75. ぼくが君を守る
「高角滑空砲の音だ」
どん、どん、と腹に響く落雷のような音に、セシリアの傍らで、エイブラムスが呟いた。高角滑空砲は、街のいたるところに設置された、帝都防衛用の大型パイル・バレットである。饅頭を押しつぶしたようなドーム状の射撃室から、円筒の砲塔が伸びている。原理はバヨネットのそれと同じく、「火薬」と呼ばれるもので、ミスリル製の杭「パイル」を打ち出す装置だが、その大きさはパイルの何十倍にもなる。パイルと火薬を発射筒に込める給弾手、射撃の位置や方向を指示する指揮手、砲座の向きと砲塔の角度を調整する操作手、そしてパイルを発射する砲撃手の四人が、ドーム状の射撃室にはいる。
もともとは、十年前、ヨルンの悲劇を教訓として整備された、敵軍を帝都に近づけさせないようにするための長距離曲射砲撃の砲塔だったのだが、以降、不安定とはいえ一応の停戦協定が結ばれ、今日まで稼動することはなかった。
そのため、セシリアはもちろん、この場にいるほとんどの人間が砲撃の音を耳にするのははじめてだった。
これは、近衛騎士団が反乱鎮圧に乗り出したのではない。教導団を鎮めるために、高角滑空砲は必要ない。それは、その場にいる全員の共通認識であり、その事態の変容を直接受けたのは、モーガンたち教導団の面々だった。
「何事だ!?」
砲撃の音と音の隙間でうろたえるモーガンたち。予測できない事態に、彼らは前後不覚の様相を呈していた。それでも、砲撃の音が続く。
兵のひとりが、アルサスたちの飛び降りた小窓に近づき、外の様子を探って、
「空です、空に向かって撃っています。町中の高角砲が」
と報告する。モーガンはセシリアたちの前で、あからさまに眉をひそめ、バヨネットの銃口をこちらに向けたまま、小窓のほうへ駆けた。不意に、エイブラムスがセシリアの肩を叩く。
「中尉、やれるか?」
顔は真っ直ぐ向けたまま視線だけで、後ろを向き油断している若い教導団兵の一人を指し示す。何を「やれる」のか瞬間的に悟ったセシリアは無言で頷いた。
「ありゃあ、何だ!?」
モーガンはそうとも知らず、空を見上げて指を指す。青空から降ってくるそれを、セシリアたちは見ることが出来ないが、少なくとも、そんなものに気をとられている暇などなかった。一瞬の隙を突くかのように、走り出したセシリアは、カーペットの上を滑り込むようにして、後ろを向いた教導団兵の背後に回り足払いをかけた。そして、教導団兵が前のめりに倒れこむ前に、その手からバヨネットを奪う。
「何をしている!?」
小窓から振り返ったモーガンが叫ぶよりも早く、セシリアの銃口はパイルを打ち出した。迷いなく飛来したパイルは、カッ、と音を立てて、モーガンの脳天を貫いた。断末魔の悲鳴も上げることなく、モーガンは大の字でカーペットの上にどさりと斃れる。それは、反乱者のあまりにもあっけない末路だった。
モーガンが射殺されたことを契機に、エイブラムスは軍人ならでわの凄みのある目つきで、
「教導団の若人たちよ、貴様らは反逆者だ! 国家に仇名すその汚名を捨てたければ、今すぐ武器を捨てて、大人しくしろ!!」
と、若者たちを一喝する。その怒号たるや、響き渡る雷鳴のような砲撃音よりも、鋭く尖って、教導団兵を突き刺した。教官職を除けば、教導団という性質から、ほとんどがセシリアたちと歳の変わらない若者である。特に、会議室に雪崩れ込んだモーガン率いる部隊は、彼を除き、皆実戦経験もない若輩者であった。そのため、大将の怒号は、必要以上に彼らを怯えさせた。
「わ、我々は反逆者ではないっ!! 皇帝がいる限り、この国は貧しいままなんだ! それを購うは、我ら国軍の使命!」
急に青冷めた顔をして、教導団兵の一人がエイブラムスに向かってパイルを発射する。だが、怯えて狙いの定まらないミスリルの杭は、エイブラムスの禿頭の脇を通り過ぎ、そして背後の参議たちの頭上を越えて、壁に突き刺さった。
「黙れ、反逆者!」
すかさず、セシリアはその教導団兵を撃ち殺した。その横顔に見え隠れするのは、冷徹な軍人の顔。おおよそ少女らしさなど微塵もない。エイブラムスは、その横顔に見覚えがあることに気づいた。彼女が、近衛騎士団の中尉であることは、襟章の星とラインの数で一目瞭然だが、数いる将校の一人に過ぎない彼女の名前もしらなければ、顔をあわせた事さえない筈だった。
「武器を捨てろ。脅しではない、捨てなければ、軍規第百九十九条に則って、反逆者は全員撃ち殺す!」
芯の通ったセシリアの声は、砲撃の音よりもはっきりと響き渡った。残された教導団兵は、セシリアの気迫におののき、皆そろってバヨネットを投げ捨てた。
会議室に、ほっ、と安堵の空気が流れる。
「教導団め、我らを拘束するとは許せん! 早くその醜い愚か者どもと、死体を運び出せ」
「エイブラムス大将、近衛騎士団を用いて直ちに反乱を終息させろ! 抵抗する者は全員射殺だ!」
「そんなことよりも、皇帝陛下だ!」
「何なんだ、あのセンテ・レーバンの小僧は!? 陛下を何処へ連れて行った?」
「皇帝陛下をお助けするのだ。猶予はないぞ!
