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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第九章
79/117

79. セシリアの気持ち

「マジっすか!?」

 素っ頓狂な声を上げて、驚きを顔全体で示したジャックは、セシリアに食ってかかった。

「あの、小僧をマーカスの代わりにって、そりゃいくらなんでもひど過ぎるっスよ!」

 軍施設の片隅にある、軍御用達の酒場。薄暗く、酒の匂いとタバコのにおいが充満した、雑多で不衛生な店ではあるが、軍人にとって、数少ない憩いの場所でもあった。

 普段、セシリアは利用しない。酒が飲めないというわけではないのだが、騒がしいのより静かな事を好む。それに、セシリアはまだ未成年だ。それでも、この酒場に顔を出したのは、他ならない部下であるジャックに、アルサスの入隊を知らせるためだった。思ったとおり、ジャックは怒りを露にした。彼自身が直接センテ・レーバン人に不利益を被った経験はないのだが、ダイムガルド人が一様に持っている、センテ・レーバン人に対しての良くない感情を、ジャック自身も持ち合わせている。

 それは、あまりにも漠然としたものではあるが、容易にその感情を取り払うことが出来ないのは、セシリアも十分承知している。その点において、他の人間のように、センテ・レーバン人に悪感情を持ち合わせていない自分がいるのは、養父であるオスカーの教育の賜物であるといわざるを得ないだろう。

「エイブラムス大将直々の命令だ。それに、わたしとジャックの二人だけでは小隊は維持できない。マーカスの代わりになる補充兵が必要だ」

「じゃあ、真っ当なダイムガルド人を寄越せってんですよ!」

 エイブラムスの名に、ふてくされたようにジャックはジョッキをぐいっと飲み干した。ビアという、麦芽を発酵させた、ダイムガルド特有の苦味の強い酒だ。この酒場に居る者のほとんどが、ビアを飲んでいる。麦そのものは、無限の砂漠にあるオアシス地帯などで栽培されており、ほぼ唯一の農産物と言っても過言ではなかった。

「真っ当がどうかは別としても、アルサスは十分マーカスの穴を埋めてくれる。彼のセンテ・レーバン剣技は、実に優秀だと思う」

 なだめるようにセシリアが言うと、ジャックはテーブルの上にジョッキを置いて、リザーバーから二杯目を注ぎ込みながら、じとっ、とセシリアを睨む。

「隊長……。何か、あの小僧に肩入れしてやしませんか?」

「そ、そんなこはない! マーカスの容態が良くなったら、アルサスは用済みだ!」

「それなら、それでいいんスけど」

 ジャックは、ためらいもなく二杯目も一気に飲みし、酒の匂いに染まった息を天井めがけて吐き出した。

「『飛航鯨』の三番艦が突貫で建造されています。それが出来上がり次第、戦争が始まる。その時、俺はあいつに背中を預ける気はないっスよ」

「わたしもだよ」

 セシリアは椅子を跳ね除けて立ち上がると、テーブルの上にジャックの分の酒代を置いて、酒場を出た。

 帝都は酒場の熱気やざわめきとは裏腹に、夜風が吹き抜け、静寂の中に佇んでいた。眼前には皇居がセシリアを見下ろすように聳えている。セシリアは皇居を見上げて、溜息を吐いた。

 アルサスに背中を預ける気がないなんて嘘だ。それなのに、いとも簡単に嘘をジャックに吐いてしまった事が、溜息になったのだ。どうしてだろう……。アルサスのことを思うと、胸がもやもやする。そして、アイシャの事を重ねると、チクリと痛むのだ。

 少なくとも、アルサスは信用に足りる。仲間としては申し分のない男だと思う。しかし、それ以上にあの時、彼の瞳を見つめたときに、何かを感じたのだが、それが何なのか分からなかった。

「だめだ、だめだ!」

 セシリアは人知れず、自らの頬を叩いた。こんなことでは、戦いに挑むことが出来ない。敵は恐ろしく強い、光の粒で出来た化物。油断すれば、その三叉槍で貫かれ、自分が光の粒になる。運良く急所を外れたとしても、体組織が徐々に光の粒となり、生命力を奪われていくことは、マーカスで実証済みといってもいいだろう。

 セシリアを助けるため身を呈したマーカスは、あれから軍病院の床についている。大腿に巻かれた包帯の隙間を、真っ赤な血液ではなく、光の粒が漏れ出して消えていくのだ。そのたび、どんどんマーカスは痩せ細っていく。このままでは、マーカスの命もそう遠くない。隊長としてどうにかしてやりたいが、自分ではどうしようもないという、焦燥感もある。

