63. 攻防戦
「魔法使い隊、前へ!!」
ガモーフ軍の指揮官が房のついた指揮棒を振る。それに併せ、ローブに甲冑を纏った魔法使いたちが、とねりこの魔法杖を振り上げた。
「魔法が来るぞ! 全員防御ーっ!!」
すかさず、トライゼンが声を荒げる。それと同時にセンテ・レーバンの兵隊は、手にした方形の盾を斜め上空にかざすように構えた。盾の表面には、ミスリルの鋼鈑がはりつけてあり、対魔法戦に備えた装備であることを伺わせる。
セオリー通り、ガモーフの魔法使いたちは、魔法の言葉を唱え、土の矢をセンテ・レーバン軍めがけて射掛けた。雨がごとく、土砂がごとく、魔法の矢がセンテ・レーバン軍の上に降ってくる。それらは、大地に突き立ちきえるものもあれば、盾の表面で砕け散るものもある。
だが、その程度に戦いている暇はない。戦争は始まってしまったのだ。これから、どれだけの兵隊が犠牲になるか分からない。しかし、もう引き返せないことも分かっている。一瞬でも戸惑えば、その時自分の体が無事でいる保障など、どこにもない。
「第一騎馬隊、突撃ーっ!!」
魔法の矢の来襲が収まると同時に、ガモーフの指揮官は第二の指令を叫ぶ。
「敵を突破させるな!!」
アルサスは、トライゼンが指示を送る前に、声を張り上げた。すぐさま、盾を構える兵がアルサスたちの前に展開し、その盾の隙間に槍兵が待機する。
一方、ガモーフ軍の魔法使い隊の後ろから、土煙を上げ、騎馬の一団が突撃してくる。数は少ないが、その勢いは、津波のようである。アルサスたちは、一様にその騎馬をにらみつけながら、唾を飲み下す。もしも、騎馬隊の突撃に耐えることが出来なければ、それだけでセンテ・レーバン軍は突き崩されてしまうかもしれない。
「まだだ、まだ引き付けろ!」
兵の焦りを制するように、アルサスが声を低くして言う。じわじわと迫り来る、ガモーフの騎馬隊。青銅色の鎧と、彼らが構える騎乗槍が鈍く輝きを放つ。一瞬、ガモーフ騎馬隊の馬の瞳と、目が合った。
「今だ! 槍構えっ! 馬を突け!!」
アルサスが叫ぶ。それと同時に、槍兵が盾の隙間から、長柄の槍を突き出した。雪崩を打って突撃してくるガモーフ騎馬隊は、急ブレーキをかける暇もなく、長柄の槍の餌食となる。次々と突き刺された馬は、苦しみの悲鳴を嘶き、背中の騎士を振り落としながら、センテ・レーバン兵の上に倒れ掛かってきた。
馬には何の罪もないが、騎馬隊を倒すには、馬を直接攻撃することほど、効果的なことはない。
「おのれ、センテ・レーバンっ!!」
落馬した、ガモーフ騎士はランスを投げ捨て、剣を構える。だが、馬を失った騎馬隊など取るに足らない。あっという間に、センテ・レーバン兵によって取り囲まれ、切り殺されていく。
「間髪入れるな、王国騎士団、進軍!! 敵を駆逐せよっ!」
トライゼンの指示する声が響き渡ると、センテ・レーバンの兵はガモーフ騎馬隊の亡骸を踏み越えて、敵軍へと突撃を開始した。アルサスも、鐙を蹴って、馬を走らせる。
それに呼応するように、ガモーフ軍は、魔法使い隊に魔法攻撃の第二波を指示する。だが、センテ・レーバン軍にも魔法使いの部隊はいる。騎士の中でも、魔力の高い人間をそろえた、先鋭の部隊。その名も「センテ・レーバン魔法騎士団」である。
「魔法騎士団! 応射ーっ!!」
トライゼンのすばやい指示に、魔法騎士団は走りながら、魔法杖代わりのミスリルの剣を振りかざした。ガモーフの魔法使い隊と、魔法騎士団、それぞれの魔法はほぼ同時だった。弧を描き、土の矢と炎の矢がちょうど上空でぶつかり合い、パンッパンッと、花火のように弾けた。
