72. 御前会議のクーデター
陸軍元帥エイブラムス・コック大将は、禿頭の頭に血管を浮き立たせていた。無論、憤りが脳髄にまで達しているのだ。円卓に腰掛ける、参議どもは何も分かっていない。迫り来る国家存亡の危機を。
「このごに及んで、軍事費を増大させれば、増税やむなしとなる。そうでなくとも、水と食料の配給が滞っている今、そんな事をすれば、国民は暴動を起こしかねない」
「国民が暴動を起こしたら、それを鎮圧すればいい、などと、少々野蛮ではございませんかな?」
参議たちは、口々に言って、エイブラムスを批判の矢面に立たせようとする。内政改革を進めるのは自分たちの務めであり、それを軍費が圧迫するという理論は分からなくもないが、事態が事態であると言うことを把握していないのだ。
現に、参議たちは自らの持つ莫大な財産を裁いて、国民生活の維持に少しでも貢献しようとする者はいない。誰もが、政治の中枢で己の保身にばかり目を向け、石橋を叩きまくっているのだ。そして、エイブラムスの唱える「対『翼ある人』軍事拡張及び統合整備計画」は、彼らの石橋に大打撃を与えるものであった。
「ですが、『翼ある人』はすでに無限の砂漠にまで現れているとの情報があります。彼らは、通常武器も魔法も効果のない不死の人と聞き及んでおります。早急の対策を取らなければなりません」
エイブラムスは声を荒げた。しかし、その声の矛先は、保身と用心しか知らない参議どもではなく、部屋の奥にある御簾に向けられていた。御簾の向こうにいるのは、ダイムガルド帝国の王である「皇帝陛下」である。
御簾の所為で陛下の顔を拝見することは出来ない。そもそも、ダイムガルドの皇帝は下々に顔を見せたりはしない。それは、皇帝という立場に神聖さを与え、絶対不可侵のものとする、という皇室の伝統であり、下々には、エイブラムスや参議たちも含まれている。
「不死のものと申されるか? バカバカしい。長命なハイ・エンシェントですら、いつかは死ぬ日が来るのだ。不死などそれこそ御伽噺だ」
参議の一人が、エイブラムスの言葉を止める。
「そもそも、ことをしでかしたのは、センテ・レーバンの宰相付参謀官メッツェ・カーネリアだ。ならば、センテ・レーバンに攻め入って、かの国を滅ぼせばいい。もともと、そのために十年前より軍事費を拡張し、財政を圧迫しているのだということが、分からんのかね、エイブラムス大将!」
「お言葉ですが、財務大臣。そのメッツェなる男は、センテ・レーバンさえも『翼ある人』を用いて、襲わせているとの情報が入っております。もはや、三国にとって、メッツェ・カーネリアは共通の敵。そして、今も、世界中の街や人々が『翼ある人』によって、その命を奪われているということを、お忘れ召されるな」
恰幅のいい財務大臣をギロリとにらみつける。軍人のそれらしく、エイブラムスの眼力には、剣のような切れ味と、槍のような鋭さがあった。
問題は、参議たちがまったくもって、この国が……いや、世界がおかれている状況を理解していないと言うことである。空調設備の整った帝都に篭っていれば、世界を見通すことなど難しいと言うのは、道理もないことだが、それでも、予断なく情報収集をしているエイブラムスにとっては、参議たちが危機感を持っていないことに、呆れるほかなかった。
しかも、まるで水を差すかのように、伝家の宝刀を抜き放つ者まで現れる。
「ならば、エイブラムス大将は戦争をするというのかね? 皇帝陛下は、平和を愛するお方だ。戦争を望まれていないと言うことを、あなたも知らぬわけではありますまい」
御簾の向こうにいるお方の代弁者を気取り、そう言われれば、エイブラムスにも返す刀がない。この国において、皇帝陛下は絶対の存在である。陛下の意向に背くことは、反逆と同じである。それが、この国の体制を固着化している要因ではあるが、同時に皇帝陛下の存在は、不毛な砂漠に住む国民全体の心のよりどころでもある。
そのため、エイブラムスとしても、皇帝陛下が戦争を望まれない、と言う以上は、「翼ある人」と事を構えるわけには行かなかった。
