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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第九章
77/117

77. 夢幻

 銀色の髪の女の子が笑っている。アルサスの名を呼ぶ。手を振る。ぼんやりとした意識の中で、アルサスは怪訝な顔を返した。

『君は誰?』

 そう問いかけたいのだが、声が出ない。その代わりに手を伸ばす。だが、指先も触れることが出来ない。何故? 疑問符の中で、アルサスは戸惑った。

『君は誰、ここは何処?」

 もう一度、銀色の髪の少女に問いかけた。すると、銀色の髪の少女は、突然笑顔をひそめた。そして、青い瞳でじっとアルサスの事を見据え、「覚えていないんですか?」と問いかけた。

 アルサスには答えることが出来なかった。おぼろげに、記憶の底から何かが呼びかけてくるのだ。思い出せ、思い出せと。その度に、二日酔いでもしたかのように、ひどい頭痛が押し寄せてくる。

「そう……覚えていないんですね」

 銀色の髪の少女は長いまつげをそっと伏せて、アルサスに背中を向けた。アルサスは、頭痛の走る頭を押さえながら「待ってくれ!」と口にした。無論、声は出ない。それでも腹の底から叫んだ。少女はちらりと振り向くと、不敵に笑う。あの子はそんな笑い方をしただろうか……霞がかった記憶の底でアルサスは思う。

 歩き出した少女の眼はまるで、アルサスに「付いて来い」と促しているかのようだった。少女の後姿が、少しずつ真っ白な霧にかすんでいく。アルサスは二、三度頭を振ると、慌てて少女を追って霧の中へと飛び込んだ。

『ねえ、待ってよ。君っ!』

 クスクス、笑い声がする。五里霧中とはこのことで、あっという間に少女の姿は、立ち込める真っ白な霧に消えてしまった。その隙間を縫うように、少女の笑い声が聞こえてくるのだ。それだけを頼りに、彷徨うことどのくらいの時間が経っただろうか、ようやく少女の後姿を発見したその時、辺りの霧はいつの間にか晴れ渡っていた。

『ここは……!?』

 思わず、アルサスは言葉を失った。いや、もともと声が出せないのだが、それでも、後に続く言葉が思いつかなくて、ただ呆然と見上げた。そこは、見たこともない街並み。全面ガラス張りの、塔よりも高い建物がいくつも林立し空を四角に切り取っていた。そして、ビルの低い位置には、見たことのない文字の看板がいたるところに掲げられている。しかも、その看板はピカピカと光り輝いて、次々と文字を変えていく。魔法装置か何かなのだろうか……、そんな事を思いながら視線を落とすと、地面は固く黒いもので覆われその上を白やオレンジのペンキで線が引いてあった。ブーツの踵で踏むと、土の地面よりも固く、石畳とは違い、ざらざらとしていた。

 センテ・レーバンの街の風景でも、ガモーフのそれでもない。強いて言えば、建物はダイムガルドの建築様式に似ているようにも思えるが、ここは砂漠というには、それほど乾いていなかった。

「ここは、始まりの街です……」

 アルサスの疑問を見透かしたかのように、少女はオレンジ色のラインの上をたどるように歩く。辺りに人の姿はなく静かで、少女の足音だけが鳴り響いた。

「ほら、向こう。あそこに見えるのは、ミスリルで造られた壁。敵の侵入を拒むため、ITSの軍隊が街を取り囲むように築かせたんですよ」

 少女の細い指が、ガラス張りの建物と建物の隙間から見える、黒い壁を指差した。それは、ぐるりと街の外周三百六十度を取り囲んでいる巨大な壁である。その高さは、人間がよじ登るには、あまりにも高すぎる。そして、それだけ巨大なミスリル精製の建造物を築き上げる技術は、たとえ鋼鉄の国ダイムガルドであっても、存在していない。

『あい・てぃー・えす?』

 その意味も良く分からないまま、アルサスは戸惑いを隠せなかった。しかし、少女は気にも留める様子なく、ラインの上を軽いステップで歩いていく。アルサスは、声が出ないことに苛立ちつつも、少女の銀色の髪を追いかけた。

