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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第八章
68/117

68. 無限の砂漠

 世界に暗雲がたち込める。実際には、空は平和に雲ひとつない姿を晒しているだけなのだが、人々はそんな青空を見上げている心の余裕がなかった。それを暗雲と呼ばずして何としよう。

 遡ること一週間あまり前。センテ・レーバンの新国王即位式典に端を発した、センテ・レーバン王国とガモーフ神国の諍いは、ガルナック平野でその火花を散らした。

 ガルナック砦に立てこもるセンテ・レーバン軍に対して、先遣隊だけでも三倍、本隊を併せればほぼ十倍以上の総勢力を傾けたガモーフ神国。自国の防衛基盤を捨ててまでの行動の背後に、後顧の憂いとなるダイムガルド帝国との「不可侵条約」があったことは、あまり知られていない。だが「白き龍」に怯える気持ちは、両国にとって共通のものであった。それだけ、ヨルンの悲劇は、この世界に生きる人たちにとって、トラウマ以外の何ものでもなかったのだ。そのため、ダイムガルド帝国は「ヨルンの戦い」以来の自国の専守防衛の観念から、センテ・レーバンに力を貸さない代わりに、ガモーフにも力を貸さず、その隙に乗じて領土を侵さないという密約を交わした。それは、センテ・レーバンにとっても好都合であった。

 そうして、ガルナック平野に大挙を押して攻め入ったガモーフ軍は、終始優勢のまま、戦争を進めたらしい。本来ならば、センテ・レーバンには独立自治権を有する諸侯たちが居り、王国の一大事には馳せ参じることとなっていた。そうして初めて戦力は拮抗するのだが、これもまた即位式の一件以来、諸侯たちは自領に閉じこもってしまったのだ。そのため、早いうちに、二つある騎士団をまとめていたガモーフ軍は、「ウェスア大司教粛清事件」の影響もなく、圧倒的な数の有利を勝ち得た。

 ところが、その戦争の事態が一変したのは、二日目のこと。突如天より声が舞い降りた。それは、ガルナック平野どころか、全世界の人々の脳裏に響き渡ったのである。

 世界再誕。どこか、現実離れしたその響きに、人々は笑ったが、間もなくその言葉がけしてまやかしなどではないということを知る。

 シエラ山の頂にかかる薄い雲から次々とあふれ出した、白い翼を生やした人。「翼ある人」と便宜上名づけられたそれは、人というにはあまりに無機質であった。戦場を駆け巡り、携えた三叉の槍で、センテ・レーバン、ガモーフ両国の人々を光の粒に変えた。そして、戦場を混乱と悲鳴に埋め尽くすと、「翼ある人」はついに世界中へと散らばった。

 その数は、数えることすら難しい。その、おびただしい「翼ある人」が世界中の街や村を襲ったのである。彼らは、どんな武器で傷つけてもたちどころに蘇る。そして、無感情に人間を狩るのだ。世界中の人々はその時になって初めて、「世界再誕」の意味を知った。

 すべてを壊し、作り直す……。

 人々は、その事実に怯え、ヨルンの悲劇と重ね合わせた。折りしもの飢饉と、「翼ある人」の出現は、誰しもの心に暗雲を呼び寄せる。

 そうして、一週間でどれだけの街や村が消えただろう。今や、白き龍に匹敵する恐怖の対象となった、「翼ある人」が世界を滅ぼすまで、それほど猶予はなかった。


 鋼鉄の国ダイムガルド帝国には、何処までも砂が埋め尽くす大地が横たわる。そこは、太古より砂漠であり、地平線の向こうまで砂丘が続くため、「無限の砂漠」と呼ばれていた。水もなければ草木もない。オアシスのひとつもありはしない。もしも何の装備もせずに、ひと度、無限の砂漠に入れば、二度と生きて砂漠から出ることは出来ないと言われている。それほど過酷な場所なのだ。

 そのため、無限の砂漠はダイムガルドにとって、天然の堀に等しい存在であった。また、この砂漠のおかげなのか、「翼ある人」は、無限の砂漠の中心部に位置する、ダイムガルド帝都にまで押し寄せて来ない。しかし、現状を鑑みれば、それも時間の問題だろう。すでに「翼ある人」は、無限の砂漠への玄関口と呼ばれるレメンシアの住人を一夜にして消し去った。街の南に広がるのは、無限の砂漠。そしてその向こうには、ダイムガルド帝都がある。つまり、天然の堀と言われる無限の砂漠の、外堀を埋められた状態なのだ。