アルサスたちは、魔法の花火の下をくぐって、ガモーフ軍の先頭に雪崩込んだ。剣と剣がぶつかり合う音。怒声と悲鳴、いくつもの足音と爆発音。あらゆる喧騒が乱戦となった戦場に集中する。
「てやぁっ!!」
アルサスは馬上から、ナルシルの剣を敵兵の兜と鎧の隙間をめがけて突き出す。鈍い感触は相手の首を断ち切る感触だ。すでに、アルサスは人を殺めた経験がある。ネルと出会う前も、出会ったあとも、必要に迫られて。しかし、これほど気持ち悪く、吐き気のする感触はないだろう。それでも、血糊がついた剣を引き抜き、返す刀で次なる敵を切り殺す。
アルサスのそばでは、クロウが剣を振るう。更に前方では、老体に似合わぬ巨大な戦斧を軽々と振り上げるトライゼンの姿。そして、ぴたりと寄り添うように、双剣を華麗に舞わせるのはカレンだ。
誰もが、その気持ちの悪い感触に吐き気を覚えながらも、戦争と言うある種異常な高揚感の中で、声を張り上げ、自らの命を護るため、敵の命を奪っていく。
しかし、センテ・レーバン騎士団伝統の「迅雷の剣技」を以って、斬っても斬っても、敵の血しぶきが己の鎧を汚していくだけで、その数は減らない。その一方で、少しずつ、センテ・レーバンの兵にも犠牲者が出はじめる。短い悲鳴とともに、腕が飛び、足が飛び、血を噴出し、斃れていく兵士たち。
そんな中、いったいどれだけの時間が過ぎ、いったいどれだけの敵兵を切り殺しただろうか。「多勢に無勢」その言葉が、アルサスの脳裏をよぎるころ、徐々にセンテ・レーバン軍の気勢が削がれて、徐々に押され始めた。傷だらけになって戦う兵士、すでに息絶えた兵士。血の臭い。人肉のこげた臭い。アルサスは、青ざめた顔でそれらを見渡しながら、戦う。
「怯むなーっ! 進めーっ!!」
と、声を荒げるトライゼンだが、彼の戦斧にも、疲れの色が見え隠れし始めた。
「フェルトっ! 兵たちが疲れ始めている。このままじゃ、敵に飲み込まれる!!」
そう言って、こちらに駆けてくるクロウがアルサスに目配せをする。一時撤退を促す視線だ。アルサスは思考を回転させる。今退くべきか、それとも戦うべきか……その判断は将たる自分の双肩にかかっているといってもいい。それは、プレッシャーというよりは、自分だけに委ねられた決断すべきことだ。
「フェルト、危ない!!」
不意にクロウの叫び声がする。
「センテ・レーバン王子、覚悟ーっ!!」
きええっ! と、奇声を発しながらガモーフ兵がアルサスの脳天めがけて剣を振り下ろしてきたことに、撤退の判断に気をとられたアルサスは、一瞬の隙を見せてしまった。
戦場とは、一瞬の油断で、屍を晒すか屍を作るかが決まってしまう。前者は死を意味し、後者は生を意味する。生きるか死ぬか、たったそれだけの律によって構成されていると言っても過言ではない。決闘とは違う。どれほどの手練であっても、死はそこに迫っているのだ。
だが、その油断は、アルサスだけのものではなかった。センテ・レーバン軍の大将であるアルサスの首を目の前にして、勝利を確信したガモーフ兵は、彼に迫り来る死に気づいていなかった。
「殿下っ、伏せてっ!!」
突然の女の声に、アルサスは咄嗟に身をかがめた。その瞬間、アルサスの頭上を一本の剣が飛来する。その剣は、鈍い音を立ててガモーフ兵の胸に突き刺さった。
「ぎゃっ!」短い悲鳴とともに、ガモーフ兵は地面に落ちて、絶命した。
アルサスは、頭を起こすと声のした方に目を遣る。すると、そこにはカレンの姿があった。ガモーフ兵の胸を貫いた剣は、カレンが愛用する双剣の片方を、彼女が投げつけたものに相違ない。
「ご無事ですか、殿下!」