 そんないろいろな感情を抱えたままで、いざ「翼ある人」と対峙して、生き残ることが出来るか。祖国を世界を救うことが出来るか。気を強く持たなければいけない。

「あれ? セシリア。こんなところで何やってるの?」

 突然声を掛けられ、驚きと共にセシリアは、咄嗟に振り返った。酒場の前の通路を歩いてくるのは、まだ新品の軍服を着こなせていない、件のアルサスだった。セシリアは飛び上がりそうになるのを必死にこらえた。

 アルサスは少しばかり微笑みながら、こちらに近づいてくる。胸の奥のもやもやが膨れ上がってくるような感覚を覚えたセシリアは目を逸らし、

「何でもない。明日から訓練だ、さっさと寝ろ!」

 と、自分でも驚くほどぶっきら棒に言うと、女子寄宿舎の方につま先を向けた。そのあまりに素っ気無い態度に、アルサスはきょとんとしている。しかし、セシリアはその視線を受け流しつつ、寄宿舎へ向かって歩き出した。


 バヨネットの扱い方は、剣術とも弓術とも違う。剣術であれば相手を一刀で切り伏せる腕力の鍛錬は欠かせないし、弓術であれば相手の急所を一撃で射抜く精神力の鍛錬が欠かせない。しかし、バヨネットは射撃時の反動に耐えうる足腰の筋力さえ備わっていれば、あとは取っ手に付いた引き金と呼ばれるものを引けばいい。どういう仕掛けで、どうやってミスリルの杭が発射されるのか、その仕組みを知る必要もなかった。

 もっとも、その仕掛けはとても複雑であり、アルサスには理解できるものではない。かいつまんで説明するなら、バヨネットの筒の中には、魔法装置がある。ただし、ダイムガルド人は魔力を持たない。そのため、鉱山から採掘される、もともと魔力を含有している魔法石を利用する、という技術がダイムガルドにはあった。そして、魔法装置によってパイルの後端にある「火薬」という黒い粉に着火する。すると、火薬は一気に爆発して、パイルに推進力を与えるのである。

 要はそんな仕組みなど知る必要はなく、相手の攻撃が届く前に撃つ。それが、バヨネットの基本的な使い方だ。もともと、肥沃ではないダイムガルドの大地では、農産物の生産は少ない。その一方で、鉱山などから大量の鉱石が採掘されている。他国では貴重なレアメタルであるミスリルも、帝都からさらに南方五百クリーグにある、「モリア」という鉱山で得られるのだ。

 十年前は、ここまで技術進歩しておらず、兵器の質もセンテ・レーバンやガモーフと大差なかったのだが、それでも魔法という力のないこの国が他の二国と渡り合ってこられたのは、鋼鉄帝国の名のとおり、豊富な鉄鉱資源にあった。

 ただ、それでもアルサスには「ミスリル」が貴重な鉱石であるという固定観念的認識がある。そういうことは、記憶から消えてなくなっていないというのだから、不思議なもので、つい引き金を引くよりも、バヨネットの先端についている近接武装の小剣を振り回したくなる。そのたび、セシリアにどやされた。

「違う! 小剣はあくまで敵の接近を許した場合の武器だ。引き金を引き、敵を撃つ。これがバヨネットの戦い方だ!」

 軍人然とした厳しい口調で、叱りつけられてしまう。ここ最近、彼女は何故かすこし怒りっぽい。棘が言葉のあちこちに見え隠れするのだ。始めてであったときは、軍人らしさを見せて背伸びしようとする女の子に見えたのだが、今はそんなそぶりも見せない。

 どうしたことか、と当惑していれば、練習相手の放ったパイルがアルサスの額を直撃する。訓練では、パイルに模した樹脂性の棒を用いる。とは言え、ものすごい勢いで発射される棒は、当たれば痛い。

「いったぁっ!」

 思わず悲鳴もでる。練習相手は、少しばかり心配そうに「大丈夫か、少尉?」と声を掛けてくれるが、セシリアはにべもなく「ぼんやりしているからだ」と詰めたい言葉を吐き出した。

 軍人の普段の職務は、訓練にあるといわれている。任務が与えられない間は、近衛騎士団詰め所にある訓練場で、鍛錬を重ねる。主に隊の者同士で訓練をするのだが、今アルサスの練習相手をしてくれているのは、別の隊の若者だった。ジャックは、センテ・レーバン人の相手をするなんて真っ平ごめんだ、と言って取り合わないため、セシリアが別隊から練習相手を借り受けてきたのだ。

