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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第九章
81/117

81. 砂漠の魔物

 節足動物の節がきしむ音。舞い上がる土煙の中から、その姿を現す。アルサスは、その驚嘆すべき敵の姿に絶句した。

 魔物。その言葉は知っていても、喪った記憶の内側にも外側にも、その魔物に関する知識は存在していない。それは、ダイムガルドの砂漠にしか生息しない魔物であり、それが「スコルピオ」と呼ばれることも、今まさにこのとき知ったのである。

 スコルピオは、外見こそ砂サソリに酷似しているものの、その大きさは魔物のそれに例外なく、人の三倍近くあり、強靭な殻に覆われた体躯、六本の節足、はさんだ物を引きちぎるハサミのような爪を備えている。だが、最も恐ろしいのは、十二の節でつながれた尻尾の先に尖る、毒針である。その猛毒が体内に入れば、死するどころか、たちまち肉は腐り、骨だけになってしまう。

 そう聞かされれば、戦かないものが居るだろうか。しかし、恐れて二の足を踏めば、スコルピオの餌食になってしまう。アルサスは、バヨネットを小脇に抱えながら、前もって訓練された行動にしたがって走った。ベル小隊のメンバーと併せて、こちらは六人。戦って勝てない相手ではない。

 ところが、『おかしい』という呟きがアルサスの耳朶を打った。耳あてのスピーカから聞こえてきたその声は、セシリアのものだった。

『スコルピオは大人しい魔物で、人間を襲うことは稀だ』

『何かに怒っているみたいっスね』

 セシリアの声に続くのは、ジャックの声。何が異変なのか、アルサスには分からないが、目の前で爪バサミをぶんぶんと振り回すスコルピオは、明らかに、何かに激昂していた。それは、我を忘れていると言ってもいいだろう。

 一体なにがあったのか。何がこの魔物をここまで怒り昂ぶらせているのか。それは、アルサスにも分からない。しかし、このまますんなりと通してはくれそうにもない。

『ベル隊、スコルピオの後方へまわれ! ジャック、アルサスは爪バサミをひきつけろ。スコルピオの弱点は腹だ!』

 セシリアの指示が飛ぶ。ベル小隊の三人はすばやく砂を蹴って、スコルピオの後ろに向かう。全身甲冑ではあるが、その重さは軽く、かつ関節の動作を阻害しない構造のおかげで、すばやい移動が行える。アルサスは、ジャックと共に駆け出した。

『おい、センテ・レーバン人。足引っ張るなっ。邪魔だと思ったら、てめえごと撃ち抜いてやる』

 ジャックの挑発とも取れる言葉が飛んでくる。アルサスは、その悪意ある部分を見逃して「そっちこそ!」と返した。

 振り下ろされる爪バサミ。アルサスは身軽にひょいと飛び跳ねながら避け、バイザー裏の画面に浮かび上がる情報を読み取る。金色の甲冑に異常が発生すれば、すぐにその知らせが届く。これまた、どういう仕組みなのか理解できるものではなかったが、少なくとも、異常は知らされていない。

 いける! アルサスの脳裏にその三文字が感嘆符とともに横切る。爪バサミをかわし、着地と同時に踵を軸に体の向きをスコルピオに向けると、その顔面めがけて、一気にバヨネットの引き金を引いた。筒の中で火薬が爆発し、先端からミスリルの杭が撃ち出される。

『ダメだ、アルサスっ!!』

 唐突に、セシリアが叫んだ。その言葉の通り、アルサスの放ったパイルは、スコルピオの固い殻にはじかれてしまった。もともと、ミスリルの硬度は鉄などよりもはるかに高い。しかも、魔力に対してそれを吸収するという効果がある。そのため、とねりこの木と並び、魔法使いの(ケイン)の素材として扱われるのだ。バヨネットも、対魔法使い用の兵装として開発された側面を持つ。しかし、そのパイルさえも通さない強固な殻は驚きにも値した。

『センテ・レーバン人! 聞いてなかったのかっ!? ヤツの弱点は腹だ! 足手まといになるなら、今すぐ俺たちの前から消えろ! このグズがっ!』

 ジャックの耳が割れんばかりの罵声が飛んでくる。アルサスは「ごめん」とだけ返しつつも、その視線はスコルピオから外さなかった。

 バイザーのスリットから見えるスコルピオは、後ろに廻ったベル隊の牽制射撃を尻尾で払いのけながら、爪バサミでアルサスたちを攻撃する。その死角のない攻撃は荒々しく、狂気に満ち満ちていた。セシリアの言った、スコルピオが大人しい魔物だと言うのが信じられないほどだ。

 腹の下に入り込めれば、勝機が見える、と言っても、その腹の下に入り込むと言うのが問題である。後ろから回り込めば、毒針のついた尻尾の餌食となるだろう。正面から飛び込めば、複眼の双眸に睨まれて、爪バサミで体が泣き分かれになってしまうこと受け合いだ。