馬の首を返して、こちらへ駆け寄ってくるカレンの鎧は、彼女の可憐な姿に似合わないほど、べったりと血しぶきに赤く染まっていた。
「カレン、すまない。助かった!」
アルサスはなるべく、カレンに不安を抱かせぬよう、笑顔を作って答える。無論、そんなものは作り笑顔であり、それはカレンにも分かっていた。
「やはり、士気だけでは、どうにもならないか……」
カレンの姿に、アルサスは独りごちると、傍らに来たクロウに頷き、そのまま少し前方のあたりで戦斧を振り上げるトライゼンに向かって叫んだ。
「トライゼン将軍! 撤退の合図を! 一路、ガルナック砦に引き返し、相手の出方を見る! アーセナルとキリクに撤退の援護を要請!!」
「なんの! まだ戦えますぞ! この命果てるまでっ!!」
トライゼンは、武将然として、鼻息荒くそう言ったが、アルサスはそれを認めない。
「忘れるな! 俺たちは、敵を皆殺しにすることじゃない。この戦に勝って、ガモーフ本隊を退かせることだ! ここでがむしゃらに戦って死んでも意味がないっ!!」
と、言われれば、頑固者ではないトライゼンも、それ以上突き進むことは出来なかった。
「くっ! 左様にございますなっ! 致し方ないっ。伝令兵! 信号魔法を打ち上げろ! アーセナルの第一騎士団と、キリクのガルナック守備隊に援護させろ。退くぞっ!!」
トライゼンの命令が飛ぶ。すぐさま、伝令の役目を預かる兵士が、小型の魔法杖を懐より取り出し、空めがけて魔法を放つ。それは、真っ赤な炎の光球となり、上空で輝いた。
命令伝達の方法はいくつかあるが、これが最も手っ取り早い。すでに軍内の取り決めで、赤い魔法の光球は、「撤退」を表すことは、全軍に伝えてある。それと同時に、砦に待機するキリク率いる守備隊と、本隊後陣に控えたアーセナルの第一騎士団が、出撃して本隊の撤退を援護する手筈となっていた。
そのため、ガルナック砦の見張り台から、赤い魔法の光球を確認したキリクは、砦の門を開けさせ、かつ部隊を出撃させた。
撤退は迅速に行わなければならない。逃げるということは、敵に背中を見せるということだ。それがどれだけ危険なことなのかは、語るまでもないだろう。
「退けっ! 退けーっ!!」
トライゼン、カレン、クロウたち騎士団長が、口々に指示を飛ばす。さすがは、トライゼンが育てた騎士団である。焦り乱れて、散り散りになることなく、整然と撤退していく。
アルサスも馬の首を返し、ガルナック砦の方に向いた。砦からは、キリク隊がこちらに向かって駆けてくるのが見える。しかし、異変に気づいたのはその直後だった。
「おかしい……アーセナルの部隊が動いてないっ!」
アルサスの言葉を代弁するかのように、クロウが叫んだ。ガルナック砦のやや東側で、進軍せず控えていた、いわゆる殿軍のアーセナル隊が、微動だにせずその場に留まっているのだ。彼らにも、伝令兵の撃った、赤い魔法球は見えたはずだ。にもかかわらず、まるで命令を無視するかのようではないか。
驚きは、すぐに動揺となって、センテ・レーバン兵に広まっていく。
「アーセナルめっ! 臆したか、腰抜けっ!」
トライゼンが毒づく。思えば、昨日の軍議において、アーセナルはひどく消極的な発言を繰り返していた。騎士でありながら、政治の世界に浸かり、どっぷりと太った、鎧の似合わない騎士は、ここに来て臆病風にとうとう吹かれてしまったのかも知れない、と思っていると、唐突にアーセナル隊がゆったりと動き始めた。
どうやら取り越し苦労だったのか……。
「違いますっ! 旗をっ」
カレンが驚愕に声を震わせる。動き出したアーセナル隊は、センテ・レーバン軍の軍旗捨て、こともあろうに槍を構えると、その狙いを、たった今ガルナック砦から出撃したキリク隊に差し向けたのである。
