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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第七章
62/117

62. カレンの歌

 軍議が終わるころには、空に丸い月が浮かび、ガルナック平野を冷たい夜風が吹きぬける時刻となっていた。

 作戦と呼べるほど、作戦が立てられるわけではない。敵の出方を待つ以外に、彼らに作戦らしいものが立てられるわけではなかった。しかし、戦いになることだけは確かであり、砦内はある種、戦の前の高揚とした空気に包まれているようだった。

 そんな空気の中を、美しい歌声が聞こえてくる。透き通った女の声だ。眠りに就けず、砦内を散策していたアルサスは、その歌声にふと足を止めた。

『生れ落ちた意味は、誰も知らない。この旅に果てなどなくて、僕も君も独り死んでいく前に、君の名前を叫ぶから』

 歌声は、砦の胸壁の上から聞こえていた。アルサスは、その美しい声の主が誰であるか知りたくて、胸壁へと駆け上った。

 アルサスがやってきたことに気づいた、歌声の主はぴたりと歌を止める。そして、アルサスの方に向き直った。騎士団の紅一点、カレン・ソアードだ。鎧の似合わない、細い輪郭の彼女が、歌を唄っていたのだ。

「で、殿下! お休みになられていたのではないのですか?」

 カレンは、恥らったように頬を染めて俯く。アルサスはそんな彼女に眼を細めて、近づいた。

「眠れなくて……散歩してた。カレン、だったよね? 今の歌、初めて聞いた」

「わ、わたしの作った歌です。『旅人の歌』と名づけています。その……」

 今にも頭の上から湯気が立ち上りそうなほど、耳まで真っ赤にするカレン。アルサスは、その姿に再びネルのことを思い出てしまう。出会ったあの日、手をつなぐアルサスに、頬を赤らめた少女。純真で朗らかだった瞳は、どうしてあんなにも暗くなってしまったのか……。

 後悔しても始まらないことは分かっていても、ネルの明るい瞳に少しだけ心が揺らぎ、世界を変える力を持つ彼女をこの世から葬り去るという使命を忘れてしまった。いや、迷ってしまった。その所為で、ハイゼノンの混乱に巻き込み、彼女に「分かり合えない世界を滅ぼす」という一番到って欲しくなかった結論に、到らせてしまったのは、結局アルサスの所為なのだ。

 だが、今アルサスは、ルウ曰く、ネルのことを見捨てても、自分が一番嫌った争いの中に身を投じようとしている。そんなアルサスの姿をネルが見たなら、彼女は更に落胆するだろう……。それが心苦しくて、ガモーフとの戦を前に、眠れないのだ。

「どうかなされましたか?」

 カレンの顔を見つめ、ネルのことを思い出して、ぼんやりとするアルサスに、カレンは少しばかり怪訝な顔を向けてきた。アルサスは、慌ててカレンに対して失礼だったと自らを内心に叱責した。

「いい歌だね……。それに、王都劇場の歌手にも負けない歌声だった」

「い、いえ。お恥ずかしい限りですっ!」

 カレンは、アルサスの内心など知らぬまま、恐縮してしまう。アルサスは、そんなカレンに少しだけ苦笑した。

「はじめから聞かせて欲しい。君が嫌じゃなかったら」

「ええっ!?」

 カレンは、突然のアルサスの申し出に驚き、恥ずかしそうにこくりと頷くと、咳払いでのどの調子を整えて、「旅人の歌」をはじめから歌い、アルサスに聞かせた。

 不思議なメロディだった。センテ・レーバン伝統の歌謡とは違う、はっきりとした抑揚のある旋律に、どこか物悲しげな(うた)がのせられる。それが、ガルナック平野の夜風に乗って、まるで平野の草花をそよそよと揺らすかのようだった。

「お、お粗末さまでした」

 歌い終わったカレンは、尚も少女のように恥ずかしげな顔をする。アルサスは、拍手と賛辞でカレンの歌を喜んだ。

「不思議に思ったんだけど、カレン、君はどうして騎士になんかなったんだい?」

 アルサスは、胸壁から見渡せるガルナック平野の夜景を見つめながら、問いかけた。その質問に、別段深い意味はなかったのだが、カレンは少しばかり暗い顔をする。そして彼女も、アルサスの隣で、月明かりが照らし出す、夜風の野原を見つめた。

