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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第九章
78/117

78. 入隊志願書

 軍服を窮屈に感じるのは、アルサスがそのような格式ばった衣装を身にまとうことを嫌っているからに他ならない。しかも、金のカウスボタンや、動きにくい服装に実用などなく、詰襟によって息苦しささえ覚える。

 そんな恰好をさせられる理由も良く分からなかったが、もっとよく分からないのは、エイブラムスがアルサスを呼びつける理由である。教導団がクーデターを起こそうとした際、乗り込んだ御前会議室でその姿を見かけたが、言葉を交わしたわけでもない。覚えているのは、軍人らしい強面と見事な禿頭くらいだ。すでに、アルサスへの取調べは終わっている。記憶を喪ったアルサスから聞きだせる情報が何もない以上、帝都から放逐するか、密入国者として投獄するかという選択肢しか残っておらず、軍服を着せられて、ダイムガルド帝国陸軍のトップに謁見するという選択肢は想像だにしていなかった。

 どういうことなのか、セシリアに詳しく問い質したいと思ったのだが、先導して大本営の廊下を歩くセシリアは、やや緊張した面持ちで、容易に問いかけに答えてくれそうにもなかった。

 渡り廊下を抜けて、皇居に入る。入り組んだ廊下を上へ下へと歩かされるのは、暴徒の侵入を拒む造りであり、センテ・レーバンの城建築の様式に通じるものがある。もっとも、こちらのほうが皇室関係者の生活面での合理性を重視している分、安易な造りではある。やがて、いくつかの曲がり角と、階段を抜けると、目の前に見覚えのある御前会議室の扉が見えてくる。

 セシリアは扉の前で足を止めると、咳払いをひとつ。そして、肺いっぱいに息を吸い込んでから、扉をノックした。

「ダイムガルド帝国陸軍近衛騎士団、第二十八歩兵連隊所属第五哨戒小隊隊長、セシリア・ライン大尉、アルサス・テイル殿をお連れいたしました!」

 長い肩書きをいとも簡単にすらすらと述べるセシリア。すると、部屋の奥から、威厳のある男の声が聞こえてきた。

「入れ!」

 セシリアは少しばかり視線をアルサスに向けて、「入るぞ」と合図する。もちろん、その視線の裏には、粗相のないように、と釘をさす意味も含まれている事を、アルサスは感じ取り、ここにきてセシリアの緊張がアルサスにも伝播してきた。

 御前会議室は、壁もカーペットも皇帝陛下の姿を隠す御簾も、すべて綺麗に修繕されていた。クーデターの痕跡などどこにもない。軍としても帝国としても、長い歴史の中で起きたクーデターの事実は闇に葬り去りたい意向があった。モーガンと教導団幹部の責任にすることにより、クーデターに参加した青年将校たちの処分を軽くするという意味も込められている。そのためには、早期に教導団との戦いの痕跡を消すことが求められたのだろう、というのはアルサスの勝手な想像である。

「ご苦労、セシリア大尉」

 労いの言葉もそこそこにエイブラムスは、席に着くよう促した。エイブラムスの傍には、美しい女性秘書官が立っていたが、部屋全体が妙な緊張感に包まれており、気にしている余裕は、アルサスにもセシリアにもなかった。

「単刀直入に申し上げよう」

 アルサスとセシリアが向かいの椅子に腰掛けたのを確認するや否や、エイブラムスは口を開いた。それに併せる形で、女性秘書はヒールの踵を踏み鳴らしながら、円卓を迂回してアルサスの元にやってくる。そして、手にした書類をアルサスの前に並べた。

 書類に書かれた文字は、共通言語の文字であり、アルサスにも理解できたが、その文言まで理解することは難しかった。なぜなら「入隊志願書」と書かれているのだ。

「アルサス・テイル殿。そなたに、我が軍の一翼を担ってもらいたい」

 エイブラムスは務めて平坦な口調で言った。もしも、室内に他のダイムガルド人が居れば、驚きと共に会議室内は騒然となっただろう。しかし、広い会議室内には、セシリア、エイブラムス、エイブラムスの秘書の三人以外、ダイムガルド人は居ない。そのため、事情を聞かれていなかったセシリアが少しばかり驚きに息を呑む音以外、これといって静かなものだった。

