表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第七章
65/117

65. 背に腹はかえられない策

 まだ、夜空が白む前に、アーセナル隊の生き残りとアーセナルの身包みを剥ぎ、両手をロープで縛った状態で、ガルナック砦の裏門から放逐した。彼らは、敗軍の将として一目散に逃げていく。本来なら、センテ・レーバン騎士の掟にしたがって、裏切り者には厳しい死罰を与えなければならないのだが、アルサスがそれを望まなかった。

 せめて、無抵抗な人間まで殺したくはない。というのがアルサスの心情であったが、ガルナック平野の朝はとても寒い。丸裸でいれば、何クリーグも先にあるガモーフの野営地や、近隣の町に逃げ込むまでに、彼らは体力を奪われ、凍死してしまうかもしれない。それだけでも、十分厳しい罰だ。

 だが、他の騎士や兵士の手前、彼らが彼らなりの意思を持って裏切ったのだとしても、それを赦しておくわけには行かなかった。

 そんな矛盾をかかえつつも、アトリアの峰に朝日が昇り、ガモーフとの戦は二日目を迎えた。ガモーフ軍は、城壁を乗り越えるための梯子や門扉を破壊するための槌の付いた戦車を用意し、篭城の構えを見せるアルサスたちセンテ・レーバン軍を包囲した。

 バセットたちヴォールフ族と、トンキチたちエイゲル族の魔物が味方についてくれたとは言え、すでに大多数の戦力を失った上、生き残ったものの中にも、怪我人は数知れない。援軍を請うにも、諸侯たちは戦の行く末を静観する構えである。即ち、彼らは、センテ・レーバンが勝つなら変わらず忠誠を守り、ガモーフが勝つならばかの国へと鞍替えするつもりなのだ。もっとも、前者はその可能性が限りなくゼロに近い。なぜならば、今ガルナック平野に展開する、こちらの三倍ものガモーフの軍勢は、先遣の部隊であり、その背後には、それ以上の本隊が控えている。

 その点では、諸侯に独立自治権を預けるセンテ・レーバンの弱点が露見したと言えなくもないだろう。いずれにしても、アルサスは先遣隊を破り、講和に持ち込みたいと思っていた。そうすることで、国と民は戦火から守られる。それが、センテ・レーバンの王子として、シオンの兄としての使命だと感じていた。

 その一方で、瞳を伏せれば、ネルの顔が思い出されてしまう。今、ネルはどうしているだろうか。彼女の心の傷を守ってやることが出来なかった。ルウに「お姉ちゃんを見捨てるの?」といわれても、甘んじてその批難を受けるほかなかった。

「魔法騎士団。構えっ!」

 邪念を振り捨てつつ、アルサスは胸壁の上から、迫り来るガモーフ軍を睨み付け、魔法騎士団に命じる。彼らの唱えた魔法は、敵のど真ん中に着弾するものの、その程度でガモーフの軍は崩れない。

「正門は、ハイゼノン製のミスリルで造られた門扉。簡単には破られますまいが、いつまで持ちこたえられるか」

 アルサスの隣で、ガルナック守備隊指令のキリクが言う。アルサスは「弱気なことを言うな」と叱責しつつも、内心に、城門が破られる可能性は懸念していた。どれほど、ミスリルの頑健さがあろうとも、壊れないものは、この世にはない。

「今のうちに、我らを門外へ。エイゲルどもと空と地上からの挟撃をかける」

 キリクの傍でそう言ったのは、バセットである。確かにその手は有効かもしれないが、駆けつけたヴォールフとエイゲルの数は、たかが知れている。心強い味方ではあるが、無謀な突撃を許すわけには行かない。

「魔法を放ちつづけろ! 軍を一人でも、ガルナックに近づけさせるな!!」

 アルサスは、怒号のような命令を飛ばすトライゼンに目をやりながら、

「策はある。そのために、魔法装置を砦内に仕掛け、クロウとカレンを、アーセナル放逐と一緒に、砦から出したんだ」

 と、バセットに言った。

 弓矢と魔法の波状攻撃は、成果を見せないまでも、敵の進軍を少なからず阻んでいる。堅牢なガルナック砦は、簡単には陥落しないが、それでも、最初の梯子部隊が、ガルナック砦の城壁に梯子をかけたのは、それから数時間後のことだった。

 アルサスたちは、煮えたぎった油などを撒き、敵が梯子を上ってくるのを妨害したが、ガモーフ軍の怒涛の勢いは収まることを知らない。

「一人も城壁を越えさせるな!」

 アルサスも弓矢を放ちつつ、敵を射殺していく。心を痛めている余裕はなかった。敵兵の眼には、殺意が込められていて、例え相手がどう思っていようと、敵である以上殺すという執念だけが、瞳の奥に燃え上がっていた。

 これが戦争だ。

 まざまざと見せ付けられた、はじめての戦争。恐ろしいと思う。バセットやガムウと戦った時も恐ろしいと思った。だが、戦争とは違う。名も知らぬ、多数の人間。それらが悪意を見せ付けているわけではなく、ただ、己の正義のために戦うのだ。

