86. 書状と終末思想
「こちらが、クロウ・ヴェイルどのからの書状にございます」
フランチェスカ・ハイトに付き従って現れた、使者団の一人が魔法錠の封印が施された木箱から、一通の巻物を取り出した。巻物の封印は、魔法錠ではなく、伝統の赤い蜜蝋による封蝋である。
「お預かりします」と、侍女がそれを受け取ると、アイシャに手渡した。アイシャは固唾を呑んで見守る大臣衆の中で、巻物の封蝋を剥がした。
「包み隠さず申し上げます。現在、センテ・レーバン王国は、シオン女王陛下が昏睡されており、またガルナックの戦いの指揮を執った第一王子フェルト殿下の生死も行方も知れず、代わって、王室に連なるストライン・イスカ・レーバン卿がその名代を務め、騎士団はクロウ・ヴェイルがまとめております」
アイシャが書状を読む間、フランチェスカは静かに、センテ・レーバンの内情を伝える。
「クロウ・ヴェイル……聞かぬ名だが、かつて我が軍を苦しめた王国騎士団の英雄ホーク・ヴェイルの関係者か?」
尋ねたのは、エイブラムスである。ヨルンの戦いで全軍の指揮を執った、ホーク・ヴェイルの名はダイムガルド軍の中でも知られている。勇猛果敢な智謀の将であり、礼を重んじる男だったホークは敵からも一目置かれる存在だったと言っていいだろう。
「はい、クロウ・ヴェイルは、ホーク・ヴェイルどのの御子息。ガルナックで戦死なされた騎士団長トライゼン・バルックどのから、カレン・ソアード、キリク・クォーツ両名と共に、後事を託されました。今、ルートニアでセンテ・レーバン王国が抗戦を続けられているのは、一重に彼らの努力です」
「抗戦? 何と戦うというのだ。我が国と決戦でも交えるつもりか!? それならばお門違いもいいところだ。諸侯に愛想尽かされた王国など、我が国の軍隊の敵ではない! 裏切り者の貴様と共に一ひねりにしてくれるわ!!」
いい加減痺れを切らしたのか、財務大臣が顔を真っ赤にして、怒鳴り上げる。他の大臣たちもそれに頷き、エイブラムスだけが、渋い顔をしているのをアイシャはちらりと横目に見た。大臣たちにとって、敵国センテ・レーバンの書状を持って現れた、フランチェスカと言う女は裏切り者にしか見えないのだろう。しかも、書状には宣戦布告の文言が書き連ねられているとでも思っているのかもしれない。
だが、書状にそのようなことは書かれていない。
「静まるのじゃ、皆のもの!」
アイシャは声を張り上げて、色めき立つ大臣を鎮めた。そして、書状を傍らの侍女に手渡すと、フランチェスカの顔を見つめた。
「フランチェスカどの。お尋ねしたいことがあるのじゃ。そちは、ダイムガルド人でありながら、こうしてセンテ・レーバン王国からの書状を持参した。さらに、そちの着ているのは、ギルド・リッターの鎧と見受ける。そちが『故あって』と言う事情が見えてこないのじゃ。そちは何者か? それを教えてもらえぬなら、わらわとしても書状に書かれている内容を信用するわけには行かない」
毅然とした態度は、皇帝としての虚勢でもある。とっくにフランチェスカは、アイシャのそうした態度を見抜いているだろう。それでも、皇帝陛下に平身低頭するのは、彼女が裏切り者ではなく、ダイムガルド人としての意識をきちんと持っていることの証でもあった。
フランチェスカはしばらくの間、口を噤み、じっとアイシャの瞳を見つめた。視線と視線がぶつかり合いながら、ようやく口を開いたフランチェスカが身の上を語り始める。アイシャは静かに、それに耳を傾けた。
ダイムガルド軍の甲冑は、背中に取り付けられた箱の中にある、魔法石の燃料によって駆動する。無論、魔力を持たないダイムガルド人が開発した、もともと魔力を帯びている魔法石が仕込まれており、それを「電源」と呼んでいる。使えば使うほど、魔法石が含有する魔力は消耗されていき、いずれ空っぽの魔法石になる。再度、魔法使いがその石に魔力を込めれば元通りになるのだが、あいにくとダイムガルド人に魔法使いがいないことは、すでに先述の通りである。
そのため行軍には、常に予備の魔法石を携帯する事を義務付けられている。幸い、魔力を帯びた魔法石は採掘されると同時に、優先的に軍に回されている。ただ、携帯できる数には限りがあるから、それでも、行軍は電源残量との勝負である。もしも電源がなくなれば、スピーカによるエーアデ通信や甲冑の空調を含めて、あらゆる機能が停止し、砂漠の真ん中で、重たい甲冑を着て脱水症状になり、そのままあの世行きの切符を手にすることとなる。
