71. 迅雷の剣技
どこの国でも、多かれ少なかれ内部に問題を抱えている。それをどうにか表面化せずに国家運営が出来るなら、それに越したことはないが、一度ふきこぼれはじめると、それを押さえ込むことは、難しくなるものである。その一例が、ガモーフにおけるウェスア大司教粛清事件であったり、センテ・レーバンにおける即位式事件である。
同様に、ダイムガルド帝国も、水面下で問題がふきこぼれようとしていた。ダイムガルドが慢性的に抱える問題というのは、国土の大部分が、天然資源以外の資源を有さない不毛地帯である砂漠という、苛酷な環境にある。そのため、国民の生活向きは楽なものではなかった。それに追い討ちをかけるように、ここ数年続く大飢饉。政府は、食料や水の配給制を敷いて危機回避を試みたたのだが、日に日にその支給量は減ってきている。それは、ある意味で、センテ・レーバンやガモーフとは比べ物にならない深刻ぶりであった。
そうした中、世論として巻き起こったのが、センテ・レーバンへの侵攻による領土拡大という、リアリズムである。もともと、政府批判を許さない風潮のあった帝国では、しばしばそうした世論が持ち上がる。水や食料といった貴重なものを、外国から奪えばいい。乱暴な考え方ではあったが、水も緑もほとんどなく、開拓も農耕も難しい砂漠の国だからこその、考え方と言っても差し支えはないだろう。
ところが、このリアリズムに水を差す人物がいる。国民のほとんどは見たことがないという、ダイムガルド帝国の首魁たる皇帝陛下である。この国では、砂漠に国を築き上げた皇室一族を神のように敬う風潮がある。そのため、皇帝の一言は、とても重く、誰もがそれに異を唱えることは許されない、という暗黙のルールが存在しているのだ。
元来、今上皇帝(在位中の皇帝という意味)は、戦争を好まない人物で、参議たち議会勢力が軍部を頭打ちにしている傾向にある。戦争が正しいか否かは、ここで語るべき論議ではないにしろ、それは軍部として面白くない。
しかも、センテ・レーバンには、十年前の恨みがある。ヨルンの戦いで多くの兵隊の命を失ったことは、ダイムガルド人にとって、事実などどうでもよく、恨み以外の何者でもなかった。
つまり、センテ・レーバンに攻め込み、積年の恨みを晴らすと同時に、水と緑のある大地を手に入れる。それは、ダイムガルド国民の悲願でもあるのだ。しかし、それにもかかわらず、皇帝と議会は、軍部を押さえつけて、戦争を回避しようとしている。軍部に出来ることは、限られた予算の中で新型の兵器を開発し、皇帝と議会を説得した上で、戦争の始まる日を待つ他ない。そうして、どれくらいの時間が過ぎただろう。「軍部と世論」「皇帝と議会」の両者の対立は、国民に鬱憤を植え付け、ダイムガルドが抱える「問題」へと発展した。
そんな事情さえも知らない、アルサスの前に、その「問題」が姿を見せたのである。
「この国は正当な軍国化の理想を実現しなければならない。それは、我ら軍人だけの願いではない」
足音を殺しながら、そっと近づけば、二つの気配が発するひそひそ声はよりはっきりとアルサスの耳に届く。
「しかし、急いては事を仕損じると言う。慎重に行わなければ」
もうひとつの気配の声だ。こちらも男の声だった。
「これまで、どれだけ慎重に事を進め、どれだけ我らの活動の芽を議会に摘み取られてきた? 軍部も政府も『翼ある人』の出現と来襲に混乱をきたしている今こそが、何よりの好機。この機会を逃してはならない。皇帝陛下を亡き者とし、この国を正当な軍国主義の国とする!」
物陰に潜むアルサスは、男の言葉にドキリとした。皇帝陛下を暗殺する……? ただ事では済まされないその言葉は、二人がダイムガルド帝国にクーデターを起こそうとしているのだ、とアルサスに気づかせた。
「そして、固着化した軍隊を改革した上で、センテ・レーバンに天誅を与え、国土を得る。それが、十年前に失った同胞への手向けとなるだろう」
「それは、分かっている。貴様たち実働隊が始めてしまうというのなら、俺には止めることは出来ん。御前会議の終了に併せて皇帝陛下を暗殺し、議会に解散を要求する。教導団の同志は政府機能を確保し、近衛騎士団をすべて抑える。手はずはすべて整っているんだな?」