 徹頭徹尾、分かりあうことは出来ない……。

 それが戦争だ。

「衝車が、門に付きました!」

 見張り台から弓矢を応射していた兵の声が響き渡ると同時に、巨人の足音を思わせるような、低く腹に響く音が聞こえてくる。

「エイゲルに、衝車を攻撃するよう、伝令!」

 トライゼンが声を張り上げる。すぐさま、見張り台から伝令用の魔法球が打ち上げられた。まもなくして、雲の上から、何かが急降下してくる。それは、見る見るうちに大きくなり、巨大な鳥の形を成すと同時に、戦場に滑り込み、真っ直ぐガルナック正門を目指した。トンキチの率いるエイゲル族の部隊である。

 彼らは、鋭い爪と嘴を武器に、正門を突き壊そうとするガモーフの槌戦車、衝車を急襲した。俄かに悲鳴が巻き起こる中、ガモーフ兵は、鷹狩の要領で弓矢を射掛ける。エイゲルの巨躯にとっては、矢など針が刺さった程度であるのだが、それでも何百もの矢や魔法が注げは、彼らとて耐え切れるものではない。

 ギャーっ、という悲鳴は、まさに魔物の断末魔。一羽、また一羽と射落とされていく中、ガモーフの衝車が正門を突く音は止まない。

 一方、胸壁の上では、ついにガモーフ兵の一人が、槍を振りかざし梯子を上り詰めた。「撤退っ!」の声と同時に、胸壁の上にいたアルサスたちは、胸壁から駆け下りる。

 決壊する堰と一緒だ。誰か一人でも、胸壁の上に上ってくれば、彼らの勢いをとめることは出来ない。それよりも、極力被害を減らす。そして、この砦が堅牢であることを利用する。アルサスの策は、まさにガモーフ兵が胸壁の上に上った瞬間から始まっていた。

「退け、退けーっ!」

 アルサスは叫びながら、胸壁を駆け下りる。その瞬間、四つある見張り塔のうちひとつが、敵の魔法によって爆発する。無論、中にいた者たちは助からないだろう。アルサスは下唇を強く噛みながらも、頭上に降ってくる瓦礫を盾で防ぎながら、迫り来るガモーフ兵をにらんだ。

 予想以上の数が、すでに胸壁の上に登って来ている。アリの中でも、攻撃的な役目を負ったアリのことを「兵隊アリ」と言うが、まさに、ガモーフ兵たちは青銅色の兵隊アリのようだと、アルサスは思った。そんな、青銅色の兵隊アリたちは、容赦なく、撤退するセンテ・レーバン兵を矢と魔法で射殺していく。あるものは背中から胸に鏃が飛び出し、血を吐いて絶命し、またあるものは魔法の礫に脳天を打ちぬかれて一瞬のうちに命を落とした。だが、ガモーフ兵は胸壁越しに、砦内に飛び道具を射るばかりで、アルサスたちを追いかけてこない。

「トライゼン将軍! あいつらを誘い込むための、殿軍(しんがり)が必要だ」

 弓矢を敵に射掛けながら、階段を下りてくるトライゼンにアルサスが言うと、トライゼンは少しばかり渋い顔をした。無論彼とて、アルサスと同じことを思っていたに違いないが、「無茶ですぞ! 兵を再編している余裕はございませぬ!」のである。

「くそっ!!」

 アルサスが言うと、少し前を行くバセットが急に足を止め振り返った。

「少年、策が成るまで、ここは引き受けた! 行くがよい!」

「バセット!? 独りで行くつもりか? だめだっ!!」

「策が成らねば、そなたはあやつらに殺されるのであろう? それでは、あの娘の心を救ってやることが出来ない。それは、即ち、世界が滅びる。生まれ変わった世界に、そなたも我もいない……。それを止めることが出来るのは、そなただけだ」

「バセット……何を言って……!」

「好いた女の一人も、分かり合えなければ、人間など滅びる運命なのだ!」

 その言葉に驚いている暇もない、狼によく似た脚で踊るように階段を駆け上るバセットは、アルサスの制止も聞かず、魔法で生み出した炎の剣を口にくわえた。そして、三つの眼でちらりと、アルサスの顔を見ると、

「一族の者を頼んだ!」

 と叫んだ。彼は、一匹で殿軍を引き受けたのである。殿軍とは、その規模にかかわらず、決死の部隊であることを意味している。己の命と引き換えに、敵軍をひきつけるのだ。

「殿下! 今のうちに!!」

 キリクがアルサスの手を引く。

「滅びの時を共に見るんじゃなかったのか、くそっ!!」

 アルサスは、敵に駆け込むバセットから目を逸らし、階段を駆け下りた。まもなく聞こえた、狼の遠吠えのような悲鳴は、誰のものだったのか、アルサスは分かっていた。

 その代わり、と言ってしまえば、あまりにも無機的に聞こえてしまうが、バセットの働きは効果的であったといっていいだろう。ガモーフ兵たちは誘いに乗り、アルサスたちを追いかけてきた。

