表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第七章
67/117

67. 再誕の鐘が鳴る

「血路って……?」

 アルサスは思わず耳を疑った。しかし、トライゼンの瞳ははっきりと、アルサスの眼を見つめていた。

「クロウとカレンであれば、無事でしょう。すぐに、魔法騎士団の生き残りに撤退の合図を打ち上げさせます。その上で、我らが撤退すれば、ガモーフの者たちも、撤退を始めるでしょう。後は、追撃を退けつつ、王都へ。王都であれば、常に魔物よけの魔法障壁が築かれています。彼らにそれが通用するかどうかは分かりませぬ」

 淡々と、トライゼンは言葉を吐き出していく。いっそ清清しくも聞こえてしまう。

「更に、老婆心ながらの進言にございます。メッツェの力……いや金の若子と銀の乙女の力は未知ゆえに、ここは各国と同盟を結ばれることを具申します。とくに、ダイムガルドは我らよりもはるかに進んだ技術と国軍力を養っていると聞き及びます。あるいは、彼らなら、不死身の『翼ある人』を葬る手立てを知っているかもしれません。さらにもうひとつ。王都へご帰還なされましたら、直ちにここより近い王都は放棄し、西の果てにある第二の砦、ルートニア城へ移られることをお勧めします。それが、わが国の最終的な防衛線です」

「そんなこと、どうだっていい!! 将軍、死ぬつもりなら許可できないっ!! 将軍の力は、センテ・レーバンになくてはならないものだ。将軍がいなければ、兵たちを誰が纏め上げるというんだ?」

 アルサスは、声を荒げた。すると、トライゼンは立派な髭の下で満面の笑みを浮かべた。どうしてそのような顔が出来るのか、アルサスには甚だ理解できなかったのだが、トライゼンはさも嬉しそうに、

「そのお言葉だけで、センテ・レーバン王国に尽くしてきた甲斐がございました」

 と、言った。

「兵の統率であれば、クロウが適任でございましょう。人望などというのは、後からついてきます。必要なことは、冷静で的確な判断が出来る人物です」

「将軍、血路を開くことは、冷静的確な判断とはいい難いぞ!」

「いや、的確です。クロウには、ブレックも就いております。さらに、キリク、カレンが彼を補佐すれば、ワシのようなロートルなど出る幕はございません。……そもそも、騎士団を預かる立場として、ライオットの野望を阻止し、メッツェの正体と本心を暴けなかったのは、このワシにも責任がございます。その名誉を取り戻す機会を何卒、おあたえくだされ。あの魔物のバセットとやらばかりに、いい恰好はさせられませぬ」

 何を言っても聞く耳は持たない。トライゼンの言葉の裏には、老人らしい頑固な意思が読み取れて、アルサスは返す言葉を失った。

「殿下……。あなたさまは、聡明さにおいてシオンさまに劣る。武勇においてクロウに劣る。しかし、何よりも、他人を想う優しさは、あなたの最も秀でたところにございます。その心、ゆめゆめお忘れなきよう。さすれば、人はいつか分かり合う事が出来るでしょう」

「トライゼン将軍……わかった。俺たちのために、血路を開いてくれ。魔法騎士団には、ただちに撤退の合図を送らせろ。将軍が切り開いてくれた血路を、王都へ撤退する! キリク、ナルシルを預かっておいてくれ」

 トライゼンに頷きつつ、アルサスは鞘ごと折れたナルシルを手渡した。そして、トライゼン愛用のブロードソードをかざし、

「この剣に誓う。トライゼン・バルック将軍の名を、センテ・レーバン王家末代まで伝えると……」

 トライゼンはその言葉に頷き返し、戦斧を振り上げた。そして、群がる「翼ある人」めがけて突撃していく。振り上げた斧は、ばっさばっさと敵を切り裂いていく、すぐに再生し元に戻る。だが、舞い散る光の粒の中、その鬼気迫るトライゼンの姿に、徐々に「翼ある人」たちの列が乱されていった。

