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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
85/117

85. センテ・レーバンの使者

 時計の音だけが鳴り響き、沈黙の中でエイブラムスは、小さな紙切れを何度も読み返しては、難しい顔をした。紙切れには、タイプライターによる文字で「発、近衛騎士団第二十八歩兵連隊所属第五哨戒小隊隊長、セシリア・ライン大尉 宛、帝都大本営陸軍軍令部」の前置きに始まり、緊急エーアデ通信によって送られてきた、手短な報告が箇条書きにて記されていた。その驚くべき内容に、エイブラムスの執務室は沈黙に包まれたのだ。

「これが事実とすれば、忌忌(ゆゆ)しき事態です。センテ・レーバン側への抗議も含めますと、外務大臣も忙しくなりましょう」

 と、言うのはエーアデ通信の電報を届けた、セシリア・ラインの直属の上司に当たる、近衛騎士団第二十八歩兵連隊の連隊長兼、帝都軍大隊長を務めるアルフレッド・ノース大佐である。ダイムガルドは国土のほとんどが砂漠であるため、実際に視たことはないが、熊のような屈強な軍人体型をしたアルフレッドの口から、政治的な話題が漏れてくるとは、思いもよらず、エイブラムスは苦笑をこらえた。

 執務室内には、エイブラムスとアルフレッドの二人だけであり、秘書の姿はない。そのためか、異様にむさくるしく思いながらも、エイブラムスはちらりと視線だけアルフレッドに向けると、苦言を呈した。

「外務のことまで、陸軍省が口出しすることは出来ん。その先を決めるのは、外相の務めだ。そもそも、黒衣の騎士団ギャレット・ガルシアは、センテ・レーバンでもお尋ね者になっていると聞いている。一概に事を起こしたのが、センテ・レーバンの仕業などと早計過ぎるとは思わんか?」

「あ、いや、失礼しました」

「しかし……、ウルガンどのが死んだとなれば、我が軍は百万の軍勢を失ったにも等しい。如何にこの事態に対処をつけるか。アストレアの天使とやらと戦争をすると陛下がお決めになった以上、それに従うは軍人の務めとは言え、不安は拭い去れないな」

 ふうっ、と溜息を付くと、電報の紙切れをデスクに放り投げたエイブラムスは、自らの禿頭を撫でた。

「いずれ、世界は一度滅び、新たな世界に生まれ変わる。ウルガンどのの予言は当たっていた。そのことを、大臣連中の中には、いまだに信じていないものもおります。セシリア大尉が、ウルガンとのに授かったと言う黄金鍵、それが我が国の意識統一に一役買ってくれればよいのですが」

 アルフレッドは、エイブラムスが放り投げた電報の紙切れに眼を落とした。几帳面な文体はセシリアらしいと言えばセシリアらしい。

「しかしな、その黄金の鍵とやらは、ルートニアにある遺跡を開くための鍵だそうじゃないか。ルートニアは知っての通り、センテ・レーバンの要塞。しかも、王国騎士団はガルナックでの敗退を受けて、ルートニアに政府機能と本拠を移設した

「事実上の遷都ですな」

「その通りだ。そんな場所へ、密偵を放てば済む、という問題ではない」

「それなんらば、いっそのこと、ルートニアを奪うというのはいかがでしょう? センテ・レーバン軍の弱化はいまや、眼に見えて明らかです。即位したばかりの女王は意識不明のまま、諸侯は悉く離反し、ガルナックの戦いで戦死した騎士団長の後を継いだ新規師団長はまだ十九の若造だいう話。国として、軍としてのの体さえなしていない。鉄機騎士団を用いるまでもありません。一軍さえあれば容易にルートニアを陥落せしめることでしょう」

 柄にもなく力説する、アルフレッド。その言い分は分からなくもない。陸軍情報局の諜報員がかき集める情報の信憑性は非常に高い。軍部改革の第一段階として、エイブラムスが力を入れたのもその点である。センテ・レーバンやガモーフのような騎士団による忠義を重んじる軍を旧式とよぶなら、完全な縦割り社会と装備のみならずその軍務形式の機械化を持ち込んだダイムガルドの軍隊は新式と呼べるだろう。その骨格といえるのが機械的に情報を諜報し統合化する組織、情報局である。

「ようやく、軍備拡張の予算が下りたからと言って、それはちと野蛮すぎるそれに、ルートニアはガルナックに並ぶ要塞拠点。やすやすとは落とせまい。あの翼の生えた化物どもと戦う前に、戦線を多方面に展開できんことくらい、軍略に乏しい貴様でも、分かることだろう?」