「それは、どういうことでしょうか? センテ・レーバン人であるぼくに、ダイムガルド軍の兵隊になれ、ってことでしょうか?」

 アルサスは訝りを多分に含んだ言葉を、エイブラムスに向けた。しかし、エイブラムスはにべもなく、「その通りだ」と返す。

 どの国でもそうだが、普通その国の軍隊は、その国の民族によってのみ構成される。たとえばギルド・リッターのような、私設自警団でない限り、民族混在の軍隊など何処にも存在していない。まして、ダイムガルド人とセンテ・レーバン人には「十年前」という軋轢がある。

「ヨルンの悲劇、シオン殿下即位式典での白き龍騒ぎ、それらすべてにおいて、ガモーフのみならず我が国の人間も、少なからず長年にわたって積もった良くない感情を、センテ・レーバン人には持ち合わせている。かく言う私もだ」

「それなら、何故ですか?」

 話が見えてこない。アルサスはそう言いかけて、隣席のセシリアに止められた。本来、軍というのは縦割り社会である。上官の言葉に疑問を差し挟むことは絶対に許されない。それは、アルサスも分かっているのだが、現時点では、まだエイブラムスは上官というわけではない。

「そなたが疑問に思うのも無理はない。強制するものでもないし、そなたの安全を脅かすものでもない。しかしな……」

 エイブラムスが言葉を発しようと口を開いたその時だった。エイブラムスの背後に掛けられた御簾の奥で扉の開く音がした。

「皇帝陛下のおなりにございます!」

 甲高い侍女の声。ややもすると、厳かな衣擦れの音と鈴の音が聞こえてくる。御簾の向こうでその姿はシルエットにしか見えないが、それでもアイシャであると、アルサスには分かった。

「御簾を開けよ」

 唐突なアイシャの言葉に、侍女たちは色めき立った。ダイムガルドでは代々皇帝陛下は、一部の宮内省関係者や世話係の人間を除く下々の者に顔を見せたりはしない。その神秘性を確たるものとするためである。しかし、アルサスたちはすでにアイシャの顔を見知っている。今更、顔を隠す必要はない、とアイシャは言うのだ。

 カラカラと音がして、ロールカーテン状になった御簾が上げられる。エイブラムスとセシリアははじかれたように立ち上がり、深くお辞儀をした。アルサスも慌てて、それに倣う。

 姿を現したアイシャは、以前と少し違う、白地に赤い花の刺繍を施した、袂の大きなドレスを身に纏い、小さな鈴のついた冠を被っていた。アルサスはその美しさに、思わず見とれてしまう。すると、アイシャはクスリと女の子らしい微笑を浮かべた。

「そうかしこまらずとも良いのじゃ。二週間ぶりじゃの、我が君」

 アイシャの科白に、一堂が耳を疑い驚きの眼をアイシャに集中させた。だが、アイシャは気に留める様子もなく「早く会いたくて、夜も眠れなんだぞ。昨日の夜もずっとドキドキしておった」と続ける。

「陛下、何を仰られます、センテ・レーバン人ごときに!」

 眉をひそめた侍女が諌める。すると、アイシャはあからさまにムッとした顔をして、

「わらわがどんな殿方を好いても、そなたたちには関係ないであろう。わらわは、センテ・レーバンの人だろうと、アルサスのことが好きなのじゃ! 悪いかの?」

 と、臆面もなく言い放ち、エイブラムスをはじめとしてその場に居合わせる者全員の驚きの声を誘った。

「わ、悪いなどと滅相もございません」

 侍女はしゅんとなってしまう。おそらく、これほど強くアイシャから反論を受けたことはなかったのだろう。

「えっ、えっと……」

 戸惑いはアルサスも同じだった。自分を見つめる少女の眼が、恋する乙女のそれだったからだ。

「わらわにとって、アルサスは絵本に出てくる白馬に乗った王子さまと同じじゃ」

 嬉しそうにニコニコとしながらアイシャが言う。これには、普段身分など気にも留めないアルサスも、思わずかしこまってしまう。何処がどうなってそうなったのか。そういえば、二週間前、テラスでそんな事を言っていたような気もするが、ここまで好かれる所以は分かりかねた。

 アルサス自身に自覚がないというわけではないが、ほとんど皇居に幽閉された状態だったアイシャにとって、アルサスははじめて手を握り、言葉を交わした同年代の少年であった。しかも、そんな男の子から「君を守る」などと言われれば、絵本ばかり読んで夢見がちなアイシャが恋してしまうのも当然であった。

「あー、よろしいですかな、陛下?」

 唐突に、エイブラムスの咳払いが、アイシャの登場と爆弾発言によって一変してしまった会議室の空気を元に戻した。

「うむ。そうじゃの。エイブラムス大将、続きを」

 とのお言葉を受け、エイブラムスは再びアルサスの方を向く。何がなにやら頭がこんがらがってきたアルサスは、少しばかり助けを求めるようにセシリアを見たが、セシリアはつんとそっぽを向いてしまっていた。