「陛下を救出した後、センテ・レーバンの小僧は誘拐犯として、縛り首にしろ!」
解放された参議たちは、口々に叫んだ。
だが、エイブラムスは彼らの勝手気ままな発言など無視して、窓辺へ駆け寄った。今確かめるべきは、教導団のことでも、皇帝を連れ出したセンテ・レーバン人の少年のことでもない。窓辺から見上げる空に、帝都上空より急降下しする白い翼の人影。帝都に騒然としたざわめきが巻き起こり、燐粉のような光の粒が舞い上がる。
この眼で実際に確かめるのはこれがはじめて。哨戒隊が魔法装置に録画した映像でしか見たこのない、「翼ある人」が帝都を急襲しているのだ。
「翼ある人」に襲われる帝都を鳥瞰しながら、エイブラムスは拳を握り締めた。彼らは無限の砂漠を越えて、ついに帝都にまで押し寄せたのだ。翼がある、と言うことは、彼らにとって天然の堀である無限の砂漠など、何の障害にもならないということ。
センテ・レーバンとガモーフのガルナック平野での戦の最中、彼らが出現したの一報を聞いたときから、エイブラムスは懸念を抱いていた。そして、レメンシアが襲われ、前回の御前会議中にもたらされた、無限の砂漠での翼ある人」と哨戒小隊の交戦。
それらを踏まえても、世界中の都市や人を襲っている「翼ある人」が、遅かれ早かれこの帝都に現れることは分かっていた。分かっていたからこそ、その準備を参議どもに呼びかけていたのだ。
「このままでは、ウルガン殿の仰った通りになってしまう……」
懸念をエイブラムスに伝えた者。その者の言葉を思い浮かべながらも、すでにその時が来てしまった事を痛感しつつ、エイブラムスは踵を返した。すると、彼の前に財務大臣が駆け寄ってくる。
「ええい、なにをぼんやりとしている、エイブラムス大将! 早く教導団と、あのセンテ・レーバン人を捕らえろ!!」
唾を飛ばしながら、怒鳴る財務大臣。エイブラムスは、この期に及んでも、事態を把握していない、愚鈍なこの男に失望と共に、怒りが湧いてきた。
「所詮は、あなたも、モーガンと同じですな」
吐き捨てるように、エイブラムスが言う。無論、財務大臣は顔を真っ赤にして、わめき散らしたが、エイブラムスは取り合わなかった。会議室には、いつの間にやら、近衛騎士の部隊が到着していた。おそらく、セシリアが呼んだのであろう。
エイブラムスは、セシリアを手招きする。
「中尉、そなたは手勢を率いて、あの少年と皇帝陛下を探せ」
「はっ。しかし『翼ある人』は、いかがなされるおつもりですか?」
「そっちは、私に任せよ。すぐに、都民には避難命令を出させ、近衛を招集後、対処に当たる。人手は足らぬゆえに、皇帝陛下の救出はそなたの手にかかっている。いいな?」
エイブラムスは、セシリアへの指示に期待を込めて言った。すると、セシリアは背筋を伸ばし、敬礼を取る。「ご期待に沿えるよう、尽力いたします!」
と、言うなり、まだ歳若い少女は踵を返し、手近にいた近衛騎士を呼びつける。二人は、どうやら彼女の隊の人間らしい。しかし、気心知れた相手にも、男顔負けの凛と張った声で、命令を伝えた。
「ジャック、マーカス。皇帝陛下をお助けせよとの、大将直々の命令だ! 行くぞ!!」
セシリアたちが会議室を駆け出していく。エイブラムスは、その後姿を見送ることなく、険しい表情で軍務に就いた。
白い鳥が落下してくる。誰もがそう思った。しかし、慣性も抵抗も無視したかのように、高速で落下する無数の飛翔体は、その姿がはっきりとしてくるにつれ、それが鳥ではなく、人……白い翼を生やした人である事に気づいた。
「あれは、『翼ある人』だ……!」
「何匹いるんだよっ!?」
「街へ降りていくぞ!!」
呟きとも悲鳴とも似つかない声を上げたのが誰であったかはわからない。落下してくる「翼ある人」に戦いた教導団兵はアルサスとアイシャに狙いつけていた銃口を空に向け、闇雲に一斉射する。弓矢より早く、槍よりも鋭いパイル。しかし、「翼ある人」は、くるりくるりと旋回しながら、こちらへ向かって、急降下してくる。迷いのない無機質な黒い瞳が、こちらを凝視した。何もかも吸い込むような、恐ろしい瞳だ。
「ひゃぁっ!」
情けない悲鳴を上げて、教導団兵の一人がうろたえ、バヨネットを落とす。その瞬間テラスに舞い降りた「翼ある人」は、手にした三叉槍を突き出す。貫かれた教導団兵の青年は、一瞬にして、光の粒となって弾け飛んだ。