 ガルナック砦内は、最後の最後まで抵抗することを考慮してか、複雑に通路が入り組んでいる。砦内の構造に熟知したキリクを先頭に、アルサスたちは敵を誘導しつつ、砦の奥地へと入り込んだ。

「全軍に撤退の命令は?」

 アルサスが問いかけたのは、トライゼンである。小走りに通路を駆け抜けながらも、トライゼンは厳しい顔をしていた。

「すでに通達してありますが、逃げ遅れる者も出てくるでしょう。しかし、彼らが大人しく降伏に従ったとしても……」

「一人でも多くの兵が逃げおおせるまで、爆索(ばくさく)に点火するのは待つんだ。それに、そのほうが、多くの敵を巻き込める」

「はっ、分かっております。しかし、殿下自ら、このような策を申されるとは思っても見ませんでしたぞ」

「なんだ、皮肉なら勘弁してくれ。緒戦敗退のツケを払わなきゃならないんだ。そのためには、背に腹は返られなくなっただけだ」

 と言うと、アルサスは前方に見える扉から手招きする兵に手を上げる。

「クロウ隊とカレン隊への連絡は密に。直ちに、砦を放棄する。お前たちもすぐに撤退しろ」

 兵たちが頷くのを確認したアルサスは、扉から続く石造りの階段を下へと駆け下りた。まるで奈落へと続くように下へ降りていく。時折頬を掠めるひんやりとした風は、外の風が、地下で冷やされたもので、その奈落へ続くような階段は、外とつながる脱出口であった。

 アルサスたちが地下の階段を駆け下りているその頃、地上では、エイゲルの攻撃も空しく、ついにガルナック砦の正門が打ち破られた。抵抗を続けるものもいたが、なだれ込んできた何千ものガモーフ兵にあっさりと討ち取られた。だが、誰一人として降伏を受け入れないのは、理由があったからだ。

 一方、地下を抜けたアルサスたちの前に広がるのは、ガルナック平野の北にある小高い丘である。戦場を一望というわけには行かないが、ガルナック砦の様子くらいは見ることが出来る。

 正門が破られた今、ガルナック砦には多数のガモーフ兵が乗り込んでいる。彼らは、センテ・レーバン軍の大将である、王子フェルト……即ちアルサスを探して、どんどんと砦の奥に入っていく。そのことはあらかじめ考えていた。ガルナック砦という拠点を未練もなく捨てるつもりはなかったが、大軍勢を前に、選択肢の一つとして、前もって考えていた作戦である。

 敵を砦内におびき寄せ、そしてあらかじめ砦内に仕掛けておいた、魔法装置を暴走させて、連鎖爆発させる。それを、アルサスは「爆索」と呼んだ。魔法装置を爆発させるという方法は、あの忌まわしきライオットの技術院が開発した技術である。もっとも、魔法の宝石自体が希少性が高いため、実用的ではないとされていた。

 その、報告書をアルサスが読んだのは、つい数日前である。精神を操るレパードの魔法装置を取り外したシオンの意識を戻すため、技術院が何か手がかりを残してはいないかと思ったのだが、結局得られたのは、魔法装置の暴走という技術だけであった。

「もう十分でしょう……爆索点火! 砦もろとも、ガモーフ軍を一掃しろ!!」

 キリクが代表するように、魔法騎士団に命じる。魔法騎士たちは、そろって魔法の言葉を唱え始めた。その魔力の念は砦内に仕掛けた、魔法装置に呼応する。

 すると、まずは四つの見張り塔のうち、健在の三本が爆発と共に崩れ去った。それを合図に、砦内の内側に向かって、爆発が連鎖していく。その地鳴りのような音と共に、砦内にいるガモーフ兵のほとんどが、爆発と瓦礫の下敷きになって、命を落としただろう。

 あまりにも恐ろしい策ではあるが、勝つために手段を選べないという辛さを、アルサスは崩壊していくガルナック砦の姿に重ね合わせて、固く拳を握り締めた。

「よし、敵がガルナック崩壊に混乱している今が好機! クロウ隊とカレン隊に合図を!! 三方向より、敵の残存兵力を叩く!!」

 トライゼンの指示にあわせ、合図の魔法球が打ち上げられる。すでに、アーセナルの放逐にあわせ、朝霧に紛れて裏門より、クロウ隊とカレン隊を砦の外に出し、各々を戦場の東西に配置済みである。

「俺たちも(かち)で、敵に突撃する!! いくぞっ!!」

 アルサスが腰のナルシルを引き抜いて、振り上げたその時だった。キリクが声を上げる。

「あ、あれは何だ!?」

 キリクが指差す方向は、遥か南。ガモーフ軍の背後に聳え立つ、アトリアの最高峰「シエラ山」の頂上だった。

ご意見・ご感想などございましたら、お寄せ下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