「ああ、もちろんだ貴様は、同志を動かしてくれるだけでいい」
「了解した……と、言いたいところだが、皇帝陛下暗殺の前に、始末しなきゃならんネズミがいるようだ」
もう一人の男の声音が突然変わる。
「おい、そこの物陰に隠れているやつ! 出て来いっ。そんなところに隠れて見つからないとでも思ったか?」
男の声は明らかに、アルサスに向けられていた。どうしよう、逃げるべきか。だが、怪我が治ったと言っても、まだ痛みは残っている。走って逃げたところで追いつかれるのが関の山だろう。
アルサスは、大人しく物陰より姿を見せた。驚いたことに、クーデターを起こそうとしている二人は、軍服に身を包んだ軍人だった。その一方で、彼らも驚きを隠せない様子で、アルサスの事を見る。
「な、なんで、センテ・レーバン人がここに!?」
白い肌と栗色の髪をみれば、アルサスがセンテ・レーバンの人間であると言うのは、一目瞭然だ。てっきり、諜報員か何かだと思っていた二人は、それで気も抜かれた形となり、呆然としてしまった。
アルサスはその一瞬を見逃さなかった。
どうしてだか分からないが、自然と体が動き、相手の懐に飛び込むと、膝蹴りを食らわせながらも、一瞬のうちに男の腰だめに備えられた剣を引き抜いた。そのすばやさたるや、雷の如しで、男たちはさらに出遅れる。アルサスは、奪った剣を構え、一人の男の腿を切り裂く。
「ぎゃあっ!」
という悲鳴と共に男は傷口を押さえて、その場に尻餅をついた。だが、もう一人の男はその間に、剣を抜くとアルサスの首元に、その刃を突きつけた。
「動くな! 動けば貴様の首を刎ねてやる!」
男は倒れこんだもう一人を気遣うような視線を送りつつ、アルサスに言った。思わずアルサスは身を竦め、絶句してしまう。
「どうして、センテ・レーバン人がここにいるのかじっくり問い質したいところだが、今は時間がない。大人しく捕まるなら、命は許してやろう」
「ごめんだって言ったら?」
アルサスは、腹の傷が少し開いた事に気づいた。しかし、それを相手に気取られないように、余裕のある口ぶりで返す。もちろん、本当は余裕などない。
「ちょうどいい見せしめだ。これから起きる、ダイムガルドの歴史の新たな一ページに、貴様が華を添えることになるだろうよ」
ニヤリ。男の顔が歪む。だが、アルサスは動じることなく、
「歴史の一ページ? 反乱を起こして得られる歴史に、二ページ目はないよ」
と言ってのけた。どのみち殺されるなら、別段どのような事をほざいたところで、変わりはない、という諦めかあったわけではない。しかし、火に油を注がれた男は、剣を振り上げた。
「何だと!? 言わせておけば! ならば、ここで死ね!」
ひゅっ、と風を切る音。アルサスは瞳を伏せた。と、その時である。忙しない足音とともに、通りの手前から声がした。
「おい、お前たち、何をやってる!」
聞き覚えのある声だと思った瞬間、またもやアルサスの体が自然と動く。突然の掛け声に驚き、男が剣を止めた隙を見逃さず、アルサスは男の胸に肘打ちを食らわせ、さらに剣の峰で男の後頭部に鋭い打撃を加えた。男は「ぐえっ」と唸り声を上げながら、地面に崩れ落ちる。
「アルサス……これは一体?」
通りの手前からこちらに駆けてくるのは、やはりセシリアだった。セシリアはちらりと男たちに目を遣った。一人は、足を斬られてうめいている。もう一人はつい今しがた、アルサスによって昏倒させられた。名前までは知らないが、二人とも軍服に身を包んだ、近衛騎士団の一部隊「教導団」の腕章を着けている。
「セシリア、助かったよ」
「だから、あまり出歩くなって、わたしは言ったんだ。軍属の人間には、いまだにセンテ・レーバン人に恨みを持つものも多い。そういうやつらは、あなたがセンテ・レーバン人だと知れば、容赦しない。こんなところで県喧嘩なんかして、大問題になるぞ」
「そうじゃないんだ、セシリア!」
アルサスはその視線を皇居の方に向けた。
「御前会議ってのは、いつ終わるの?」
突然の問いかけに、セシリアはきょとんとしてしまう。