混乱は瞬く間に、テラスを埋め尽くした。その中で、アルサスは、割れんばかりの頭痛に顔をしかめた。記憶が何かを呼びかけている。それなのに、その記憶の扉を開けてはならないと、心が言っているのだ。その先には絶望しかないと。
「アルサス、痛いのか? 大丈夫か?」
アルサスの背後で、アイシャが不安そうな声で覗き込んでくる。「大丈夫だよ」と強がって見せても、顔面は蒼白で、明らかに大丈夫ではない。
「開けるべき記憶じゃないなら、開けないから、今だけ痛みよ、鎮まってくれ!」
アルサスは誰に言うではなく、自分に言い聞かせると、強くアイシャの手を引いて、「翼ある人」をにらみつけた。「翼ある人」はアルサスすの視線に気づいたのか、くるりと顔をこちらに向けた。そして、笑うでもにらむでもなく、ただ無表情に、無感情に、翼をはためかせ、アルサスの元へと滑り込んでくる。
「やられてたまるかっ!!」
アルサスとの剣と「翼ある人」の三叉槍がぶつかり合い、激しい金属音を奏でる。アルサスはやや力を抜き、敵のよろめきを誘うと、返す剣で「翼ある人」の腕を切り裂いた。
しかし、わかっていたような気がする。切り取られた腕が、光の粒に変わり、再びもとあったところに再生することを。それでも、躊躇している暇はなかった。眼前の敵に気をとられていると、何処からともなく現れた別の一人が、アルサスの背後にいるアイシャを狙う。
「アルサスっ」
アイシャは恐怖に、思わずアルサスの背中にしがみついた。アルサスは眼前の「翼ある人」を蹴り飛ばすと、反動を利用してアイシャを片手で抱きかかえ振り向く。
「やられてたまるかって、言ってんだろ! この化物っ」
悪態つきながら、剣を投げつける。その切っ先が「翼ある人」の胸に突き刺さると、無表情な顔に少しだけ歪みが生じる。そして、「翼ある人」は光の粒となって弾けとんだ。
「胸が弱点なのか!?」
風に乗って、北の空に流れていく光の粒を見送りながら、アルサスは呟いた。すると、再びアイシャの悲鳴がアルサスの耳朶を打った。
「今度は、こっちじゃ!」
アイシャの言うとおり、先ほど蹴飛ばした「翼ある人」が三叉の槍を振り上げる。まずい! と思うよりも早く、アルサスの体が反応する。アイシャを抱えたまま、姿勢を低くすると、その鋭い一撃をかわし、同時に教導団兵たちの方に駆け出す。
「あんたたち、胸だ! 胸を狙うんだっ!!」
アルサスは教導団兵たちに言うと、足元のバヨネットを拾い上げた。使い方はよく分からないが、取っ手についている鉤型の「引き金」と呼ばれるレバーを引けば、先端からパイルが発射される仕組みだ。
「いっけえーっ!!」
掛け声よろしく、アルサスはバヨネットの引き金を引いた。激しい反動に腕をもがれそうになる。狙いの定まらないパイルは、上手く敵を捉えることは出来なかった。
その一方で、アルサスの声にはじかれて、教導団兵たちがバヨネットを両手で構えて、一斉射撃する。無数のパイルが翼ある人に突き刺さり、もう一人の「翼ある人」も光の粒となって弾けとんだ。
「やった!」と、教導団兵たちから勝ち鬨の声が上がる。突然、未知の敵が襲来し、本来の目的を忘れた彼ら。実戦経験のない、彼ら教導団の青年将校にとって、それは、はじめて味わう勝利だった。
しかし、間も空けずに、空から新たな「翼ある人」が舞い降りてくる。倒しても、殺しても、どこかから溢れてくる「翼ある人」。
まるで、塵が集まって出来ているみたいだ。と、アルサスは内心に思いながらも、再びバヨネットを放った。一度目とは違い、今度はしっかりと小脇に抱えて、引き金を引く。弓矢よりもずっと扱いやすい武器だが、それも、「翼ある人」を仕留めるには至らない。
アルサスの傍で、教導団兵が三叉槍の餌食になる。ひとり、また一人と、あっけなく消えてなくなる。アルサスの握るアイシャの手が小刻みに震えていた。皇居の奥に閉じ込められた彼女にとって、それは、はじめて知る人の死だった。
「アルサス……怖い。怖いのじゃっ」
必死にアルサスにしがみつくアイシャ。
「大丈夫、ぼくが君を守る……!」
アルサスは、「翼ある人」めがけてバヨネットを放ちながら、強くアイシャの華奢な手を握り返した。
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