「一般論を示したまでです。不愉快な思いをされたなら、申し訳ありません」

「一般論だと?」

「兵の中には、今ならセンテ・レーバンを落とすことも容易だとする意見が跋扈(ばっこ)しております」

 実務に近しい大隊長ならでわのアンテナである。陸軍大臣である大将格であるエイブラムスには、そうした末端の声は聞こえてこない。どちらかと言えば、軍務よりも政務に近い場所にいるため仕方がないことではある。しかし……。

「それでは、モーガンたち教導団と変わらんではないか。もうじき『飛航鯨』の三番艦が就役する。これで八年越しの構想も実現するが、その矛先を向けるべきは、センテ・レーバンではない。そのことを、十分に弁えてもらわねば、この戦を制することは難しい」

 エイブラムスはそう言うと、席を立った。そして、そのまま踵を返すと、アルフレッドに背中を向けて、窓辺から見える帝都の景色に眼を向けた。まがりなりにも美しいとは言いがたい、キューポラの立ち並ぶ街並み。兵工廠や軍需工場からもくもくと上がる煙は、今もパイル・バレットを製造が日夜急ピッチで行われていることを示している。その度に、ダイムガルドの空気は少しずつ汚れていく。十年前はもっと澄み切った、砂漠のオアシスとも呼ぶべき街だったが、今はその影もない。ウルガンから手に入れた、神々の時代の技術による、急激な発展のその先にあったものは、他の二国を凌駕する軍事力による、抑止力である。そのすべては十年前のヨルンの悲劇から始まった。

 当時中将であったエイブラムスは、前線ではなく、この王都にある参謀本部から指示を行う立場であった。しかし、あっという間に、全軍の三十パーセント以上の兵隊を失ったことは、驚愕に値した。同時に、あの戦いを生き延びたものたちには少なからず、トラウマを植えつけたのである。

「この世界は、十年前、時計の針を止めてしまった。あのトラウマに戦々恐々として。世界が飢饉や異常気象に包まれたのは、もしかすると、人間がトラウマを抱え続けていたためかもしれない。些細な困難が、何倍にも感じられ、恐れ戦く。それはやがて、恨みつらみになっていき、相手を(そね)む……。我が国も、そうやって、ここまでやってきたことは否定したくはないが、そうした嫉みが世界を狂わせて行っているのではないだろうか」

 背後で、アルフレッドがぽかんとしているのが、気配だけで分かる。

「私は軍人だが、戦争屋ではない。だから、陛下の平和を愛するお気持ちは、よく分かる。だが、このまま世界が誰かの都合のいい世界に作り変えられるために、滅びを向かえるというのなら、軍人としてそれを止めるために、戦争をしなければならない。陛下にもようやくそのことが分かっていただけたようだ。もっとも……それは、あのセンテ・レーバン人の少年に因るところが大きいようだが」

「センテ・レーバン人というと、セシリア隊に編入させた、記憶喪失のアルサス・テイルのことでしょうか?」

「そうだ。オスカー・ラインどのの娘子ともども、立派に働いてくれているようではないか。それだけで、信用に値するとは思っていないが、少なくとも、ルートニアに向かうキーマンであることだけは確かだ」

「すべては、セシリア隊とデイビット隊が黄金の鍵を持ち帰ってから、と言うことですな、エイブラムス大将?」

 読みがいいな、そんな風にちらりとアルフレッドに視線を向けたエイブラムスは、静かに頷いた。その静を打ち破るかのように、パタパタとヒールの音が廊下から鳴り響く。やがてその足音は、エイブラムスの執務室の前で立ち止まると、ノックもそこそこに扉を開けた。

 現れたのは、エイブラムス付きの女性秘書、ミリー・ヤードである。いつも、冷静沈着にエイブラムスをサポートするこの美女に似合わない、血相を抱えた顔をしていた。

「お取り込み中、失礼します。エイブラムス閣下!」

 ミリーはエイブラムスの傍まで駆け寄ると、つま先立ちをして、エイブラムスの耳元で囁いた。

「先ほど、センテ・レーバン王国からの使者が帝都に到着したとの知らせを受けました。ただその使者と言うのが……」

 わずかな化粧の匂いと共に、妙に歯切れが悪くなる。エイブラムスが「何だ?」と問いかけると、ミリーは、

「ダイムガルド人なんです」

 と、さらに声を潜めて言った。センテ・レーバンからダイムガルドへの使者が、ダイムガルド人? それはまたおかしな話だ。エイブラムスは、秘書の言葉を疑った。しかし、ミリーは続けて、

「その使者は、元近衛騎士団員だった『フランチェスカ・ハイト』と、名乗っています」

 と、さらに驚愕を伝えた。


 ダスカード遺跡で、魔物はドラグノ族のハイ・エンシェントであったウルガンから、黄金の鍵を授かったという、セシリア・ライン率いる哨戒隊が戻ってくるのは明日のことである。それを待たずして、まさか、センテ・レーバン側からの使者が訪れるとは思っても見なかった、大臣たちは、大いに慌てふためいた。一体何のために、センテ・レーバンは使者など送りつけてきたのか。その真意は分からない。

