83. 黄金の鍵
この世界に棲む魔物には、学術的に確認されているだけで、七つの種族があると言われている。ヴォールフ、エイゲル、スキード、エント、ボアル、スコルピオ……そして今、アルサスたちの目の前にいるドラグノ族である。ドラグノの容姿を説明するのはとても難しい。その体躯は魔物の中でもとりわけ大きく、爬虫類に似た鱗が体表面を覆い、両手足の鋭い爪と長い尻尾が印象的だ。背中には、蝙蝠に似た小さな翼が生えているが、それは飛ぶためのものではなく退化した翼の成れの果てである。また、顔は体と同じく爬虫類、それも蜥蜴を思わせる。ぎょろりとした双眸は威圧感があり、口元から生える牙や頭頂部の角は、獰猛ささえ感じる。それを総して言うならば、ドラグノ族の姿は……。
『ドラゴンだ!』
と、驚嘆とも驚喜とも取れる声で、ジャックが指差す。まさに、ドラグノ族のハイ・エンシェント「ウルガン」は、子ども向けの冒険活劇が描かれた本の中に出てくる巨大な「ドラゴン」に良く似ていた。おおよそ、この地上に住まう生態系を例に挙げてで説明することは難しく、架空の生き物に準えるのが、やっとだった。
無論、ウルガンとはじめて対面するセシリアも、ウルガンのことは話に聞いていたが、見ると聞くとでは大違いで、驚きに言葉を失っていた。
それはアルサスも同じである。小山ほどもあるその巨大な生き物は、魔物としても破格の大きさである。どうやってダスカード遺跡の地下にもぐりこんだのか、という謎よりもむしろ、目の前にいる生物への恐怖の方が勝っていた。すると、そんなアルサスたちの内心が伝わったのか、ウルガンはぬっと長い首をこちらに近づける。そして、値踏みするかのように、セシリア、アルサス、ジャックのことを見つめた。
「恐れずともよい。予はものを食べずとも、その命はフォトン・ゲージによって守られている」
ウルガンの口から発せられたのは、人の言葉ではあるが、明らかにその声音は人の声とは違う。冥府のそこから湧き出てくるような恐ろしい声だ。それでも、ウルガンは図らずも怯えてしまった、矮小な人間を気遣ってか、その言葉には幾ばくかの優しさを見え隠れさせていた。
「フォトン・ゲージ? 魔力のようなものなのですか?」
アルサスが声を上擦らせながら、問いかけた。すると、ウルガンは、近づけた首を引っ込めつつ「左様」と頷く。
「フォトンとは魔力の源と言ってもよい。我が力の源は魔力、それさえ絶えねば、栄養と呼ばれるものを摂取する必要はない。無論、フォトンがあるべき本来の意味はそれだけではないのだが……そなたたちは、そのような事を問い質しにここまで来たのではあるまい? だがその前に、人の子らよ、予に顔を見せてはくれぬのか」
『こ、これは、失礼しました、ウルガンさま!』
ウルガンの言葉にアルサスの隣で、セシリアはぺこりと頭を下げた。アルサスはセシリアに促されるまま、兜のバイザーを開いた。ウルガンは、それぞれの顔を確かめるように見つめ、その瞳をアルサスの赤い瞳の前で立ち止まらせる。双眸がやや細くなり、なにかを思い出したかのように頷き「ほう……そなたは」とウルガンは小さく呟いた。
それは、まるでアルサスのことを知っているかのような口ぶりである。記憶を取り戻すことを先決としているわけではないし、記憶を取り戻すことにわずかに戸惑いも感じているが、それでも、アルサスは自分が何者なのか知りたい。
「ウルガンさまは、ぼくの事をご存知なのですか? ぼくはこの国に来て、記憶を喪いました。もしもご存知とあれば、お教え下さい!」
アルサスが請願の眼差しを差し向け、ウルガンは頷いて見せたが、瞳を閉じるとそれを断った。
「記憶がないと申すなら、予が知るそなたのことを教えたところで、そなたがそれを受け入れることは出来ぬであろう……」
「ですが、ぼくは何か大切な事を忘れている。そのままにしておくわけにはいかないのです!」
「赤き瞳を持つ少年よ、そなたが、そなたの使命に気づき、自らなすべきことを知れば、自ずとそなたがこの世界の何を握っているのか知ることが出来る。予から言えることは、まだ時間は残されていると言うことだ」
ウルガンが話を締めくくるようにそう言うと、辺りに静けさがまとわりついた。落胆の色を隠せないアルサスを見やったセシリアは、やや同情するような視線を向けた後、再びウルガンの方に顔を上げた。