 そんな砂漠を三人の人影が、足跡を残しながら帝都の方角へと歩いていく。彼らはダイムガルド軍制式装備である金色の兜と鎧を、じりじりと照りつける太陽に反射させていた。

 その先頭を歩くのは、兜のため顔は見えないが、少女であった。少女は兜のバイザーに設けられたスリットから見える、砂の大地をじっと見据えながら歩く。帝都の方角は太陽の位置と照らし合わせれば分かるし、バイザーの裏面にあるヘッドアップ・ディスプレイに、緑色の文字でコンパスが表示されているから、それを頼りにすればいいのだが、集中力を絶やせば、砂漠に迷ってしまうかもしれないという不安はかき消すことが出来ない。それは、いくら機器が発達しても、ダイムガルド人の心に刷り込まれた、民族的な考え方に相違ない。だから、少女は砂漠を流れる砂の文様を見据えて歩くのだ。昔からの言い伝えで、砂漠の文様は帝都に続いているといわれている。現に、少女の眼に映る文様は、コンパスと同じ方角を示していた。

 しかし、そんなものばかり見ていては、かえって集中力をそがれてしまう。だから、突然、ヘルメットの内部で鳥の鳴き声のような呼び出し音が鳴り響き、少女はドキリとした。

『セシリア中尉。セシリア・ライン中尉!』

 少女の名を呼ぶ音声は、ヘルメットの耳と密着する部分から聞こえてくる。多少、ザラザラとした雑音(ノイズ)が混じっていたが、その声は男のものとはっきり分かるほど、野太い。

「何だ、ジャック・ハイト軍曹?」

 少女……セシリア・ラインは努めて威厳のあるような低い声で、音声の主に問いかけた。

『いえ、別に何かあるってわけでもないんスけど。こう黙りこくって、砂漠の文様ばかり見つめていると、頭がおかしくなっちまいそうで』

 音声の主、ジャック・ハイトはそう言うと、おどけたように笑って見せた。いや、笑ったかどうかは、ヘルメットの所為で分からないが、雑音に混じって、ジャックの笑い声が聞こえたような気がした。

『僕も。レメンシア方面のパトロールから、もう三日ちかく口聞いていないと、気が滅入りそうですよ』

 今度は、別の声が聞こえてくる。ジャックよりは若い、というよりは少年のような透き通った声だ。その声は、列の一番後ろを歩く、少し背の低い甲冑からである。

「でも、マーカス・ヒル伍長。装甲の電源にあまり余分はない。無駄話で、電源を使ったら、帝都に帰り着く前に、無限の砂漠で行き倒れになってしまうかもしれない」

『そうですが……もうじき帝都が見えてくるはずです。少しくらいならいいでしょう?』

 マーカスに言われて、セシリアは少しばかり思案した。正直なところ、砂漠の哨戒任務ほど退屈で、気が滅入ってしまうものはない。少しくらいなら……と思ってしまうあたり、いくら威厳ある声を出したところで、セシリアも年頃の娘に過ぎなかった。

「そうね。少しくらいなら。それで?」

 と、セシリアは話題を振りながらも、返ってくる答えは大体分かっていた。

『あの鳥人間ですよ、鳥人間。ガモーフじゃ、「翼ある人」なんて呼ばれてるみたいスけど、ありゃ何です?』

 セシリア、ジャック、マーカスの三人が、哨戒も含めてレメンシアの街の現況を確認する任務を仰せつかり、レメンシアへ向かったのは、三日ほど前のことである。帝都を出発して、無限の砂漠を越え、ようやくレメンシアに辿り着いた彼らの眼に飛び込んできたのは、がらんどうとした静寂の町並みであった。

 レメンシアの街は、先述の通り無限の砂漠への玄関口である。と同時に、空白地帯の国境と結ぶ、スエイド運河と面した交易都市として機能している。そのため、世界が飢饉などで元気がなくなった今でも、活気に溢れ、帝都に匹敵するほどの人口を抱えていた。

 それが、たった一夜にして、全員光の粒になって消失したなどと、実際に目にするまでは信じられなかった。

 だが、現実に街からは、人がすべて消えていた。残されたのは、争った跡とその直前までの生活の跡。無残にも廃墟と化した街並みに、活気などおおよそありはしなかった。

 さらに、セシリアたちは廃墟の中で、敵の姿を目撃した。白い鎧、白い肌。そして背中には白い翼を生やした人。それが、「翼ある人」だとすぐに気づき、事を問い質そうとしたのだが、彼らは問答無用の構えで、セシリアたちに迫った。だが、武具がまったく通用しない。斬っても突いても、光の粒になって再生しまた、襲い掛かってくる。「翼ある人」の恐ろしさを目の当たりにしたセシリアたちは軍令部への報告を優先して、レメンシアから退いた。

『あれって、魔物なんですかね?』

 と、マーカス。

「少なくとも、あの感情のない目は、生き物のそれには見えなかった。魔物と言っても、本当に魔界から来たわけではない。だけど、あいつらは、本当に魔界から来たのかもしれないな」

『魔界……そんな御伽噺みたいなことあるんですか?』

「どこまでを現実の話として、どこからを御伽噺だと言うのかは、とても曖昧なもの。白き龍の存在以前に、神話ですら、実在していることを、わたしたちは知っている。そして、事実として『翼ある人』はこの世界に現れ、人々を光の粒に変えている。その目的があの声の言ったとおり『世界再誕』だというのなら、魔界も御伽噺じゃないのかもしれない」