本隊の撤退援護のため出撃したキリク隊は、アーセナル隊に横腹を叩かれたことになり、あっという間に総崩れになってしまう。それは、明らかな、アーセナルの裏切りであった。
「キリク隊を救援するんだっ!」
アルサスは大きな声で、撤退を開始した兵たちに呼びかけた。そして、自らも馬の腹を蹴って走り出す。後には、クロウたちも付いてくる。
「まさか、アーセナルが裏切るなんてっ!」
予想していなかったわけではない。しかし、クロウは唸らずにはいられなかった。
「アーセナルは、ガモーフの外交官とも親しくしていまました。わたしたちの知らないところで、密約を交わしていたということでしょうか?」
馬を走らせながら、カレンが言う。
「そんなこと、今はどうだっていい! アーセナルを止めろっ!」
叫ぶアルサス。やがて、撤退から、一転して危機に陥ったキリク隊の救援に転進した、センテ・レーバン軍はアーセナルの部隊とぶつかる。しかし、背後にはガモーフ軍が追撃してきている。つまり、挟み撃ち状態なのだ。しかも、アルサスたち、センテ・レーバン兵にとっては、裏切りとは言っても、アーセナルたちも同じセンテ・レーバンの兵隊である。中には、見知ったものや、友人もいる。そんな相手に、躊躇してしまうことは仕方がなかった。
それでも、アーセナル隊は、アーセナルの命令に忠実に、センテ・レーバン軍に襲い掛かる。彼らは、ガモーフ先遣隊の威容を目にして、アーセナルとともに生き残る道を選んだのだ。そのためならば、仲間を殺すという矛盾を、喉の奥に飲み込んだ。
覚悟あるものと、突然のことに戸惑う者。その勢いの違いは歴然としている。混乱は、瞬くうちに広がり、前からは数刻舞うまで仲間であった者たちが、後ろからはガモーフの軍隊が遅いかる。アルサスたちの本隊が総崩れとなってしまうまで、それほど時間はかからなかった。
新たな悲鳴が響き渡る。しかし、先ほどまでとは違い、あまりにも悲痛な叫び声だ。
「くそっ、なにやってるんだよ、お前たちっ!」
アルサスは、剣の峰でアーセナル隊の兵士を叩く。だが、やがてアーセナル隊の兵士は、アルサスの馬に目をつけ、その白馬の美しい体に槍をつきたてた。
「うわあっ!」
アルサスは、馬が崩れ落ちるのと同時に、地面へと投げ出された。全身に走る痛みに、アルサスは目を瞑った、その瞬間、アルサスをアーセナル兵が取り囲む、クロウが慌てて、「フェルト!」とアルサスの本名を叫んだが、その声は、剣を振り上げるアーセナル兵の怒声にかき消されてしまった。
アーセナル兵の剣がアルサスの首を狙う。先ほどのように、カレンの剣が投じられることはない。何故なら彼女もまた、アーセナル兵に取り囲まれているのだ。クロウも、トライゼンも同様である。
アルサスは、ナルシルの剣を振り、アーセナル兵の剣を受け止めようとした。だが、手元にあるはずの剣を落馬とともに落としてしまったことに気づく。万事休す! 死の一文字がアルサスの脳裏を過ぎった。
その時である。眼前を灰色の影が、まるで風のように通り過ぎた。それと同時にアーセナル兵は、首をごろりと落として、そのままその場に斃れてしまったのである。
いったい何が起きたのか。アルサスがそれを理解する前に、アルサスの背後から、低く重たい声が聞こえてきた。
「味方に裏切られた上に、戦の最中、剣を落とすとは。情けないものよな、少年よ……」
トライゼンのものとは違う。まして、カレンやクロウのものとも違う声に、アルサスは振り向いた。
ご意見・ご感想などございましたら、お寄せ下さい。