「して、そなたたちの用向きとは何だ?」
ウルガンの問いかけに、セシリアは敬礼の姿勢をとった。ダイムガルドにとって、ウルガンは発展の知恵を授けてくれた恩人でもある。礼は尽くさなければならないと言うことだろう。
それにしても、このような地下の薄暗い場所にウルガンが篭っているのは、不可思議でもある。恩人と言うならば、それ相応の扱いを受けて然るべきである。それが、たとえ魔物だとしても。その不可思議を代弁するかのごとく、ウルガンは続ける。
「我は、人の世界に干渉した。九年前、そななたちが予を発見し、そして協力を仰いだその日から、予は、本来あるべき使命を捨てて、自らの赴くままにそなたたちに力を貸した。そなたたちが『神の時代』と呼ぶ遠い過去の技術をそなたたちに託した。その代わり、せめて静寂を、とここに留まる事を決めたが、その老いぼれに、まだ何か問い質したいことがあるか?」
「他でもありません。ウルガンさまが我々に予言された、『約束の日』が近づいております。金の若子こと、メッツェ・カーネリアと、銀の乙女が『翼ある人』を世界に放ち、この時代を終わらせようとしております。我が国の人々だけでなく、世界中の人々がなす術もなく、ただ彼らの凶刃に、こうしている今も斃れています。なにとぞ、ウルガンさまの持てる知恵で、彼らに対抗する術を教えていただきたいのです」
反響を繰り返すセシリアの声に、ウルガンは瞳を閉じて考え込むように黙り込んだ。アルサス、セシリア、ジャックの三人は固唾を飲んで、彼の答えを待った。ややもすると、ウルガンは手のひらをセシリアの前に差し出した。
足に比べて、小さな手はそれでも手のひらだけでセシリアの体をすっぽりと包み込めるほどだ。そんな手のひらには指が三本しかなく、いずれも鋭い爪が生えており、そのうちの一本に小さな鍵がかかっていた。これも、小さいと言っても、短刀ほどの大きさがあり、金色に輝く柄の部分に魔法文字と四色のきらびやかな宝石がはめ込まれていた。
「これは、ルートニアにある遺跡の鍵。かつて、六本作られたうちの一つであり、アストレアが予に託したものだ。人の子よ、この鍵で記録を知れ。さすれば、そなたたちが『翼ある人』と呼ぶ化物とどう向き合うべきか分かるだろう」
「ルートニアの遺跡……」
セシリアはウルガンの言葉を繰り返しながら、彼の爪先から、黄金の鍵を受け取った。ずしりと両手にのしかかるような重たい鍵である。
「ルートニアって言ったら、センテ・レーバンの西方にある要塞っス。今は、王国が王都から拠点をルートニアに移していて、そんなところにある遺跡の鍵を渡されても、俺たちにはどうしようもないっスよ」
ちらりと黄金の鍵に眼をやったジャックが反論の声を上げた。ウルガンの言ったルートニアは、対ダイムガルドのためにセンテ・レーバン王国が築いた要塞の名である。古代遺跡を利用して造営したと言う点では、ハイゼノンに近いものがあるが、語るべくもなくルートニアは敵国の領地。しかも、現在は即位式典事件に端を発し、ガルナックの戦いで弱体化した王国騎士団が王都を放棄して、ルートニアにその拠点を移している。そんなところへ行って、ちょっと遺跡の調査をさせて下さい、などと簡単に通るわけがない。
「国境などと言っているようでは、人の時代も黄昏を迎える」
「な、何だとっ!?」
カッとなったジャックが憤懣を露にする。しかし、ウルガンはさらりとそれをかわすかのように、
「人の子よ、この世界は終わりを迎え、新たなる時代に生まれ変わろうとしている。それなのに、国家だ民族だと言っていては、再誕をとめることなど出来ない。何故なら、アストレアの天使たちは、そのような柵などないのだから」
と、冷徹な言葉でジャックの口を塞いだ。
「人の子よ、その黄金の鍵をそなたたちが使えるか否かが、人の時代を守れるか否かにつながっている事を、ゆめゆめ疑うなかれ」
ウルガンの言葉に、セシリアは固く黄金の鍵を握り締めた。ジャックの言うとおり、今はこの鍵を使うことは難しい。しかし、これを持ち帰ることは、任務の達成とも言える事を、セシリアは理解していた。