『何とか、注意を逸らして、逃げられないか!?』

 耳あてのスピーカから回線を通じて流れ込んできたデイビット・ベルの声は、アルサスに向けられたものではなく、セシリアに向けられたものだった。

『それはわたしも考えていた。だが、こうなってしまっては、ここでこいつを放置すれば、他の誰かを襲う可能性もある。退治する他ない』

『しかし、セシリア大尉。我々の任務はスコルピオを倒すことではないはず!』

 デイビットの意見にも一理ある、と感じたセシリアが言葉に詰まってしまうのを、アルサスはスピーカ越しに感じた。

「セシリア、眼だ。あいつの眼を狙ってくれ。そうしたらぼくが、あいつの腹の下に入る」

 助け舟とばかりに、アルサスが言うと、セシリアは驚きの声を上げた。

『何を言ってるんだアルサスっ! そんなことをしたら、腹の下で下敷きになってしまう!』

「他にこいつを倒す方法があるのか!?」

 語気を強めて言うと、返ってきた返事はセシリアのものではなくジャックだった。

『お前はバカか!? 任務達成前に、屍晒してどうするんだよっ。センテ・レーバン人ってのはそんなことにも頭が廻らないのか!?』

「そうじゃないよ、ジャック。セシリアの言うとおり、このままじゃこいつは帝都に向かうかもしれない。そうしたら、必ず犠牲者が出る。『翼ある人』と戦う前に、誰かが死んでしまうかも知れないんだ」

『そんなことは分かってるっ! だがな……』

「ダイムガルドの人が襲われるのを黙って見過ごして、ダイムガルド近衛騎士団なんて、名乗れないだろ?」

 ジャックの反論を、ある意味で屁理屈とも思えるような正論で塞いだアルサスは、バヨネットを構えなおした。スコルピオの碧眼がこちらを睨んでいる。怒りを露にしながら。

『分かった……。でも、パイルをスコルピオの腹に打ち込んだらすぐに逃げるんだ。わたしは、アルサスのこともダイムガルドの一員だと認めている』

 決断を下すセシリア。それでも一抹の不安は拭い去れない様子だった。そんなセシリアの不安を感じ取ったのか、ジャックが言う。

『だったら、隊長。俺があいつの腹の下に滑り込むっス。センテ・レーバン人にばかりカッコいいところを持って行かれたくないっスからね』

 しかし、セシリアはジャックの要望を跳ね除けて、

『いや、足ならアルサスの方が速い。任せる、アルサス。ジャックはわたしを援護しろ。スコルピオの眼玉を撃ち抜くっ』

 すばやく指示を下すと、アルサスの目の前で砂を蹴った。セシリアの後を追うジャックがバヨネットを撃ちながら、スコルピオの爪バサミを引きつけつつ、セシリアはその懐に飛び込むと、怒りの満ち溢れる碧眼めがけてパイルを撃ち放った。

 節足動物の大半がそうであるように、魔物と言えどもスコルピオの瞳もいくつもの眼球が寄り集まった複眼構造である。ただ、眼は人間と同じく二つだけ。ちょうど人間の頭ほどの大きさがあるものの、たった二つの的を射抜くのは、爪バサミさえ牽制できれば、難しいことではなかった。

 セシリアとジャックは、セシリアが小隊長になった頃からの相棒でもある。その息はぴったりとあっていて、アルサスが思うよりも早く、セシリアたちはスコルピオの眼を潰した。

「ギャアアアっ」

 縦に割れた口吻が大きく開き、スコルピオが苦痛の悲鳴を上げてのけぞった。魔物であるから、虫とは違う。その獣じみた悲鳴を合図に、アルサスは一直線に走り出した。バヨネットの戦闘では不要に思えた迅雷の剣技の脚力がものを言う。

 腹から掛け声を上げ、アルサスはセシリアたちを追い抜いて、その腹の下へ滑り込む。蛇腹になった節。だが、腹の殻はそれほど厚くはない。ひと思いにバヨネットの先端に取り付けられた小剣を、その腹の節の間に突きたてた。

「いっけぇーっ!!」

 思い切り引き金を引く。火薬の爆発する振動と共に、引き金を引いている間、次々とスコルピオの体内に、ミスリルの杭が打ち込まれる。傷口からこぼれだした、体液がアルサスの甲冑を汚していく。その時である。

『やばいっ』

 ジャックの声がスピーカを介して、アルサスの耳に届く。悲鳴を上げたまま、スコルピオの体がぐらつき倒れてきたのだ。逃げ出すのが一歩遅れてしまった。などと冷静に分析する余裕はない。このまま、スコルピオの巨躯に押しつぶされてしまうのか……アルサスは思わず眼を閉じた。その瞬間、ものすごい力で甲冑の襟首をつかまれ、アルサスはスコルピオの腹の下から引きずり出された。

 間一髪。スコルピオが絶命し、砂埃を上げる直前に、辛くも腹の下から脱したアルサスは振り向く。甲冑の肩に記された識別ナンバーが、彼の命を救ったのがジャックだと教えてくれた。