 魔法騎士団はこの機会を逃すまいと、撤退を知らせる魔法球を打ち上げた。魔法球は、四色の色によってその指示内容が変わり、それを見たセンテ・レーバンの兵隊は、悔しさを滲ませながらも、トライゼンの切り開いた退路から撤退を開始する。

「我々も、急ぎましょうっ!!」

 キリクが言う。アルサスはすでに「翼ある人」の群れの中に身を投じ、見えなくなってしまったトライゼンの後姿を見つめていた。

 と、その時である。まるで屍に群がるハゲワシのような「翼ある人」の中心から、光の粒が溢れた。それは、トライゼンの最期の姿だったのかもしれない。それを確認する術はなく、アルサスはブロードソードを固く握り締めて、踵を返した。

 何度目の敗北か。自らの無力さは、ここに来て確定的となった。せめそんな自分に願えることは、クロウとカレンが無事であることだけだ。王都へ戻り、トライゼンの遺言通りルートニアへ遷都する。シオンの目覚めを待つことは出来ない。各国が力をあわせ、来る再誕を前にした滅びと戦わなければならない。そして、今度こそ、ネルを殺さなければならない。そうしなければ、この世界に息づく人々すべてが、光に変えられてしまう。

 アルサスは気弱になりかけた心を奮い立たせ、キリクの後を追いかけた。一度敵に背を向けることは、戦場において無防備と言う。トライゼンの切り開いた血路は、瞬くうちに修復する。それは、「翼ある人」が感情を持たない相手だからである。トライゼンの最期の姿を見ても、なにも心が揺れることなく、命じられたことを粛々と護る。何故なら彼らは死ぬことのない「翼ある人」だからだ。

 彼らは、逃げ行くセンテ・レーバンの兵をカモとばかりに空から追いかけて、次々と三叉槍の餌食と変えていく。貫かれたセンテ・レーバンの兵は悲鳴を上げることも泣く光の粒となって消えていく。それは、人の死としては、あまりに美しく、あまりに空しい。

 だが、決死の殿軍を組織する余裕などなかった。いや、むしろ、トライゼン以上の犠牲を払うだけ、冷酷になれなかった。すでにここ数日の間に、アルサスはたくさんの犠牲を払った。名も知らぬセンテ・レーバンの兵、裏切り者のアーセナル、救援に来てくれたバセット、斬り殺した幾人ものガモーフの兵。

 心のどこかでは分かっていた。人と人が争いあっている場合ではないことを。本当の敵は「奏世の力」であることを……。

「くそっ! みんな、走れっ。振り向くな!!」

 アルサスの声は枯れていた。振り回すブロードソードの重さに、腕が悲鳴を上げている。しかも、斬っても斬っても、手ごたえのひとつ感じられない。

 そうした疲れは、誰もが抱えていた。ガルナックを放棄した際には、まだ東の空にあった太陽が、いつの間にか、西の空に傾いている。そんなことに今更気づいたところで、どうにもならないが、ただそれだけの長い時間、時を忘れて戦っていたと言うことだ。

 疲労を溜め込んだ両の足は重く、アルサスが「翼ある人」に振り向いた瞬間、迫り来る別の殺意に気づかなかった。

「神国に仇なすセンテ・レーバン王子、覚悟っ!!」

 突然の叫び声がアルサスの傍を掠めるのと、アルサスの背中が斬られるのは、ほぼ同時のことだった。振り返ると、そのガモーフ兵は、自分と同い年かそれよりも年下の少年であった。彼は、傷ついた全身を小刻みに震わせながら「やった、やったぞ」と、うわ言のように繰り返す。