予定外の戦闘があった。スコルピオ、そしてギャレット・ガルシアとの交戦である。ある程度不測の事態は考慮に入れていたと言っても、その中で活躍を見せたアルサスの電源は著しく消耗しており、帝都に辿り着くのがやっとの状態だった。それでも、デイビット・ベルの小隊ともども、二度の戦闘を越えて一人の欠員も出すことなく、帝都へ戻って来れたことは、幸いと呼ぶに相応しいだろう。
セシリア隊、デイビット隊が帝都に帰還したのは、センテ・レーバンからフランチェスカが使者として来訪した、翌日のことであった。
帝都に到着したセシリアたちは、任務の疲れを癒す間もなく、ただちにウルガンから授かった「黄金の鍵」の受け渡しと報告のために、軍令部に上った。そこで、アルフレッドから、センテ・レーバンの使者が訪れている事を聞かされたのである。
「同盟、ですか?」
アルサスがセシリアの隣で、驚きを代弁してくれる。
「うむ、俺は直接謁見の間に入れてもらえる身分じゃねえからな、エイブラムス大将に聞いた話だ。センテ・レーバンが使者を寄越して、同盟の締結を求めてきやがった。なんでも、センテ・レーバンから使者が来るのは五十年ぶりとか何とかで、大臣連中は大慌て。今も、御前会議の真っ最中だろうよ。もっとも、事の真偽は別としても、もしも同盟締結となりゃ、お前たちから預かった、この黄金の鍵を開けるチャンスが巡ってくるってわけだ」
アルフレッドはそう言うと、飾りの付いた箱に丁重に収められた、黄金の鍵を見やった。たしかに、同盟が締結されれば、ダイムガルド、センテ・レーバン両国の共有のものとして、ルートニアにあると言う、神の時代の遺跡を開くことが出来る。ウルガンの言うことが正しいのであれば、そこには、アストレアの天使にかかわる何かが眠っており、それを得ることはこの先の戦いに大いなる影響をもたらすに違いない。
しかし、そうは一筋縄には行かない。
「この期に及んで敵国と同盟を結ぶなど、ありえません! ただちに、そんな使者など追い返せばよいのですっ! センテ・レーバン人など信用に足りません!」
相手が大隊長であることも気に留めず、憤慨を口から吐き出したジャックに、アルフレッドは思わず苦笑いする。
「そのセンテ・レーバン人が隣にいるというのに、よくそんなことが言えるな、ジャック軍曹」
とアルフレッドに言われて、ジャックは口ごもってしまった。ジャックの隣では、アルサスが笑う。
「こいつはいいんスよ。どうせ記憶がないんスから」
「そういう問題じゃねえだろう。まあ、それは置いておくとしてもだ、問題はウルガンどのの命を奪った、ギャレット・ガルシアだ。元センテ・レーバン騎士団の最右翼だった黒の部隊の指揮官らしいが、ヨルンの戦い以降、裏ギルドに身を落として、悪逆非道の限りを尽くした大罪人だ。そんなヤツが、アストレアの天使に与したとなれば、厄介だぞ」
「ギャレット……。おそらく、ヤツは生きています」
セシリアが言う。ウルガンの吐き出した、炎の魔法に包まれ、ギャレットの消息は分からないが、それでも死んだという確証は何処にもなかった。むしろ、生きている、再び見えるときがやってくる、というのは、三人が三様に感じている懸念だった。
「今度会ったら、次こそはやつの首を刎ねて見せます!」
「ジャック軍曹、意気込みは買いたいが、そういうことじゃねえ。ギャレットのような輩が、天使どもの味方をしたとなれば、これから先、アストレアの天使を敬うシンパのようなものが現れても不思議じゃねえってことだ。いわゆる、終末思想ってやつだ」
「終末思想……」
ごくりと、ジャックが唾を飲み下す音が聞こえた。
「そういうのに怯えて、自分だけでも助かりたいと願うのは、人間の常ってやつだ。天使どもに、命乞いをして、祭りたてる。そうすれば、自分は助かるかもしれない。宗教思想の根幹だな。もちろん、ギャレットは放置しておくつもりもない。ギルド連盟が躍起になって追いかける、百万ドラクマの賞金首だ。ヤツが再び、我が軍の邪魔をするなら、ダイムガルド帝国軍の誇りにかけて、やつを始末する。問題は、そうしたシンパが、ギャレットのような犯罪者ばかりとは限らない、ってことだ」
「一般の人間に、軍隊として手を下せない……」
アルサスが言うと、アルフレッドはこくりと頷いた。そして俄かに、ガハハと笑う。
