしにとっては、旅の仲間なのです。二人の旅の仲間たちがこの戦いに関わっているというのに、それを見捨ててしまうことは出来ない。それが、わたしがセンテ・レーバンの使者として帝都を訪れた理由です」

「ふむ。その気持ちは、変わることはないのかの?」

 アイシャが最後の質問とばかりに尋ねると、フランチェスカはこくりと頷いた。アイシャは「そうか」と返すと、なみなみと琥珀色の茶が注がれたティーカップを自らフランチェスカの前に運んだ。召し上がれ、と言われるがままに、フランチェスカは茶を口に運ぶ。良い葉を使っているらしく、香ばしさと甘さが口の中にふんわりと広がった。

「しかし、陛下はフェルト王子のことをお聞きになりたくて、わたしをここへお呼びになったのでしょうか?」

 茶の余韻を楽しみたいところだが、核心を問いかけずにはいられない。わざわざ、茶会に招待した理由が、他国の王子がどんな人間かを問うためではないはずだ。

「察しが良いの」

 アイシャは、ティーカップに口をつけると、ちらりと侍女に目配せをした。すかさず、侍女がフランチェスカの元に歩み寄り、一通の巻物を差し出した。それは、フランチェスカが持参した、クロウ・ヴェイルの書状ではなく、ダイムガルド帝国の封蝋がつけられた、アイシャの書簡だった。

「これは……」

「大臣のなかには、そちを信用できぬと申している輩も居る。彼らからしてみれば、ダイムガルド人であるのに、敵国センテ・レーバンの味方をする裏切り者だと映っているのだろう。じゃが、わらわはそちを信じたいと思うのじゃ。仲間のために、何かしたい。絵本で読んだ冒険のお話の主人公も同じ事を言っていた。仲間という言葉に、国家だとか民族と言った垣根は存在しない」

 ティーカップから立ち上る湯気が、ふわりと揺れる。それは、アイシャが少しばかり微笑んだからだ。アイシャは大きく息を吸い込むと、凛と張った皇帝陛下の声で言った。

「ダイムガルド帝国は、センテ・レーバン王国と無期限の同盟を交わす。共に結束して、アストレアの天使と戦うのじゃ。人を無償で信じる心、それこそがやつらに対抗しうる、最大の武器じゃと思う」

 フランチェスカの手元にある、その書状は他ならぬ、ダイムガルド皇帝直筆の書状であり、同盟締結の約定を記したものでもある。ダイムガルドとセンテ・レーバンが同盟を結べば、それは歴史的なこととなるだろう。ヨルンの戦いの際にもそうであったように、両国は一度も手を取り合ったことがないのだ。それが、アストレアの天使、という共通の敵を前に手を取り合うことになるとは、奇跡と言っても過言ではなかった。

「外交交渉役として、我が国からはマクギネス・ハット外務参事官を派遣する。そちには、その書状とマクギネス参事官をストライン・イスカ・レーバン閣下の下に、無事送り届けて欲しいのじゃ」

「はっ! かしこまりました!」

 アイシャの命に、フランチェスカもクロウから外交を預かった使者の顔になる。軍属にいたころにも、ギルド・リッターとして活躍していた頃にも、感じられなかったほどの重責ではあるが、そもそもそれを気負うような人間ではない。これで道が開けるなら、クロウたちも喜ぶだろうという期待の方が大きかった。

「それと……」

 と、唐突にアイシャが声を潜め、手招きをする。まるで、侍女たちには聞かれたくない話でもあるかのような仕草だった。フランチェスカはテーブルに身を乗り出して耳元をアイシャに近づける。アイシャもテーブルに身を乗り出し、部屋の隅に控える侍女の事を気にしながら、ごにょごにょと何事かを囁いた。

「へ、陛下、それはっ!?」

 思わず大きな声を上げそうになって、口を噤む。にんまりと笑う少女の顔に、フランチェスカは今聞いた事を疑わずにはいられなかった。

「本気ですか? そのような危険なことを、わたしの一存で許すわけには参りません」

 大人の態度で、毅然と言ってのけたが、アイシャは何処吹く風。

「これは、皇帝としてではなく、アイシャとしての頼みじゃ。ストライン閣下は、王家の中でも保守的なお方だと聞いているのじゃ。もしもの時の保険。そう考えて欲しいのじゃ」

「そんな安易な……。そもそも、お立場を」

「それはもうよい!」

 フランチェスカの言葉にかぶせるように、ピシャリとアイシャが言った。しかし、まだ信じられない。いわばそれは、とんでもなく危険な行為である。しかも内緒話のように囁いたということは、アイシャの独断であり、侍女や大臣たち周囲の者たちも知らないのであろう……。そんなフランチェスカの危惧などそっちのけで、アイシャは続けた。

「心配は要らんのじゃ。そのために、信頼する者を付ける。もちろん、それはマクギネス参事官の護衛、という形で」

「信頼する者?」

 意味深な言い方に、フランチェスカは小首をかしげた。するとアイシャは何故だか、すこしだけ頬を染めて、

「アルサスじゃ」と言った。

 その名前、それがここで飛び出してくるとは夢にも思っていなかったフランチェスカは、再び驚き、今度は侍女たちまで色めき立たせてしまうこととなった。


 任務を終えたばかりだが、次の任務を任される。それだけ、セシリアが信頼されているということなのだが、アルサスとしては、正直なところ休みたいという気持ちもあった。それというのも、二日前はジャックに付き合って、酒場で人生初の酒を飲んだ。ダイムガルドでは未成年者の飲酒は禁じられているものの、軍人だけは例外とされている。翌日、即ち昨日は人生初の二日酔いに一日中頭痛と吐き気に見舞われるという、気だるい一日があっという間に過ぎ、ようやく酒の臭いが消えたかと思った矢先、五日間の休暇を切り上げて、新しい任務が言い渡されることとなってしまったのだ。