案の定、御簾の裏で衣擦れの音がしたかと思うと、御簾のすみから顔を出した侍女の女が、「陛下は、戦争を望まない、と仰せです」と皇帝の言葉を伝える。
「では、軍費はこれまで通り、ということでございましょうか?」
エイブラムスが問いかけると、御簾の向こうでまた衣擦れの音がする。
「左様にせよ、と仰せです」
侍女の女は、何の抑揚もなく答えた。
これでまたエイブラムスは下からの突き上げを押さえつけなければならない。すでに不満をもらす兵士もいる。それらを押さえつけるには限界と言うものがあるのだ。
「致し方ありませんな……。大本営に一度計画案は差し戻させます」
と、言ったものの、気が重い。前回の御前会議中、「翼ある人」が無限の砂漠に姿を現した、という情報が舞いこんできたために、軍費拡張の話は立ち消えとなってしまった。今日こそはと意気込んだものの、相変わらず現実の見えていない参議によって、結局は白紙撤回させられてしまった。
大将という最高位の位にあって、中間管理職のような気分を味わうのは、なにもこれが初めてではないが、エイブラムスは皇帝陛下に忠義の心を持った男である。皇帝陛下の意向が確かめられたならば、その上で軍備計画の見直しを図らなければいけない立場にいる。
戦争をする相手は、センテ・レーバンやガモーフではないのだ。人であるかも定かではない未知の敵。願わくは、それらが無限の砂漠を越えて、帝都に押し寄せないこと。そして、兵士たちが不満を爆発させないことのふたつである。それらが願っただけで叶えば、それに越したことはない……。
「では、本日の御前会議はこれで終わりといたします」
議長役を務める大臣が、にべもなく軍費拡大の議題を横に投げ、エイブラムスが人知れず溜息をもらしたその時だった。
会議室のドアが派手に蹴破られると同時に、幾人もの腕章をつけた男たちが会議室に雪崩れ込んできて、エイブラムスのささやかな願いは砕け散ってしまった。
「全員大人しくしてもらおう!!」
と、怒声を上げ、バヨネットの銃口をこちらに向ける髭面の男に見覚えがある。彼らが右腕につけている青色の腕章と照らし合わせれば、参議たちが悲鳴を上げるよりも先に、エイブラムスの脳裏に「教導団」という言葉が過ぎった。
「何のまねだ、貴様ら! 皇帝陛下の御前であるぞ!」
エイブラムスは席を立つと、腹から怒声を浴びせかけた。教導団の兵士たちは、その一喝に戦いたが、先頭に立つ髭面の男だけは、まったく動じる様子もなく、厳しい視線を向けてくる。
「我々は、陛下のお命を頂に参った次第。陛下がこの場にいてくださらなければ困る」
その口調は、クーデターを起こしたものの言葉とは思えないほど落ち着いていた。リーダーが冷静であれば、部下たちも冷静になれる、という言葉の通り、一度はエイブラムスの怒声に戦いた教導団兵士たちだったが、すぐに平静を取り戻すと、手際よく会議室の扉を閉めて、参議たちに部屋の隅へ集まるように促した。抵抗すれば、彼らのバヨネットから、パイルが打ち出されるだろう。その威力を一番良く知っているのは、開発を指揮したエイブラムス自身である。
「軍の中に、軍国化を望む者たちがいる、という話は内偵から聞いていたが、よもや教導団の連中であったとはな……。身の程を知れ」
「その言葉、そっくりお返しいたしいたそう。緑ある国土を手に入れることは、我々の悲願であったはず。それなのに、十年間ただ力を蓄えるだけで、センテ・レーバンやガモーフを攻めようともしない」
「それは……」
「それは、陛下が安穏としたお方であるから。ならば、この国にそのような平和かぶれの皇帝など必要ない。陛下を殺し、軍部が政権を握り、完全なる統制された社会として、センテ・レーバンを、ガモーフを滅ぼし、肥沃な大地を手に入れる!」
まるで熱を放つかのごとく、髭面の男は高らかに言い放つ。
御簾の後ろでは、悲鳴がわずかに折り重なった。御簾の裏手には、陛下が参議たちに顔を見せず会議室へ入る事のできるの扉がある。しかし、侍女たちがどれだけノブをひねろうとも扉はまるで張り付いたかのごとくびくともしない。
「ひ、開きません!」