 ダイムガルドとして取るべき行動は二つ。一つは、使者と言えども敵国側に与する人間。捕らえて牢獄に放り込むか国外に退去させる。あまりに乱暴なやり方ではあるが、ほとんど鎖国状態であるこの国にとって、最大の敵である国の使者とまともに取り合うというのもいかがなものか。無論、もう一つは、即ち、きちんと使者として迎え入れ、然るべき手続きを踏む、ということである。この場合、使者の言い分を受け入れるか否かは別としても、皇帝自らが謁見を許可する必要があった。

 現皇帝であるアイシャが取った行動は、後者である。センテ・レーバンからの使者がやって来た、という知らせをアイシャが受けたのは、ちょうど、大臣たちに任せきりだった政務の勉強をしている最中、ふと窓の外にアルサスは今頃どうしているだろうか、と思い浮かべていたときだった。アイシャは直ちに、緊急の御前会議を開いた。

 そこで、エイブラムスから、アルサスたちがウルガンより「黄金の鍵」を授かったことや、そのウルガンが、ギャレット何某(なにがし)というメッツェに与する騎士に殺されたことを知った。

 居並ぶ大臣たちは、エイブラムスを目の敵にする財務大臣を筆頭に、使者を追い返せ、という意見に終始したが、アイシャは皇帝としての権威をここぞとばかりにかざし、それらの意見をねじ伏せ、謁見を許可した。

「話は聞いてみなければ分からない」

 きっと、アルサスならそう言ってくれるに違いない、とアイシャは思ったのだ。一度、「これは皇帝の決定じゃ!」と強い口調で言えば、さしもの財務大臣も口をつむぐほかなかった。それほどまでに、皇帝陛下というのは権力があり、同時に忠誠に伴う責任がある立場だということを改めて感じた。

 謁見は会議室ではなく、謁見の間で執り行われることとなった。おなじ皇居にあるのだが、積極外交を取り止めて以降、つまりアイシャが父の跡を継いで以降、そのへやはほこりを被っていた。使者を迎えるためには粗相をするわけにはいかないと、急ぎ掃除をさせ、本来は顔を見せてはならないというしきたりのため、謁見の間にも御簾が掲げられているのだが、それをアイシャの意向で取り外させた。

 そうして、すべての準備が整う。謁見の間の中央には、赤いカーペットが敷かれ、部屋の奥に据えられた玉座にアイシャが座る。そして、警護の近衛騎士が部屋の中に配置され、カーペットの両脇には、エイブラムスたち各大臣が整列し、センテ・レーバンからの使者を迎えた。

「センテ・レーバン王国御使者さまの到着にございます!」

 侍女の声とともに、謁見の間にセンテ・レーバンからの使者が姿を現す。使者の数は三人。伝統に則って、使者団の団長は、それを示す「シュレーフ」という藍染の(たすき)を掛ける決まりになっている。その団長の顔をみて、アイシャは思わず、「あっ!」と声を立てそうになってしまった。

 使者の随行員二人は、色の白いセンテ・レーバン人だとひと目で分かるような顔だが、団長の女は、明らかにセンテ・レーバン人ではない。

 ポニーテールに結われた髪は艶やかな黒髪、肌は日に焼け褐色、背は高く、それでいて、体の内側から美貌が溢れるような美女。誰が見ても、それはダイムガルド人の女であった。

 さらに奇妙なことは、彼女が身に纏っているのは、センテ・レーバンの衣装でも甲冑でもなく、ギルド・リッターの白銀の鎧だ。

 アイシャの傍で整列する大臣たちは、一様に「わけが分からない」と顔をしかめて、どよめいた。そのどよめきを打ち払ったのは、エイブラムスの咳払いである。

「御使者どの! 皇帝陛下の御前であるぞ! 頭が高いっ!!」

 すると、使者の女はアイシャの前で、すばやく片膝を付きかしこまる。

「センテ・レーバン国王の名代として、王国騎士団長代理クロウ・ヴェイルより、書状をお届けに参りました」

 丁寧だが、凛と張った声音は、よく通る声は、謁見の間中に広がった。アイシャは居住まいを正し、その女に負けじと声を張り上げる。

「わらわが、ダイムガルド皇帝、アイシャ・マイト・ダイムガルドじゃ! ルートニアからの長旅、ご苦労であった。そちの名は何と申されるか?」

「はっ、皇帝陛下。お会いできて光栄でございます! わたしは、元ダイムガルド帝国近衛騎士団員、フランチェスカ・ハイト、と申します! 故あって、今はセンテ・レーバンに微力ながら助勢している身であります」

 使者の女、フランチェスカは揺らぐことのない口調で、自らの身分をアイシャに明かした。

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