 軍人は命令に忠実でなければならない。というのは、セシリアから教わったこと。せめて二日酔いに苦しんだ昨日でなくて良かった、と思うべきなのだろう。

「よって、まだ非公式であるが、ダイムガルド帝国は、センテ・レーバン王国と無期限の同盟を締結することとなった」

 二日前と同じく、直属の上官であるアルフレッド・ノース大佐の執務室で、横一列に並び、アルサスたちは辞令を受けた。アルサスの右隣でセシリアはいつものように厳しい顔で、命令を聞く。かたゆ左隣ではジャックが多少気に食わないような顔をしていた。アルフレッドはそんなジャックの顔に気づき、苦笑交じりに溜息を漏らす。

「不満が顔に出てるじゃねえか、ジャック・ハイト軍曹。しかしな、何でもセンテ・レーバンからの使者はお前の遠縁にあたる女だそうじゃないか」

「だから、余計に気に食わないんスよ。しかも、親戚と言っても、父方の分家の分家、顔も見たことないっス。だけど、ハイト家は代々軍人の一族っス。みな、軍曹止まりではありますが、それでも帝国陸軍の一人としての自負があるっス。それなのに、ハイトの一族から裏切り者が出たとなると、不満にも思いますよ」

「そう言うな、ジャック軍曹。同盟を結ぶとなれば、かの国は敵国ではなくなる。それに、目下俺たちには戦うべき相手がいるじゃねえか」

「わかってるッス。軍人は命令に従うまで」

 ぴっと手のひらをのばし、肘を曲げ敬礼のポーズをとるジャック。アルフレッドはうんうんと頷いてから、小隊長のセシリアの方を向く。

「じゃあ、その命令に従うように。ダスカードより戻ってきたばかりではあるが、貴様たちには、交渉ごとに当たるマクギネス・ハット外務参事官と、お付きのものの護衛として、センテ・レーバンへ随伴してもらう」

「参事官さまに、お付きの方ですか?」

 セシリアが疑問を口にすると、アルフレッドは鍵を開けるような仕草を見せた。

「お前たちがウルガンどのより授かった黄金の鍵だよ。これも一緒に、ルートニアへ向かう。もしも、その場であの鍵を使うこととなれば、その記録をとらなきゃならねえ。それと、参事官どのの身の回りの世話をするために、三人ほど娘っ子が付き従う予定だ」

「娘っ子……ですか」

「その方が、相手に刺激を与えなくて良い。屈強な男を連れて行ってみろ、センテ・レーバンのやつらが警戒して、まともに話しも出来んかもしれんだろう?」

「ですが、同盟話を持ちかけたのは、向こうですよ」

「そういう妙な駆け引きするのが政治屋ってやつだ。だから、護衛にも、お前たち三人だけを付けることにした。ほら、ジャックを除いて、セシリアもアルサスも輪郭が細いからな」

 アルフレッドがワッハッハと大口を開けて笑う。アルサスは冗談なのだろうかと小首を傾げたが、それに対しての回答はない。代わりに、おそらく道筋が開けてきたと言うことに対する、アルフレッドの安堵感が、そんな冗談を言わせたのだろうという推論を導いた。

 確かに、同盟が成立すれば、戦争が始まる。それも後顧の憂いなしに、あの「翼ある人」と刃を交えることが出来るのだ。必勝の信念というのは欠かさないことだが、それが少しでも現実味を帯びれば、軍人としてこれほどうれしいことはないだろう。

 そうして、小隊長セシリアの任務復誦を挟み、アルサスたちは、マクギネス参事官、外務省員の「娘っ子」、そして黄金の鍵を守るという、重大な任務を与えられるこことなった。

 出発は明朝。まずは帝都の北西にある、ウェンティゴという港町を目指す。ウェンティゴからは、海を挟んで対岸が見える。その対岸はセンテ・レーバンの領地であり、船に乗って潮流に逆らうこと、一時間ほどでセンテ・レーバンの勝手口とでも言うべき港町ジルブラントに到着する。さらにそこから真っ直ぐ街道沿いに北を目指せば、ルートニアに辿り着くのだ。

 旅程は長い。そのため、準備を怠るわけには行かない、とセシリアたちに続き、アルフレッドの執務室を後にしようとするアルサスをアルフレッドが呼び止めた。

「待った、アルサス少尉。お前に会いたいと言っている人がいるんだ。先にそっちへ行ってくれないか?」

 と、アルフレッドが紙切れを手渡す。紙切れには、走り書きのメモか書かれていた。

「フランチェスカ・ハイト……それって、センテ・レーバンの!」

「そうだ。何の用があるのかは知らんが、お前を指名してきた。フランチェスカ。ハイトのいる皇居の部屋はそのメモに書いてある。衛兵には話を通してある」

 呆然とするアルサスは、アルフレッドに「さっさと行って来い」とに執務室を追い出された。


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