「このっ、何やってんだっ!! 俺たちは敵じゃないっ」

 アルサスはガモーフの少年兵を睨み付けると、乱暴に少年を殴った。少年は殴られた頬を押さえながら、悲鳴を上げる。

「て、敵だ!! 白き龍の力で世界を支配しようとする敵だっ!! 俺は出征するとき、ガモーフの父母にセンテ・レーバンを滅ぼしてくると誓ったんだ」

「メッツェの声が、聞こえなかったのか!?」

「あれだって、お前たちが俺たちを嵌めるために考え出した奇策だろう!? ユベルも、エランも、お前たちに殺されたんだ」

 何を言っているのかよく分からなかったが、ユベル、エラン、というのは、彼の友であったのだろう。少年兵の瞳に宿るその憎しみは、真っ直ぐにアルサスを捉えて離さない。アルサスがどう諭しても聞く耳など持たない。少年兵はそんな顔をしていた。

「殿下っ! 上ですっ!!」

 突然キリクの叫び声が、アルサスの耳朶を打つ。立ち止まっている人間は、「翼ある人」にとって絶好の標的であった。一羽の「翼ある人」がアルサスと少年を狙いに定めて、上空より急降下してくる。振り向いたキリクの叫んだにもかかわらず、アルサスは疲労で重たくなった体を上手く反応させることが出来ず、ブローソードを振り上げるだけがやっとだった。そんな勢いのない剣など、「翼ある人」の槍の前に歯が立つはずなどなく、アルサスは剣を取りこぼしてしまう。

「殿下ーっ!!」

 キリクの声も空しく、アルサスはわき腹を貫かれた。喉の奥を逆流してくる生ぬるくぬめったものが、自分の血であるととった時、アルサスは自分もまた光の粒になって消えてしまうのではないかという恐怖にかられた。

 だが、伝わるのは痛みばかりで、光になったりはしない。どうして、自分だけ光にならないのか、その理由は定かではなかったが、アルサスは三叉槍が引き抜かれると同時に、足元に落とした剣を拾う。

「くそっ! 死ぬわけにはいかねえんだ」

 アルサスは霞む視界で、剣を振り下ろすが、その切っ先は「翼ある人」を掠めもしなかった。ちらりと背後に視線を送れば、先ほどのガモーフの少年兵がみっともないほどの泣き声を上げながら走っていく後姿が見えた。

「くっ、バケモノっ! こっちだっ!!」

 アルサスは剣を構えながらも、挑発じみてそう口にしたが「翼ある人」はそれに対して憤慨も見せない。ただ無感情に、再び三叉槍を繰り出した。その鋭い切っ先が、アルサスの体を貫いた瞬間、キリクの叫び声が聞こえたような気がしたが、アルサスは遠のく意識の中で、ネルのことを思い浮かべていた……。

 カルチェトの街で見た、彼女の朗らかな笑顔は、とても美しいと思った。可憐だが頼りない後姿を、彼女の心を守ろうと思った。その時から、アルサスは迷っていた。「奏世の力」に目覚める前にネルを殺めるという使命を、果たすべきか否か。

 だが、そのどちらも選ぶことが出来ないまま、彼女は妹の死に心を砕き、争いと隣り合わせの世界に絶望した。誰かが誰かを思いやり、互いに分かり合うことが出来たなら、この世界はもっとマシになる。だから、世界を「分かり合える世界」に生まれ変わらせる。

 ネルはその決意とともに、アルサスと訣別した。ネルの力によって消えた人々は、ルミナスの人たちを含めて、新たな世界に生まれ変わることだろう……。だが、その世界のために、今ある世界の人間が恐怖することは、正しいといえるのだろうか?

「ネル……間違ってる。この世界は、そんなにひどい世界じゃないはずだ」

 アルサスは剣を落とし、その手を何もない虚空に掲げた。まるで、ネルの手を取るように。だが、そこにか弱く細い少女の手はない。

「フェルト殿下ーっ!! お逃げ下さいーっ!!」

 キリクの絶叫をバックに、「翼ある人」は、止めの一撃と言わんばかりに、三叉槍を振り上げた。光にならないのなら、死んでしまえ。無機質な「翼ある人」の眼はそう言っているようだった。