「人間の心はひとつじゃない……。だから分かり合うことが出来ず、何度も争いを繰り返す。それはとっても悲しいことだと思いません?」

 やがて、少女はぴたりと足を止めた。そこは、四方から伸びる道が重なり合う交差点。白いペンキで縞々の模様が描かれており、赤や緑に点滅する不思議な街灯があった。

「もしも、人間に優しさと誠実さがあって、ほんの少しでも他人のことを理解しよう、譲り合おう、そう思えば、争いはひとつ消えます。でも、人間というのは、とても欲が深く、常に自分のことを愛してやまない生き物なのです。だから、相手に理解して欲しいと思っても、相手を理解しようと思わない」

『そんなことはない!』

 アルサスは叫んだ。無論、声が出ないため、その叫びは少女に伝わらない。しかも、根拠のない否定を言っているのは、自分自身がよく分かっていた。そんなアルサスの内心を見透かしてか、少女はまるでアルサスの瞳を覗き込むように、

「理解できない相手は排除する。それが戦争の形です。時に思想や、食料、貧富、宗教の違いなど、理由は様々でも、この世界で、何度も戦争は繰り返されました。そして、この先も。それは、止まない雨、明けない夜と同じです。そんな世界に、価値なんてない」

 と、言い放ち、くるりとアルサスに背を向ける。その刹那、ごうっと唸り声を上げるように街に風が吹きぬけた。風は塵と共に舞い上がり、ガラス張りの建物をブーンと鳴かせる。

 何事だろう。アルサスは驚きと共に風の舞いあがった空を見上げた。不意に辺りに影が差す。塔のように聳え立つ建物によって、四角に切り取られた空を、羽を広げた一羽の巨大な鳥が横切っていく。いや、鳥ではない。全身が鉄に覆われた、「鉄の鳥」だ。羽ばたきもしなければ、鳴きもしない。ごうごうと、音を立てながら飛んでいく。

 そして、鉄の鳥が飛ぶ音が聞こえなくなると、辺りは耳に痛いほどの静寂が包み込んだ。

「鉄の鳥が南に飛んだ後……始まりの街は光に包まれました。白き龍の光に」

 少女はやたらと抑揚のない平坦な声音で呟いた。次の瞬間、天空が眩く光り、爆風と衝撃が地上に降りてくる。ガラス張りの建物が弾け飛ぶように倒壊していく。地面がめくれ上がる。アルサスはその眩しさに、思わず眼を伏せた。

 しかしいつまでたっても、アルサスの体は衝撃に襲われない。それどころか、まぶたの奥に光を感じなくなった。その代わり、小さな足音と共に、少女の気配が近づいてくる。

「これは夢幻。あなたのフォトンが見せる夢幻です。だから、目を開けてください」

 囁くような、少女の声に、アルサスは恐る恐る眼を開いた。そこは、先ほどまでの奇妙な街ではなく、ツタや木々が覆い茂った原生林の森だった。アルサスは辺りをぐるりと見回したが、少女の姿はどこにもない。薄暗い森のどこへ行ってしまったのか。不安になったアルサスは、茂みをかきわけながら走った。

 今にも、森の木々が動き出しそうだ。物言わぬはずの樹木の、根や枝がうねうねと動き立ち上がり、樹人となってアルサスに襲い掛かってくる……そんな気がした。

 どのくらい歩いただろうか。気がつけばそこは、枝葉の開けた広場だった。ぽっかりと口をあけた夜空を見上げると、炎と煙に包まれた鉄の鳥が見えた。

『危ない!』

 アルサスがそう思うよりも早く、鉄の鳥は広場に墜落してくる。着地と同時に、激しい振動と土煙を上げながら。やがて土煙が収まると、炎に包まれた鉄の鳥が、静かにその骸を横たえていた。この景色……どこかで見たことがある。それが、喪われた記憶の内側なのか、外側なのか分からなかったが、たしかにその風景に既視感を感じていた。

 すると、またしても唐突に世界が反転する。まるで(たらい)に張った水面に映る景色が、投じられた一石によって乱されるがごとく。

 そうか……これは夢なんだ。少女が言った「夢幻」の意味を少しばかり理解したアルサスは、視界の乱れに身を任せた。その矢先、炎がアルサスの視界を埋め尽くす。だが、身を焦がす熱を感じることはなく、アルサスはゆっくりと炎の中を歩いた。鉄に覆われた廊下、あたらこちらから炎が噴出しており、火災でもあったのだろうかと首をかしげる。少女の姿はもちろん、人の姿はどこにもなく、パチパチと炎が燃える音が響き渡っていた。不意にその隙間から、子どもの泣き声らしきものがアルサスの耳朶を打った。