「わたしの父は、ヨルンの戦いで大隊を率いていました……」

 カレンの父、カーネル・ソアードは名門の騎士として、十年前ヨルン平原で命を散らした。あの白き龍の光によって、命を奪われた二百万人の一人である。当時、カレンは、歌手になることを夢見る幼い少女だった。父の非業の死は、カレンに衝撃と悲しみを与えた。しかし、幸い彼女には、弟がいて、まだ幼いかったが、家督を継ぐのは彼と決まっていた。そのため、彼女の夢が潰えることはなかった。

 生前の父が褒めてくれた歌声を、王都の劇場から天国の父に聞かせることが、彼女の新たな夢となった。しかし、世の中はそれほど安寧に作られてはいない。

 幼い弟は、父の死からまもなくして、病に倒れた。カレンやカレンの母の必死の看病もむなしく、病魔は弟の体を蝕み、ついには弟を父の下へと召したのだ。

 宰相のライオット・シモンズは、これを受けてソアード家をお取り潰しとすることを決めた。当時、すでにヴェイル家を手駒とすることを決めていたライオットにとって、余計な騎士の名家は不要だった。特に、カーネル・ソアードは、ことあるごとにライオットに盾突いていたため、ライオットにとっては、ソアード家の存在自体が目の上のたんこぶであったのだ。

 母と二人家を追われ、住む場所も食べるものも、失ってしまう。それは同時に、歌手になると言うカレンの夢を無残にも潰した。だが、そんなソアード家に手を差し伸べたのは、トライゼンであった。

 ヨルンの戦いの折、後陣を任されていたトライゼンは、他の騎士たちが死に、自らが生き残ったことを後悔していた。その罪滅ぼしにと、カレンが家督を継ぐことで、ソアード家のお取りつぶしを免除するよう、ライオットを説得したのである。

 どのみち、歌手になると言う夢を失うのなら、母のため、天国の父と弟のために、騎士になる。カレンがどのような心境で、そう決めたのかは、アルサスには到底分からなかった。それは、クロウがライオットのことを快く思っていないにもかかわらず、その庇護の下、ヴェイル家を再興しようとした想いに近いのかもしれない。

 残念ながら、アルサスには、家というものへの執着がない。それは、愛妾の子として、王家に望まれず生まれてきてしまったという生い立ちが、そうさせるのだ。だからこそ、アルサスはフェルト・テイル・レーバンの名を捨てることが出来た。

 比してみれば、カレンやクロウと背負っているものが違いすぎる。

 そう、胸壁の上で、カレンの生い立ちを聞きながら、月夜のガルナック平野を見つめるアルサスが言う。

「でも、フェルトさまだって、シオンさまのため、この国のためにここに立っていらっしゃるじゃないですか」

「そんなの建前だよ。結局、どうにもならなくて、戦争をする。それって、ライオットの思い描いていた、戦争の時代の再開に手を貸しているだけなのかもしれない。その先に、千年王国なんて馬鹿げた理想さえ、ないというのに」

 やや自嘲気味に、アルサスは笑った。すると、カレンは何と答えていいのか分からず、困ったような顔を向けてくる。

「昔、前国王……親父に尋ねたことがある。どうして戦争が起きるのかって。親父は、俺の好きだった菓子を持ってきて、俺に教えてくれた。人は自分の欲に正直で、互いにその欲がぶつかり合う時、人は分かり合えなくなって、戦争をするんだって」

「フェルトさまは、欲があるのですか?」

「さあね、自分でもよく分からない。何のために、あの子を殺そうとして、何のために、今ここにいるのか……。そこに欲があるんじゃないかって思うこともある。……いや、ごめん。歌まで聞かせてもらったってのに、変なこと言っちゃって」

 アルサスは、ぶるぶると頭を振り、胸壁を降りる階段のほうへ踵を返した。すると、アルサスの背中をカレンが呼び止める。

「前王陛下の言葉を否定するつもりはありませんが、わたし思うんです。人は分かり合えるって。たとえば、歌。歌はどんな歌でも、世界中の人が共感し合えます。それと同じように、共感し分かり合うことが、出来ると思います。そういう可能性が、わたしたちにはあるんだって、信じてます」