やや取り乱した、侍女の声。扉には魔法装置で自動的にかかる鍵があるそれは、会議室の外側からしかかけることが出来ないため、一度鍵がかかると、会議室側からではどうすることも出来なかった。
「どこへ逃げるおつもりかな、皇帝陛下! すでに皇居は我が百人の同志が占拠している。今頃は、大本営の近衛騎士団も我が教導団によって、制圧されているだろう」
悠然と語る髭面の男。
「これは、国家の、いや……国民のためです。大人しく、その命をなげうってもらいましょうや」
「ならんっ! 皇帝はわが国の礎! それを討つとは向けるべき矛先が違うのではないのか! 教導団司令官モーガン・トール!!」
エイブラムスは髭面の男を名指しで叱責した。会議と言うことで、武器の携帯は許可されていないし、この分だと、皇居の警備兵も皆捕まっていることだろう。髭面の男……モーガン・トールには、エイブラムスの怒鳴り声は、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
「むろん、向けるべき矛先にはきちんと向けますぞ、エイブラムス大将。皇帝を亡き者とし、この国を正当なる軍国国家作り変えた後、まずは手始めに、ルートニアへ遷都したセンテ・レーバンへ侵攻いたします。もっとも、それはあなたの指揮ではなく、私の指揮でおこなうこと。共和国にあなたのような及び腰の将は不必要だ」
「何をっ! 貴様たちは分かっておらん! 向けるべき矛先は、いまこの国にも攻め寄せている『翼ある人』をおいて他にはない! 目先の利益に国家の未来を見失うな!」
「フンっ! ヤツの戯言を真に受けて、目的を見失っておられるのは、大将の方ではありませんか。何のために、このような素晴らしい武器を作ったのか」
モーガンは口を歪ませながら、バヨネットを撫でる。エイブラムスはその顔に空恐ろしいものを感じた。力の使いどころが分かっていない、力に溺れたものの顔だ。それは、この国に迫る危機を理解していないと言う点では、参議どもと変わりないが、持ち得た力の意味を理解していないと言う点においては、なおさらたちが悪い。
「さて、大人しく、皇帝陛下には死んでいただくとしよう」
エイブラムスの内心など知るはずもなく、ついにモーガンは無慈悲な処刑を宣告し、御簾に近づいた。御簾の内側では、侍女たちの悲鳴が一際大きくなる。
一貫の終わりか……そう思われた次の瞬間、閉めたはずの会議室の扉が、勢いよく開け放たれた。そして、唸り声のような少年のかけ声が聞こえた。
「せい、やあーっ!!」
驚くエイブラムスの視界の前を、軍病院の寝巻き姿に剣を振り上げた、赤い瞳の少年の姿が横切っていく。少年は迷うことなく、円卓を踏み越えてモーガンの下まで走ると、目にも止まらぬ速さで斬りかかった。
「何っ!?」
咄嗟に振り返ったモーガンのバヨネットと、少年の剣が激しく打ち合って、火花を散らす。
「センテ・レーバン人!? なぜ、センテ・レーバン人がここに!?」
少年の姿に、まず驚きの声を上げたのは、参議の一人だった。あっという間に会議室にどよめきが満たされていく中、少年は不敵に笑った。
「なんでって、そりゃたまたまってヤツだよ!」
「おのれ、生っ白いセンテ・レーバン人めっ。邪魔をするなーっ!!」
モーガンは悪態を吐くと、力の限り少年の剣を押しのけた。そして、力負けした少年がよろけた拍子に、バヨネットの銃口を向ける。
「よけて、アルサスっ!!」
扉のほうから別の声。エイブラムスが顔をそちらに向けると、そこには、肩で息する少女の姿があった。華奢な体に似合わない軍服と襟章から、近衛騎士の一人だとわかる。すくなくとも、教導団の人間ではないようだ。
「死ねやっ!!」
刹那、モーガンのバヨネットが火を噴く。火薬の破裂する音と、ほぼ同時に銃口から発射されるミスリルの杭。エイブラムスは、その瞬間だけが、スローモーションに切り取られたような錯覚を覚えた。
「い、いかん!」
少年は無防備な状態。蜂の巣にされれば、神聖な皇居を血で汚すことになる。慌てたエイブラムスは、思わず叫んでしまった。
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