 炎の中に佇む少年。年のころは十歳にも満たない、金色の髪をした幼い男の子だった。少年は顔をくしゃくしゃにしながら泣き叫び、まるで迷子にでもなったかのように、何度も何度も人の名を呼んだ。

「マリア」

 はっきりと、そう聞こえる。母親だろうか。いや、母親のことなら、名を呼び捨てになどしたりしないだろう。

『ねえ、君。大丈夫かい?』

 それが夢幻だと分かっているのに、アルサスは少年を放っておくわけには行かなかった。少年はアルサスに気づきこちらに近寄ってくる。そして、アルサスにしがみつく。

「僕はあの子のように眠りにはつけない。永遠の時間の中で、何度もフォトンを再生しながら、世界を監視する。それが、僕に与えられた使命なんだ」

 いつの間にやら泣き止んだ少年は、かすれた声で言った。またしても、その声に聞き覚えがあるような気がしたが、それが誰のものであったか、思い出すことは出来ない。

「もう直、世界は終わる。そして、世界は新たな時代を刻み始める。あの子の力は次の時代のためにある……。僕たちは、マリアの遺志を継ぐもの。計画の子。だから、お休み。僕の妹……」

 少年のその言葉を最後に、再び視界が乱される。マーブル模様に彩られ、今度は神の視点のように、アルサスの体は天空にあった。そこからじっと夜の地上を見下ろしているのだ。

 入り組んだ海岸線、人の営みを表す明かりの点描、静かに起伏する山々。はじめに、海岸線に光が走った。そして、それは伝播するかのように、次々と大陸のあちこちできらめく。その数は数え切れないほど無数であった。どどん、どどん、そんな音が腹の奥に響いてくる。光はやがて、灼熱のドームを築き上げ、衝撃波を広げていく。衝撃波は、森の木々をなぎ倒し、人々の営みを消し去っていく。

 世界が終わる。少年の言葉を反芻しながら、大陸を真っ白に染めていく滅びの光。

『世界中に、白き龍が……!』

 アルサスは愕然としながら、世界の終わりの景色を見つめた。

 やがて、光はアルサスをも包み込む。四度目、次はどのような夢幻であっても、もう驚く気にもなれなかった。だが、それまでとは違い、アルサスが降り立った場所は、のどかな平原の景色だった。草木が風にさらさらと揺れる。遠目にかすんだ山の峰、その麓の緑濃い森。平原には、北、南、東から一本ずつの街道がひとつに交じり合う。その街道を馬車が走っていく。黄色い旗を立てた三頭立てのウォーラと呼ばれる、辻馬車ギルドの貨物便だ。

 不意に空から少年が降ってくる。白銀の鎧を身に纏い、両手を広げながら、真っ直ぐ馬車めがけて落下してくるのだ。少年は愉快そうな雄たけびを上げ、ついには馬車の荷台にかけられた幌を突き破って、馬車の中に転がり込んだ。馬車は突然のことに急停車する。

『あれは……ぼく?』

「そう、あなたです。ここは、あなたとわたしが始めてであった場所。あなたがわたしを殺すために、出会った場所です」

 唐突な言葉と、草を踏む足音に、アルサスは振り向いた。そこには、銀色の髪の少女が佇んでいた。少女の丁寧に編み上げられた髪が、風に揺れる。

『ぼくが君を殺すだって? 冗談言わないでよ』

「いいえ、それが戦争を止める唯一の方法だと教えられたから。そう……それが唯一の方法だった。でも、わたしはあなたが迷った事を責めたりしません。だって、おかげで人間がどれだけおろかで、世界がどれだけ歪んでいるのかを知ることが出来ました。わたしは、わたしの使命を取り戻す事が出来ました。わたしはこの世界を滅ぼし、そして生まれ変わらせる。人と人が理解しあえるような世界に!」

『そんな! どれだけ人間がおろかで、世界が歪んでいても、この世界には沢山の人が生きている。それを滅ぼすだなんて!』

「未来永劫を平和で暖かな世界に変えるためです」

『人はいつか分かりあえる!』

「その夢想、証明して見せてください」

 少女は少しだけ笑った。そして、体の輪郭がぶれてぼやける。と同時に、光の粒があふれ出し、それはひとつの像を作り上げた。真っ白な翼を生やし、三叉の槍を手にした「翼ある人」。