「どうにもいけねえや。そういうきな臭い政治話にもつれ込んでしまう。昨日、エイブラムス大将に釘を刺されたばかりだというのに。まあ、あれだ、何にせよ、俺たちは命令に従う軍人だ。すくなくとも、お前たちはこの鍵を持ち帰ってくれた。それなりの、お褒めの言葉もあって叱るべきだろう」
そう言うと、アルフレッドは箱の蓋を閉じた。
「俺はこれから、大将にこいつを届ける。お前たちは、各自別命あるまで、待機。任務の疲れを癒してくれ。卿の、酒場の払いは俺の奢りってことで、つけといてくれ。セシリア隊、任務ご苦労!」
「はっ!」
アルフレッドの敬礼に合わせて、セシリアたちも敬礼を取った。ようやく休める、という感慨よりも、自分たちが帝都を空けている間に、事態が新しい方向へと展開しつつあることに、三人の関心ごとは向けられていた。
軍病院の個室からでも、酒場のにぎわう声が聞こえてきた。どうやら、ジャックがスコルピオやウルガンの話に色をつけて仲間たちに語り、暴れているのだろうと言うことは、容易に想像が付いた。
「終末思想ですか……」
セシリアの前で、マーカス・ヒルがベッドに横たわり、そっと窓辺から見える夜空を見つめて言った。アルフレッドの執務室を後にして、寮に戻り、仮眠を取ったセシリアは、酒を飲みに行こう、というジャックの誘いを断って、軍病院に足を運んだ。マーカスの見舞いのためである。
マーカスは、セシリアにとって参謀のような存在だ。つねに先陣を切りたがるジャックとは対極的に、冷静な分析で、セシリア隊を支えてきた。その欠員を、アルサスは十分に埋めてくれているが、それでも、セシリアにとっては、戦列を外れたマーカスも小隊の一員であることに変わりがない。
「あんな翼の生えた人間を見たら、誰だってそう思うかもしれませんね」
と言う、マーカスの声はやたらと掠れて、弱弱しい。「翼ある人」に大腿を貫かれてから、日増しにその生気が失われていくのだ。だが、ウルガンはそれを癒す方法はないと言った。あまりにも無常なことだと思うから、セシリアはそのことだけは口にせず、任務の話を聞かせてやった。無論、セシリアたちが黄金の鍵を手に入れたことや、ウルガンが死んだことは、軍機に触れる。
軍人の一人とは言え、戦列を離れた傷病者であるマーカスにそれらを語って聞かせることは出来なかったのだが。
「それにしても、隊長。随分と、アルサスのことを買っているんですね」
小さく笑ってマーカスが言う。本人は気づいていなかったが、スコルピオとの戦いの最中、アルサスが活躍した事をセシリアは、随分と熱っぽく語っていた。
「そ、そんなことは、ないっ!」
「無理しなくてもいいですよ。僕も、彼には見込みがあると思います。彼なら終末思想のようなことは思い描かない。きっと最後まで、抗ってくれるはずです」
「なんだ、マーカスこそ、アルサスを買っているんだな」
「さあ、何故だか分かりませんが、彼の赤い瞳を見たとき、そう思ったんです。ダスカードへの出発の前の日、見舞いに来てくれましたよ。彼は、きっと記憶を取り戻しても、民族とか国境という垣根を越えられる人だと思います。あとは……隊長がそれを支えてあげてください」
「わたしが……」
「ええ。そういえば、ジャックとアルサスは上手くやっているんですか? ジャックはどちらかといえば、保守的なダイムガルド人です」
「それなら、心配は要らない、今もジャックに無理矢理酒場へ連れて行かれているはずだ。あれで、ジャックは面倒見のいいところもある。誤解が解ければ、あの二人は上手くやると思う」
セシリアはそう言うと、ベッド脇に据えた背もたれのない丸椅子から立ち上がった。
「また、見舞いに来るよ。マーカス、早く良くなってくれ」
と口にしつつも、本当はマーカスが死を待つだけの身の上だということをセシリアは知っている。なるべく、嘘をつかないように、十七年間の人生を生きてきた。それは、養父であるオスカー・ラインの教えでもあり、忠実にそれを守ってきたのだが、マーカスに本当の事を告げる気にはなれなかった。
踵を返し、病室を後にする。セシリアが入り口のドアに手をかけた時だった、不意にマーカスの声が、セシリアの背中を叩いた。
「隊長。隊長は死なないで、帰ってきてくださいよ。僕、ここで待ってますから」
マーカスから掛けられたその言葉に、セシリアは振り返ることも、返事を返すこともなく、ただ押し黙って、友の死を受け入れなければならないという現実を改めて再確認した。そして、涙をこらえ、病室から離れた。
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