「はい。肝に銘じておきたいと思います。もうひとつ、お尋ねしたいことがあります。帝都には、『翼ある人』によって傷つけられた人が大勢います。『翼ある人』の槍は普通の武器ではないことは承知しております。ですが、傷つけられた人たちは、傷口から光の粒を溢れさせ、日に日に生気を失っています。何か、治療を施すことは出来ないのでしょうか?」
自らの部下であった、マーカス・ヒルもその一人。助けたいと言う思いは、セシリアだけではなく、ジャックもアルサスさえも、共通に思っていたことである。しかし、ウルガンはそれに対しても明確な答えをくれはしなかった。
「フォトン化を止める手立てはない。ひとつだけその者たちを救う手立てがあるとすれば、奏世の力だ。金銀の天使のうち、銀の乙女に与えられたその力があれば、その者たちをフォトン化から救えるだろう」
「それは……!」
傷ついた者たちを救うことは無理だ、とウルガンは言っているに等しい。軍病院のベッドで苦しむマーカスの顔が過ぎり、セシリアはわずかに眉間にしわを寄せた。「フォトン化」というのが何であるかは分からないが、少なくとも、傷ついた者たちを救うためには、自らが倒すべき相手の力を借りなければならないとは、何たる不条理なことか……。
「他に、手立てはないと仰られるのですか?」
「うむ。予は魔物と呼ばれる生き物、その使命はそなたたちの力になることではない。畢竟、予が二千年余りにかけて蓄えたの記憶をそなたたちに教えたとしても、そなたたちのためにしてやれることは何もないということだ。忸怩たる思いだ……」
ウルガンは、少しばかり遠い眼をした。
「いえ、ウルガンさまのおかげで、我らは新しい技術を手に入れ、苛酷なこの国の環境の中で、ヨルンの悲劇から立ち直ることが出来ました。決して、あなたさまが恥ずかしがることなど何もありません」
心からそう思うから、セシリアは言葉に乗せたのだが、わずかにウルガンは笑ったような気がした。それは、まるで自らの事を嘲笑うかのような笑みであり、「そうではないのだよ」という言葉の影に、ウルガンが抱える何かしらの心の陰のようなものを感じ取らずにはいられなかった。だが、だからと言って、遥かな時を生きてきた、ハイ・エンシェントに掛ける言葉をセシリアは持ち合わせていない。
今、自分たちがするべきことは、黄金の鍵を持ち帰り、国に報告を伝えることだ。セシリアが踵を返したその時だった、兜の耳あてから雑音交じりの声が届く。それは、ミスリル採掘場の調査に向かった、デイビット・ベルからの通信だった。
『こちら……ビット、セシリア大尉、聞……るか? 敵が……近くにいる。警……るんだ!』
はっきりと聞き取れない通信は、そこでぶつりと途切れてしまう。
「エーアデ通信に妨害が掛けられている!? デイビット! デイビット中尉、応答願いますっ!」
呼びかけに応じる返事はない。しかし、確かにデイビットは「敵」と言った。『翼ある人』のことか? いや、そんな推測なんて、どうだっていい。
「ジャック、アルサス! 直ちに上へ戻る!」
セシリアは兜のバイザーを下ろし、バヨネットを構えた。ところが、彼女は踏み出した足を止める。ウルガンの部屋の後方、セシリアたちが入ってきた入り口とは反対側の入り口の方から、足音が聞こえてきた。悠然としつつも、威圧感を兼ね備えた足音だ。
「そんなに、早々と退散することはねえだろ。これから、面白いショーが始まるんだ。そいつを見てからでも遅くはない」
足音共に男の声。無論、ウルガンのものでも、ジャックのものでも、アルサスのものでもない。もっと軽薄で、それでいて相手を見下したような声音。セシリアには聞き覚えのない声だったが、反射的に返した脚を、もう一度ウルガンのほうに向けた。
「そうだろ? ドラグノのハイ・エンシェント、ウルガンよ」
足音共に、声の主はゆっくりと姿を現した。その威容に、一同は息を呑む。獅子の紋章をあしらった漆黒の鎧、逞しい腕、そして、背中には三本の剣を携え、内一本は今まさに男の手に握られており、ヌラリとした鮮血が滴っていた。だが、セシリアが恐ろしく感じたのは、薄い笑みを浮かべた獰猛な獣のような、男の顔である。男は、殺しを悦楽とする、そういう顔つきをしていたのだ。
「来たか……、人の子にあって、世界の再誕を望む者よ」
ウルガンは長い首を曲げ、現れた男の顔を見遣った。
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