 そう言って、セシリアは二人に聞こえないように苦笑した。魔界だの御伽噺だのそんな物語のような言葉を口にしながら、自分たちが現実主義の権化である軍人であることが、少しだけ滑稽に思えた。

『それにしても、パイル・パレットのバヨネットも効かないなんて。折角、技術部が開発した対魔法使い用の新兵器なのに」

『俺たちに魔法が使えたら、あいつら敵じゃなかったんスかね?』

 マーカスとジャックが揃って悔しそうな声を漏らす。

 パイル・パレットとは、ダイムガルド帝国軍がある技術を用いて開発した、新型兵器である。ダイムガルド人は、その殆どが魔法を使うことが出来ない。よしんば、魔力のある人間も、所詮は火起こし程度の魔力しかなく、他の二国の民に劣る。十年前、ヨルンの戦いで、その事実を突きつけられたダイムガルド人は、自国防衛の名目で新兵器の開発に着手した。そして、完成したのが、パイル・パレットである。パイルとは、ダイムガルドの古い言葉で「杭」を表し、パレットとは同じく「弾」という意味があるらしい。つまり、パイル・パレットのバヨネットとは、「杭の弾丸」を打ち出すための細長い長方形の鉄筒で、内部に仕込まれたミスリルの杭を、取っ手に取り付けられた引き金を引くことで、魔法を用いない「火薬」と呼ばれるものを小爆発させて打ち出すという、これまでにどの国でも見たことのない兵器であった。追記しておけば、外見はかつてダイムガルド軍が使用していた「いしゆみ(ボウガン)」によく似ている。

「魔法だって、通用したかどうか……。とにかく、早く帝都に戻って、報告しなきゃ」

『でも、報告書をどうやってまとめるんスか? まさか、報告書に「魔界」だなんて、書くわけじゃないっスよね?』

 おどけて言うジャックに、セシリアは人知れず溜息を付きながら、

「報告書を書くのは、体調のわたしの役目。心配してくれなくてもいい。それよりも、帰ったら、わたしの装甲の手入れも頼む。さっきから、砂詰まりのアラートが鳴りっぱなしだ」

 と、兜のバイザー裏に設えられたディスプレイの隅に、小さく表示される赤い魔法文字に目をやった。ほぼ全身甲冑であるダイムガルド帝国軍の金色の鎧は、油断していると風に舞いあがった無限の砂漠の砂が、あちこちの隙間に入り込む。すぐに支障があるわけではないが、放っておくと目詰まりを起こして、後始末が大変になる。

 しかし、鎧の手入れときたら、大事なことではあるが、退屈な哨戒任務よりも、欠伸が出てしまうのもまた事実。しかも、セシリアとしては無骨な鎧と睨めっこするのはあまり好きではなかった。

『えっ、マジっスか?』

 げっ、と声に出して露骨に嫌がるジャック。セシリアは兜の内側でクスリと笑って「マジっスよ」と答えた。

『ジャック先輩。頑張れ』

『うるせえ! マーカス、てめえも手伝えよなっ!!』

 セシリアは、部下である他愛のない二人の会話を聞きながら、ふと視線を上げた。バイザーのスリットから見える視界はそれほど大きくはない。戦闘においては、その視界の狭さが却って足手まといになるのだが、こうして砂漠を横断する際には、直射日光を避けるために、しっかりと着用しなければならなかった。

 それでも、バイザーのスリットから見えるダイムガルドの青空は、いつでも夏の空のように青く澄んでいる。そして、陽炎に揺らめきながら、地平線の彼方まで無限に広がる真っ白な砂漠……。時折灰色狼によく似た三つ目のヴォールフの姿など、魔物のはいかいする姿は見えるが、人の姿はない。

 帝都で生まれ育ったセシリアにとって、見飽きるほど見てきた風景なのに、砂漠はいつでも表情を変えて、新しい驚きを与えてくれる。国家運営にとって、ほとんど負にしかならない砂漠も、眺めるだけなら、それほどひどいものに思えてはこない。現に、この苛酷な環境だからこそ、本来駆逐されるべき、魔法の使えないダイムガルド人が、ひとつの国家を気づきあげることが出来た。その影にある、恩恵はすべて砂漠と、偉大なる母の山、アンジェロ山からの賜りものである。

 そのアンジェロ山が、薄っすらと地平線の彼方に見える頃、ようやく電源の無駄遣いを止めた、ジャックとマーカスが揃いも揃って、声を上げた。

『セシリア中尉! あれをっ!!』

 二人が指差す方角に、セシリアは目を遣った。陽炎に揺れるアンジェロ山を背景に、砂丘の折り重なったあたりに見えるのは、ひらりひらりと舞い、何かを啄ばむ鳥のような白い翼を持つ人影。それが何であるか察する前に、セシリアは砂を蹴って走り出した。

「『翼ある人』だ! 二人とも、戦闘準備っ!!」

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