「だから、君は歌うのかい?」

 アルサスは、振り返って尋ねた。カレンは再びこくりと頷く。

「フェルトさま……。どうか、御心のままに。わたしたち騎士は、殿下の力になります。あなたの迷いが晴れて、いつか人と人が分かり合えるその日まで」

「そうか。ありがとう。カレン……話せてよかった。そうだ! この戦いが終わって、王都に帰ったら、また歌を聞かせてくれ」

 そう言って、階段を下りるアルサスに、カレンは三度頷いた。今度は、声に出して。


 翌日。早朝の靄をかき分けるように、ガモーフ神国の軍隊が、シエラ山の麓の谷を越え、ガルナック砦の前にに姿を現した。すでに斥候からの狼煙で、敵軍の接近を知らされていたアルサスは、結局ほとんど眠ることは出来ずに、馬を引き、出陣することとなってしまった。

 ガルナック砦内に、キリク率いる守備隊のみを残し、全軍を砦前に展開させる。一方、ガモーフの軍隊は、アトリアの東から昇る朝日に、青銅色の甲冑を輝かせ、平野を吹き抜ける初夏の風に、軍旗をはためかせた。

「壮観ですな」

 アルサスの隣で冗談交じりに言ったのは、全権騎士団長のトライゼンである。確かに、彼の言うとおり、平野に居並ぶ敵軍の威容は壮観であった。その数は、こちらの三倍。整然とした敵の姿は、さながら軍隊アリのようにさえ見えてしまう。ならば、彼らにとってこちらは、獲物にしか見えていないのかもしれない。

「俺は、ここから三十クリーグほどのところにある、メリクス別邸で育った。この平野にも遊びに来たことがある。しかし、こんなところで、戦争をする日がくるなんて、思いもしなかった」

 と、敵軍を見つめながらアルサスが言うと、馬を寄せて隣にやってきたクロウが少しだけ苦笑する。

「僕も。君とこの野原を駆け回った日々が、遠い昔のことのように思う……」

「クロウ、ガモーフはどうあっても、俺たちと戦争をするつもりなんだな?」

 最後の確認、と言わんばかりにアルサスが問いかけると、クロウが頷き、トライゼンが補足する。

「昨夜、三日前に送った使者が丸裸にされて、ガルナックに帰ってきました。命を奪われないだけマシだと思え、お前たちの声には耳を傾けるつもりはない、という彼らのメッセージですな」

 トライゼンの言葉に、アルサスは深く溜息を漏らした。彼らの怒りと恐怖に火をつけた張本人たる、ライオットはすでにこの世にいない。その尻拭いをするために、これから何人の兵が死ぬだろう。

「そのような顔をなされますな。兵たちは皆戦うつもりでここへ来ております。ライオットを止められなかった責は、殿下だけが負うものではありません。我らも、同様に、その責めを負いましょう」

 そう言われながら、アルサスは、昨夜のカレンの言葉を思い出していた。御心のままに……。迷い続け、今もまた迷っている。それでも確かなことは、自分がフェルトの名を再び名乗ると決意したことだ。

 アルサスは、馬の首を返し、兵たちの方に向き直った。皆緊張を隠しきれない様子で、アルサスに視線を注ぐ。

「この戦いは、守るための戦いだ。勝利しても何かが得られるわけではない。いや、むしろ失うものの方が多いだろう。それでも、俺たちは大切なもののために戦う。家族、恋人、友人。そういった人たちのために、戦うと思え! この国を我らの手で守るのだと思え!」

 声高に叫び、アルサスは腰だめのナルシルの剣を引き抜いた。そして、王家に伝わるその剣を空高くかざすと、兵たちは一斉に「おーっ!!」と怒声を上げ、十分に漲った士気を轟かせた。

「よし! 全軍進めっ!!」

 再び馬の首を返し、敵軍のほうに向けると、アルサスはかざしたナルシルの剣を力強く振り下ろす。それにあわせて、ざっくざっくと、進軍する兵隊の足音ともに、ガモーフとの戦争の火蓋が切って落とされた……。

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