 アルサスの入隊に関して、軍内では賛否両論が渦巻いた。「皇帝陛下のお命を守ったなら、仲間だ」とする意見と「たとえなんであろうと、センテ・レーバン人は敵だ」とする主張である。しかし、そんな風当たりなど気にも留めないで、アルサスはここ一週間、訓練に打ち込んだ。

 何故か身に染み付いているセンテ・レーバンの剣技は、バヨネットの戦闘ではほとんど役に立たない。飛び道具の側面を持つバヨネットは、相手との距離を詰めるものではなく、相手と距離をとる必要があるのだ。弓矢より威力も射程も弾速も圧倒的なこの武器を使いこなすためには、一対一の戦闘を意識した迅雷の剣は忘れなければならない。

「大丈夫だ。もう一回!」

 アルサスは練習相手にそう言うと、再びバヨネットを構えた。

 日中ともなれば、ダイムガルドの気温は一桁以下の温度から四十度以上にまで跳ね上がる。砂漠の気候というのは昼夜の温度差が激しく、体に堪えるもので、ダイムガルド人の強靭な肉体は、この厳しい環境から生まれたと言っても過言ではないだろう。事実、アルサスはすでに二度ほど熱中症になりかけた。それでも、訓練に勤しむのは、アイシャのためなんだろうか……。

 あの皇帝と言う立場に置かれた少女に、何か別の誰かを重ね合わせているような気がしてならない。それが誰なのかは、記憶の底で眠ったまま、アルサスにも分からなかった。分からないことは、無理に思い出そうとすれば、頭が痛む。だから、今は傍に居て欲しいと言うアイシャのために、近衛騎士となる。

 そんな想いの中で、地面を蹴って、練習相手との間合いを取る。ともすれば、体が勝手に反応して、先端の小剣に頼ってしまいがちになる。小剣には訓練用にカバーがかけてあるが、その剣で相手をしとめた方が早いような気がする、そういう固定観念を捨てながら、引き金を引く。

 狙いの定まらぬ練習用パイルは、激しい反動とともに、打ち出され練習相手の傍を掠めて、背後の防護ネットに当たる。

「無闇に撃つな! 弾切れは命取りだ!」

 セシリアの叱責が飛んでくる。アルサスは頷く余裕もなく、反対側に足を蹴りだしてもう一度バヨネットを構えなおした。相手のパイルの軌道を動体視力を駆使して、先読みしつつ照準を絞る。攻撃のチャンスは相手が隙を見せた瞬間。バヨネットは、火薬カスの目詰まりを防ぐため、連続発射しすぎると、一時的に攻撃が止む瞬間がある。とはいっても、一秒足らず。しかし、その瞬間こそがチャンスなのだ。

「今だ!」

 掛け声よろしく叫ぶと、アルサスは引き金を思い切り引いた。火薬の匂いがつんと鼻をついて、パイルが撃ち出される。今度は狙いを外さない。鋭く狙った獲物を射抜く鏃がごとく、練習相手の胸を射た。練習相手は、小さく悲鳴を上げて片膝をつく。

「そこまで! 今日の訓練はここまでだ」と、セシリアの声が響き、訓練の終わりを告げた。アルサスはバヨネットを降ろし、練習相手に駆け寄る。今度はアルサスが心配する番だった。

「大丈夫か?」

「少し息苦しいが、見事な腕前です、少尉どの」

 練習相手は、苦笑いをしながら、アルサスが差し伸べた手を取り立ち上がる。ちらりと時計を気にしたかれは「私はこれで。元隊に戻りますので」と握手を交わすと、何事もなかったかのように踵を返し、訓練場を後にする。と、そこへ入れ替わりのように、事務官らしき女性が駆け込んできた。

「セシリア・ライン大尉。アルフレッド・ノース大佐がお呼びです」

 事務処理のような口調で、事務官の女性がセシリアを呼ぶ。アルフレッド・ノースはセシリアたちの所属する大隊の隊長である。つまり、セシリアにとって直属の上官に当たる人物だ。

「分かった、すぐ行く」

 セシリアは素っ気無く返すと、アルサスのことをちらりとも見ないで、事務官とともに訓練場を後にした。取り残されたアルサスは独り、「なんなんだよ」と呟いたが、訓練場のに響き渡る声にかき消されてしまった。

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