 その時。不意にアルサスの頭上を影が覆う。突風のような風とともに、何かが舞い降りてきて、その太い足でアルサスの血まみれの体を、文字通り鷲づかみにした。

「トン……キチ」

 もはや、血が足りず、はっきりと見えるわけではないが、その巨大な翼は間違いなく、人外の友であった。

 トンキチは、体中に矢を突き立て、羽毛の隙間から血を滴らせながら、ほうほうの体でアルサスを助け、空を飛ぶ。

「まだじゃ。まだ死んではならんぞ、アルサスっ!!」

 アルサスの意識がぷつりと途絶える瞬間、トンキチは確かにそう言った……。


 命令を無視することの重大さは分かっていたつもりだが、クロウは隊を率い、敵軍の中を駆け抜けて「翼ある人」に飛び掛った。剣を振り「翼ある人」を斬っていくが、アルサスたち同様、何度斬っても再生する未知の存在に、次第に劣勢の色を極めていった。

 一方、カレン隊も、クロウ隊と同様の決断を下し、ガモーフ軍の救援のため戦場を駆け巡っていた。カレンの双剣はすでに片方の剣を失っていたため、騎士団の通常装備である剣に持ち替え、次々と迫り来る「翼ある人」を斬っていった。

 そんな両部隊が合流を果たしたのは、戦場の中心であった。

「クロウさま!! このままでは、わたしたちも光になってしまいます!」

 カレンは開口一番、クロウに撤退を進言した。それは奇しくも、アルサスたちが撤退を決意したのとほぼ同じタイミングであった。しかし、そのことを知る由もないクロウは、馬上で剣を振り上げながらも、一瞬戸惑った。

「だけど、フェルトが!」

「殿下ならば、逃げおおせているはずです。あのお方ならば、退き際を弁えていらっしゃる。隊長! 我らも撤退を!!」

 ブレックの声が、クロウに決断を迫った。武器も魔法も効果がない、不死身の化物相手に、これ以上戦闘を続けることは出来ない。アルサスならば、そう思うに違いない。いや、例えアルサスが意固地になっても、キリクやトライゼンがそれを止める。

 すぐさま、クロウはカレン隊を併せた全軍に撤退の勧告を発令する。冷静な判断力。トライゼンが評価したとおり、クロウは生き残るという選択肢を選んだ。だが、そのトライゼンが決死の突撃を行ったことも、クロウは後になって知ることだった。

「ガモーフ兵! すでに戦争は戦争としての体を失った。このままでは、徒に死するのみ。今は互いに剣を収め、自国にもどられたし!!」

 クロウは声を張り上げ、ガモーフ兵にも撤退を促す。その間も、シエラ山の頂からは、次々と「翼ある人」があふれ出し、その山肌を滑り降りて、襲い掛かろうとしていた。ガモーフ軍の中には、クロウの声に、更なる反発を見せ、「翼ある人」に挑みかかる者もいたが、多くはアトリアの谷を目指し逃げ出していった。

 それを確かめたクロウは馬の首を返す。と、隣のカレンが「あっ!」と声を上げて、南の空を指差した。クロウも空を見上げる。

「あれは……エイゲル?」

 空のとても高い場所に、一羽のエイゲルが飛んでいる。地上からでははっきりとその姿を確認することは出来なかったが、そのたくましい両足で、何かを掴み、まるで戦場の真上を飛び越えて、南に向かって姿を消した。クロウは、その魔物の姿に胸騒ぎを覚えつつ、カレンを従えて、追撃してくる「翼ある人」を追い払いながら、王都への帰路に就いた。


 その日、アトリア連峰の最高峰、シエラ山の頂より姿を現した、白い翼を持つ人、「翼ある人」は瞬くうちにガルナック平野から、世界を席巻した。それが、世界再誕の始まり「再誕の鐘」の音であったことを、本当の意味で理解している者は少なく、人々は無機質に生き物を光に変える彼らの出現に、ただ怯えた……。


ご意見・ご感想などございましたら、お寄せください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