「ジャック……」

『いいかっこさせてやらねえって言っただろう? まったく、無鉄砲にもほどがあるぜ』

 頭全体を覆う兜の所為でジャックの表情は読み取れなかったが、聞こえてくる声には、不思議と棘のようなものは感じなかった。

『怪我はないか?』

 セシリアが走り寄ってくる。アルサスは頷きながら、立ち上がった。グローブで、鎧に付着した体液を払えば、エラーのメッセージもひとつずつ消失する。

「怪我はないけど、バヨネットがスコルピオの腹に刺さったままだ」

 苦笑いを浮かべてアルサスが言うと、なかば安堵したようにセシリアの溜息が聞こえた。

『怪我がなければそれでいい……デイビット中尉、そちらはどうだ?』

『こちらデイビット。我が小隊も全員無事だ。まったく、肝が冷やされた』

『すまない。全員聞け、任務はこのまま続行する。予定外の時間を食った分、急ぎダスカード遺跡へ向かう、いいな?』

 全員の無事を確認したセシリアは、回線越しにそう言うと、返事を待たず、砂漠を歩き出した。ぞろぞろとその後をベル隊が付いていく。

 アルサスは、自らが打ち倒した魔物に一瞥をくれた。魔界からやって来たと言われる魔物、それを仕留めたという高揚感の影に、何故か申し訳なく思う気持ちがあることに気づく。魔物とは言っても、生き物であることに変わりはない。何故あれほどに怒り狂っていたのかも分からずに、無闇に殺生してしまったんじゃないだろうかという不安がこみ上げてくる。

『おい、センテ・レーバン人』

 唐突にジャックが、アルサスの後頭部を小突く。そして、彼は自らが携帯してきた、剣を差し出した。ごくありきたりのブロードソードだ。

『バヨネットの代わりに使え。こっちの方が得意なんだろう?』

 そう言うと、剣をアルサスに放り投げて、セシリアを追い歩いていく。アルサスはそれを受け取りつつ、ジャックの背中に向かって言った。

「ありがとう、ジャック。でも、ぼく、アルサスって名前があるんだけど……」

『知るかよ。さっと来い。置いていくぞ、センテ・レーバン人』

 ぶっきら棒に言いながら、ちらりとジャックは振り向いた。アルサスは思わず苦笑したくなったのをこらえながら、剣を腰のホルダーに通し、セシリアとジャックを追いかけた。


 ダスカード遺跡の姿が、はっきりとバイザーの隙間から確認できるようになるまで、終始無言のままセシリアはずっと考えあぐねていた。それは、スコルピオのことである。魔物と一口にまとめても、その生態系は様々であり、謎の部分も多い。たとえば、海に住むスキード族という烏賊の化物見たいな魔物は、ほとんど人間の前に姿を見せない。おかげで海運ギルドの航海に支障はないのだ。また、ボアルという猪に似た魔物は、より獣の性質に近い。縄張りを荒らさない限り、人間を襲ったりはしない。しかし、その一方で狼に酷似した、ヴォールフ族やエイゲル族は、獰猛であり家畜や旅人を襲うことがあり、恐れられている。

 しかし、スコルピオは、どちらかと言えば大人しい魔物である。サソリに似た姿をしているにもかかわらず、その危険はサソリに比べて低い。それが何ゆえにあそこまで激昂していたのか。見境もなく、自分たちに襲い掛かったのか……。それには何か事情があるはずだ。しかし、考えたところで思い浮かぶものはいくつかあるが、どれも的を射ているとは言い難いものがあった。

 そうこうしているうちに、眼前に、夕暮れの朱に染まったダスカード遺跡が見えてくる。厳密に言えば、聳え立つダイムガルドの最高峰アンジェロ山の麓と言うことになる。セシリアがここに来るのは、はじめてのことだった。

 いくつかの砂に埋もれかけたミスリルの柱が、規則正しく立ち並び、遺跡へのコンコースを形作る。意味ありげな、箱のようなモニュメントが幾つか転がっている、それ以外には何もない、とても寂しい場所であった。そのコンコースの先に、人工物だとはっきり分かる真四角な洞穴がぽっかりと口をあけている。それこそがダスカード遺跡の入り口だった。ダスカード遺跡はそこから、アンジェロ山の内部に建造された、古代の遺跡なのである。

『妙だな……静か過ぎる』

 デイビットが言う。デイビットは六人の中で、唯一ダスカード遺跡に来たことがあり、ウルガンにも面会したことがある人物で、それ故、セシリアたちの同行者に選ばれたのである。

『衛兵の姿が見えない。採掘場の方も光がない』

 そういって、ダスカード遺跡のすぐ傍にある、ミスリル採掘場キャンプの方を指差した。灰色の幌がけの小屋が立ち並ぶそれは、ミスリル採掘の作業員たちが生活する場所であり、すでに時刻から察するに、作業は終わっているはずにもかかわらず、生活の灯りが見えない。

『隊長! あれっ』

 と、言ったのはジャックだ。ジャックが指差すのは、採掘場のキャンプではなく、ダスカード遺跡の入り口の方だった。よく眼を凝らして、バイザーのスリットから見れば、入り口の辺りに、倒れこむ人の姿があった。すぐに、それがダスカード遺跡の衛兵だと言うことに気づき、セシリアは遺跡の入り口に駆け寄った。

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