「アルサス殿、そなたを近衛騎士団に推したのは、他ならぬ皇帝陛下だ。来るべきその日に向けて、これから、軍病院は忙しくなるだろう」

「来るべきその日……まさか、戦争を!?」

 アルサスが声を上げると、エイブラムスは静かに頷いた。

「昨日、御前会議で陛下がご裁可くださった。われらダイムガルド帝国軍は、十年ぶりに戦地に赴く。だが、その相手は、ガモーフでもセンテ・レーバンでもない。『金の若子』と『銀の乙女』その二人と戦う」

「こがねのわこ、しろがねのおとめ……」

 聴きなれない言葉に、アルサスは小首をかしげた。記憶のどこかでその言葉を耳にしたような気もするが、無理に思い出そうとすると、頭が割れんばかりに痛む。

「石頭の大臣どもを説得するのに二週間も要してしまったのじゃ。しかしの、わらわはあの『翼ある人』を放っておくわけには行かない」

 とアイシャ。

「皇帝として、この国のため、世界のため、世界を滅ぼして生まれ変わらせるなどという彼らの世迷いごとを、野放しにしておくわけにはいかないのじゃ。戦争はしたくはない、じゃが、戦わなければわらわは天におられる兄上に笑われてしまう」

「そうと決まれば貴殿が軍病院の病室一つを間借りしていては甚だ迷惑だ。しかし、そなたには、教導団クーデターの際に陛下の御身を守ってくれたという恩義がある。そなたをこの国から追放してしまっては、我らは恩義に反してしまう」

「つまり、ぼくという存在が微妙な立場の厄介者だといいたいのですか?」

「有体に言えばそういうことだ。そこで、陛下の推挙を鑑みて、そなたに異例ながら軍籍を授けることとした。そうなれば、ダイムガルドでの生活は保障される」

 エイブラムスの言葉を受けて、傍らの秘書が胸の前で資料を開いた。

「入隊志願書に記入いただけるなら、アルサス殿は少尉待遇でお迎えいたします。セシリア小隊の欠員補充という形ではありますが、そうなれば、恩給の対象となり、住まいを軍から提供させていただきます」

 資料を読み上げる声は冷静そのものだが、アルサスは驚きで何も答えることが出来なかった。代わりに、アイシャが口を開く。

「アルサス。わらわが我侭を言うておるのは、よく分かっておる。じゃがの、そちはわらわのことを守ってくれると申した。その言葉、わらわは信じたい。これから、この国は戦争をする。そちには、わらわのことを守って欲しいのじゃ。いや、そち以外に頼みたくない」

「で、ですが、ぼくは記憶がない。何も覚えていないだけで、本当はこの国をスパイするために来たのかも知れません。そんなぼくを信用していただけるのですか?」

 アルサスは、やや声の調子を落とした。本当の自分が分からないという不安が鎌首をもたげるのだ。あの夢も気になる。あれが、何か意味のあるものだったなら、自分は大事なことを忘れてしまっているのではないか……。医者はいずれ記憶が戻ると言った。もしも記憶が戻ったその時、自分の本当の名前と共に、知りたくなかった本当の自分を知れば、それは、多大なショックをもたらすだろう。

「少なくとも」

 エイブラムスは再び咳払いをする。

「少なくとも、記憶のないと言うそなたなら信用できる。もしも、記憶がないというのも嘘偽りであって、そなたの正体がセンテ・レーバン騎士団のスパイであったとしても、そなたは陛下のお命を守った。それだけは確かだ」

 エイブラムスの言葉に、アルサスは閉口してしまう。アルサスの不安の向こう側で、エイブラムスたちは手を差し伸べてくれているのだ。このまま断って、帝都を後にすることも出来る。旅の路銀なら、レイヴンでもやって稼げはいいだろう。しかし、何処へ行けばいいのか。自分が何の目的を持っていたのかも、分からない。自分という存在の記憶を喪ってしまったアルサスにとって、居場所はここにしかないような気がした。

 アルサスは、無言で席に座り、ペンを取った。本当の名かどうかも分からないが、入隊志願書に「アルサス・テイル」の名を書き込む。

「ぼくは、お役に立てるのでしょうか?」

 書き終えた志願書を差し出しながら、アルサスが問いかけると、アイシャは少しだけ笑って、

「傍に居てくれるだけでよいのじゃ」

 と言った。

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