「翼ある人」は、無表情で無機質な感情のまま、翼をはためかせて、アルサスに迫る。咄嗟にアルサスは剣を引き抜こうとしたが、腰に剣はない。おおよそ戦うための道具を持ち合わせないまま、アルサスの体は三叉の槍に貫かれた。


「うわあぁっ!!」

「きゃっ!」

 アルサスの悲鳴と、女の子の悲鳴が重なり合う。アルサスは首筋を流れる汗を感じながら、夢幻から醒めたことを自覚した。カーテンの隙間から朝日がこぼれ、白い部屋を一層白く際立たせている。アルサスは、おもむろに起き上がった。

「び、びっくりさせるな! まったく」

 溜息混じりにそういいながら、カーテンを開けるのは、軍服姿のセシリアだ。

「寝坊するのは勝手だけど、随分うなされていたな。何かひどい悪夢でも見たのか?」

「ああ、まあね。それより、わざわざぼくを起こしにきてくれたの?」

 アルサスはベッド脇の棚からタオルを取り出すと、汗を拭いながらセシリアに尋ねた。セシリアは、やや不愉快そうな顔を朝日に照らしながら「違う」と言った。

「わたしは、あなたの世話係じゃない。用があったから起こしに来たんだ」

「用? まさか、尋問の続き? だったら勘弁してくれよ。拷問されないだけマシだとは思うけど、それでも一日中缶詰にされたら気も滅入る」

「尋問なら終わった。何も覚えていないんじゃ、聞き出しようもない。ダイムガルドの嘘発見器は優秀だからな」

「それもそうか……」

 帝都を騒がせた二つの事件から、既に二週間が過ぎようとしていた。近衛教導団が反乱を起こし、奇しくも「翼ある人」が襲撃したことによって、事態は終息することが出来た。近衛教導団は解体され、それぞれモーガンに協力した青年将校たちは、セシリアたちの温情もあって、辺境の警備隊に回され、処刑は免れた。一方、帝都を襲った「翼ある人」は一掃され、警戒態勢はさらに厳となした。その効果があってか、あれから「翼ある人」の姿は見ていない。

 一時は、敗戦でもしたかのように沈み込んだ帝都の雰囲気も、徐々に落ち着きと活気を取り戻しつつある。

 その一方で、アルサスはセンテ・レーバン人で、しかもセシリアに救助された際に騎士団の鎧を身に纏っていたことから、陸軍情報局による尋問を受けることとなった。

 ただ、モーガン反乱、「翼ある人」襲撃に際して、帝国に協力してくれたという事実のため、拷問や違法な取調べを受けることはなく、いくつもの質問と「嘘発見器」と呼ばれる装置にかけられるだけで済んだことは、不幸中の幸いというべきであろう。

 しかし、その間、軍施設の敷地内から出ることは許されず、皇居で暴れたために開きかけた傷も癒えたというのに、軍病院の一室を間借りしての生活を強いられていた。今も、病室の外には監視の兵が立っている。

 また、セシリアは、モーガン討伐の功績がたたえられ、大尉にひとつ昇格した。その所為もあってか、忙しくしており、この二週間ろくに顔もあわせていない。

「それで、用ってなんなのさ」

 アルサスが問いかけると、セシリアは手に持っていた、衣服一式をベッドに放り投げた。

「これに着替えろ」

 と、セシリアが指差すそれは、ダイムガルド陸軍の深緑色をした軍服だった。

「これって、軍服じゃない? どうしてこんなものに」

「こんなもの、はないだろう。あなたは正装を持っていないんだ。まさか、あのセンテ・レーバン王国騎士団の鎧を着ていくわけにも行かないだろう」

 そう言うとベッドを回り込んで部屋の出口へ向かうセシリア。

「まさか……!」

「そのまさか。エイブラムス・コック大将から、直ちに皇居の御前会議室へ参内せよとのお呼びがかかった」

 セシリアの言葉に、アルサスはしばし、ぽかんとしてしまった。エイブラムスといえば、御前会議室にいた禿頭の男の名だ。センテ・レーバンの陸軍をまとめる元帥にして、陸軍大臣。セシリアにとっても、雲の上の存在である人物から、記憶もない歯牙ないセンテ・レーバン人にいったい何の用があるというのだろう……。

 アルサスは小首をかしげずにはいられなかった。

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