「もう十分もすれば、終わるはずだが……なんでそんな事を聞く?」
「なんでって……、こいつら、御前会議を占拠して、皇帝陛下の命を狙っているんだ」
「なっ!?」
そんな馬鹿な、と言いかけてセシリアは吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。クーデターの噂は、すでに耳にしていた。セシリアたちの所属する大隊は関与していないが、それでもそういう情報は、情報部から漏れてくるもので、いま目の前でアルサスに伸された男たちが、その裏切り者であることは、ほぼ間違いなかった。
「大変だ! すぐに上官に通報する!」
慌てて踵を返すセシリアの腕を、アルサスはひしと掴んだ。
「それじゃ間に合わない!! どうせ、軍隊なんてどこの国の軍隊も一緒。報告を上に上げている間に、皇帝陛下は殺されてしまう!! とにかく、御前会議をやってるところまで、ぼくを案内してよっ!」
アルサスの真剣な視線が、振り向いたセシリアの瞳を捕らえる。セシリアは少しばかり、その赤い瞳に気おされた。
「だ、だめだ。皇居は、皇帝陛下の居られる神聖な場所。簡単に出入りできる場所じゃない」
「だったら、強行突破しても、クーデターなんて止めさせる」
先日の頼りない顔とは一変して、はっきりとした口調に、凛とした瞳。セシリアは一瞬、アルサスの記憶が戻ったのではないか、と思った。
「どうして……?」
「分かんないけど、人が殺されるのを黙って見ているわけには行かない。胸の辺りがざわざわするんだ」
そう言って、アルサスは自分の胸の辺りをさすって見せた。どうやら記憶が戻ったわけではないようだ。セシリアは溜息を吐くと、軍服のスカートから、小さな箱のようなものを取り出した。箱の中心には、黄色い宝石が嵌められている。
「これ? これは簡易のエーアデ通信機。魔力がなくても、電信が可能なように造られているの……ジャック、マーカス聞こえるか? こちら、セシリア! 今から言うことを、アルフレッド大佐にお伝えしろ」
セシリアは通信機を耳元に当てると、通信機の向こうにいる相手にむかって、事情を説明した。通信機の向こうでは、驚きの声がアルサスの耳にまで聞こえてくる。
「おそらく、教導団はこの機に乗じて、近衛騎士団を包囲するつもりだ。すぐに教導団の詰め所を封鎖するよう具申しろ。それから、陸軍病院の裏路地に男が二人転がってる。二人ともクーデターの主犯格とおもわれる。逮捕しろ!」
『それで、セシリア中尉はどうするつもりなんスか?』
やや野太いジャックの声が、セシリアに問う。セシリアは、少しだけアルサスと視線を合わせると、頷いた。
「わたしは、アルサスと一緒に御前会議の会議室へ向かい、直接皇帝陛下をお守りする」
『はぁ? アルサスって、あのセンテ・レーバンの? ダメっス!! あいつは信用でき……』
ジャックの声が、まだ通信機から聞こえているのに、セシリアはエーアデ通信を一方的に終わらせた。ふただひスカートのポケットに、通信機を仕舞いこむセシリア。
「いいの? ぼく、嘘を吐いているかもしれないのに」
アルサスが言うと、セシリアはわずかに笑った。その笑顔は言葉遣いとは裏腹に、どこか少女らしい可憐な笑顔で、アルサスはちょっとだけ見とれてしまった。
どこかで、こんな笑顔を見た覚えがある……。
「信用に足りない人間は、嘘を吐く時に眼を泳がせる。そんな凛とした目つきで、わたしの顔を見ることなんて出来ない。そう、ずっと前に父から教わった」
セシリアは、アルサスの赤い瞳を見据えて言った。
「そっか……じゃあ、ぼくのこと信用してくれるんだね」
「ええ。一応、だけど。それより、急ごう。御前会議は皇居の上層階にある会議室で行われているはず。一度大本営から、皇居と大本営を繋ぐ渡り廊下を渡ったほうが早い!」
セシリアは、もう一人の男の手から手際よく剣を奪うと、再びアルサスに頷き返してから、皇居を目指して走り出した。アルサスは、今一度男たちの顔を見やってから、セシリアの後姿を追いかけた。
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